• 締切済み

生活に現実感がもてずに不安になる

先日、恋の悩みカテゴリーで、好きな人のことで頭と心がいっぱいで諦められない事で相談していますが、こちらの角度からもお聞きしてみたいと思いました。 以前から、好きな人や自分が求める人から、メールの返信がなかったり、連絡がなくなったりすると、「自分は人に必要とされないんだ」という気持ちが芽生え、自分の存在意義や存在価値がないと思います。そしてその気持ちを長くひきずって、孤独感と不安に襲われて、眠れなくなり、苦しくなり、食欲がなくなります。過去のことを思い出し、人の気持ちが変わっていく事や、時が過ぎて年をとっていくことが、怖くなります。その考えが出てくると、両親もいつか亡くなってしまうんだな、というところまで考えてしまったりします。ネガティブな世界に行こうとしてしまうのです。3年前には、好きになった人からすぐに飽きられて連絡が途絶えたことをきっかけに、まだ軽度な方でしたが鬱病になりました。その後も、そこまでひどくはなりませんでしたが、同様のことを繰り返しています。 いつからこうして一人でしっかり生活できなくなったのか、と思います。ずっと前は一人でも平気でした。 自分の今の生活に現実感というか、きっと目的がないのです。今の生活は仮の生活だから、と思ってしまいます。一人暮らしをしていますが、今住んでいるところも仮住まいだと思っていて、近隣の人との接触もなく、休日に友人と会う約束がなければ、本当に孤独です。会社に行くと気が紛れますが、帰ってくると心が落ち着きません。 このような状態になったことのある方いらっしゃいますか?気の持ちようなので医者に行って解決するものではないですが、カウンセリングとか効果的なのでしょうか。 日によりますが、今苦しくて仕方ないです。

みんなの回答

回答No.5

孤独感、それを感じることは正常な人間である証拠です。それが他人を大切にする想いに繋がって、友達や恋人、家族、そして社会参加を促します。 >休日に友人と会う約束がなければ、本当に孤独です 自分から誘ってみてはどうでしょうか?またはサークルやジムとかボランティアに参加するとか。 >自分の今の生活に現実感というか、きっと目的がないのです。 目的が欲しいのなら設定すればよいのでは?なぜできないのか、書いていただければまたアドバイスができると思います。 現実感がないのは、究極を言えば、命の危険にさらされていないからです。安全大国日本ですから、みんなその危機にあります。僕だったら、バイクに乗ったり、サーフィンをしたり、できるだけ外の環境にいます。外だと何がおきるかわからないので、身体全体のセンサーが常に働いてます。自然の中に入るのは一番効果的です。 >自分の存在意義や存在価値がないと思います 自分が熱中することってありますか?生きがいを持ってますか?ただただ毎日同じような繰り返しや、仕事だけの人生だと無気力になります。やりたいがあると一人でも充実しますよ。それでも孤独を感じるけど、しかし決してネガティブとは限りません。

ohanami-go
質問者

お礼

ありがとうございました。 そうですね・・・うまく言えないですが、目的は設定しようとして設定できるものではないように感じています。どちらかというと、意欲となって涌きあがってくるもの?? 目的、生きがい、存在価値…それらが今は全部好きな人のことに集中してしまっています。 いずれにしても、考えもがいている間に何か行動してみたらいいのかもしれませんね。

  • pangnya
  • ベストアンサー率36% (109/296)
回答No.4

NO.1です。 度々、すみません。 一点、どうしてもご説明したいところがありまして・・・。 >心の持ち方について薬で治すというメカニズムがどうも納得できなくて、短い期間で卒業(勝手に中退)したことがあります。 精神疾患と言いますと、いわゆる「心の病」と思われがちですが、今日では、心の病とは、脳の機能異常が原因と考えられております。 うつ病等は脳の中の神経伝達機構に問題があると考えられており、セロトニンやノルアドレナリンなどモノアミン系の神経伝達物質のはたらきの低下が原因とされています。 抗うつ剤等には、これらセロトニン等のはたらきを改善する作用があります。 だからこそ、薬が、心に効くのです。 なお、抗うつ剤は、自己判断等で勝手に服用を中止した場合、却って症状を悪化させてしまうことがあります。 したがって、医師の指示を守り、絶対に自己判断で中断したりしないでください。 また、うつ病等は一見治ったと思っても、すぐに再発する可能性が高く、症状が治まってからも、最低半年程度は飲み続ける必要があるとされています。 どうぞ、お大事になさってください。

