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生き難さを感じています

たぶんこう言えば上手くまとまるんだろうなと分かっていても、表面的につくろう事が自分を偽るみたいに思えて出来ません。「顔にすぐ出る」と今までも言われた事がありますが、例えば苦手な人と関わる時などは、かなり素っ気ない態度になっていると思います。 本来の自分の考えや思いと違った事をしても結局疲れるし、誰にでも調子よく合わせていける「世渡り上手」な人にはなりたくない、と思う反面、意固地になっている自分も感じます。 抽象的な話になって、分かりにくいと思うのですが、このままでは人間関係も広げていけない気がしています。どうしたらというか、どうして大人な対応ができるのですか?

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  • hakobulu
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回答No.5

納得しないのに、自身の考えを曲げて相手に合わせる事は、 自分に対する欺瞞であるし、 そういう偽りの自分を以って相手に対するのも失礼である。 という事だと思いますが、 あなたの基本的なスタンスは間違っていないと思います。 人に誠実であるという事は、本来そういう事です。 信頼するに価する貴重なお考えでしょう。 まずは、自信を持っていただきたいと思います。 皆があなたのように本音で語り合えれば、 噂や陰口など、自分自身を貶める事にしかならない不毛な行為もなくなり、 正々堂々とした、素直な精神で暮らす事ができるかもしれません。 しかし、ご承知のように、 本音で語り合ったからといって、必ずしも理解し合えるとは限りません。 個人の「本音」は、その人の長い歴史の中で培われてきた、 信念のようなものが基盤になっているわけですから、 一朝一夕に覆す事は、非常に難しいものです。 その人の「本音」に対して否定的な感情が「>顔にすぐ出る」とか、 「>かなり素っ気ない態度になって」しまうと、 その人の歴史を否定してしまいかねない事になるので、 相手は徹底抗戦の立場を取るでしょう。 確かに「>本来の自分の考えや思いと違った事をしても結局疲れるし」、 自らの品格を落としてしまうように感じられるかもしれません。 しかし、品格も理想も、現実性を付加させなければ、いわゆる「絵に描いた餅」です。 かと言って、自分の意志を無理に曲げることもありません。 時期が来るまで「待つ」のです。 または、その時期を作り出すのです。 「>誰にでも調子よく合わせて」いく必要は無論ありませんが、 「世渡り上手」というよりは、相手の生きてきた歴史を尊重するということです。 確かに誰でも自分の意志で生きています。 でも、どうしようもない環境、避けられない経験によって、 その人の生き方、考え方が左右され、頑なな信念になってしまう場合もあります。 ですから、その考え方を否定するのと、 人格を否定するのとは、似ているようで微妙に違うような気がします。 その考えが明らかに間違いだと思っても、その人自体を憎まず、 自分の考えをいつかわかってもらう時の為に、とりあえず「>表面的につくろう事」は、 決して「>自分を偽る」ことでもないし、調子のよい「>世渡り上手」でもありません。 それは、いずれ相手を取り込むことによって、 あるいは自分の考えを理解してもらう事によって、 自らの思う方向に進むための一種の布石なのです。

danbobo
質問者

お礼

『個人の「本音」は、その人の長い歴史の中で培われてきた、信念のようなものが基盤になっている』、「その人の「本音」に対して否定的な感情がその人の歴史を否定してしまいかねない」という内容が、とても納得できて、気持ちのもって行き方が見えてきた気がします。「考え方を否定するのと、人格を否定するのとは、似ているようで微妙に違う」とありましたが、私の中でゴッチャになっていたように思います。これまでの態度だと、相手そのものを否定してかかっていると思えてきました。できるところからhakobuluさんのご意見を行動に移していきたいと思います。 ありがとうございます。

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  • seducer
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回答No.6

