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よい教員とは?
この4月から私立高校で英語教員をしています。 私は「よい意味で先生らしくない先生」になりたいと思ってきました。 友達のような教員というか・・。 でも、それだけでは生徒はついてこないし、ただの年上のひとのようになってしまうだろうし 最近、すこし考えを変えなくてはならないような気がしています。 本当の意味での、「生徒が望む教員」とはどういう人なのでしょうか。 教員のかたや、高校生のかたいらっしゃったら、ご意見いただけたらと思います。
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生徒と教師の人間関係などの視点からではなく、私は違う視点から意見を言いたいと思います 『生徒が望む教員』とは、『分かりやすい授業をする先生』のことです。 高校ということでしたら、高校卒業後に大学に受験を目指している生徒や、社会に出て会社勤めを希望している生徒がいますので、将来「英語」を覚えていたら役に立つだろうと関心を持っているはずです。 ですから、他の教科よりも「英語」に関しては、生徒が意欲的に勉強をできる要素が多く入っているような気がします。 その「英語」を生徒に分かりやすく、面白く、楽しい授業をする先生がいたらどうでしょう!?きっと生徒たちは「なんて!すばらしい先生なんだ」と思うはずです。 おそらく生徒の会話の中で、「今度、あの先生が英語を担当してくれないかな!?」「担任になってくれれば、もっと英語を教えてもらえるのに」「あの先生のように英語が話せるようになりたい」という言葉出てきて、尊敬するようになるはずです。 生徒と接するときは「よい意味で先生らしくない先生」で良い部分があるかもしれませんが、授業に関していえば「生徒にとって、この先生に教わりたいと心から思ってもらえる先生」を目指してほしいと思います。 生徒にとっての先生というのは… (1)職業的に先生だから、「先生」と呼んでいる (2)勉強を教えてもらいたい先生である。私の人生の師として尊敬できる先生であるから、「先生」と呼んでいる。 の2つがあります。 (1)ではなく、(2)を目指してほしいと思います。 参考になれば、嬉しいです。
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- inahiko
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公立高校に勤務して18年目の国語の教員です。 まず、「よい教員」と「生徒が望む教員」とは必ずしも一致しないと思いますね。 その前提で、「良い教員」について、きわめて単純に答えれば、「良い教員」とは、生徒をよりよく成長させることができる教員、そのための適切な手だてを想像・選択し、指導できる教員だと思います。 具体像に言及することはできません。だって教育はケースバイケースですから。 きめ細かで模範的な指導が功を奏するケースもあれば、反面教師の方がより効果的である場合もあります。 突き放す厳しさが必要な時があれば、寄り添う優しさが必要なこともあります。 自分でないと説得できない生徒もいれば、自分ではどうやっても説得できない生徒も存在します。 でも、だからこそ教育は面白いのだと私は思いますが。
- reindeer
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「よい教員」とは、担当教科に関して高度な教育能力を持っている教員にほかなりません。その点で、No.4で回答されているm0o0mさんの意見に賛成します。 また、hpbestemさんが言っている「友達のような教員」とは、「友達のような親」が親として最低のあり方であるのと同じく、教員としては最低のあり方です。このような考え方が、どれだけ児童・生徒を苦しめる遠因になっているのかを猛省するべきだと思います。 英語科の担当であるならば、英語を教える職人としての技量に磨きをかけることこそが、よい教員になるただ一つの道だと思われます。生徒とのつながりというものも、教科を教えることを通じてのみ成りたつものであり、それ以外の場で成りたつ関係など、結局は教員の側のエゴイズムを満足させるものにしか過ぎないものなのです。 自分自身の英語の能力を向上させる努力を続けるのはもちろんですが、よい教員になるためには、なによりもまず、英語科教育法の専門家・実践家としての力量形成に努めるべきです。 「本当の意味での、『生徒が望む教員』」とは、なぜいま学ぶ必要があるのか、生徒自身が納得できる説明をおこなって、学ぶ動機づけをしてくれる教員のことです。