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先祖の骨を動かしたから?犬の恨み?
初めまして、かなり悩んでいます。良いご回答お願い致します。一週間前父が脳梗塞で倒れました。今も意識不明の重体です。意識が戻る見込みも少ないと言われています。ただ、その以前から父には腎臓が悪くなったり、購入したばかりの車がパンクしたり等なんらかの災難がありました。今このような状況になって色々考えて思ったのが今年に祖母が亡くなった際、納骨の時父が祖母の骨壷が入らず、祖先の誰か分からない骨壷を他のまた誰か分からない祖先の骨壷へ一緒に入れてしましました・・。納骨に行く前に一応お坊さんを呼んで供養は自宅でしました。その後親族だけで納骨に参りました。今になって身内ではこのような災難事が続くのはそのせいではないのか?と言われています。さらに、今年の夏頃に飼っていた犬を保健所に連れて行ってしまった事もありました。それは、飼い犬が父や母を噛み付いて怪我をさせたからです。 このような勝手な行動の結果このような事が続いているのかと思い悩んでいます・・。今は仏壇やお墓、飼い犬がいた場所へお線香をあげたりしてお参りをする毎日ですが、このように祖先の骨を一緒にしたり、飼い犬を保健所に連れていったりした事でまた災難が起きるのではないか・・?と悩む日々です。 やっぱり一度お墓でお坊さん等を呼んで供養をして頂いたほうがいいのでしょうか?そして私はどのように毎日をすごせばいいのでしょうか・・?長くなってすみません!どうかよろしくお願い致します。
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結論から言うと、あなたのお父さんに降りかかった災厄は偶然です。 しかしそれとは別に、あなたには「呪い」がかかっています。 誤解しないで頂きたいのですが、「呪い」「祟り」と云うもののメカニズムは、何も神秘的なことではありません。 「呪い」と云うのは人の精神に働きかけるものなのです。 この場合あなたには「呪い」がかかっていますが、それは決して超自然的で神秘的なものではなく、あなた自身がかけたものなのです。 あなたは犬を保健所に送ってしまった事や先祖の遺骨をごちゃ混ぜにしてしまった事に罪悪感を覚えているようですね。それが、あなたがあなた自身にかけた呪いです。 罪悪感を覚えた貴方は、普通なら運が悪かった、で済む出来事も「祟り」ではないかと疑ってしまうようになる。時悪く、お父さんが病気になってしまった。その事自体は偶然に過ぎないのに、あなたは矢張り「祟り」ではないかと疑ってしまう。 こうなると、凡ての凶事が「祟り」の所為では無いかと思えて来る。 そんな状態では、相当のストレスがかかってしまいます。そして、そのストレスが体調不良を引き起こし、あなたは更に「祟り」に怯えるようになる……と、これが「呪い」の仕組みです。 今はまだ体調を崩されては居ないようですが、このままではいずれ身体を壊してしまうでしょう。 それを防ぐ為には、あなた自身があなたにかかった呪いを解くしかありません。 呪いを解くには、罪悪感を捨て去るしかないのですが、これが中々難しい。自分だけでは棄てきれないものです。 そこで呪いを解く為の「儀式」が必要となる。 供養と云う名の「儀式」をする事によって、人は「あぁ、これでもう大丈夫だ」と自身の罪悪感を捨て去り呪いを解く事が出来る。 但し、ここで問題なのが「本当に大丈夫なのだろうか」と思ってしまうことです。そう思ってしまえば「呪い」の解呪は出来ません。 重要なのは、思い込むことです。そうしなければ幾ら供養をしてもあなたがあなた自身にかけた「呪い」は解けません。 以上が私一個人の見解による、「呪い」の正体とその対策です。 あなたが自身にかけた「呪い」の正体を知ることが、「呪い」の解呪に役立つと思いましたのでこんな長文を書かせていただきました。 最後に一言だけ。 死者が生者に仇なすことは出来ません。いつでも、生者を害する事ができるのは生者のみなのです。 それでは、長文失礼いたしました。
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- thorium90
