#4の回答に質問者さまから補足の疑問が書き込まれ、それが当初の質問内容に含まれると判断したので追加回答します。
>言ったもの勝ちになりませんか?
陰口を言うことが「勝ち」になるかどうかは、内容の信憑性と陰口を言った人と言われた人が周りからどれだけ信用されているかによるので、一概に陰口を言った人が勝ちにはならないと思います。
たとえばAさんがBさんの陰口を言ったとしても荒唐無稽な内容では陰口にならないですし、Aさんが周りから「嘘つき」「陰口ばかり言う人」と思われていれば誰も相手にしません。そしてBさんにAさん以上の信用があれば「あのBさんはそんな人じゃないよ」と周りがAさんを諫め、逆にAさんは信用を落として「負け」になるはずです。#4で「大切なのは他人がどんなことをやっているかではなく、自分がどのような生き方を選ぶのかということ」と書いたのはこういう意味で、myselfyourさんは陰口をみんなが信じるという前提に少しこだわりすぎているのではないでしょうか。
もちろんどんなに信用がなくていいかげんな内容でも、周りがそれを面白がって広めるということはあります。しかしそれは陰口を言った人よりも、それを無責任に面白がる周りの人々に問題がありますから、陰口を言ったか言われたかで勝ち負けが決まるというよりもこのような環境に身を置いた時点で「負け」かもしれません。
>どうしてだろうと嘆きのような気持ちになります。
#4にも書いたように社会にはいろんな人がいますし、悪意がなくても結果として陰口になる場合もあります。myselfyourさんが思っているようにどんな言い訳だってできますから、善悪や経緯は別にして社会には陰口が存在します。そして人間に所有欲や嫉妬、競争心や誤解といった感情がある限り“陰口”のように他人を陥れたり傷つける行為はなくならないでしょう。ですから陰口の是非や原因の追及よりも、陰口を言われた場合にどうすればいいのかということを考えて、その一つとして日頃から周りの人に信頼される人間であるように努めることが大切だと思います。
お礼
自分の中で陰口をクローズアップし過ぎました。もっと違う視点から観れるようにします。非常に的を得た回答ありがとうございます。