• ベストアンサー

「酒気帯び事故 校長、(略)生徒ら嘆願書」という朝日1日付記事について

葛飾の区立中の話らしいので、関東地方でしか読めない記事かもしれません。 荒れてひどい状態だった中学校を立て直した立派な校長がいたそうです。この校長が酒気帯び運転で事故を起こし(事故自体は自転車に接触して子供がこぶを作った程度らしい)、免職になった。 この処分に対し、先生を学校に戻して下さい、という嘆願書に5700人以上が署名し、その数はもっと増えそうだということです。 社会面7段の、けっこう大きな記事です。 とても教育成果を上げた立派な校長先生であったことはわかります。校長を惜しみ、嘆願書に署名する保護者など関係者の気持ちもわかるつもりです。 でも、私はこの校長に職に戻る資格はないと思うし、まるで美談仕立てでこの校長をかばうような記事を載せる朝日新聞の見識に大いに不満を持っています。 なにがなんでも、酒気帯びてハンドルを握ってはいけないし、そういうことをついやってしまった人が、教育者として学校のトップに居続けるのは許されないと思うのです。 いままでの成果でもって、今回の事故が帳消しにはならないと思うのです。 公平な報道をするべきはずの新聞が、このような記事を載せるということは、世論を操作しようとしているようにすら思えます。 このところ朝日にはうんざりすることが多く、購読をやめようかと再三思っていますが、今日の記事はまたさらに追い打ちをかけました。 みなさんの考えをお聞かせいただけないでしょうか。 朝日新聞の体質に対する批判でなくて、あくまでこの記事に対する見解でお願いします。もしこの学校のことを直接ご存知の方がいらしたら、ぜひご意見を聞かせて下さい。

質問者が選んだベストアンサー

  • ベストアンサー
  • shkwta
  • ベストアンサー率52% (966/1825)
回答No.4

G-Searchにかけたら、産経新聞と毎日新聞でもこれを報道していました。とくに産経新聞は約1000字の大きな扱いです。 とくに朝日新聞だからということでなく、どこかに「もめごと」や「変わったこと」があれば報道するのが、マスコミの基本姿勢でしょう。 嘆願書が出たことでもわかるように、何を正義と考えるかは人によって異なります。議論の材料を提供するのが、この記事の目的と考えます。 なお、嘆願書をどう扱うかは教育委員会の判断ですが、嘆願書が出れば処分が軽くなるとなれば示しがつかなくなり、今後の処分がやりにくくなります。一度出した処分はまず撤回することはないでしょう。一方では、機械的な処分が、公務員の士気を下げる恐れもあります。行政への信頼を確保するため、世論の空気も見計らう必要もあります。ここをこれからどう舵取りするかが、トップの腕の見せ所でしょう。

noname#84897
質問者

お礼

ご教示ありがとうございます。ほかの新聞のことは知らなかったので、参考になりました。 >議論の材料を提供するのが、この記事の目的と考えます。 はい、なるほど、たしかにその通りですね。私も自分の主観を通してこの記事を読んでいるので、実際以上に校長寄りの論調に受け取ってしまったかもしれません。(記事の目的には沿ってますね。笑) 青森県でしたか、飲酒運転した(ばれた)公務員はすぐクビ、という自治体が複数あるそうですが、私個人としてはそのくらい厳しく対応してもらいたいと思います。ことに若い子の模範とならなければならない教員には、それなりの自覚を持ってほしいと思います。

すると、全ての回答が全文表示されます。

その他の回答 (12)