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お父様は難儀なことで大変かと存じます。 そんな時に先祖がどうとか不思議な話をしていてどうするんですか? 現実的に闘病生活をどううまくこなせすべきか考えた方が良いです。 お父様が難儀をしておられるのは病気のせいであなたのせいでも家族のせいでも ましてや先祖や犬は全く関係がありません。 私などは一度も墓参りなど行ったことがありませんが健康で運も良いです。 ちなみに20年前ですが家の近所の犬は他人をかんだという理由で食べられました。 うそのようですが本当の話です。 食べた人も今も元気です。
- usako0419
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それなら、浄土真宗のお寺のお坊さんでいいのでは?関係ないかもしれないですが、念のためにお経でもあげてもらったら精神的にも良いのでは?ただ実際に身延山という山に登ってる時に知り合いが、お供えしてあったオハギを食べれるぞと言い食べた日の夜に突然様子が変わったり目の前で何回か見たりしたので。
- madamu55
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お父様の事、ご心配ですね。 まだお若いのでしょうか?それともそろそろ覚悟をしなければならないお年ですか? 文章を拝見した限りでは それほど不思議な現象とは思えません。お骨の事も、仏教ではひょっとしてタブーな事なのかもしれませんが、気持ちの持ち様だと思います。 飼い犬は小さい時から飼っていたのですか?飼い主に噛み付くのはよほど何かがあったからでしょうね、悲しい事ですが、もう済んでしまった事ですから、忘れましょう。 動物は人間と違って、恨みを残して死ぬことはありません。虐待されても、ひたすら愛される事を待っています。だから貴方のお家に祟るなんて事ありませんよ。 気持ちがそれで済むなら 供養していただくのも1つの手ではありますが・・・ それより 貴方、もしくは貴方の家族の方々の いろんな物事に対する考え方に、何か引っ掛かるモノがあります。 お墓の事は、ご先祖様に 感謝とお詫びの気持ちを持っての行動であれば 何も恐れる事はありませんし、 犬のことも、自分のしつけ方の間違いを反省して、それでもどうしようもなかった行為であれば、悔やむ事もないのでは? と思います。 No.3の方もおっしゃっている様に、人は生きているだけで罪深い生き物です。 たたりを恐れる前に、地球上で一番権力を持っている生き物として、思いやりと感謝の気持ちをもって 毎日を過してください。 私も犬を飼っていますが、亡くなった子に対しては、 自分の気持ちの整理がつくまで、お線香をあげて語りかけています。 貴方の優しい心で ワンコは天国に行けたと思います。
お礼
ありがとうございます。父はまだ64歳です。 実は10年前にも脳梗塞の気は出てました。犬も子犬の頃から飼っていました。 ただ、あまりにも色々な事が重なりすぎてどうして私の所ばかり!?という気持ちが強かったのかもしれません・・。現実から逃げてはいけませんね、、
- les-min
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こんばんは。。 仏式の祭儀関連の業者です。 ご心配のこととは存じますが、諸々の出来事と納骨・飼い犬の処分とは関係ないと思いますけど・・・ いわゆる「因縁」というものは人智を越えたものだと考えています。そうそう単純なものではないと思うのです。(職業上の経験からも、仏教の教理からもそう言えます。) 表向き、仏教は因果応報を説き、悪い結果が生じたのは先立って何か悪いことをしたからだと解釈できる説き方をよくするのですが、実際の「因縁」「縁起」というものは、そう単純なものとは思えません。世界を極めて重層的な、常識的な善悪を超越した「相関関係」の現れと捉える仏教にとって、物事が良くも悪くも展開していくことは当然であって、何かが悪かったからその結果が現れたと早計に断ずることは決してできないと思います。 お骨は土に還ることが望ましいのであって、骨壷がどうこうというのは、関係ないと思います。 飼い犬の処分を気にされておられますが、それ以外にも、貴方がたご家族は、日々の生活を送るなかで数限りない殺生をしてきたはずです(←これは誰もがそうですが)。食事をしたり、快適な生活を送るために害虫と称される生物を駆除したりと、人の生活は殺生なくしては成り立ちません。 特定の事柄が気になるのは、当事者の「罪の意識」がそうさせているのであって、実際には何がどういう結果を招いたのかわからないほどに「罪だらけ」であるというのが実状でしょうね。 