- 締切済み
音楽CDの発明者と日本の携帯電話の歴史
1.音楽CDの発明は、いつごろ、誰がつくったのですか。 以前、オランダのフリップス社が・・・と聞いたこと あるのですが。 2.日本の携帯電話は、当時電電公社時代に発売されたと 聞きましたが、何時頃からでしょう?
- みんなの回答 (3)
- 専門家の回答
みんなの回答
- yokosukiti
- ベストアンサー率15% (61/406)
凄い人が頑張ってつくったってt聞いたよ 詳しくは↓ Google こちらまで!!
- hiyamas
- ベストアンサー率28% (68/238)
CDについてですが、本来なら私が直接書き込みすべき事柄ですけれど、 なにぶん時間がございませんので、該当ページにリンクさせていただきます。 CDはLDの開発課程で出来たフォーマットであるということは間違いないですよ。
まずは、CD-Rの歴史から。CD-R(コンパクト・ディスク‐レコーダブル)は、太陽誘電が89年9月に実用化し、その後、フィリップスとソニーの間でフォーマットが決められ(オレンジブック)デビューしました。 国内では、業務用機がパイオニアとマランツから発売されましたが、当時の価格は100万円近く、庶民の手に届くものではありませんでした。その後、音楽用レコーダーの民生機として、92年ごろ各メーカーは試作機を発表しましたが、発売には至りませんでした。当時はまだ著作権法との折り合いがつかなかったからです。92年冬には、ディジタル録音機としてMDが発売され、こちらは急速に普及しています。また、パソコン用のCD-Rドライブも、当初は非常に高価でしたが、パソコンブームに乗って徐々に価格は安くなり、現在は3万円代で買えるドライブも存在します。また、CD-Rのメディアも、ドライブの低価格化にあわせて安くなり、1枚100円以下のディスクもあります。 次に携帯電話ですが、 携帯電話機が日本で初めて多くの人々の前に現れたのは以外に古く、1970年に大阪で開かれた日本万国博覧会です。入館者は受付で携帯電話機を借り、会場内のブースから全国に電話することができました。そのときの携帯電話機は長さが21cm、幅6.6cm、重さが600gです。 しかし、この携帯電話機は日本万国博覧会が終了すると人々の目から消えてしましまいました。解決すべき技術的課題があまりにも多く、実用化にはほど遠かったのです。当時、携帯機で他の人と交信する手段としてトランシーバのような携帯無線通信機器がありましたが、周波数を同調させるのが難しく、交信距離も至近距離に制限され、音声の品質も悪く、とても電話のように気軽に使えるものではなかったので、業務用や一部のマニアが使用するにとどまっていました。 日本で移動可能な電話機が初めて実用化されたのは、1979年の自動車電話です。このとき日本電信電話公社(NTTの前身)によりサービスが開始された自動車電話は現在の携帯電話機と同じセルラ方式を採用していました。 自動車電話はその後、小型化、軽量化されて行き、1987年にNTTが日本で初めて携帯電話のサービスを開始しました。次いで1988年に日本移動通信(IDO)が、1989年にはセルラーグループがサービスを開始し、日本での携帯電話事業が本格的にスタートしました。当初はアナログ方式で、電話機もレンタル方式、月額料金は2万3千円で、一般の人が気楽に利用することはできなかったのです。 その後、電話機の小型化がすすみ、通話料金も徐々に安くなるにつれて加入者数が次第に増えていき、加入者数が増えるにつれて周波数が不足する恐れが生じてきたため、デジタル方式の検討が開始され、1993年にはNTT移動通信網(1992年にNTTより独立)がPDCシステムによるデジタル方式のサービスを開始しました。同年携帯電話機の販売が自由化され、デジタルホングループ、ツーカーグループもサービスを開始して、携帯電話機は若者を中心に急速に普及していきました。 1987年にNTTがサービスを開始した当時は750グラムほどあった携帯電話機は、1991年、NTTより230グラムの「ムーバ」(登録商標)が実用化され、1996年秋には大きさが100cc、重さが100グラムを切る「デジタルムーバ」が販売されて小型軽量化は頂点に達したかに見えました。しかし小型化、軽量化はこれで終わらず、その後も小型軽量化が進み、現在70グラムを切るものも現れています。 現在の携帯電話方式はPDCシステムと呼ばれるデジタル方式が主流ですが、21世紀を見すえた次世代携帯電話方式が日米欧それぞれで開発検討されています。将来は人工衛星を使用して携帯電話同士で国際電話をかけることも夢ではなくなっています。