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生きる気力

生きていく自信、気力がもてません。 自分の将来に対して希望がもてません。 今すぐ死にたい、というよりも、もうこれ以上生きていたくないという感じです。 今の心境について詳しく説明しようとすると、かなりの長文になってしまいそうであり、また、自分自身も多少混乱しているため、長くは書きませんでした。 このような経験をおもちの方、あるいは現在このような状態にある方がいらっしゃれば、御意見を頂きたいと思います。

みんなの回答

  • about55
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回答No.16

私は離婚を経験し、かなりつらい状態が今も続いてています。 ある程度の年齢になって職場が遠方に移動になったため、安心して相談できる相手が居ない事もあり、抱え込んでしまっています。 最近ですが、この環境をまず変えようと考えています。いつまでも、つらい環境に身を置いていても何の解決にもならないですからね といっても、私もかなり疲れていますので、自分の力と残った気力で前に進めれればと思っています。 基本方針は「がんばらない!!」です。 これ以上疲れる経験しても仕方無いですしね。。。 昔の自分では無かった事ですが、自転車に乗ってちょっと遠い図書館まで行ってみたり、家の芳香剤を使ってみたり。。。 ホントに少しづつですが、環境を意識的に変えようとしています。 まぁ、私の場合はですが。。。 参考までに

noname#112387
noname#112387
回答No.15

生きていくための自信、気力がもてなくても、 また、将来に希望があってももてなくても、 自殺でもしない限りは、 死ぬまでは生きていなければいけません。 また、どんなにつまらない人生でも、 なんの意味もないような人生や生き方でも、 やはり、死ぬまでは生きて行かなければいけません。 つまり、死ぬまではただ生きていればいいのです。 だって、そうするしか他にないのです。 今すぐではないけど死にたい、 望んでも望まなくても、みんないずれ死にます。 いまは、もうこれ以上生きていたくない、けれど、 あとで、もっと生きていたいと思うようになっても、 やがては誰もが、生きられなくなります。 それまではただ生きて、お迎えがくる(古!)のを待つだけなんです。 それじゃ退屈にもなりますから、また人を好きになってみたり、 働いてみたり、本を読んだり、どこかに出掛けてみたりするのです。 私は、そんな風に考えるようにしています。 何の解決にもならないし、辛さもさして軽くはならないけれど、 仕方ない、メシでも食うか酒でも呑むか、となります。

  • amay74
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回答No.14

私も今まさにそのような状況です。 下を読むと、子どもができて変わりました、みたいなコメントがありますが、私はむしろ子どもを産んでからのほうが、そのような気持ちが強くなったように思います。 今2歳と4歳の子どもがいる私を襲っている虚無感の一番の原因は、 @子どもを2人産んだことで動物の雌としての役割を果たした というのが大きいように思います。 昆虫の雌とかが卵を産み終えたら死ぬように、次の世代に繋げたことで、私が生きた意味はコレでおしまい。という気持ちです。 あとは、 @今95歳になる祖母がいるのですが、とても元気だったのにここ数年、どんどん自分でできることが少なくなり、重介護が必要となっていく様子を目の当たりにしたからだと思います。 周りはものすごく大変です。 自分がこうなるのは絶対に嫌だと思います。 長生きすることに何も意味を見出せません。 もうひとつの原因としては @年収※00万程度で家族4人暮らし。ねずみがからから廻っているようにつましく贅沢もせず日々をどうにか廻している 寝てもさめてもこの繰り返し。今何が楽しみですかと問われれば本当に何もないです。この繰り返しがあと何十年とか続くのかと思うと、ほんともう笑顔も出ません・・・。

noname#103578
noname#103578
回答No.13

本当は、私も今すぐ・・と思っていました。 でも、誰かと繋がりたくて ある人に電話をして泣きました。 その人は前向きなので一掃されたけれど 泣けたことで少し楽になりました。 あなたも誰かに助けを求めていませんか? こうやってしか方法が無いのは 私達の辛いところであり、救いでもあるんですね。 アドバイスをくれる方から、 あなたに見合ったアドバイスや回答者の文章で 生きる気力を養っていけたらいいですね。 私も参考にさせていただきます。 泣く事も、失った感情の一つを取り戻せますよ。 毒素排出です。