ohanami-go
質問者

お礼

ありがとうございました。参考になります。

  • pangnya
  • ベストアンサー率36% (109/296)
回答No.3

NO.1です。 今、最初の文章を読み返してみましたら、まるで、質問者様も、私と同じように、うつ病だと断定しているかのごとく書いてありましたねぇ。 大変、失礼しました。 そういうつもりは、全くありませんでした。 私は、自分が重症うつ病なもので、抑うつ傾向の感じられる方を見ると、どうも、すぐに自分と同じだと考えてしまう傾向にあるようです。 どうか、お気になさらないでください。 ただ、うつ病云々は別としましても、多少なりとも抑うつ症状が見られる方は、程度の差こそあれ、みなさん、同じような症状(感覚?)は経験されるようです。 おそらく、質問者様も、私が挙げた症状は(希死念慮と転換性症状は別としまして)だいたい、思い当たるふしがあるのではないでしょうか。 いずれにしましても、心療内科は、行ってみられても損をすることは絶対に無いと思います。 もし、お時間が取れましたら、是非、一度受診されてみることをお勧めします。 全然、怖いところではないですよ。

ohanami-go
質問者

お礼

ありがとうございます。 断定しているとは感じませんでしたし、そうだとしても、全然気に障りませんよ。大丈夫ですよ。これって鬱症状だよなぁ、という自覚はありますので。ご回答に問題なしです。

