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格付会社の「格付」って本当にあてになるの?
今日のニュースで日本の国債の格付けがG7の中で最低となったと聞きましたが、少しだけ疑問があります。 格付会社が本当に客観的に格付を行っているのか、系列の金融機関などがあれば、そこに利する形であるいは、属している国の国益に配慮した戦略的な評価を行っていないという保証は一体どこにあるのでしょうか。 確かに大まかには尊重すべき点もあるのかもは知れませんが、一私企業の格付によって国債の利率や株価が変動し、さらにその国の経済に予期せぬ影響があるとすれば、その中立性、客観性は厳しく問われてしかるべきだと、私は思うのですが。
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格付け会社の情報で最も重要視すべき点は、格付けが何かということ良りも、こういう理由で格下げした或いは格上げしたなどの理由の部分だと思います。その理由を読んだ上で、妥当だと思えば、それを参考にポジションを取ったり閉じたりすれば良く、それが不当な評価であるということであれば、修正されるはずですから市場の動きに逆行することも有り得ます。 日本企業の場合、財務諸表で予見できない損失が発生することが多く(大成火災の再保険などどこを見てもわかりませんでした)、それらの情報だけでは不十分ですから、最近の傾向では企業にとっての悪材料の開示姿勢が重視されていると思います。 あくまでのひとつの考え方として、参考程度に留めるべきということには異論がありませんが、他に投資を決定つけるだけのものがない以上、格付機関の出すレポートに依存せざるを得ないとは考えています。 ちなみに、私は日本の格下げは妥当だと思っています。前述の悪材料の開示姿勢に問題があることが主因です。そのような問題点をさて置き、格付け機関のスタンスに批判をしているだけの政治家の方が信用できないと思っています。 ちなみに御質問の回答ですが、 中立性、客観性は保証できないと思います。 格付け機関も商売で行っている以上、恣意性を排除することは不可能だからです。 (証券会社の株式の格付と同じです)
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- tnt
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中立性、客観性を厳しく問われるべきなのは確かです。 また、格付けに失敗することも多々あるようで、 先日倒産したマイカルの社債は、今年初めまでどこの格付け機関でも 返済に心配なしとなっていました。結果はご存知の通りです。 恣意的な格付けが無いとは思えませんが、それよりも その格付け機関(会社)のおかれている環境によっても 大きく違うと思います。 ただ、日本の国債についての格付けは、妥当かもしれません。 実際に、自民党内ではインフレターゲット政策を主張している 人がいますが、これは日本国債の価値を実質的に下げる政策であり、 この政策が実行された時点で市中の国債価格は暴落します。 国債を償還する為には、国の税収を増やすか、 国債の価値を実質的に下げ事実上の償還資金を減らすしか ないのです。 (あとは、更に国債を発行してサラ金地獄と同じ状態になるという 選択肢もあります)
お礼
確かに第三者からの評価がどうこうという問題より、目前の財政赤字と不良債権の問題をどうするかということの方が、はるかに深刻なのはその通りだと思います。 インフレターゲッティングについてはいろんな人がその効果を期待する発言をしていますが、議論が不足しているのは否めないと思います。 マイカルの社債の評価のことは知りませんでした。しかし、もし実際に大幅な格下げが行われていれば、今のようなソフトランディングが可能だったのかという点については大いに疑問です。 たぶんここから先は掲示板ネタですかね。またいろいろとお教え下さい。ありがとうございました。
- stocksaurus
