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鉄道・飛行機・路線バスより自家用車の方が・・・
本当は危ないはずなのですが、なぜかそのことを知らない人が多すぎるような気がして・・・ 確かに、御巣鷹山のようにジャンボ機が1機落ちると犠牲者が多数出ます。尼崎の脱線事故は100人を越える方が犠牲になりました。高速バスが運転手のミスで横転して犠牲者が出ました。 それでも、これをはるかに超える「やりきれない死」が自家用車の事故で起こっているような気もします。 実際、交通事故死は「24時間以内」という基準がある警察庁発表の数字でも年8千人も出ているわけです。確かに、この数字はトラック事故や先ほどの高速バスなどの事故を含むなど、諸条件が違いすぎるので一概に比較は出来ないのは承知していますが・・・ ただ、実際、どれだけ安全運転をしていてもヒヤッとすることは多々あり、また酷い事故現場に遭遇することが多々あります。 最近の報道機関の姿勢を見ると、そのあたりがもどかしく感じるのですが、みなさまはどう思われるでしょうか。 忌憚の無いご意見をお待ちしております。
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同じような事を考えていました。 確率からすると、自分で運転する車の方が危ないと思います。 毎回、何かしら危ない目にあっていますし、徒歩や自転車で横断歩道を渡っている時に、一瞬の差で命が助かった事が何回もあります。 そのくらい、車の方が危ないです。 だけど、一度に何百人も亡くなったと言う方がどうしても「危ない」という印象を与えてしまうから仕方がないのだと思います。 もしも、車を運転する人全員が「本当に危険なのは自家用車だ」とちゃんと心得て、道を譲ってあげる優しさがあれば、交通事故で亡くなる人数も減るのではないかな?と思います。 今の交通社会はあまりに思いやりがなさ過ぎますから。
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今回の事故が大きく報道されるのには、100人を超す(なんの落ち度もない)乗客が亡くなるという理不尽さに加えて、 「あんたは事故を起こしちゃだめだよ。さらに気をつけなさい」 と他の職業運転手に警鐘を慣らす意味も大いにあると思うのです。 ほかの質問で読んだのですが、ハインリッヒの法則というのがあって、 「重大災害を1とすると、軽傷の事故が29、そして無傷災害(運良く被害者が出なかった)が300になる」 そうです。 この300の段階で危険性に目覚め、お互いに注意しあえばあとの30は防げるかもしれませんね。 車の運転をするので、私もひやっとすることはよくあります。自分の過去の事故の経験や、悲惨な事故現場を見た記憶から、運転は慎重になります。 車間距離をとらずについてくる車や、無茶な車線変更を繰り返す車は、バスの停留所などを利用して先に行かせたり、道を変えて避けたりしています。 自分で運転するのならそうやってある程度は回避もできますが、人の運転や操縦に命を預けている場合は不可抗力ってものですよね。 また、車の事故は実際の現場やテレビのニュース画面で目にする機会もわりとありますから、 「怖いなあ。気をつけなきゃ!」 とショックを受けることも日常でよくあると思います。 免許の更新のときは嫌でも事故のビデオを見せられるし、それなりに教育はされていると思いますけどね。
お礼
私もハインリッヒの法則、聞いたことがあります。 私は関西在住で、JRはよく利用していていますが、最近は安全よりも営利に傾きつつあるな・・・となんとなく感じたりもしました。やはり予兆だったのでしょうか。 > 自分で運転するのならそうやってある程度は回避もできますが、人の運転や操縦に命を預けている場合は不可抗力ってものですよね。 そうなんですね。 でも、今すぐにでも死にたいのか・・・と問い詰めたくなるようなスピード違反を良く見かけます。 その車に同乗せざるを得ないときは本当に命が無いかな・・・と思ったりもしました。 最近の私は、あなたさまのように危険を回避する運転をしています。 昔は滅茶苦茶していましたが・・・反省しています。 あなたのような方が多かったら日本の道路はもっと安全なのですが・・・ ありがとうございました。
- mon-roe