そのうえで、生徒自身の学力の構築を助けてくれる指導者のことです。 hpbestemさんは、さまざまな職業への志望を持っている生徒に対して、個別具体的にどのような英語力が必要で、その英語力を身につけるためにはどのように勉強をすすめていったらいいのか、明確な構想と計画を示すことができますか。そしてなにより、現実的には将来、高度な英語力をほとんど必要としない生徒たちに対して、なぜそれほどまでしていま英語を学ぶべき必要があるのか、説得力を持った説明ができますか? 言い換えるならば、なぜ高等学校で英語を学ぶ必要があるのか、自分自身の世界観や歴史観を踏まえた説明ができますか? それらのことができないのであれば、決して「よい教員」とは言えないでしょう。 日常的なことから言えば、hpbestemさんは、言語学・英語学や英語科教育法の専門書や研究論文に目を通すことを日常生活の一部にしていますか? 高等学校の生徒が使用する英語の辞典や参考書のほとんどに目を通し、専門家による批評を踏まえてそれらの特徴を把握して、生徒の能力や志望に応じて推薦していけるだけの準備をしていますか? もしそうしたことをしていないのであれば、やはり「よい教員」とは言えないでしょう。 さらには、英語科といった具体的な科目を越えて、現代の日本で「よい教員」の条件として、注意欠陥多動性障害(ADHD)や、学習障害(LD)、高機能自閉症(HA)といった問題についての知識と情報を持っているのか、といったことも挙げられます。こうした問題への知識がないために、児童・生徒の行動を理解することができず、たんなるわがままや家庭のしつけの問題であると誤認してしまい、子供を苦しめ続けている教員がまだまだ存在しています。また、「いじめ」や「不登校」といった問題についても、関心を持って勉強して欲しいと思います。
- jive
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先生らしからぬ先生、という発想は、とても純粋な感性から生まれたものであるように思います。 教師は職業の一種でありながら、人間として師であらねばならぬ、でなければ教師としてやっていけない、というプレッシャーの中で、これまで様々な矛盾を生じてきました。 確かに人間としてすばらしい人に教えてもらえることは良いことです。それに超したことはありません。それを教師が目指すのもよいことです。しかし、それを前提として公的機関である学校教育のシステムを運営するのは、現実的に無理があるというものです。きちんと整理する必要があります。 教師の役割を果たすということは結局の所なんなのか、と問うた時、絞りに絞ればつぎの二つになると思います。 一つ目は、学びのディレクター、スタッフとしての教師です。学ぶのは生徒です。どのようにして学ばせるかは様々な手法があります。教師はその仕事の最低限として、生徒によい学びの機会を与えるために、環境を整え、関わらせあい、外部との交渉に当たります。 二つ目は、彼らの心の支えとなる人としての役割です。「教師は子どもの声を聴くのが仕事」などというのは、これにあたります。水谷修氏がおっしゃるように、子どもにはたった一人でも良いから、心の支えになる大人が必要です。子どもを励まし、信頼し、理解しようとつとめ、そうして迷っている子どもの道を照らしてあげる人としての役割があります。 例えば、和歌山県のきのくに子どもの村学園では、教師は「大人」とよばれます。職員室は「大人の部屋」という具合です。教師は学びのスタッフとして、参加しているのです。ここでは、教師は、一つ目の役割を明確にされています。一般には、「先生だから信頼されなくちゃ尊敬されなくちゃ」といった具合ですから、教師は苦しまねばなりません。 「教師は威厳がなくてはならない」、と教師達は焦ります。しかし、そうしたことに子ども達は期待していないし、実を伴わない一方的に作られた権威がなんら意味を成さないことを子ども達はすでに見抜いています。権威というものがどのようにして意味をなすか、ということを教師はあまり理解していないことが多いとも言えます。 ですから、学びのディレクター、スタッフとしての仕事をきちんとする(旧態依然としたものではなく、いい仕事をする)。そして一人の大人として、子どもを励まし、信頼し、理解しようとつとめる。この2点が重要かと思います。
- jonangirl
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こんにちわ。私立(女子校)に通っています。人によって感じ方は違うと思いますが,だいたいどの生徒も思うのは頭ごなしに怒ってしまう先生はあまりいい先生だとは思いません。まず、生徒の話を聞いて、それから話をする先生がいい先生だと私は思います。高校生は義務教育ではなぃからと言って適当にする先生もいますが,その子の人生に大きくかかわっていること。先生は重要だと思います。
