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親への憎しみから開放されるには。自分の人生に希望を持つには。(長文です)

 私の親は過干渉で、私の気持ちには無関心でした。アダルトチルドレンを想像していただければいいです。自分自身の人生を大事に思えず、喜怒哀楽のような感情もほとんど無い状態で生きてきました。世の中への興味も薄く、自分のやりたいことやできることを探すことも出来ませんでした。  そんな状態で、親が勧めた分野で大学院まで進学しました。意欲が無く、まともな就職活動もできず、バイトや契約社員、請負での仕事などをしてきましたが、もう限界で、この半年は仕事をしていません。今、生活はやむを得ず兄弟に頼っています。私は29歳ですが、もう人生が終わったような気がしています。  必要なのは自分を育てなおすことだと、この半年いろいろ本を読んだり、人の話を聞いたりしました。その中で、ある分野に興味が湧いてきました。しかしその分野は自分が専攻してきたものではなく、専門学校で学ぶ必要があります。それをするお金はありません。奨学金や借金ももう厳しいです。  世話になっているカウンセラーと、「あなたの性格は公務員に向いているかも」というやり取りをしました。しかしもう年齢制限です。とくに公務員に興味はないのですが、どんどん選択肢は狭くなります。  こういったことを考えると、悔しくてたまりません。 親を責めても仕方ないし、自分自身で切り開いていかないといけないということは頭ではわかっています。しかし、親への憎しみが消えません。明らかに親の育て方から、青年期までに私の心は完全にスポイルされました。未来に希望が持てないまま、どんどん状況が悪くなっていっています。この憎しみはどうしたらいいのでしょうか。この状況で自分の未来はどう描いたらいいのでしょうか。

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  • mayu_z
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回答No.13