  • Syo-ya
  • ベストアンサー率31% (558/1780)
回答No.2

それはみんなそうなるんです。 私は仏教(初期仏教)の勉強をしてますので、その論理で回答してみたいと想います。 ●「自分は人に必要とされないんだ」という気持ちが芽生え、自分の存在意義・・・ これは、私たちの活動のエネルギーは「欲望(渇愛)」なんです。 欲望があるから生きられるんですが、欲望があるから自他を破壊してしまうんです。 「愛されたい」「認められらい」「かまって欲しい」「勝ちたい」「欲しい」「知りたい」「幸福になりたい」「不幸にはなりたくない」・・・と私たちの日常の発想は、100%近く、何らかの欲望に基づいているんです。 ●その気持ちを長くひきずって、孤独感と不安に襲われて、眠れなくなり・・・  過去のことを思い出し、人の気持ちが変わっていく事や、時が過ぎて年・・・ これは「欲望(渇愛)」のために自滅している証拠なんです。 「渇」とは、砂漠で喉が渇いたような状態と言います。 餓えた心という解釈でも良いと想います。 私は掃除機か、ブラックホールだと思ってます(なんでも欲しがるばかりの・・) 掃除機で言えば、吸引力が「最強」になっているから、自滅してしまうんです。 最近話題のホリエモンも、スイッチが「最強」になっている一人でしょう。 でも、これは欲しがるだけの心なので、決して、満足しないんです。 底なしの欲望なんです。ブラックホールと一緒です。 ですから<欲しがる心と満足する心は違う>ということを、まず、知らなければいけません。 ●両親もいつか亡くなってしまうんだな、というところまで考えてしまったりします。 欲しがる心は、永遠の若さ、不老不死まで欲しがるんです。 なんでも欲しがるよう出来ているんです。 私たちから、正しく現実を見る力さえ吸い取ってしまうんです。 正常な判断力、正気までも、奪いとってしまうのが「欲望(渇愛)」なんです。 (古い映画にも「欲望という名の電車」という名作があります) ●ずっと前は一人でも平気でした。 若い頃(子供の時代)というのは、経験も少ないですし、「観念」というのがまだ発達してませんから、ものごとをありのままに観て、受け入れる能力が衰えていないんです。ところが、これが大人になって見聞が広くなり、情報過多になり、経験豊富になってくると、どこからともなく「渇愛」に支配されるようになってしまうんです。 「渇愛」より【下心】と言ったほうがピンと来るかも知れませんね。 私たちは、毎日、全ての行動に、この下心を働かせているんです。 下心で胸が張り裂けそうな毎日♪を過ごしているうちに、下心で頭が張り裂けてしまうんです。 大人になるに従って「下心」=「下界の心」が成長してしまうんです。 これは、誰も避けることは出来ません。 生きるために必要な能力だからです。 で、大切なのは「足るを知る(少欲知足)」の心なんです。 子供のころは、これが自然に出来ていたハズなんです。 ●自分の今の生活に現実感というか、きっと目的がないのです。 やっぱり欲望が満たされていないからなんだろうと想います。 判りやすく言うと、下心が満たされない状態(欲求不満)なんだと想います。 で、ここからが大切なんですが、 満足というのは、上にも書いたように、欲しがる能力とは違うんです。 <欲しがる心と、足るを知る心(少欲知足)は違うんです> 満足する心というのは、「成長した心」を言うんです。 成長するとは、「気が付く」ということなんです。 例えば、メールの返信が無いときに、「ああ、きっと、私は見捨てられたんだ・・・」「誰も私を必要としていない」「そういえば、この間も・・・」「ああ、このまま消えてしまいたい・・」と思って、下心で頭が張り裂けてしまうのが今までの生き方だったとしたら、そんな自分に気が付いて「返信にこだわっている・・」とか「見捨てられることへの不安を抱いている・・」とか、「落ち込んでいる・・」等々と、自分自身の状態に客観的に気が付くことが出来るのが成長した心なんです。 落ち込んでいるときに、「私は、今、落ち込んでいる・・」と客観的に、冷静に気が付くことが出来れば、「落ち込む」という心のプロセスが中断されます。 そうすると、自分自身を下心(下界の心)から解放できるんです。 掃除機のスイッチを「最強」から「弱」に入れ替えられるんです。 「気が付く」というこは、「気持ちを落ち着ける」ということです。 「気が付く」ために必要なのは、「平常心」です。 「平常心」なくては、気が付くことも、気持ちを落ち着けることも出来ません。 「平常心」が育った心が「成長した心」なんです。 ・・・こんな説明で、伝わりますか? つまり、簡単なんです。 「気が付きなさい!」というのがお釈迦さまの基本中の基本の教えなんです。もちろん、ちゃんと仏教を勉強すると、もう、その奥の深さは凄いんですが、基本は「気づき」なんです。 怒っているときには、「私は怒っている」と気が付くんです。 嘆いているときも、悲しんでいるときも、ご飯を食べているときも、トイレのドアノブを回している時も・・・・・一日中がお稽古だと思って、自分自身の身体動作や、心のプロセス、感情、発想に気が付き続けるんです。 ただ、淡々と気が付くんです。 それが心を成長させ、少欲知足になり、下心に振り回されない自分になって、人生が楽になる、唯一の方法なんです。 ●会社に行くと気が紛れますが、帰ってくると心が落ち着きません。 ですから、会社に行ったときも、気を紛らわしてはいけないんです。 気づきの能力を常に鍛えていないといけないからです。 気を紛らわすということは、赤ん坊をオモチャであやすのと一緒ですから、それでは、心は成長してくれないんです。心も筋肉と一緒ですから、鍛え続けなければいけないんです。 心の筋力が弱ると、人生という登山も辛く、不幸になってしまうんです。 ですから、気づきの機会を与えてくれる、カウンセリングも有効だと想いますし、こういう場で、いろいろな人の意見を貰うのも、いい事だと想いますが、何よりも、自分が心の奥から自分自身の姿に気がつかなければ、意味がないんです。本当に納得できるようにならなければ意味がないんです。 ここに紹介したのはヴィパッサナー瞑想という仏教に伝来している気づきの瞑想ですが、私のHNをクリックしてもらってもこの歩くバージョンを簡単ご紹介してますので、今日から実践してみてください。 ある日、嘘のように、頭ののぼせが取れて、「今、此処の自分」に帰ってくるという体験がきっと出来ると想います。 あと、セロトニン神経という癒し神経の弱りもあるかも知れませんので、一度、心療内科に相談しても良いと想いますが、薬では心のメカニズムは治らないので、私の書いたこともよく考えて欲しいと想います。 長蛇乱文失礼しました。。。