  • wish2006
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回答No.12

今の私も同じ状況です。 はじめは、鬱の症状かと思っていましたが、少し違うのではと気がつきました。 何もやる気がしないのです。 下の方で誰かが書いていましたが、私も休みの日には布団の中で過ごしています。この前のGWも布団の中で一日12時間以上寝て過ごしました。トイレに行くのも面倒で、ギリギリまで我慢していました。 私の場合は、頭の中で答えが出てしまい、何も新しい事にチャレンジしなくなりました。 例えば、英語の勉強をする。英語ができるようになる。ある所で壁にぶつかる。乗り切る。または、挫折する。次のステップに進む・・・。何でもそうです。 人生は、これの繰り返しです。ああ、違うという人がいると思いますが、物事が大きいか小さいの違いだと思います。 なんというか、パンドラの箱を見たような状態です。 結婚して、子供の面倒を見て、楽しく過ごして、両親が死に、子供が成人し、年を取り、死ぬ。 何の意味があるの?死ぬ為に生きているんだよね。そして、行動の範囲は、全て想定の範囲内。仮に例外があっても、それも結果的には想定の範囲内となり、何も生まれない。 人が生きている事に大きな意味は無いのです。 だったら、娯楽・趣味を楽しむとかありますが、人と話すのが嫌いな私には、縁がありません。 意味の無い時間を生きている。生きているけど精神は死んでいます。 生きる気力が無いのです。 私は32歳で独身です。新しいストーリーの本にも出会わなくなりました。読む本はどこかで見た本の焼き直しです。 マンネリというものでも無いと思います。 私も、この人と同様に答えを知りたいです。 勝手にパンドラの箱を開けた希望の無い者として・・・。

noname#61195
noname#61195
回答No.11

今ちょうど同じ状況です。で、気力が戻った時に少しずつ、ネットで自分の状況について調べてたので、これはと思った情報を載せときます。自信、気力がないのは、体にいいストレスとそうでないストレスのバランスが崩れたことが大きくて、その症状として脳内のセロトニン、ノルアドレナリン、ドーパミンが減ります。その結果、気力、自信、運動調節、今の状況から逃げること、戦うこと、ができにくくなり、精神にも異常がきて、記憶力も悪くなりったりもそうです。ですがこれはストレスバランスをこれ以上崩さないための脳が発した自衛法であり回復するためにその感覚に沿うようにと示されたものです。抗欝剤は、ちゃんと飲んでいてもドーパミン、ノルアドレナリン、セロトニンの元となるチロシンをしっかりとっていなければ効かないこともあります。チロシンが多く含まれる食材として、タケノコ(今旬ですね)、大豆、チーズ、じゃこ、などがあります。個人的に一番よかった治療法は、心の中に居る子供(インナーチャイルド)が求めている行動の割合を増やすこと、自分の感覚でいいと思ったことをすることでした。自分(自分を変えたいと思う自分も)を変えようとしないのが一番だと思います。

参考URL:
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%86%E3%81%A4%E7%97%85
  • kohalu
  • ベストアンサー率33% (12/36)
回答No.10

こんにちは。私もあなたのような経験がありました。 小学生の頃から、大学に入るまで何度も死にたいと思いました。それは親の私に対する接し方からくる、友人関係が主な原因でした。両親が厳しすぎて、遊びに行ったりできず、学校は送り迎えをされていたので帰りにカラオケに行ったり、プリクラを撮りに行ったり、なんてしたことがありませんでした。 また、親の希望する高校へ進学できず、3年間嫌味を送迎時に言われたり、高校3年の頃は、クラスの女の子達にハブられたり、つまらぬ目にあい、不条理に痛めつけられ、「卒業式が終わったら校舎の屋上から飛び降りて死のう」なんて真剣に考えながらずっと受験勉強をしていました。 「死にたい」という衝動を何度となく助けてくれたのは夢があったからです。私は、4、5歳の頃から「自分は天文学者になる」という生き方を決めていました。小学生の頃から数学は全然駄目だったので、ハッキリ言って、意地でした。死にたい、と思って夜中に泣いたりしても、「いけない、私には夢があるんだ。この夢を実現するまでは死ねない」と思って、生きるんだ、といつも言い聞かせてきました。 今は、ガラの悪い学生に出会うこともなく、比較的に精神の安定した学生生活を送れています。親にも、一度泣きながら「毎回喋るたびに怒鳴らないで欲しい。そんな大きな声で喋られると気持ちが萎縮して、言いたいことが喉で詰まって喋られなくなる。自分の考えを持っていないのではなく、あなたの怖さに、従わざるを得なくなる」と、10数年間の思いを打ち明けました。私が大学生になってからは、親は、あまり怒鳴ったりしなくなりました。(でも未だに私が学校へ行っている間に、私が使わせてもらっている部屋のゴミ箱の中を調べたり、机の中を見たりしますが。) 私は、楽しいなと思う時期が2、3ヶ月あっても、周期的にまた「死にたい」と思う期間が何年も続くことがありました。今は、楽しいなと思う時期が長く続いている方です。大学の友達には、1年生の頃に比べたら、大分表情が明るくなったとつい先日言われました。 とりあえず、ダラダラとでもいいので生きてみてください。絶対に、反抗することが出来ない世界で、弱腰になって、いつも負けたっていいじゃないですか。「逆に挑戦する」という行動が起こせなくてもいいのです。弱気になって、逃げようとして、状況に負けていたとしても、いつかは、「死ななくてよかったー・・」とぼんやりとでも思える日が必ず来ます。 応援しています。