No.11に引き続き再びの投稿になります。mayu_zです。 chercherさん、お礼の言葉をありがとうございました。 そこに、 >これだけ聞くと論理的じゃないようですが とありましたので、私が >ここまで何が私を支えてきたのか >その一番大きい要因は、やはり自分が将来やりたい事を諦めずに持ち続けてきた事でした。 と言った事に関して、蛇足かもしれませんが、ちょっとした参考までに少々補足をさせていただこうかと思います。 でも、これが論理的なのかどうかは、生憎私にはよくわかりませんが、とにかく少し詳しくお話しさせていただきます。 >私の気持ちには無関心 だった両親に育てられた私には、自尊心というものがやや欠けていました。 本来ならそれは、まず幼少の頃は親や兄弟等、身近な関わりを経て育まれていくはずのものでした。 ですが、その幼少の最初の時期で親(特に母親)に育児をしっかりしてもらえなくてスキンシップも極小で、その後もコミュニケーションがかなり不足してたり、小学生にして親や兄に対しても裏切られたと思うような出来事も起こったりして、おそらくそんなことが重なったため、その後の幼年期青年期と、人間関係に悪影響が出てました。 友達と長続きしなかったり、仕事が長続きしなかったり。 五年くらい引きこもった事もありました。 我ながら、長い反抗期だったと思います。 それで、当時そんなだった自分に「自分のやりたい事」がどんな影響を及ぼしたかというと、まずそれがひとつでもあると、多少嫌な事や悪い事があっても、バネにできます。 たとえば仕事が多少うまく行かなくても、自分のやりたい事の為にお金を稼いでいるんだ、と思えば、なにもないよりは少しは踏んばりが利くようになったりします。 それから、それが本当に自分のやりたい事なら、それをどんどんやっていくうちに、いつのまにか、誰か応援してくれる人が出てきます。または、同じ道を志す仲間に出会う事もあります。 そうしていると、だんだんと、自分の世界が広がって行きます。 もちろんその中では、成功する事も失敗する事もあるでしょう。でも、自尊心が欠けていた自分に大切だったのは、表面的な成功や失敗という事よりは、自分の選んだ選択のその結果によって一喜一憂する事、それ自体だったのです。 自分の手で選んだ失敗だからこそ、本当に悔しくて「次こそは」と思えるし、自分の手で選んだ成功だからこそ、ほんとうに身が踊る程に喜べる。 それは、心が動くということ、つまり「感動」です。 自分に少しでも感動する事が自分にはとても必要だったのです。 そういった経験を積んで行く事で、少しづつ自分がかけがえのない存在だと思えるようになっていきます。 少しづつ、自分の事が好きになっていきます。 失敗しても、成功しても、一生懸命やってる自分が、なにものにもかえがたい、世界にたったひとつしかないものだと感じることが徐々にできてきて、愛おしくなって行きます。 そうして自尊心が少しづつ育まれ、自分の事を愛せるようになってくると、それに伴い人の事も少しづつ愛せるようになってきます。 人、というのは家族であろうと皆人です。 これらを、理屈ではなく、頭ではなく感覚として、ハートで感じていきます。 そしていつのまにか、親の事など考えてるヒマなんか、少しづつなくなっていくのです。 chercherさんの現状では、今は家族、特にご両親にかなり 一点に意識が集中してしまってるように感じますが、以前私もそのような時がありました。 だけど、自分のやりたい事、自分の世界が大きくなればなるほど、意識の比重は当然そちらが重くなってきますから。 それまでご両親に向けられていた意識も、すこしづつ弱くなってきます。 そうして最終的に親から完全に離れられれば、精神的自立、と言う事になるのではないでしょうか。 >バイトでまかなえる額でもないので専門学校自体は諦めざるをえないかもしれませんが、 >自分が興味をもったこととして大切にし、なんらかの形で生かしていこうと思います。 今回は無理でも、また次があります。 人の夢は、ひとつとは限りません。 複数の夢を持ってる人も中にはいます。 それに、今やりたいと思ってた事からどこか別のものに繋がっていて、それが発展する、という事だってあります。 また、「自分が将来やりたい事」と言っても、稼ぎになるような仕事だけがそれに当てはまるわけではありません。 自分の本当にやりたい事なら、それが趣味でもなんでも、自分の精神的支え、ひいては生き甲斐になる可能性だって充分あります。 また、趣味でやり始めた事がいつのまにか仕事になることだってあるかもしれません。 そんなわけなので、自分のほんとうにやりたいことは、自分にかなりの生きるパワーを与えてくれます。 ですから、chercherさんもけっして諦めないで。 もしも諦めて下を向いてしまっていたら、とっさにチャンスがきても、気付くことなく終わってしまいます。 チャンスを見逃さないためにも、けっして目は閉じないでいてください。 少し時間はかかっても、いつか必ずやりたい事に辿り着けるように。 chercherさんが活き活きと暮らせる日がきますように。 心から祈ってます。

chercher
質問者

お礼

 重ね重ねありがとうございます。  誤解されていたかもしれないのですが、論理的じゃないというのは、いい意味で使っています。やりたいことを諦めない→親を許すことになる、と直結しないけれど、文章の全体や雰囲気から、ご自分を大切にしてこられたことがひしひしと感じられ、一見論理的じゃなくても本当に信じられるということが言いたかったのです。  mayu_z様も、成長過程で私と似たような経験をし似たような悩みを抱えていらっしゃったのですね。いや、私より深く長く悩まれたのかも知れません。その中でご自分のやりたいことを慎重に丁寧に大事に大事に育ててきたんだなあと思います。私はまだ自分を大切にすることを始めたばかりですが、mayu_z様がご自分のやりたい道を歩み出してからの、生き生きとした人生が感じられました。うらやましいくらいです。  私は絶望的なことばかり書いているけど、ああ、やはり希望はあるじゃないか、という気持ちも持てました。ちょっとずつしかできないけれど、毎日自分を大切に自分のやりたいことを少しでも前進させられるように心がけていきたいです。mayu_z様の体験されてきたような世界の広がりを私も体験したいです。まだ私には先の話ですが、成功や失敗の話、応援してくれる人や仲間の話、親への意識の変化の話をよく覚えておこうと思います。  ありがとうございます。    みなさんこんな私の話につきあってっくれて、本当に感謝しています。お会いできることがあれば直接感謝の気持ちを現せるのになあ、とぼんやり考えています。

その他の回答 (14)

