私の周りにも自殺者がいますが“私情を抜いて”言いますと 自殺者は レミングの行進と同じことと思っています
地球上の人間の個々の営み及び環境と各個人の情緒は関連していると思いますし それによるレミングの発生は防げないのではないでしょうか?
だからと言って それで良い と言っているわけではありません
私は10代前半に 野村胡堂著「次郎物語」を読みまして,その中にある「無計画の中の計画」という言葉に惹かれたのを今でも覚えています
私は断片的に海外での短期間の貧乏旅行をしてきました
初めに着く所だけ決めて(期間もゆるく決めて)あとは行った先々での人々との出会いと情報交換のみで次への行き先を決めるのです
勿論ガイドブックは持ちません 必要なのは辞書のみです
空港に着いてからトゥアリスト・インフォメイションで情報を収集したり電話帳で宿を探したりして自分一人でまず宿まで辿り着くことから始めます
国によっては危険な所がありますから日本大使館か領事館の住所を調べそこへ行き 諸々の情報を収集することも欠かせません
そんなことをしてきながら人生について思うことがありました
人生=旅 だと
決して 人生=パッケイヂ・トゥアー ではないんだと
旅先ではなにが起きるか判りません どんなに装備も心構えも準備万端に構えていても 想定以外のことが起きるのが常です
それにどう対処しうるのか
その自分が その時点までの自分の力量と知ります
でも 諦めたり嘆いているヒマはありません
旅は続いています
日本に帰るのが旅の当面の目的なのです
次なる行動に出なくてはなりません
私は若い頃 大人になれば解ることが増えて疑問は減っていくのだろう と思っていました
今の私の考えは 解ることが増えたことは確かだ しかし解ったこと知ったことに反比例するかのごとく解らない知らないことは増えていくんだ
あなたの周りにいませんか?なんでも解ったようなことを言うヒト
そういうのは ペテン師です
急に今 思い出した言葉があります
ひとつは登山家の有名な言葉で
「そこに山があるから登るのです」
もうひとつは別の登山家がインタヴュアーのある質問に答えての言葉です
Q:「登山家ですから山で死ねたら本望でしょうね?」
A:「登山家の望みは山で死ぬことではありません。山から生きて帰ってくることです」
掴めないものばかりで良いと思います
追いかけ続けて人生を歩むのも悪くないんぢゃないかな。。。
私が尊敬する人のうちの一人は 生涯を虫の生態を追いつづけることに費やした人です
彼は虫の全てを知ることができて死んだだろうか? 追いつづけて寿命がきて死んだのだと思うんです
そんな死に方があって良いと思います
纏まりのつかない文章ですみません
敬虔な足どりで一歩一歩のらりくらりと上を向きながら歩いて行きましょう