  • tomofield
  • ベストアンサー率58% (20/34)
回答No.13

私も件の記事を読みました。 記事に対する見解は・・・ 校長に復職するべきでは無いかも知れないし 復職できないのが当然かもしれない。 それでも、なんとか復職して欲しいと感じる人がそれだけいる、 ということを知らせた記事は、あくまでも問題提起として 意義のある記事だと思います。 ************************************************** 以下、記事に対する見解ではありませんが この事件に関しての私の見解です。 確かに酒気帯び運転はいけません。 見つからないにしてもやってはいけない事です。 一発免停くらいしなくてはいけないでしょう。 おそらく質問者様は酒気帯び運転をすることはないでしょう。 私もお酒は全く受け付けないので、酒気帯びはあり得ないと思います。 ただ、私は、公務員云々というよりも、全ての社会生活を送る大人は、 全ての子供たちに対して、教育者であるはず、という考えをもっているので、 教育者(校長)だから、という論理はなんとなく責任の負担を 教職に従事する人間に押し付けているように感じられてしまいます。 (↑このセンテンスは私の個人的な論拠に基づいているので  おそらく違和感を感じられる方がたくさんいらっしゃるでしょう。) さらに上記の事を受けても、教育者だから、ということには関わらず、 罪を犯したとき、罪を犯した人は、築き上げてきた物を全て失って、 罪を一生背負い、永遠に、100%償いきることができないように 断罪してしまうのはどうかと思います。 もちろん場合によりますよ。 自分が死にたいから人も巻き添えに、なんていうのは償いきれない 部類の罪になると思います。 質問者様にとっては、酒気帯びがこれに匹敵するのかも知れませんが・・・ 私は、許す、償う、といった事が認められない世の中というのは、 すごくぎくしゃくして、住みにくい世の中だと思います。 全てが、という訳ではありませんが、間違いを犯してもそれを それを糧に人を正しく導くことのできる人も存在すると、私は信じています。 現在の法は、適当でないものもあるにしても、そのような考えに 基づいていると私は解釈しています。 話はずれてしまいますが、そのような法体系が不満であるならば、 それを変えるために立法に働きかける選挙権も被選挙権も私たちは持っています。 (質問者様が未成年者であればまだかも知れませんが・・・) 罪を犯した人間から全てを奪い、未来を与えない、 というのはどうなのでしょう? それは正しい事なのでしょうか? 子供たちの為になることなのでしょうか? 私もよく自問自答しますが、答えが出ません。 私は人を裁く事ができる程の人間ではないもので・・・ 質問者様はいかがでしょう? 長文になりましたが、もう少し、記事以外のことに対して お話をさせて下さい。 >公平な報道をするべきはずの新聞が、このような記事を載せるということは、 >世論を操作しようとしているようにすら思えます。 資本主義社会において、株主やスポンサー、広告主、 購買者がいる限り、完全に公平な報道がありえるとは 私は思いません。 それよりも多様な考え方を持つ人がいるものだという勉強のための 資料であると考えています。 さらにご指摘のように世論の操作かも知れません。 しかしそれを見抜く洞察力を磨くのも、 自分自身で勉強するものだと思っています。 >このところ朝日にはうんざりすることが多く、購読をやめようかと >再三思っていますが、今日の記事はまたさらに追い打ちをかけました。 うーん、これは他紙もたくさんあることなので、購読をやめるのは あまりにも個人の自由に帰属する事ですし、そうした方が 精神衛生上よろしいのかも知れません。 ただ、反対意見や異なる見解に多く触れる事も、 人生には肝要かと思われます。

noname#84897
質問者

お礼

お答えありがとうございます。 同じ記事を読んで違和感を持たない人もいるということは、私の眼鏡が過激すぎるのかもしれませんね。身内や友人に教職についているものが多く、少し見方が厳しいかもしれません。 ここで質問してみて、多様な意見を伺って勉強になりました。 私は、飲酒運転をするような人物はけしからん、即クビにしろ、絶対許さん、と、、、言っているでしょうか?(そのつもりはないんですが、論旨が一貫しているか自信がない。笑) 私は教育者として校長の座に戻るのは不適切(それを応援するのも不適切)と言いたいのであって、たとえば教育委員会関係に所属して荒れた学校の立て直しに助言するとか、相談員になるとかいった仕事に移るのは応援したいですよ、それなら、存分に手腕を発揮されるのではないでしょうか。 嘆願書を出すのは自由です、その事実を報道するのも自由です。ただ私としては、今回の浪花節的な報道にはとても不満です。

noname#84897
質問者

補足

この欄をお借りします。 みなさま貴重なご意見を有難うございました。 もう少しして、9:30ごろに締め切りたいと思います。 なおポイントですが、検索の手間をかけていただいたお二方に差し上げたいと思います。ご了承下さい。

