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「血統書付き」の意義は?
1.ペットの純血統を尊ぶ人がいます。野生動物の交雑化を危惧する 人もいます。 これは根元的には同一の価値観なのでしょうか。 2.一方、人種差別とは異なる次元で人間の純血主義を説く人がいま す。 これらの人は上の人たちと比べ、ヒトラーと同一視されるなど、 異端扱いされている様な気がします。1で述べた人たちのグルー プに属する人たちは、基本的には人間も純血を保つべきだと考え ているのでしょうか。 そうでないなら、この矛盾にどのような折り合いをつけているの でしょうか。 昨日友人と口論になり、余り考えたことがなかったのですが、急に興 味が湧きました。 私は個人的には「ペットは可愛ければ純血でも雑種でも良い」「野生 動物の交雑化は有る程度やむを得ない」「人間の純血主義は、基本的 にはどうでも良いが、その考え自体が突飛な物だとは思わない」と言 う意見です(大した根拠もないので変更は可能な程度ですが)。 本音建前織り交ぜて、ご回答方お願いいたします。
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まず、家畜は品種であって種ではありません。オタク的うんちくを垂れ流させて頂けば現在、犬の品種は協会にもよりますが、500余りの種がありますが、生物学的にはイヌ一種の中のバリエーションにすぎません。 犬であろうと猫であろうと、かわいければ良い、というのはその通りだと思います。個人にとって普遍の価値でしょう。しかし品種も人間社会にとっては意味がある、あるいはあったものであり、血統が存在するならば、そのバリエーションに意味を認め保つことも無意味ではないと思います。少なくとも私は、よりよい形で品種を保とうとする価値観が健全で人間の社会に反しないならば、尊ぶべきと思っています。 このへんは難しいですね(^^;。ペットの世界は私利私欲私情が絡んで、どう考えてもバカげた基準を屁理屈こねあげて他人に強制しようとする人間もいます。 犬の血統をむやみに拝む人間るとっては「人間が管理していること」が最重要のように思います。ある本に、そういったブリーダーの一人が野生のオオカミを純血とは認めないと言い切った、というエピソードを載せています。 ペットの血統をありがたがるという心理には、最低限のスペックが保障されていてほしいという気持ち、血統書に付加価値を見いだし、その価値が高いことで満足する気持ちがあると思います。なぜ満足するかというと、価値の高いものを身につけることで自分自身の価値を高められるからでしょう。古代の昔から人間は装飾品を身にまといたがりました。今度はそれが、生ける宝石に変わったにすぎないと思います。 ひるがえって、野生動物の交雑を心配するのは、種の多様性が失われることへの危惧、自然のものに人間が考えなしに手を加えた結果今存在するものが失われることへの危機感、そういう考えではないかと思います。 人間が管理している品種の純血と、野生動物の種はそもそも違うものです。 従って同じ純血を尊ぶように見えて、両者は根本的には正反対といっていいほどに違うものではないでしょうか? 私はペットの血統に肯定してもいる、野生動物の(人間関与の結果の)交雑を危惧している、という点で仰る「1のグループに属する人間」であるでしょうか。 もちろん、人間も純血を保つべきと考えてます。生物学的に種としての純血を、です。たとえばチンパンジーと交配を試みたりゾウと人間や恐竜の遺伝子を組み込んだ人間といったキメラを生み出すなどならない、という意味でです。 自己の優越感を得ようとするあまり排他主義に陥った、政治的な意味での純血主義には私は軽蔑の感情しか感じません。優越感は人間の基本的な感情の一つであるから、突飛な感情とは思いません。 人間の純血主義を説く人間は、血統的・遺伝的な見地から主張しているわけではないと思います。自らを優れたグループと認めるために、他から孤立したいための政治的な主張です。 自然界には遺伝的な多様性が必要と考える、「野生動物の交雑化を危惧する」考えとは、ここでもだいぶ違うように思います。 ついでに。 雑種強勢という言葉があり、これは哺乳類だけでなく植物にさえあり、本来は原種同士のF1のみにあてはめられる言葉ですが、近親交配をくりかえすと生命力が弱い個体が増えるのも事実です。 しかし「雑種犬のほうが頭がよい」は常にとは限りません。 私の犬は雑種で、純血という言葉に盲従する人にバカにされ、さんざん悔しい思いもしました。お恥ずかしながら、「雑種だから劣っていると思った」と書いた質問者さんにくってかかったことも(;^_^A。しかし同時に、純血の犬が純血を理由に偏見の目で見られるのも公平ではないと思います。 たとえF1でも、ある犬種同士の雑種は、純血のシェパードより能力テストの全てで劣るということもあります。 純血というのは単なる言葉のアヤだと思っていますが、その言葉のあやは時にすさまじい底力を発揮します。ブラッドスポーツといわれるサラブレッドを見ていると特にそう実感します。 私個人としては、「ペットは血統書つきでも雑種でも可愛さ、価値観に変わりはない、しかし血統書も無意味ではない」「野生動物の交雑化は、人間の関与しない自然の状態での亜種ならば流れにまかせるべき、人間が関与してはならない」「純血主義の行き着く先は硬直化し、生命力を失って滅ぶ道であるから、自分の属する団体がそこに走りそうなときは反対する」です。
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- n_kaname
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野生の雑種交配と、犬猫の場合はちょっと違うと思います。 というのも、家畜(犬猫含む)でいう血統書=純血種ではなく、交配によって出来上がった物を品種として登録し、血統書が与えられるからです。 だから多くの血統書付の犬猫は品種改良されたものです。 それとは対照的に野生種は人の手を加えない進化した結果です。何代も掛けて変わっていったものが、人が関知することによりあっと言う間に変化が起きてしまう。 変化が大きければ大きいほど、跳ね返る物は大きいでしょう。愛玩動物などで有れば保護してくれる飼い主が居るから問題なくとも、野生の生き物ではそうはいきません。生態系に急変変化が起き、結果として上手く成り立たず崩れて行きます。 純血とはもろい物で、病気や奇形を生む要素も持っています。たまに血は混ぜた方が良いのは確かです。米も桜も牛も交配させた方が丈夫なんですよ。 雑種犬の方が頭が良く体が丈夫なのも事実ですし、人間もハーフの方が可愛いのも事実ですよね。 まあ要するに極端に血を守ろうとか、混ぜようとか言うのは逆効果なので、そういうのでなければ良いと思ってます。
お礼
ありがとうございます。 なるほど、品種改良という観点は念頭にありませんでした。 そういえばつい昨日か今日、テレビでタレントがペットの話をしてい ました。ペットの中には見た目を重視するあまり本来の種の生命力を損なっている例もあると言うことですよね。 う~ん、個人的にはイヤだな~。
お礼
失礼ながら思いつきでした質問でした。しかも、お答え頂いたお二方はご賢察でしょうが、本当は第2の質問が私の主旨で、有り体に言えば「血統書血統書という者たちは、人間の混血については『世界はつ』的なきれい事を言うダブルスタンダードの奴らが多いに違いない。ひとつ突っ込んでやれ。」と言う非常に不真面目な意図のものでした。 私の意に反してお二方から頂いた回答は非常に平明且つ明快、そし視点が公平。私が持っていた基本的で暗愚な偏見的興味など、どうでも良くなってしまいました。不遜な表現ですが、自分より深く物事を考える方達の意見を拝聴するのは非常に楽しいです。 この問題についての違った(より純粋な)、興味が湧いてきました。 少し勉強してみます。 本当にありがとうございます。