  • tootyann
  • ベストアンサー率29% (57/194)
回答No.4

親を憎み続けることがあなたのパワーになって、あなたが次のステップにたどり着けるのであればそれでもいいのではないですか。変な意味ですが親を利用してください。  私自身父親を恨んでいます。あの世に行って数年になりますがまだ自分の中で父を許せません。他人が聞いたら笑ってしまうような理由です。  時たま父のことを思い出します。親として初めての経験について重大な判断しなければならないとき、父だったらどうしたろうと考えたりもします。それでも許してはいません。  とても不幸なことだと思います。でもどうにもなりません。今は父を嫌いな自分を受け入れるしかないのです。 >明らかに親の育て方から、青年期までに私の心は完全にスポイルされました。 そうですか。残念でしたね。子供は親を選べませんが、親も子供を選べません。育て直しも出来ません。 あなたの未来はあなたのものです。親が創るものではありません。親に反発することは大切なことです。「反抗期」といいます。あなたは今反抗期なんです。 一つだけ提案します。 独立して一人暮らしをはじめませんか。すべて自分だけの力で生きてみませんか。 新しい世界が開けると思います。

chercher
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 他の方からもアドバイスをいただいていますが、やはり自活しかないみたいですね。 もう亡くなられているのに続いているのですね・・・。私はもう私の親が死んでくれるしか方法がないような気さえしているのですが、そう簡単なものではないみたいですね。  私自身、普通反抗期になる10代の頃に反抗期にならなかったのでtootyann様のご指摘は的を射ています。  tootyann様はどう親への恨みをご自分の人生に昇華できていらっしゃるのでしょう。。。

  • ShRoud
  • ベストアンサー率37% (14/37)
回答No.3

まず親への憎しみですが、持っていて構わないと思います。ただその憎しみの質を見極め、分解していかなければいけません。親御さんの具体的にどういった行動が憎かったのか冷静に振り返り、自分はそういう人間にはならないと思うことです。子供に必要なことをしてやれない親はある意味かわいそうな人かもしれません。その親もまた親によって育てられてきた人間です。そして親のほうは、自分はまったく正しい育て方をしてきたのだと自信満々であることが多いかと思われます。chercher様は年齢的にも独立されてますから、今更親御さんの考えを修正することはできませんし、やはり自分が大人になって親を一人の他人と見なし、ああこういう人もいるのかぐらいに思ってみてください。 この親のせいで自分はこんなふうになってしまった、という気持ちはわかります。しかし親も望んでそういう人間になったわけではない(かもしれない)ということです。私はこの方法で親への理解を深め、いまだにあのときの行動には納得がいかない!と思っていることがあるものの完全な憎しみからは解放されました。 次にこれからですが、最優先事項は就職ではないですか?育てなおしについて興味を持たれ、学ぶ意欲があるのは良いことですが、生きていくための学習は働きながらでもできます。むしろ働いていろんな問題に立ち向かいながら本を読んだりしていくほうが良いのではないでしょうか。育てなおしは頭で学ばずとも自分でできると私は思っています。いまが大人の0歳だと思ってスタートしてみては?バイトでもいいですし、とにかく生活は自立できるようにして、精神的な部分を一から築きあげてみると良いでしょう。 これ以上親からの呪縛にとらわれて人生無駄にしたくない…そう気づいたからには、そこから自分で歩む人生を始めることができると思います。 それと、ご兄弟がいらっしゃるということですが、ご一緒に育った他の方々はどうなのでしょうか。何も言っていませんか?また、相談などする状況にありますか? もう人生が終わったなどと思わずに、こうして悩み成長しようとする立派な心を持つことができたのはあの親に育ててもらったからだと思って、新たなスタートを切れるようがんばってください。

chercher
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 他の兄弟(姉)は強迫的な性格ですがなんとか社会生活を営んでいます。あまり親身に相談できる人柄ではないです。特に私が親を憎んでいるということは直接相談していません。 私も、そろそろ自活することが大事だと感じています。しかし今までのこともあり、激しく躊躇しています。明らかに今できること・やりたいことがあれば躊躇とも言えますが、それも見失いつつあります(質問本文のような状況です)。悪循環です。 親を相対化してひとりの人間として見る、というのがなかなかできません。ShRoud様が親への理解を深めた方法をもう少しお聞きしたいです。。。