すると、全ての回答が全文表示されます。
  • shkwta
  • ベストアンサー率52% (966/1825)
回答No.12

嘆願書が都教委に提出されたのは4月18日、産経新聞の記事が4月18日、毎日新聞の記事が4月19日で、なぜ朝日新聞が13日遅れで記事にしたかが気になるところですが、とりあえずそれは置いておきます。 また、この問題をどう決着させるべきかの議論も置いておきます。 (1)現任校の卒業生・PTA、前任校のPTA、地元自治会が嘆願書の署名を集めているという事実がある。 (2)この事実を報道するなら、「嘆願書」という語を見出し語にするのは当然。 (3)教員の処分に対して嘆願書が出されるのは異例だから、ニュースとしての価値がある。 (4)嘆願書が出された理由を説明するためには、校長の業績に触れる必要があるのはニュースとして当然。したがって校長の業績を書いたからといって、校長に同情的とはいえない。 (5)嘆願書の提出を報道したからといって、新聞社が飲酒運転を許容しているとはいえない。そんなことをいったら、どんな報道もできなくなる。「○○に反対の声がある」と報道したら、新聞社に○○に反対する意図があるのだ、と解釈するのは行き過ぎ。 (6)社説なら別だが、嘆願書を出す人たちは正しいとか間違っているといった意見を記事中に書く必要はない。処分を軽減するべきだ、とかく必要がないのと同様に、処分を断行するべきだ、とも書く必要はない。ニュースは、論評ではなく、読者が知りたいことを知らせるものである。論評したいなら別記事にするべきである。 以上より、報道自体は正当と考えます。「このニュースを報道すると、人々の間に間違った考えが広がるから報道するべきでない」という考えは、傲慢で危険だと思います。

noname#84897
質問者

お礼

理詰めのお答えをいただいてありがとうございます。 おっしゃることは至極もっともで、その通りだと思います。 ただ、私としては、「嘆願書提出のニュース自体を報道するべきではない」と言っているつもりはありません。(こんな大きな記事にする必要はないとは思います)美談仕立てなのが気に入りません。 これほどの人が嘆願書に署名している、 この校長はこれほど立派な教育成果を上げたのだからそれも当然だ、 ハンドルを握ったのにはこういう(同情すべき)理由があった、 被害者の傷はこの程度だ、 署名する人の輪がこんなに広がっている、 と、終始校長寄りの姿勢で書かれた記事であることが問題だと思うのです。 どんな成果を上げた人でも飲酒運転をするとこれほど厳しく断罪される、飲酒運転はそれほどに危険なものである、という視点に欠けていると思います。(でも1番さんはそう思ったそうですから、私の感覚がずれているのかもしれませんね) ペンは剣より強い、と私は思います。それだけの使命感と責任を持った記事を読みたいと思います。

noname#84897
質問者

補足

すみません、使い慣れない頭を使い過ぎてちょっと疲れてきたので、明日、お返事書かせていただきます。

すると、全ての回答が全文表示されます。
回答No.11

#10です。 早速の回答ありがとうございます。 参考文献を貼っておきます。 飲酒の場合だけについての詳細は見つかりませんでした。 2002年5月27日 http://response.jp/issue/2002/0527/article17177_1.html なお、この指針が示されたにもかかわらず。千葉県警は下記の判断をしました。 http://www.kik-izoku.com/kik-news/l-20.htm 追記で、この記者さんは被害者の会の人のコメントを取ろうとは思わなかったのでしょうか?JRの事故では信楽高原鉄道被害者の会のコメントを取っているのですが。ほんとマスコミの視点は理解できません。 あと、各企業についても指針を是非HPに載せて欲しいですね。自動車通勤に関して共に。 自動車通勤も立派な企業活動の一環ですけど、この事を除いての環境報告に思えます。