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死亡者数で言えば確かにその通りですし、同じ事を私も思ったりします。 ただ自家用車による事故の場合、降って湧いた事象に巻き込まれる場合を除けば、運転していた人間の自業自得的な見方をしますし、事故に巻き込まれた他者に対しては悪い時に悪い所に居合わせてしまった程度に感じてしまいます。 またそれらの事故は、運転する事についてプロフェッショナルな人間ではない=意識の低い人間の過失であって、被害の規模にもよるが運転者に求められる責任は比較的小さい。という見方も出来ます。 これが大量輸送を目的とする公共の乗り物だった場合、被害の及ぶ範囲が広い事もありますがそれより、乗客の命を預かるプロフェッショナルな運転者あるいは組織の犯した事故という見方をされ、問題の性質が変わってしまうと思います。 こういう事故が起こると、今まで利用していた人たちが恐れや怒りから利用を控える事がままありますが、それはもしまた同じような事が起こっては乗客にはどうする事も出来ないと気付いたり、今までの信頼を裏切られた事で"まさか"と安易に捉えていた危険性が急に現実的な問題に思われるから、そしてそういうのは理不尽だと感じるからではないでしょうか。 この種の不安というのは、自家用車を運転する時の自分が自覚したり、もしくは知人の運転する車に同乗する時に抱く意識とは、おそらく質が違うはずです。 自家用車による事故や、それによって失われる命を軽視している訳では決してありませんが、同じ"事故"という言葉でもそこに付いてくるイメージや質の違いが、報道機関ひいては社会感情にも現れるのではないでしょうか。
お礼
> またそれらの事故は、運転する事についてプロフェッショナルな人間ではない=意識の低い人間の過失であって、被害の規模にもよるが運転者に求められる責任は比較的小さい。という見方も出来ます。 確かにそういう部分は否定できないですね。 故に私達は自動車社会の利益も享受できているのだと思います。 ただ、多かれ少なかれ、場合によっては他人の命に関わることには違いがないと思います。 プライベートの運転でも高い意識は持っていたいなと私は思っております。 ありがとうございました。
- naoki_s
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普段の交通事故が報道されないのは、報道してもインパクトがないからではないでしょうか。別の言い方をすれば、ニュースとしての価値が低いからだろうと思います。 交通事故は、ご指摘のとおり死亡まで至らなくても、毎日のように各地で起こっています。 事故に遭われた方にとっては、きわめて不幸なことなのですが、報道機関や、それを見る視聴者・読者の立場からすれば、日常の出来事になってしまっています。あまりに数が多すぎるのです。 日常の出来事であれば、ニュースとしての価値が下がり、報道されることもなくなってきたと思われます。 対して、今回のような鉄道事故や航空機事故は、事故の起こる確率から見ても、また多数の方が一度に亡くなるというインパクトの面からもニュースになりやすいのだと思います。 普段から丁寧に報道していれば、交通安全の啓蒙活動になるかもしれませんね。
お礼
> 日常の出来事であれば、ニュースとしての価値が下がり、報道されることもなくなってきたと思われます。 これが営利企業でもある報道機関の実体なのでしょうね。 報道でも視聴率至上主義なんですね。それに営利ではないNHKが引きずられている印象です。 (まだ、NHKは冷静な報道をしている方かなと思ったりもします。エビ氏は許せないですが・・・) 本当は日の当たらないところに光を当てるのが報道機関のはずなのに・・・(私の勝手な論理でしょうか?) ありがとうございました。
飛行機で死亡事故に遭う確率は宝くじで3億(4億)円に当たる確率よりも低いと思います。 電車だと更に低いですね。 とても安全な乗り物だと思います。 鉄道、飛行機の場合、ほぼ100%プロフェッショナルが運転・操縦していますので安全です。 ただ、プロとはいえ人間ですから誤りを犯すものなのです。 自動車の場合、ほぼ8割は素人が運転しています。 しかも、金さえ出せば取得できる運転免許で。 危険きわまりないですね。
お礼
> 自動車の場合、ほぼ8割は素人が運転しています。 > しかも、金さえ出せば取得できる運転免許で。 > 危険きわまりないですね。 それは本当に感じますね。 ある程度技能(と費用)があれば誰でも免許が取れるというのは、ある意味重要だと思いますが、反面危ないですよね。 私もそのあたりを自覚してハンドルを握っていたいですね。 ありがとうございました。
補足
確かに、一度に何百人も亡くなられている方が出たら危ないと感じるのも仕方ないですね。私も感じております。 > もしも、車を運転する人全員が「本当に危険なのは自家用車だ」とちゃんと心得て、道を譲ってあげる優しさがあれば、交通事故で亡くなる人数も減るのではないかな?と思います。 > 今の交通社会はあまりに思いやりがなさ過ぎますから。 これは共感できます。なんか、我が物顔で道路を走るドライバーが多いと私も思います。 人の振り見てわが振りを直せですね。 ありがとうございました。