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宗教はどの程度まで許容されるのでしょうか?
以前まで、「根っこのところで自分で考えることを放棄させるのが、宗教だ」と思って距離を取ってきました。でも、最近知人が牧師になるための学校に通っています。その前までは施設の福祉作業所を経営していました。資金繰りのために、一日に三つもアルバイトをしたそうです。過労のため劇症肝炎になり、死の直前まで行って引き返してきました。その後、神に仕える身になろうと思ったらしいのです。そういうことを聞くと、今まではコトバの上で宗教を批判してきましたが、今ではその知人を批判することになってしまいます。今までのようにスパッと切れなくなりました。かといって諸手を挙げて容認することもできません。途方に暮れています。迷っています。どなたかのご意見をうかがいたく思います。お願いします。
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お礼
アドバイス(批判)ありがとうございました。確かに思考の停滞を来していたのは私の方だと思います。根っこで考えることを放棄している自分を、宗教に帰依した知人に投影していました。考え始めなければなりませんね。
補足
確かに断片的な知識しかありません。講話を聞いたことがきっかけで、そのお坊さんの書いた本を読んだことがありましたが、受け売りの域を出ません。ある思想家が書いた宗教論を読みましたが、その人が触れている宗教家や文献を、直接自分で読んだことはほとんどありません。一時情報が少なく、二次情報ばかりです。自分で考えるということも、一時情報に含まれますね。