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服の構造
和服の気付けでは男女とも左前で、朝鮮でもそうですが、洋服では男女で襟元が別々のようです。 このような性別で服の構造が異なるのはなぜですか? またこの習慣がいつ頃始まったのですか?
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noname#30758
回答No.1
和服で左前なのは死んだ人だけです。服の場合、左側が前に出ているのを「右前」といいます。 通常の感覚だと逆になりますが、ここでいう「左前」「右前」は、手前に持ってくるほうと考えるといいと思います。 また、古墳時代の埴輪や法隆寺の像などには左前のものもあるそうです。奈良時代に、みんな右前で着ろという衣服令が出てそれが定着したという話もあります。 洋服ですが、これにはいくつか説があるようです。 ・元々男女とも左前だったが、剣を抜くときに服の端が引っかからないように男性の服が右前に変わった。 ・ボタンが登場した当時、男性は自分で洋服を着ていたが、女性でボタンのある洋服を着るような身分の人は御付きの人に着せてもらっていた。人間は右利きの人が多く、男性が自分で着るときに、右ボタンの方が着やすかった。女性の場合は着せてもらうので反対。あるいは女性の場合、男性が脱がしやすいように。
お礼
左右逆とはお恥ずかしい。 奈良時代に衣服令が出て統一されたのは律令制がこんなことまで及んだのでしょうか。 詳細なご回答有り難うございました。 あれ以来とても気になっていろいろ調べていました。 ボタンがステータスシンボルだったのですね。 もっと勉強すべきでした。
補足
貫頭衣の場合は紐、帯が用いられたようでボタンは中世以降と思ったら、エジプト時代に始まりがあるというので驚きました。 男性は右にボタンが付いているケースが多いようですが必ずしもそればかりではないのは左利きか? ますます混乱してきました。 ムスリムの男も長衣の右前にボタンを付けているようでした。 貴族の男性は裾の長い上着を着ており剣を抜くのに邪魔にならないようにというのは納得される説明です。