ご質問の文面を拝見すると、いわゆる「タタリ」を恐れていらっしゃるのでは?と思います。それは、極めて日本的な感覚であり、そういう意味合いでは心情として無理からぬことだとは思いますが、あまり気に病む必要はないと思いますけど。 人は皆、幸福かつ安楽な生活を望むものですが、必ずしもそうはいきません。それはどうしようもないことです。それが当たり前なのです。みんなそういう世の中に生きているのだと思います。 栄枯盛衰は世の倣いであって、「たまたまそうなった」ということです。出来事に対して深く思い煩うことは得策とは思えません。 お寺さんをお呼びして再度ご供養されることは、心身の安楽のために有用なこともありますが、宗旨によってはお寺さんが難色を示すこともあると思います。密教系の宗派であればある程度相談にのっていただけるかと思いますが、極楽往生を説く浄土系の宗派はこういう話にはあまり積極的に取り合っていただけないのではないかなと思います。禅系のお寺さんは対応がまちまちだと思いますね。 人生はいろいろあります。そういうものなのです。フツーに、当たり前に暮らしていたこれまでの日常こそ「有り難い」ものだったのですよ。きっと。 いろいろお悩みは尽きないことと思いますし、自分の回答が有用なものかどうかわかりませんが、感じたままに記してみました。では。
お礼
ありがとうございました。 確かに人間いいときもあれば悪い時もありますよね、 とてもいいお言葉ありがとうございました。 ちなみにうちは浄土真宗です。
- usako0419
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以前、お寺で修行していた経験ですと、普通では理解出来ない事とかがあります。足音が感じるけど誰も歩いてない?とか。色々あります。骨壷などを動かすのは、細心の注意をしても賛成出来ないと思います。いまだに墓などを移動したくても、移動しようとすると事故が起きるので中止するとかあります。飼っていた犬が骨壷を移動してから噛むようなら、それも関係あるかもしれません。なるべくなら、もとに戻すことを、おすすめします。霊感が強い弱い感じないとあるように、影響を受けやすい人もいるみたいなので。元に戻せないなら、お墓のあるお寺のお坊さんに、お経をあげていただいたら、いかがですか?
補足
ありがとうございます。飼い犬は元々噛みグセはありました。ただ、保健所に連れて行くと言い出したのは父で連れて行ったのも父でした。その後は何も供養をしていませんでした。骨壷は一つにしてしまい元に戻す事は難しいです・・。お墓は普通の墓地なのでお寺ではないのですが地元のお寺のお坊さんでもいいのでしょうか?
- 007_taro
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本当にアドバイスです。 納骨の際に、誰だか分からない骨を入れた、と言っても、先祖様に関わる方の骨ですよね?同じ先祖同士のお骨を入れても、同じお墓に入るのも同じではないですか?家で、各自の部屋を持つか、昔風に居間があるか、の違いと考えるのはどうでしょうか? 犬の件は、色々と考えられた末になさったことなのでしょう。後悔もあるゆえに、そうやって供養をされているのでしょう。 私はそれぞれが、災いの元となっているとは思いません。確かに宗教の者でもないものが言って、ご参考になるか分かりませんが、もし、供養をすることに不足を感じていらっしゃるなら、一度、キチンとした形で供養をされたら、rikiseさんのお気持ちが整理できるのではないでしょうか? 確かに、何かを言いたい御先祖の霊も存在するかもしれません。でも、きちんとした供養をしているあなた達に災いを起こすなんて”罰当たりな”御先祖様とは思っていらっしゃらないでしょう? 要は、今、生きていらっしゃるrikiseさんの心の整理の付け方に、掛かっていると思います。今までのが祟りと思われるのでしたら、これからも続きます。でも、ちゃんと供養をして安心した、と思われるなら、災いは来ないでしょう。
お礼
ありがとうございます。 アドバイスだけでもうれしいです。
お礼
お礼が遅くなって申し訳ありませんでした。 そうですね、自分自身での悪い思い込みが一番の呪いになりますね。私ももっと前向きに今目の前にある現実を捉えなければいけませんね。とても心に響きましたありがとうございました。