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※ ChatGPTを利用し、要約された質問です(原文:レスキュー隊の責任ってありますか?)

レスキュー隊の責任とは?

このQ&Aのポイント
  • 7月9日、三重県松阪市で発生した大型ダンプ事故において、レスキュー隊の救出作業が注目されました。しかし、その作業には無謀さが見受けられ、疑問視される声も上がっています。この記事では、事故の救出作業について詳しく取り上げ、レスキュー隊の責任について考えてみましょう。
  • 事故現場で目撃した人々は、レスキュー隊が11トンのダンプを5トンのクレーンで吊り上げようとする様子に驚きと不安を感じました。予想通り、最初の吊り上げ作業は失敗に終わり、さらに小さなクレーンを使って再度挑戦しましたが、それも失敗。被害は拡大しました。このような無謀な作業による被害者の家族の心情や、レスキュー隊の適切な責任について考える必要があります。
  • レスキュー隊は、一生懸命救助作業に取り組んでいたことは認められますが、無謀さが見受けられる作業は問題です。作業の失敗によって被害が拡大し、命を奪われた場合、その責任はどう問われるべきなのか、この記事では議論を呼び起こします。また、この事故を通じて、レスキュー隊の適切な対応と責任を改めて考える機会にもなるでしょう。

質問者が選んだベストアンサー

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  • thisaway
  • ベストアンサー率29% (35/120)
回答No.2

一生懸命救出しようとしたのだから許される、などということはありません。 謝った救出手段が原因で人命が失われた場合、レスキュー隊の現場責任者は、当然、過失致死責任を問われることとなります。 お話のような場合で考えると、 5トンクレーンで11トン車を引き起こすのは本当に不可能なのか(吊り上げるわけではないので) 不可能な場合、他クレーン車の手配は出来なかったか。 手配に時間がかかる見込みの場合、閉じ込められている人命を救うことが出来たか。 など、要するに最善の手段を用いたかどうかが争点となります。 事故の目撃者として「レスキュー隊責任者が何らかの処分をうけて然るべき」とお考えであるならば、管轄行政(松坂市)へ苦情を申し立て説明を求めてはいかがでしょうか。

aching
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 目撃者として、あのときの救助活動には納得できない部分が多すぎるので、thisawayさんの助言のように、行政に問いかけてみたいと思います。 最善の手段を用いたかどうかが争点になる・・・ ほんとにそうですね。勝手に自分の思いばかりしゃべってしまいました。 適確な回答ありがとうございました。

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その他の回答 (2)

noname#12250
noname#12250
回答No.3

>しかし、「プロ」ならばその状況下で出来る最良の手段を迅速に判断しなければならないと思います。 ひとつの事例を取り上げて結果論で正しかったかどうかは判断できません。 太いワイヤーだって適切な判断だったのかもしれません。 クレーンの規格外のものだから最初から使わなかった、そんなことは 一般人から見た判断ではわかりません。そんな状況下で適当にやると思いますか? 素人目で非難することは簡単です。 >奉仕ではなく、自ら仕事にやりがいや使命感を感じて救助活動という仕事を選ぶ人がほとんどでは? きっかけはそういうものでしょうね。 しかし所詮、公か民間違いだけで、公の雇ったサラリーマンなわけです。 やりがいや使命感のためにやるのではなく、自分の生活のためです。 そういった目に見えない精神的充足は後からついてくるものです。 生活のために命をかけて仕事をする、公務員は「奉仕する」となっていますが、 彼らはまさにその典型だと思います。 危険で、しかも時間を問わず、特殊な技術を要する、誰も触れたくないようなもの 見たくないようなものを目の当たりにする。「やりたくもないものもやる」(消防署員談)、奉仕以外の何者でもありません。 そういった職業を設けざるをえない、そういう人がいなければならない状況を 作っている人の方が罪です。事故を起こす人間が悪い。事故に巻き込まれた人間も運が悪い(または悪い)。 マスコミの論調のように、結果的にダメだったやり場のない怒りをレスキューに向けたとしか見えません。 もちろんプロであり、同業の人であればこの批判は意味をなしますが。

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noname#12250
noname#12250
回答No.1

そうですか。それは質問者様の主観ですね。 私の主観は以下の通りです。 彼らは一生懸命であることには変わりありません。 一生懸命に救出することを考えての行動であると思います。 彼らは非常に厳しい状況下で迅速な判断を迫られます。 その決断が書き込みのようになったのでしょうね。 それが失敗になったのは結果論であって、成功していたらどうでしょう? 私の推測ですが、今回は絶望的な状況にも関わらず、望みをつないでの 行動であると思います。深刻な事故であればあるほど、被害に遭った人も 申告に生命に関わります。その場ではある程度のリスク・犠牲を払ってでも いち速く助けられる方法を考え、決断したのだと思います。 まあ、どこかにクレーン車を依頼していたら受傷者はタイムアップでしょう。 その間彼らは待ちつづけて周りを取り囲んで見てれば良かったのでしょうか? 「生きてるか死んでるかわかりませんが、作業で死ぬ可能性もあるのでとりあえず 安全にいけるクレーンを待ってみましょう。中から出てきたら生死はわかりますから」 と関係者に説明すれば良かったのでしょうか。 それでは死者と推定された人の遺体回収作業と全く変わりません。 できるかわからないが、可能性があるとプロが判断して何とか救出しようとした。 私には適切な判断であるとしか思えません。素人から無理だとヤジをとばされても プロの目には無理とは言い切れないと判断した、それまでです。 レスキューは重大な過失があれば責任はとらざるを得ないでしょう。 しかし彼らも危険を顧みずに「国民に奉仕」しているわけです。 それも修羅場を潜り抜けてきたプロです。そんな彼らを信頼できないのであれば ご自身で関係者となって改革するのが良いかもしれません。

aching
質問者

補足

すいません。言葉が足りませんでした。 確かに、リスク無しのすべてに安全を最優先した作業では、間に合わないケースはあると思われます。 しかし、「プロ」ならばその状況下で出来る最良の手段を迅速に判断しなければならないと思います。 ワイヤーが切れた後に、レスキュー隊がとった行動は、太いワイヤーをかけ直すことでした。あるならなぜ使わなかったのか?いち早く助けようとしてあせっていたから?気がつかなかった? そんな言い訳はプロには許されないのではないでしょうか。 回答者様の考えは間違っていないと思います。リスクを承知で作業を必要とすることもあると思います。しかし、リスクとは危険を意味するので、その不安要素を1つでも消す努力を怠った今回の救出作業は、家族が見ている前で、あまりにもひどすぎたと思います。 あとであの作業が最善でした、と自信を持って説明できないような作業をするのは、修羅場をくぐりぬけてきたプロがすることではないと思います。 もし仮に、あの作業が最善でした、と今回のレスキュー隊が答えるなら現場で見ていた誰もが首をかしげるでしょう。 国民に奉仕という言葉は少し違和感を感じます。 危険をかえりみず、人命救助にあたる仕事を選んだ人すべてにあてはまらないかもしれませんが、救助できたときの達成感、家族に感謝される喜びを感じるにはそれ相当の責任が伴うことは承知のはずです。 やってみなくてはわからない気分で救助作業を行ってもらっては困ります。 奉仕ではなく、自ら仕事にやりがいや使命感を感じて救助活動という仕事を選ぶ人がほとんどでは? 逆に奉仕してあげてる感で、人命に関わる仕事をしている人はちょっとおかしいんじゃないかと思います。

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