回答No.2

 役に立つかどうかまったく分かりませんが私が考えていることを書いてみます。あなたは全て外部の条件でやりたいことができないようにあるいは出来なかったと考えていませんか。あなたは興味があることが外にあると思っていたのでしょう。そしてそれをあなたが見つけることを親御さんが邪魔をしたと考えているように思えます。  結論的に言うとそれは完全な誤認だと思います。大学院まで行っていまだに自分が何に興味を持っているのかわからないというのはあなたの進路の問題のせいではなくて、探す場所が間違っているからです。人は自分の頭の中にひとつの世界を持っています。興味があるとかないとか言うのは頭の中の世界のことです。この頭の中の世界を外の世界と重ねてみたとき外の世界の中に興味がある対象が見つかるわけです。今まであなたが経験した場面の中であなたが興味を感じない対象を面白いと思う人が必ずいたことあるいはいることを,いくつでも思い出すことが出来ると思います。大切なことはここのところです。つまり面白いものというのは外ではなくて頭の中にあるわけです。いわゆる引きこもるのではなく,自分の頭の中の世界をイメージして改めて一体自分はどんなことに興味を持っているのか頭の中を捜してみたらどうでしょう。逆説ですが,そうやっても何も興味があるものが見つからなかったら、外に興味があるものが見つかるはずがありません。もう少し自分の頭の中の世界のことを大事にした方が良いのではないですか。自分の頭の中の世界を大切にしない人は客観性を失っています。独り善がりの人は自分の頭の中の世界を粗末にしている人です。これも逆説です。あなたは客観的であろうとして自分の頭の中の世界を粗末にしてきたわけです。興味は頭の中にしかないということをもう一度考えてください。あなたが気がついていないのはあなたが自分の頭の中の世界をないがしろにしていたことではないかと思います。くれぐれも頭の中の世界を大切にするということがなければ親御さん始めあらゆる外の世界のものも大切に出来ないということは忘れないでください。

chercher
質問者

補足

回答ありがとうございます。  どうなんでしょうか。私は親の支配的な感情によって自分の感情がないがしろにされ、無感動、無気力な状態にされたと思っています。例として専門学校のことと公務員という、外的な要素を書きましたが、そういった外的な要素に対しての興味が阻害され薄いものになっていると思っています。  そういった内的な興味・心情(kaitaradou様の言う頭の中の世界)をないがしろにしてきたのは親だと思っています。その上で自分自身を大切に育てようとして努力しています。  よく、酒の席なんかで、「俺は本当は何々がしたかったんだ、金や身分があったらもっとやりたいこともできたのに」とか愚痴る人がいますが、あなたの言う、外的条件だけで自分の興味を大事にしない人っていうのはこういうことじゃないでしょうか。

  • verde715
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回答No.1

過去も現在もすべてを受け入れるしか方法はありません。すべてを受け入れた上で、まず自分自身を許し、それから周りの人すべてを許すことで苦しみから解放されます。憎しみの感情がある限り現状を打破できません。そのためにすべてを受け入れて、自分も含めてすべての人を許すことです。他人は変えられないのですから、まずすべてをあるがままに受け入れてください。そしてすべてをあなたが許せば、必ず先に進めます。一晩、ゆっくり深呼吸をしながら、自分、現実と向き合ってこの作業を行ってください。必ず、道は開けます。それから、あるがままのあなたを受け入れてくれる人を一人でもいいので見つけてください。その人が救ってくれます。

chercher
質問者

お礼

ご回答ありがとうござます。 まずは全てを許すこと、そうすれば憎しみは消える、というのはもっともだと思います。実際、心理的な原理としてはそういうことじゃないかなと思います。 僕も現実を受け入れるために、カウンセリングに行ったり、親と手紙をやりとりしたり、なんとか仕事をしてみたり、親のことや自分のことを分析したり、いろいろ考えあぐねたりしてきました。しかし、どうしても許せないというか、もっとも大事な時期の感受性を育てることを阻害された、という重みがあまりに大きく、どうしても憎しみを乗り越えられません。 全てを許すってキリスト教みたいですね。信仰があれば乗り越えられそうですが。