ohanami-go
質問者

お礼

大変丁寧に教えていただき、ありがとうございました。 不安になったときに、「不安になっている・・・」とまずは意識してみようと思います。 私は欲が強いのですね。 きちんと理解するにはまだまだですが、おもしろい角度から回答いただいて、違う考え方をするきっかけをいただいたように感じます。

  • pangnya
  • ベストアンサー率36% (109/296)
回答No.1

私は重度のうつ病(難治性遷延性うつ病:抗うつ剤等も全く効きません)と診断され、もう10年にもなります。 うつ病の(軽度、重度等の程度は別にして)典型的な症状としてあげられているものに、抑うつ感、無能力感、自責の念、罪業感、疎外感、現実感の希薄化、集中力の低下、意欲減衰、不眠、食欲低下、希死念慮etc.があります。 また、症状によっては、心の症状だけではなく、身体に不調を訴えるケースもよくあります。 これらを、うつ病による転換性症状(ようするに、心のストレスが、身体症状へと転換して現れている訳です)などと呼び、例えば、頭痛、吐き気、胃痛、手足のしびれ等がありますが、症状がひどくなると、実際に目が見えづらくなったり、味覚障害(食べ物の味がわからなくなる)、耳がよく聞こえない、ろれつが廻らなくなって、良くしゃべれない等の症状に発展する場合もあります。 ちなみに、私の場合は、ここまでに挙げた症状、全てを経験しました。 >気の持ちようなので医者に行って解決するものではないですが 気の持ちようで解決できる程度であれば、それは病気ではありません。 どんなに頑張ろう、努力しよう、気持ちを入れ替えようと思っても、それが出来ない状態になってしまっているからこそ、病気と言えるのです。 質問者様の文章から察します私の印象では、幸いに質問者様は、仮にうつ病としましても、まだ軽度の段階であると思われます。 まあ、病気かどうかは別として、もし抵抗が無いようでしたら、一度、心療内科等の受診をお勧めします。 心療内科の先生は、病気であってもなくても、心に不安や悩みを抱えている人を、楽にしてくれることがお仕事ですので、適切なアドバイスが頂けるものと思います。 ただし、メンタルな部分ですので、先生との相性は必ずあります。 もし、この先生とは気が合わないと思われましたら、気にせずに、さっさと他の先生を訪ねてください。 必ず、自分にピッタリの(ようするに、安心できる)先生と巡り会えるものと思います。 心療内科だから、精神科だから等と無用な心配はなさらずに、気軽な気持ちで出かけていって、現在の悩みや状況を、ご相談になればよろしいかと存じます。 どうか、お大事になさって下さい。

ohanami-go
質問者

お礼

ご回答ありがとうございました。ご経験ある方のアドバイス、参考になります。 実は数年前に、心療内科に行った事があります。薬のおかげで眠れるようになったのはよかったですが、心の持ち方について薬で治すというメカニズムがどうも納得できなくて、短い期間で卒業(勝手に中退)したことがあります。 でもこのまま自分で気持ちを変えられないようだったら、また行ってみるのもいいかなと、思いました。

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