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格付け機関っつうのは、ムーディーズとかS&Pの ことですね。経済の雑誌やテレビを見ていれば、 いやでも耳にします。 格付け機関の評価が当てになるのかという質問ですが、 これはどちらともいえません。それを見た個人が 判断すればいいことです。私は参考にする程度ですね。 格付け機関に限らず、世界に存在する団体の殆どは アメリカが主役ですから、もちろんアメリカの国益を 最優先にさまざまな資料が作られていることは 容易に想像はつきます。私はこれはこれでいいと思っています。 強い者が弱いものを統べるのは摂理です。 これは国家間ではもちろん、一般の社会でもよく見うけられる ことですから、才能のないもの、弱いもの、無能な人間は 甘んじて受け入れる忍耐、もしくわ、無知であることを 貫かなければならないと思ってます。 そう思いませんか?たとえ、誰かが出した評価や判断が 間違っていても、それは間違いだと訴え、相手に訂正させる だけのポジションにいる人はごく少数です。 私はすでに、世捨て人ではないですが、ふざけた内容の ニュースや状況は眼中にないし、一笑にふしてますよ。
お礼
経済のグローバル化という言葉がありますが、私には疑問があります。同じ疑問がどうして格付機関はアメリカにしかないのかというところにもありまして、今回のような質問になったわけです。 >強い者が弱いものを統べるのは摂理です。 ううん。確かにそういう実態はあるのかもしれませんが。 勝者と敗者の織りなすヒエラルキーが、この世の仕組みの背景のどこかにある、ということでしょうか。でも敗者とされる側の向上心もやはり、社会全体の生産性ひいては国民経済に大きなプラスとなることを信じたいと、敗者弱者の立場から主張させていただきたいと思います。 回答を寄せていただき感謝します。
- yuhki_f
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格付け機関が会社などに対して正当な評価をしているかあるいは正当に評価する能力があるかどうかについては、私は大いに疑問を持っています。しかし、格付け機関が格付けを下げればその企業は高いコストで資金調達しなければなりません。そのれゆえ、格付けを維持するように努力しなければなりません。その意味では、当てになるならないを考える前に格付けが下がるというリスクを排除しておく必要があります。それは、とりもなおさず世間一般によいと思われているように振舞うということです。 ただ、このように格付けが企業に資金調達のやりやすさに関して重大な影響力を持っている以上、格付け機関は自分の出している意見にそれに見合う責任を持つ必要があります。
お礼
格付機関の動向以前の問題として、自社の信頼性が損なわれることのないよう、最大限の努力をすることが金融機関に求められているということは、全くその通りだと思います。 格付機関が何らかのミスしたときにどういう風に責任をとるのか、あるいは、ミスであろうがなかろうが評価の影響力の方が、先に結論を市場の中に作り出してしまうのでは?という不安もあります。 お答えいただきありがとうございました。
もちろんその通りだと思います。 実際に今まででも、格付け会社からの評価が下がり、マスコミ等で抵抗を試みた会社もあるのですが、結局は格付け会社が示したデータや世界標準とされる経営データを出せなかった企業はソコを存分に叩かれて、あえなく尻尾を巻くというのが今までの結果です。 中立性や客観性についても保証はありませんが、利用者は目的とする情報以外の情報にも目を通し、本当に信頼できる情報かどうかを判断する必要があります。 格付け会社自体にも格付けが存在し、利用者は複数の格付けを利用して、希望の会社や金融のリスクを把握しなければなりません。あくまでもリスクを把握するための簡易な指標に過ぎないのですからね。 格付け会社自身は、立性、客観性に外れる行為をすればこの業界では生きていけません。そういう意味では日本の金融業のようにぬるま湯ではありませんからよっぽど信用できると思います。
お礼
結局は利用者の判断にゆだねられるべき部分が大きいというのはその通りかと。 >そういう意味では日本の金融業のようにぬるま湯ではありませんから… なるほど、格付機関の厳格性を云々するより日本の金融機関の方の問題が相対的には遙かに大きいということですか。確かにそうだと思います。よく分かりました。ありがとうございました。
お礼
今回の日本の国債に関しては妥当な評価と言える、ということですね。懸案となっている経済のグローバル化以前の問題として、情報公開がしっかりされてさえいれば、大衆投資家の資金もスムースに株式市場などに投入され、市場も活性化されるという話は昔から聞くのですが、なかなか実行に移される事がないのは、経済的後進性ゆえなのか、あるいは既得権にしがみつく国民性ゆえなのか、私にはよくわかりません。 格付機関への国内からの様々な批判については、興味があるのでよく調べてみます。 勉強になりました。ありがとうございました。