- ojasve
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「背中で教える」という言葉をご存知でしょうか? 直接指導をしなくても、自分を見てもらうことで学んでもらえることです。 あなたはなにか、熱中しているもの、努力しているものがありますか?上からモノを言うだけ教員にはもちろんなりたくないとお思いだと思います。 だからといって横からモノを言うのでなく、お手本となる「向上心」を見せ付けてやってください。 既に「上」にいる人と、さらに「上」をめざす人は、格段の違いがあると思います。 別に、教師としての能力だけでなく、些細なこと(将棋何段をとる)とかでもよいのです。
- xlll_rui_lllx
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こんにちは私立の高1の女です♪ 私が思ったことを書きたいと思います。 私は中学も私立なんですが、そのときの中学の先生と今の高校の先生は全然違います。今の高校の先生の方がだんぜん良いです。 まず中学の先生は、自分のことを話しませんでした。例えば、今何歳。とか。ないしょーとか言ってました。高校に入るまでは先生が年を隠すことは普通だと思っていました。 けど高校の先生は、最初から自分の年を明らかにして、「50です!」とも(笑)「年もなにも知らない人に教えてもらっても楽しくないでしょ?」と言ってました。あーそうだなって思いました。 あと自分がどーやって教員になったのか、どーやって生きてきたかを最初にたくさん話してくれました。 そのことで親近感がすっごく湧いて、みんなその先生が好きになりました。 中学の先生は、自分のことを一切話さず、年も隠し、たまに自分の双子の子供がどーだとか(それもめったにない)だけで、授業だけの為の先生で全然楽しくありませんでした。 昔のことだけじゃなく、今の自分がどーだとか(休日に○○へ行ってどーだった、趣味のハナシ)を先生が話してくれると授業がだるぃ気分が和らぎとても楽しいです。みんな同じです。さすがに雑談だけだと不安になりますが(笑) ちなみに、私も高校の先生になりたいと思っております☆ 高1が生意気書いてすみませんでした; 少しでも参考になればと思います☆
- sad-No1
- ベストアンサー率65% (215/326)
私は、大学を卒業して教員免許を取得して、今は公立校教員採用試験に向けて取り組んでいるものです。教員として、最低限のこととして、教科指導力が必要になってくると思います。教員免許というプロの資格があるので授業に関してはプロ意識を持つことが必要です。そのためには、日々の教材研究に励み努力していくことが教員としての使命であると思います。授業に関しては、実践をつんでいくことで日々進化していくと思います。 教員であるということは、授業以外にも「生活指導」や「進路指導」というのも重要だと考えています。特に、私が専任の教員となった場合には教科での指導はもちろんですが、「生活指導」や「進路指導」に力を入れていきたいです。学校は、勉強だけがすべてではないし、勉強以外の何かで生徒に自信を持って学校生活をEnjoyしてもらいたいです。生徒に自信がつくと、勉強やスポーツなど生徒自身にとって打ち込めるものができてくると思います。そのためには、勉強以外の何かを教授していくことが必要であると思います。例えば、進路で悩んでいた生徒がいた場合にそのことに関しての話を聞いてあげたり、資料を探してあげたり、一緒に悩みを考えて生徒が前向きに行動できるような道しるべをする役割が教員であり、生徒の夢や希望への架け橋をするものであると考えています。 そして、大学を出てもフリーターやニートなどになる人もいるので、今後はキャリア教育に力を入れていきたいです。受験勉強だけで、その後の生活や経済のことを今までは切り捨ててきた部分があるので、教科以外のところでこうした部分を伝えていけたらと思います。 また、ベテラン教員とは違ったものを持っていると思うので、自分に自身を持つことが必要かと思います。生徒からしてみれば、ベテラン教員も新米教員も先生は先生なので、高校生からしてみると年齢の近い新米教員のほうに好奇心がいくと思います。ですから、自分に自身を持って、自分のスタイルでがんばってみてください。