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子供のころ見えたもの

みなさんは子供のとき何かが何かに見えませんでしたか? 例えば木のしわ(?)が顔が見えたりとか・・・ 小さなことでもいいので是非教えてください。 なんで大人になるにつれてそういう発想ができなってしまうのでしょうかね。すこしさびい気がします。

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回答No.1

いい質問ですね。 私は夕焼けですね。 カラスの親子はどこに行ったんでしょうね。 お月さんは本当にうさぎさんに見えましたよ。

tomatooow
質問者

お礼

素敵なかいとうありがとうございました。 たしかに・・・!です。 いつまでもそんな気持ちを持ちたいものですね。

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  • tika
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回答No.10

良くぞ聞いてくれました(^o^)丿 小学生の頃に空を飛ぶ恐竜「テラノドン」を見ました。 湾を挟んだ反対側のホテルの上空を旋回していたのです ホテルと同じ大きさなので恐竜だと確信しました。 しかし~!親に話しても「このばか者が!」とゲンコツを貰い友達に話すと「カモメでしょ!」と言われ誰も信じてくれません。 婆ちゃんに話すと「沖縄には無人島が多いからそこに隠れているのかもしれないね」と信じて貰えました。 分っていますが・・・何処かに居るのでは無いかと信じています。(笑)

tomatooow
質問者

お礼

みなさまいろいろ楽しいお話をありがとうございました。 小さいころって本当に自由な発想にとんでいますよね☆ 回答ありがとうございましたm(__)m

  • ni2
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回答No.9

今でも、布団に入ると天上の木の年輪がいろいろな物に見えますよ。

回答No.8

小学生の頃、団地の浄水施設を囲っている金網の中の芝生に 毒キノコらしきキノコが生えていました。 友だち4~5人と遊んでいる最中に見つけたのですが、 そのキノコの毒々しい赤色の傘に、すごく意地悪そうな顔 (つりあがった目・意地悪くニヤッとした口&漫画チック)があったのです! 金網のすき間から手を入れて、棒でつついてもびくともしないで、 バカにしたようにこちらを見ている・・・ その場にいた子供全員が、確認しました。 全員があわててそれぞれの自宅に戻り母親に話したのですが、 全く取り合ってもらえずに再度現場に戻りました。 見ると、大き目のしいたけのような茶色いキノコがあるだけ・・・・・ 一体あれはなんだったのでしょう。。。 いまでも「おばけキノコ」として話題になるのですが。。。 論点とずれているようです。。。。。(^_^;)

  • popo1230
  • ベストアンサー率46% (6/13)
回答No.7

私が小学生の頃、“蚕(かいこ)”を見ると、新幹線だ!っと 思っていました。昔の形ですが‥‥ 今の新幹線は“かいこ”より“かものはし”っぽいかなぁ(^^;) 夏の入道雲を見ては、“わたあめ”食べたいな、わたあめが空に浮いている っと思ってました。食い意地が張っていたので‥‥。 現在、人を覚えるのが苦手なので、 その人に似ている物(動物)に例えて覚えてます。 その人には、悪いかなぁ~っと思いつつ~~ 私は、風変わりなのかもしれないですネ。

  • bztmki
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回答No.6

 言われてみると確かに、僕もカーテンの模様や、表面が所々はげた学校の壁などがいろいろなものに見えたりしました。 みなさんがおっしゃってるように、顔に見えるのが中心ですが、自宅のカーテンの模様などは、もっと複雑な何かに見えた記憶があります。  今では、その「複雑な何か」が何だったのか思い出せないですし、それが見えた場所の周辺をじっと見つめても、何も見えてきません。  人は成長するにつれて、多くの既成概念にとらわれてしまうんでしょうね。 常識的な判断をするのにそのような概念が必要なのと同時に、柔軟な発想が失われて頭がカタくなってしまうんだと思います。 また、そういう理由で、人々が驚くような発想をする“天才”と呼ばれる人が、奇怪な人に思われることがあるのかもしれません。  何にしろ、自由且つ純粋で柔軟な発想が失われていくのは、確かに悲しいことだと思います。

回答No.5

ゲシュタルトの論理で説明が付くのかと思いきや、センチメンタルなモノも求められているのですね。 私は、小さい頃、バスの運転手さんがつけているヘッドセットのマイクの部分が8つ切りくらいに切ったジャガイモに見えていました。 運転手さんは、毎朝ジャガイモを切ってヘッドセットに刺して、運転席に着くものと思っていました。 とてもあほな子でした。 …、今もあほです。

回答No.4

こんばんは。 「何かが何かに見えた」とは、ちょっと違うのかもしれませんが、子どものときはとにかく地面が近かったです。地面や川が生きていました。 お寺の縁の下にある蟻地獄の巣なんか眺めていると時間が経つのも忘れていました。川や池の水面を見ているだけで飽きることがないほど、たくさんの生き物がそ姿を見せてくれていました。道端の草花でさえもすぐそこにあって匂いがしていました。 背が伸びて地面が遠ざかるにつれて、自然が・小さな生き物が・小さな空気の流れや・水の流れが見えなくなってきました。 今、小さな娘と散歩をしてしゃがんで地面を見ると、ちょっぴり子どもに戻れます。 なんか質問とずれちゃってごめんなさい。

回答No.3

あります、たくさんあります。 私の場合は、何かが「顔」に見えることが多い(かった)です。私は20数歳ですが、今だにいろいろな「モノ」が表情を持っているように見えます(笑)とくに車なんか、顔そのもの、という感じがしてなりません。「あの車、笑ってる~」とか、よく口にしてしまいます。 顔に見えるものは、点等が二つあればなんでもそう見えます。文字でも有。 あとは、シミとか、水たまりの形とか、石ころの形とか、雲の形とか・・。顔以外にもいろいろな創造をしたりします。(書き込んでいて、私って子供みたいだなー、と感じました;)

回答No.2

カーテンや壁にかけている服のシワが顔に見えて怖くて眠れなかった頃がありました。 見えたものとは違いますが実は両親は人食い人種で自分が先に寝ている間にいつ私を食べようかと想像して悲しくなったり。 今から思えばバカバカしいことですが、その頃はそんな怖いことが日々悩みの種でありました。