好き嫌いがはっきりし過ぎているのを悩まれているのですか? こう言えば上手くまとまるんだろうなと思ってらっしゃるなら、 一度やってみるべきですよ。 人生は長い、試行錯誤を繰り返すのも 悪くないはずです。 おそらく、まだお若い方だと思うのですが(違ったらごめんなさい) >本来の自分の考えや思いと違った事をしても結局疲れる 本来の貴方の考えや思いって何ですか? それは自分の信念と呼べるものですか? ならば何かにぶつかるまでその信念を貫くべきです。 しかし、それが自分の安易な生き方を守る為の「言い訳」なら、木っ端微塵に 砕け散る前に自分から武装を解いた方が良いでしょう。 意固地になるとは誰に対してでしょうか? 親? 世間? 学校? 会社? 人間? 人間関係を拡げたいなら、他人の嫌な部分も受け入れる「寛容さ」を求められます。 だって他人も貴方の何か自分では気づかない欠点を「寛容さ」で見過ごしてく れているのかも知れないじゃないですか。 >どうしたらというか、どうして大人な対応ができるのですか? どなたかも仰ってられましたが、生きる為に必要だったからです。 もし貴方が会社の社長なら、社員に対してワガママは通じるかも知れません。 独裁国家の王子様や政府高官なら、好き勝手も可能かも知れません。 売れっ子のタレントならテレビ局の偉い人でも貴方におべっかを使うでしょう。 こん畜生と思っても、家族の生活、社員の生活、自分の未来と背負っているものが 多い人間は、自分の感情だけで動くわけには参りません。 ワガママがどれだけ通るかが、自分の地位の証明。 これは昔ある先生から教わりました。 貴方も通るか通らないか、何度か試みるいちに現在のこの社会での自分の 地位を嫌というほど味わう時期が来るはずです。 そこで、へこむかそれでも一歩前に踏み出すか、その時になれば答えは見えてきます。

danbobo
質問者

お礼

私のワガママはあまり通じないと思います。 これまで何とかなってきたのも、最初におっしゃっていた周りの「寛容さ」があったからでしょうね。 自分のこだわっているものが信念と呼べるものか、ただ相手のやり方なり考え方なりが嫌で、それに合わせたくないといった程度のものなのか…。 少し違うなと思っても、受け入れようとする気持ちを持ったり、seducerさんの言う「試行錯誤を繰り返すのも悪くない」かと思えてきました。 ありがとうございました。

noname#30850
noname#30850
回答No.4

自分の意見をしっかり持つというのは良い事ですし、大切なことであると思います。しかしそれは、「私は、私は、」とやたらめったらに自分を誇示することとは違います。それは、わかりますよね? >意固地になっている自分も感じます。 ここが大事です。何故意固地になっているのか考えてみると良いと思います。 私が個人的に思うのは、意固地になっていることに苦しさを感じるのであれば、認めてしまえば楽になれるのでは?ということです。 一番簡単なのは、その苦手だと思うことや人を、自分に勘違いさせて好きになってしまうことだと思いますが、それが難しければ、「あ、そうくるか」とか「それもアリかもな」とちょっと他人事のように捉えて、今すぐに受け入れるのは難しいがとりあえず脇に寄せておこう、というような。 それが上手で、究めた人が「君子は和して同ぜず」になるんだと思います。「あの人アタリは柔らかいけど言う時は結構スパッと言うよな」みたいなね。 こういったことは一朝一夕で身に付くことではないと思うので、常にどうすればよいのかと考えることがあなたを成長させていくと思います。 自分の長所・短所をよくわかっていますか?それを知り、自分の良いところをたくさん認め、かつ劣っているところは謙虚に受け止めることのできる人は、他人の長所をたくさん見出すことができ、かつ欠点や失敗にも寛容になることができると思います。