noname#84897
質問者

お礼

参考文献拝見しました、どうもありがとうございます。なかなか興味深いですね。堂本知事の歯ぎしりが聞こえてきそうですが、なんとか頑張ってほしいものです。

すると、全ての回答が全文表示されます。
回答No.10

簡単に意見を書かせて頂きます。 まず、隣の千葉県では給与明細書の欄外に「飲酒運転による事故を起こした場合、懲戒免職処分が言い渡されます」と明記されているようです。 私にはこれが当然だと感じます。飲酒運転が発覚しただけでも、減給や降格だけでは甘いと感じます。何と言っても公務員ですからあらゆる法律や条令を一般人よりも遵守する気概を持っていただきたいです。それに多くの犠牲者の悲しみの声を聞けない人が市民の、利用者の声をきちんと理解できるのでしょうか? 嘆願書に署名した人は犠牲者の方々の涙の声は届いていないのでしょうか?それがとても気にかかります。その事について記者さんは調べなかったのでしょうか?調べても記事に出来ないのかな? 探究心の無い記者は迷惑ですね。 この記事は事実かもしれませんが、上記の事を考えるととても偏っているとは言いがたいですが、未完成の記事に思えます。

noname#84897
質問者

お礼

コメントいただきありがとうございます。 興味深い情報ですが、処分を受けるのは「事故を起こした場合」だけでしょうか? もう一歩踏み込んで「飲酒運転をした場合は」としてほしいですね。ばれなかったらいいというものではないはずなので。 ほかの方の情報によれば、ほかの新聞にも載ったそうなので、記者クラブに嘆願書関係の人がやってきて陳情したか、たれこんだか、あたりじゃないかと私としては考えています。 もっと深く追究した記事を読みたいものです。これはあまりに一方的すぎて、軽い記事のような気がします。飲酒運転の危険性ももっと取り上げてほしいし、飲酒運転を一度でもすると、それまで築きあげたものをすべて失うことになる(それが当然)といった厳しい視点もほしいところです。

すると、全ての回答が全文表示されます。
  • milksp
  • ベストアンサー率21% (9/42)
回答No.9

事件のことは知っていましたが、続報は知りませんでした。嘆願書集めてたんですか…。 嘆願書のことを見出しにするのは、なんだか不快ですね。質問者さんの見解にまったく同感だからです。 記事を見てないですが、もし「嘆願書のあて先はこちら」とか書いてあったら最悪ですね。 事件を見出しにするならともかく、デカデカと嘆願書のことを見出しに書いてしまうと、新聞を通して集める形になってしまいそうで(狙っていなくても)私は嫌ですね。世論操作になりかねないと思います。 罪が一生消えないとか、そんな次元の話ではありませんよね。罪は罪でも飲酒運転は故意です。とにかく教職にいさせてはいけません。 政治家も、悪いことをした人がのうのうとその席に居続けたりしますね…。他の先進国なら罰金・即クビ、もちろん復帰もありえない事です。話が外れてすみません。

noname#84897
質問者

お礼

同感と言っていただいて嬉しいです、ありがとうございます。 >新聞を通して集める形になってしまいそうで(狙っていなくても)私は嫌ですね。世論操作になりかねないと思います。 そう、まさにこの点を言いたいんですよ。これで、飲酒運転がたいしたことじゃないような意識が根付く危険性があるのが、我慢できないんです。 今回の記事でも、バランス良く校長に対する辛辣な批判もあればよかったのですが。

すると、全ての回答が全文表示されます。
  • toruchan
  • ベストアンサー率30% (402/1320)
回答No.8

私は関西なので、この記事を見ることが出来ませんが・・・。 例え立派であろうが、酒気帯び運転と言う、場合によっては死者が出るような行為を「未必の故意」で行い、して、実際にけが人が出ているわけです。 許されるはずが無いです。 それなら、極端かも知れませんが、この前の尼崎の脱線事故も、客の「絶対遅れるな!」という要望(実際、数十秒の遅れでもJRにクレームが入っていたそうです。)に沿って、その結果のイレギュラーな事故なので、これは仕方ない・・・と言っても許されるということになりかねません。 それはおかしいですよね。 実際問題、その校長に居てもらわなければ困る・・・のかもしれません。が、それなら尼崎伊丹の間の交通機関が無くて困るから現場検証なしでさっさと復旧しろという論理に近いです。 少しおかしい例だったかもしれませんが、そういうことです。 情というものは大事ですが、時として情を切り離さなければおかしな方向に向かってしまいます。 そのあたりを報道機関はどう考えているのでしょうか。 また、報道は「公平」もそうですが、「客観的」であってほしいと思ったりもします。 ペンは剣より強しです。 私は今の報道姿勢を、精神的に幼い人間がバタフライナイフを振り回しているがごとくペンを振り回しているような気がします。