noname#10464
noname#10464
回答No.9

私も以前同じような心理状態に陥った事が何度かあります。 理由は特にありません。 少しずつの積み重ねなら、あれも理由なのかなと思えることは幾つかあるのですが、大事件が起こったわけではありませんでした。 私も最初は、“生きていても意味ないかも”という思いでした。 振り払おうとしても振り払えず、そのことばかり考えていると段々“死んでみようかな”に変化していきました。 実行に移さなかったのは、私がいないと成り立たない計画があったから。 まずはその計画を果たすまでは生きようと、しばらくは義務感だけで生きていました。 そうやって生きているうちに、周りの人のためにも死ねない、と、少し気持ちが変化してきました。 私が死を考える少し前、私の大切な人が命を絶とうとしたことがありました。 幸い未遂で終わったのですが、その時の喪失感や悲しみは忘れることが出来ません。 そのような辛い思いを、周りの人たちにさせてはいけないと思ったのです。 しかし毎回そう思うわけではなく、“どうせ私が死んでも悲しむ人なんかいない”と思うこともあります。 その時は逆に、みんな私のことなんかすぐに忘れて笑って生きていくんだろうな、と思い、そう思うと悔しくて死ねません(笑) だったら私も生きて笑って過ごしてやろうと思います。 橋田信介さんの言葉 『人生には時々いいことがあるから、是非ね、生き延びて欲しい。』 私の好きな言葉の一つです。 いつもいいことばかりではありません。 時々でいいんです。 その、時々のために、もう少し生きてみようかなと思います。 もしかしたら明日、時々がくるかもしれないから。 とりあえず、どうしても死にたい理由がないなら生きてください。 あなたがいなくなると悲しむ人がいることを忘れないで下さい。 自分のために生きられないなら人のために生きて下さい。 そのうち、自分のために生きてみようと思える時がきっと来ます。 『試練はそれを乗り越えられる者のみに与えられる』 あなたに何があったのかは分かりませんが、あなたが今の状態を乗り越えたとき、今よりずっと大きな人間になっているはずです。 あなたなら成長できると判断して、神様が試練を与えてくれたのです。 どうか神様の期待に応えてみてください。

noname#30427
noname#30427
回答No.8

私の場合、今すぐじゃなくてもいいけど、37歳くらいで死にたいなと思ってました。ジャニス・ジョプリンというミュージシャンを知った頃で、彼女がそのくらいの年齢でドラッグで死んだということを知り、私もそんな感じの人生”で”いいな~くらいの・・・。 夢とか希望とか目標とかがなかったんでしょうね。当時は持ってたつもりだけど、そんなに心から思ってなかったんでしょうね。 自分なんか長く生きててもしかたないし、まぁ楽しいことだけしてすぐ死にたいなと。 でも何だかんだずるずる遊んで適当に暮らしてたら子供が出来て、子供が出来たら色々悩むようになって、それで初めて自分の存在価値が見出せて「長生きしたい!」と思うようになりました。 とりあえず「死にたい」じゃないなら、流されてでも生きてたら、そのうち何かしら見つかるかもしれません。どこでそれが生まれるかはわからないもんです。とりあえず生きてるだけでも、いいことあるかも知れないし・・・。

回答No.7

経験あります。 新卒で会社に入って1年位で会社に行けなくなりました。 会社に行くのが精神的に辛くて、出社拒否です。 半年間休職扱いでしたが、そのまま辞めました。 対人恐怖症でした。 家から一歩も外に出ず、眠ってばかりいました。 眠っている時が一番楽だったので、眠くないのに無理にでも眠ろうとしていました。 1年半位はその状態が続いたと思います。 その時でしたね、死のうとういのではなく、漠然と生きている意味ないなーって考えていたのは。 実際、1回死のうと思って、死ぬ準備を始めたのですが、実行できませんでした。 そんな勇気すらない自分に絶望もしました。 目の前は真っ暗でした。 自分の将来も、笑っている自分も想像できませんでした。 そんな状態の私が笑える日が来ました。 それはインターネットのあるページでです。 「侍魂」。 有名な日記系サイトですが、その時まで、私はこのサイトの存在を知りませんでした。 面白くて、ほぼ全て読みました。 ここのリンクから、「ろじっくぱらだいす。」等、多くのページにネットサーフィンして読みあさりました。 今でも、「ろじっくぱらだいす。」は読んでます。 笑うことができるようになると、不思議なもので、気分にも変化かが出てきました。 しばらくすると、社会復帰してみようと気分になれました。 それからも、失望したり、悩んだり、色々ありましたが、結果として、今私は、社会復帰して、楽しく仕事しています。 何が言いたいかと言うと、きっかけがあれば、人はどうにでも変わるということです。 もう一つは、時間が経てば、気分も変わるということです。 私の場合はインターネット、本、人の言葉、人の行動、などがきっかけで、気分も価値観も生き方も変わってきました。 あなたのような状態の時期があっても、私は良いと思います。 生きてさえいれば、何がきっかけで、自分の人生が変わるかわかりません。 おそらく、あなたには、私とは違う、あなた独自のきっかけがあると思います。 放っておいても、きっかけは訪れるかもしれません。 ただ、できるだけ、色々な事に触れていると、きっかけが訪れるのが早くなるかもしれません。 ネットサーフィンでも良いと思いますよ。 今の気分のまま、ずっと、生きていくことはないと思います。 何かで気分は変わるはずです。 ともかく、生きてください。