• ベストアンサー

父の他界で思ったこと。

二度と会えない、何もしてやれなかった等悔しさがあります。下のことについて意見をいただきたいです。私は始めてこんなこと考えました。 1. 子供のとき甘えさせてくれただけではなくお金、心身ともに助けてくれた親より子供に愛情が集中。親はほとんど放っておいてしまいました。そして、いつか立場替わり自分になついてくれた子供と距離ができ将来最後には子供は結婚し別れることは、言う権利はないし強がっていたが本当は寂しい。どうしたらいいのか・・・? 2.ほんの数十年後に来る、永遠の別れ、愛情いっぱいの家族・子供との決別、子供時代の楽しい思い出との別れを待つ絶望感というか、空虚感。 人生は長いと考えてたし死なんて遠い感じで自分もまだまだ子供だもん・・・と思ってましたが人生はすぐ終わるんだな、虚しいなと思うようになってしまいました。 3.皆さんは親への孝行はしてるのでしょうか? 1つでも助かります。どうかお叱りでもいいので助言ください。思いつめてしまいそうで・・・。

質問者が選んだベストアンサー

  • ベストアンサー
回答No.1

 私は結局人間の頭で考える限りひとはすべて孤独が原理であって孤独でないというのは錯覚であると思っています。又自分の子供というのも錯覚です。誰の遺伝子で自分が出来ているか誰も知りません。もっと言えば自分を自分と思っているこの自分とは何者なのか誰も分からないわけです。人はこんなに分からない事ばかりなので何とか錯覚でもいいから安心ができる根拠を求めます。人間の心はどうして命が短いのかと嘆きます。それは体の都合ですが、心には都合が悪いわけです。心の都合から言えば永遠に生きたいということになります。永遠と一体化することによって永遠に生きようと古来、人は苦心してきました。人類が直面している究極の問題は永遠とどのように向き合うかなのだろうと思っています。おそらく原理的に分からない自分というものが永遠そのものかもしれないなどと考えていますが、誰もそのわからなさを普段は忘れているかあるいは心からおいはらっているだけではないでしょうか。身内の不幸などの出来事はいやおう無しに自分というものの不可思議さを思い出させます。分からないのはあなただけではありません。むしろ何でもわ分かるはずだと思うことが誤りなのではないでしょうか。このことと投げやりになる事とはまったく別のことです。言葉が足りないと思いますが、何かの参考になればと思います。

cocoamilk
質問者

お礼

kaitaradou様 >ひとはすべて孤独が原理であって孤独でないというのは錯覚である >おそらく原理的に分からない自分というものが永遠そのものかもしれない 非常になるほどと感じました。人間ってみんな孤独なんですね。私だけではないんだ。 永遠なのは不可解な自分・・・やっぱり空しいですね。 >何でも分かるはずだと思うことが誤りなのではないでしょうか 私は考えればいつかわかるようになると思っていました。だからまじめに死・生を考えてしまったのですね。 とても参考になりました。ありがとうございます。

その他の回答 (2)

noname#201556
noname#201556
回答No.3

「親思う心に勝る親心」・・ >お金、心身ともに助けてくれた親より子供に愛情が集中。親はほとんど放っておいてしまいました。 これでいいと思います。あなたの親父さん(親)も ご両親よりあなた(子)を愛してこられました。 わが子を思う親の気持ちは子が親を思う気持ちよりも 桁違いに大きいものです。 しかもその愛は無償です。 >二度と会えない、何もしてやれなかった等悔しさがあります。 二度と会えないですね。でもそれは物理的に 会えないだけですよ。親はいつでもあなたの中にいて いつも羅針盤として生きています。 いくら親にしてあげてもしすぎることはないです。 後悔だけが残ります。 「後悔だけが人生です」 私も4年前に親父を亡くしました。 最近になってやっと親父は戻って来れない所に 行ってしまったんだと思えるようになりました。 いつか死ぬのに何で生きるんだろう。 なんで生まれてきたんだろう。 こんな事言ってたら20の息子に 「50近いおっさんの言うことでもなかろうが!」って 言われそうです。 でも「人間の生と死」 永遠のテーマ、かな・・。 うまく言えないですけど強く生きてください。

cocoamilk
質問者

お礼

kiyotti様 アドバイスありがとうございます。 >わが子を思う親の気持ちは子が親を思う気持ちよりも桁違いに大きいものです 確かに私は子供に時間をたくさん使ってます。でも親にもできる限り会ったりお話したりする時間を持ちたいです。

  • yoko12
  • ベストアンサー率39% (17/43)
回答No.2

お悔やみ申し上げます。 お気持ちお察しします。 5年前の今日私は父を亡くしました。 命にかかわるような病気ではなく入院していて、「お正月は自宅で迎えたい。家の風呂に入りたい」 の希望を叶え、家族が集まり楽しく新年を迎えたはずだったのですが、元旦の夜、「寒気がする」と、あんなに嫌がっていた病院に自ら「戻りたい」と言い、病院に連れて行き、その翌朝の突然のことでした。 どんなに看病しても、どんなに親孝行しても、後悔はするでしょう。 その気持ちが穏やかになるまでには時間もかかります。私は今でも思い出すのがつらいです。 私も質問者様と同じで、自分の家族(夫、子供、義両親)中心の生活でしたから。 ご質問の回答ですが。 1.ご両親の一杯の愛情ですので、幸せに思っていてあげたらいいのではないでしょうか。 2.これは私もわかりません。   ただ、むなしいとは思わず、いずれは自分もその時が来るのだな、と受け入れられました。    3.自分が満足のいく孝行はまだまだしてあげていません。ただ、一人暮らしになった母親に私の気持ちは伝わっていると感じています。 いつも母のことは心がけています。 お役に立つことは何も回答できませんが、親を亡くして初めて知ることもたくさんあるかと思います。 その気持ちが大切なんだと私は感じています。 普段の生活で心がけていくことができたらいいのではないでしょうか。  

cocoamilk
質問者

お礼

yoko12様 ご回答ありがとうございました。 お母様へのご孝行尊敬いたします。家庭を持つとなかなか余裕が持てなくなりがちです。育児、家事、仕事等。 >どんなに看病しても、どんなに親孝行しても、後悔はするでしょう。 そうですね。満足する孝行はできませんが会いにいくとか些細なことでも心がけて行きたいと思います。