こんにちは。
まず、なにをもって創価学会の信者とするか? ですよね。
あれくらい大きな団体になると、学会の教義は熱心に読んでいても、お布施(というのかな)は払わないし、集会にも参加しないという人もいるし、お金も払うし集会には出るけど短に寂しいだけだったりする人もいるでしょう。
創価学会も、いまや組織が大きくなりすぎて、色々な分子を抱え込みすぎて、求心的な力のある団体には、もうなれないんじゃないかなあ。一部は別としてね。反池田も多いって聞きますよ。一番多いのは、ノンポリじゃないかな。会員とそうでない人の間の線は、今や引けないんじゃないかと思っています。
で、本題ですが、投稿者で、他のところに発表した文章を読んでると、この人の考え方は、あそことは会わないんじゃないか、そもそも宗教的なものには会わない人のような気がする、ということも多いです(まあ宗教は別なのかもしれませんが)。大体、学会員だけで、あれだけの種類の雑誌が毎号造れないと思います。余談ですが、潮文社で働いていて、学会員じゃないという人を知ってますし。
だから、私は、線を引くことができないと思うし、失礼ないい方になるかもしれませんけど、あまり意味を感じません。
むしろ問題なのは、メディアとして良質かどうか、ですね。それを考える時に、一宗教団体に属しているかどうかは、私は重要なファクターとは思いません。
いかがでしょう。お気を悪くされるような内容はないと思いますが、もしあったら、あやまります。ちなみに私は、学会の本も読んだことはあります。そのとき多くの疑問を覚えました。しかしそれを解決するために、会員になろうとまでは思いませんでしたね。まあ無宗教です。
ご参考になれば幸いです。
お礼
ありがとうございます。