noname#84897
質問者

お礼

お答えありがとうございます。 おっしゃることに、深く同意します。ことに最後の一節、まさにその通り!! と言いたいです。 (余談ですが、警官が発砲するとすぐ鬼の首を取ったみたいに批判する。現場の警官はいったいどうすりゃいいんだ! といつも思います。JRでは、秒単位の遅れも許さないような過密ダイヤなんか組む方がおかしい。これじゃ危険なことがあっても見切り発車されそうです) 今の社会には、これは間違っている、これは絶対に譲れない、というルールが欠けているように思うんですよね。これじゃ子供に道徳心を期待すること自体、誤りなのではないかと。飲酒運転は絶対譲れないタブーです。

すると、全ての回答が全文表示されます。
noname#49664
noname#49664
回答No.7

男性(既婚)です。 私も新聞で読みました。個人的には、それほど偏った記事とは思いませんでした。ただ、「起こっている事実をまとめると、どうしても校長に同情的なものになってしまった」ということでしょう。・・この内容は、どうまとめてもそういう感じになってしまうような類いのものだろうと思います。  例えば、ダムの建設反対デモがあった、という記事は、誰がどうまとめても「ダム建設賛成の記事」にはならないでしょう。そういうことじゃないでしょうか。 ただし、世の中に起こったさまざまな出来事の中で、何を取り上げ伝えるか、という時点で、メディアにはそれぞれのフィルターがかかっていることは確かでしょう。それは朝日新聞に限らず、すべてのメディアでいえることだろうと思います。 で、校長の処分ですが、妥当なものだったろうと思います。「この人は立派な人」ということと、「だから多少悪いことをしてもいい」ということは違います。ですから、処分されるのは当然であろうと思います。それを「立派な人だったのだから大目に見て」というのは、どこかおかしいと思います。  ただ、その一方で「一度犯した罪は一生消えない」という感覚もやはりどこか間違っていると思います。世の中に、どんなに悔い改めても決して許されない罪というのはそうはないと思います。  ですから、今後、この元校長が過ちを悔い、一所懸命に頑張って生きていることが認められれば、再び校長の職に戻すのも間違ってはいないと思います。

noname#84897
質問者

お礼

お答えありがとうございます。 同じ記事を読んで、偏った印象を持たれなかったとのこと、やはり受け取り方は人それぞれだなあ、と思いました。 今回事故になったから表沙汰になったけど、この校長はこれまで一度も酒気帯び運転をしたことがなかったのでしょうか。私にはとてもそうは思えません(記事にするならその点は突いてほしいです)。やはり教育者として不適任者だと思います。 飲酒運転の車に家族を殺された経験のある人は、絶対許す気にはならないと思います。 頑張って生きることと、校長に戻るのとのはものすごい距離があると私は思うわけです。生徒に対して示しがつかない、と。

すると、全ての回答が全文表示されます。
  • norakini
  • ベストアンサー率34% (238/696)
回答No.6

 実際に記事を読んでいないのですが、事実として起きていることを記事として掲載してはいけないのですか? それに関する表現や論調に問題があるというのであればわかりますが、事実の掲載自体に問題があるという意見はおかしいと思います。

noname#84897
質問者

お礼

コメントありがとうございます。 「事実の掲載自体に問題があるという意見」のつもりではないのですが、質問文を読み返すとそのようにも受け取れる文章ですね、すみません。 「それに関する表現や論調に問題がある」と思います。校長の実績を美化した、(処分が厳しすぎると)同情を求めるような論調に思えます。

