それは説得力があるのか?
漠然とした質問で申し訳ないんですが、「説得力のない説得」ってありませんか?
私にとって『何かを納得する』とは『理屈や論理がスッキリ分かる』ことを意味します。
だから相手の言い分に「??」な部分があると、
それを解消しなければ、納得したことになりません。
理屈が不完全だと思えば、それを埋めるために質問もします。
細部のつじつまが合わなければ、その言い分に説得力を感じません。
ですが、上司と部下、先輩と後輩、先生と生徒、
こうした上下関係で、よくある内容だと思うんですが…
上の人間が下の人間を説得したり、説教したりするときに、
時々「説得力があるとは思えない理屈」を使うように思います。
(1)諺や格言を用いて、言い分を通そうとする。
「先んずれば人を制す、と言うだろう!サッサと動け!」
(急いてはことをしそんじる、とも言うよ?
自分に都合のいい諺を、都合のいいときに持ち出してるだけじゃないの?)
(2)同意できないことを、当然の前提として話してくる。
「飲ミニケーションも、仕事の一環に決まってるだろう?なぁ?」
(『それはあなた個人の意見ですよ。私はそうは思わない』
って言われたら、この人どう返すつもりだろう?)
(3)有無をいわさない雰囲気を作って、強引に承諾を引き出す。
「あのとき、ハイって言ったじゃないか!」
(言ったんじゃなく『言わせた』んでしょう?他にどんな選択肢があったの?)
実生活で、ときにはこれらが必要になることは分かります。
ただ疑問なのは…
上の立場の人は、これで本当に下の人間を納得させられると思っているのでしょうか?
私なら、どの言い分も穴だらけに感じます。
上記のような疑問が湧いてくるので、納得することなどできません。
これで相手を説得しようとするのは、あまりにも稚拙だと感じます。
こんなことはありえないでしょうが、私としては
(4)「これこれこういうわけで、それはああなんだ。だからこうしなさい」
(おお確かにそうだ。反論の余地がない。ハイ分かりました)
(5)「今の君には理解できなくても、実は深い意味があるんだ」
(うん、私の知識も完璧じゃないし、そういうこともあるだろう)
(6)「君の気分は関係ない。命令だから従いなさい」
(あ、そういうシステムね。了解です)
理想的には(4)(5)、あるいは(6)でも構いません。その方がよっぽど分かりやすいです。
なぜ「穴だらけの論理」「どうとでも反論できる理屈」を使って、
相手を説得しようとする人間がいるのでしょう?
そしてその「穴だらけ」を指摘されると、なぜ大抵は怒るのでしょう?
仕事中や学校でそんな時間はない、というのは分かりますが、
だったら中途半端に説得などせず、なぜ純粋に『命令』にしないのでしょうか?
理屈に訴える以上、理屈で返される覚悟はするべきだと思うのですが…
なお、上の会話はあくまで一例にすぎません。実際にあったわけではないです。