もちろん、ベテラン教員の良いところは技術的に覚えていくことは必要だと思いますが、最終的に、ベテラン教員から学んだことと自分のスタイルを確立して指導にあっていくと、自分のキャラクターができてくると思うのでがんばってみてください。ベテラン教員の良いところ技術的に自分のものにして、悪いところは、自分としてどのようにするか考えていくことが必要であると思います。 生徒との信頼関係を築くということは、大変難しいと思いますが、「コミュニケーション」を図っていくことが基本になると思います。面白おかしく、笑わせるだけがコミュニケーションだけというわけではなく、心から腹を割って話せることが必要かと思います。そのためには、自分自身が真剣に向き合っていくことで「信念」をもち、心も体も「熱く」なることで、生徒も感じ取ってくれるのではないかと思います。年齢的にも、まだ若いので生徒にぶつかって行くくらいの「情熱」を持てばベテラン教員よりも生徒はあなたに魅力を感じてくるのではと思います。教員として、忙しいと思いますががんばってください。 長々と書かせてもらいましたが、私自身も早く教員として教壇に立てるよう努力しようと思います。私立の教員として、教科での指導が大変かと思いますが、がんばってください。何らかの参考になれば幸いです♪
- cello1720
- ベストアンサー率64% (80/124)
私も高校で英語の教員をしています。世の中にいろいろな人がいるように、教員も様々です。いろいろな生徒がおり、生徒の理想の教員像も様々だと思います。 -親身になって生徒の相談に応じてくれる先生を理想とする生徒がいます。 -厳しくても、自分の悪いところをきちんと正してくれる先生がよいという生徒がいます。 -わかりやすい授業をしてくれる先生がよいという生徒がいます。 -いろいろな人生経験を聞かせてくれる先生がよいという生徒がいます。 生徒一人ひとりの個性を尊重しながら、誰にでも公平に接することはとても大事だと思います。また、生徒にこびばかり売っている先生も、はじめだけで、結局は続かない。 こうならなければとか、こうなろうとか、あまり肩肘張らずにいきましょう。 大事なことはしっかりとした信念をもって、生徒と真剣に向き合うことだと思います。 あなたはまだお若いのでしょうか。ベテランの先生方の経験にはかないませんが、その分あなたならではのパワーや若さがあります。どうか身体をこわさぬようご活躍ください。
お礼
ご返答、ありがとうございます。経験が足りない分、一刻もはやく生徒の望む教員にならなければとあせっているのだと自分でも思います。厳しい先生、柔和な先生、いろんなタイプがあっていいのだと、すこし楽になりました。自分に正直になって生徒に向き合いたいと思います。
- mataasita
- ベストアンサー率15% (3/20)
こんにちは県立高校へ通う高1男子です。 私の思っている生徒が望む教員ってのは 気軽に話せて生徒の気持ちを理解してくれる先生だと思っています。私の学校にも今年から先生になった先生がいるのですが年が近いせいもあり共通の話題があるため話しやすく親しみやすいです。 年配の先生方にできない若さを生かした授業が若い先生にはできると思っています。 いい先生になれるようがんばってください応援しています。
お礼
実際の高校生からの返答で、望んでいることがはっきりした思いです。勉強面では尊敬できて、そのほかでは話しやすい、そんな教員になります。ありがとうございました。
- DIGAMMA
- ベストアンサー率44% (620/1404)
(1)人間としての接し方と(2)教師としての接し方があると思います。私の立場は、時々専門学校等の非常勤講師を頼まれる普通の会社員です。ですから(2)のみに徹すれば良いので、とにかく「わかりやすく教える」、「暗記でなく、必ず咀嚼させて理解させる」などを心がけています。 (講師は教えるのが仕事ではなく、理解させ納得させるのが仕事だと思っています) (1)のほうは「TVドラマの熱血教師」程度の知識しかありません。 しかし(1)も(2)も現実には「良い先生」=「聞き上手な先生」ということになるのでは?と思います。自主的な質問の出ない授業は沈みがちになりますから。 真の教師が年々少なくなっている現代、貴殿(貴女)の活躍を期待します。
お礼
早速の回答、ありがとうございます。「わかりやすく教える」やはりこれが生徒の望む基本ですよね。そのためにもきちんと教科研究を深めようと思います。生徒ができるだけたのしく高校時代をおくれるよう、がんばります。
お礼
ご返答、ありがとうございます。私が高校生のときのことを思い出しました。それはやはり授業がわかりやすい先生のことを、いい先生だと思っていたことです。用意をきちんとして、よい授業を目指すことが一番の近道かもしれないと思いました。がんばります。