danbobo
質問者

お礼

私がしていたのは、苦手だと思うことや人を全く受入れないという事だったのかな、と読んでいて思いました。それに合わせてしまうことで、自分が流されていくようにも感じたりして。 「勘違いさせて好きになってしまうこと」というのはちょっと難しそうなので、2番目の他人事のように捉えて、とりあえず脇に寄せておこう、というぐらいに自分の中に少し他の事も受入れる余地は作ってみようと思います。この論語の意味はよく知りませんが、自分の意思なりがしっかりしていれば、そう簡単に自分自身揺らぐ事もないですしね。それで変わってしまったり、揺らぐようなら、その程度というか。 人の失敗や欠点にも目がいくと言うのも当てはまる部分があります。自分の劣っているところを受け止めるというのも、なかなか難しくて。 アドバイスありがとうございます。 もう少し回答を読み返してみながら、考えてみます。

  • 0wooo
  • ベストアンサー率31% (127/408)
回答No.3

1.先ずは自然体で、自分はこういう人とは合わないんだなんて言う先入観を捨てましょう。 2.次に、自分が相手の立場になってみる事で、人間関係への抵抗が減ってきます。自分の考えと違う事を言っている人に対して、相手は自分に何を言おうとしているのか、相手の立場に自分を置き換えて考えてみましょう。 相手にへりくだって合わせる必要は有りませんが、いつも自分が正しいとの思い上がりにならないようにしましょう。

danbobo
質問者

お礼

「この人と合わないんじゃないか」という時や「ちょっと言っている事がおかしい様な」という時は、相手の立場に置き換えてみるなんて頭にありませんでした。「自分は」ということにこだわって、たぶん人に意識を向ける余裕はなかったと思いますし。一度苦手だと思うことって、次からも気が重くなる一方だし、先入観も大きいんでしょうね。試してみます。ありがとうございます。

回答No.2

>どうして大人な対応ができるのですか? 生活のために必要だからですよ。 もっと言うと自分の大切な家族を養う為には そういうことは必須なのですよ。 自分の思い通りに何でもなって、生活も出来るのであれば 誰だって頭を下げたり、合わない人に無理に調子を合わせたり イヤミな得意先の接待なんかしませんよ。 どんなに偉くなっても何でも自分の思い通りということにはなりませんよ。 あなたが今どういう立場の人間かしりませんが 親の庇護を受けて生活しているのであれば あなたの両親はそうやってあなたのために頑張っていらっしゃるのです。

danbobo
質問者

お礼

理不尽だよなぁという状況なんてどこにでもあるし、それでも多くの人がやっていっているんですよね。大人な対応と言うのが、生きていくうえで必須なのも、今さらというか、当然といえば当然ですよね。 それなのに、何でこんなに引っかかりを感じるのか自分でもよく分からなくなってきました。 これまで周りで助けてくれたり、理解してくれる人に恵まれていたから、独りよがりの部分もカバーされてきたのかな…。

  • brao
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回答No.1

好きではない相手にもそれなりの対応をするのは相手への敬意でもあります。よっぽど自分に対して何かひどいことをした相手でない限り、きちんと接するのは人へのやさしさであると思います。それは調子を合わせているわけでもなく、世渡り上手とも違うと思います。 人にやさしくされたら、自分もやさしくなれると思います。他の人も同じです。例えそれが表面的なものから始まったものだとしても。 発想の転換が必要かなと感じました。

danbobo
質問者

お礼

相手への敬意として、きちんと対応していくのは当たり前と、以前人に言われたのを思い出しました。その時は「そんな事、私もやっているよ」ととっさに反発して、それ以上考えなかったように思います。 この回答を見てから、自分の中で少し冷静に考える時間もありましたし、今回改めてその事を言われてみると「確かに…」と自分のまずさで思い当たる点がみえてきた気がします。確かにあのときの対応は相手がどう思うのかとか考えていなかったよな、確かにあの人にひどい事をされた訳じゃあないのになどなど。調子いいなと思われたくない部分もあったと思いますし、自分ばかりに目がいっていたかもしれないです。ありがとうございます。もう少し考えていきたいと思います。