すると、全ての回答が全文表示されます。
  • bunbun04
  • ベストアンサー率13% (77/585)
回答No.5

記事に対して読者が両極端の反応を示すのは極めて記事として優良と私は思いますがね。 確かに酒気帯び運転での事故は許されざる問題で公職に就く身としてはマズイとは思います。しかし加害者の校長としての功績は今回で台無しになるとも思えません。功績は功績、罪は罪で別問題と私は思います。例えば重病者千人救った医者が初見違いで一人死なせてしまったらその医者は資格なしなのでしょうか?今回の事故で加害者に救われた生徒たちの思いは裏切られたと思っているのでしょうか? 私は教育委員会の裁定は正しいと思いますし、加害者が救った生徒たちの署名運動も当然と思います。功績と罰は別物ですから。仮に署名運動が功を成して復職したとしても加害者を信用できるのも出来ないのも今後の当人次第の努力とは思いますし復職を断るとしても自分の罪を認めた結果と思います。

noname#84897
質問者

お礼

書き込みありがとうございます。 議論が許されているカテなので遠慮なく反論させていただきますが、『ミスで』患者を死なせてしまった医者とは、話が違うと思うのです。でもこれが、覚せい剤を打ったり酔っぱらっていた医者だったら、たとえ華々しい過去の実績があったにしても、誰も許してくれないと思います。 学校を立て直した実績を否定するつもりはありません。飲酒運転をするような校長が立て直した学校なんて、と言うつもりはさらさらありません。 ついでに言えば、懲戒免職にまでする必要はないと思います(実際の処分はどうなるのか知りませんが)。 こういう優秀な人材であると見抜いて、採用を決定する目を国には求めたいです。 それでも「酒気帯びでハンドルを握った」「それでヶガ人を出してしまった」以上、もうもとの教職にもどる資格はないと言いたいし、かばうような記事にしてほしくない、と思います。(やっぱり、校長寄りの記事だと思います)

すると、全ての回答が全文表示されます。
noname#14805
noname#14805
回答No.3

質問者さんに全く同感です。 酒気帯び運転は何があってもやってはいけないことです。仮に事故がなくても、未必の故意がある殺人未遂行為ではないか、と私は考えています。 飲酒運転については「ついうっかり」の違反ではないわけです。「ついうっかり」速度が出すぎていました、とか「ついうっかり」一方通行逆走しました、という次元ではない。確実に自分の意思で犯罪行為を行っているからです。 つまらない一時停止違反やどうでもいいところでの駐車禁止など取り締まっているヒマがあるならば毎晩でも飲酒運転の検問を張るべきでしょう。 この処分は至極まっとうなものかと思います。 仮に、この接触事故の被害者が死亡していたらこんなに嘆願書集まったでしょうか? 結果的にタンコブ作った程度で済んだからいいじゃないかというのはとても危険な考え方だと思います。 >いままでの成果でもって、今回の事故が帳消しにはならないと思うのです ↑おっしゃるとおりです。こんなことが許されるならば、例えば、元ノーベル賞受賞者が殺人を犯しても刑が減刑されることになります。 嘆願書というのは、犯罪を犯すにあたってその動機や背景に情状酌量の余地がある場合が妥当じゃないでしょうか。例えば「酒乱で毎日家族や近所に暴力事件等で迷惑を起こしている息子を思い余って殺害した」とかそんなケースかと。

noname#84897
質問者

お礼

お答えいただいて、どうもありがとうございました、 「ほんっと、そうだよねっ!」と握手できないのが残念です(笑)。 嘆願書に署名するのは、つきあいで断れないという面もあると思うのです。今回署名した人の中には、あなたや私と同じ考えの方もいらっしゃると思います。 こんな話を聞いたことがあります。障害児を殺した母親に対する減刑嘆願書に署名を求められた知人が、 「殺人を許すことはできない。神にそむく行為だ」 と拒否したそうです。殺人なら無理もないですけどね。 飲酒運転は社会の取り組み次第では、完全になくせるものだと思います。あなたがおっしゃる通り、もっと検問して取り締まってほしいと思うし、 「絶対、どんなことがあっても許せない」 という強い姿勢が周囲に求められると思います。

すると、全ての回答が全文表示されます。

関連するQ&A