• 締切済み

なぜそうなるのか?ちょっと長いです・・・

それまで仲が良かった人に対して急によそよそしくなる自分が理解できないんです。 何も原因が無いわけでは無いと思いますが自分自身 その原因については全くわかりません。 勤め初めて2年目の職場での出来事なんですが 僕はその人ととても仲良くさせていただいてます。 その人も明るくて優しく誰にでも好かれる性格の持ち主で僕だけでなく皆と仲の良い人でした。 その人はよく職場に娘さんを連れてきていて僕はその人の娘さん(まだ幼稚園の年中さん)とも仲が良く その人が忙しくて抜けられないときは変わりに幼稚園までお迎えに行ったりもしたんです。 ただ最近になって僕自身が前みたいにその人と接する事が出来なくなってるんです・・・ むしろ僕はその人を避けてるような気もするんです。 なぜかは僕自身にはっきりとは分かりません。 ただ言葉で表すのは難しいのですが僕がその人に抱いていた気持ちが前と今とでは変わっているということで、それは決して悪く変わったわけではないということです。この自分自身の気持ちの変化が何なのか? 是非皆様の意見をお聞かせください!

みんなの回答

  • miboujin
  • ベストアンサー率45% (259/572)
回答No.4

ご質問者さんとは違う理由かもしれませんが、私も実はそうなんです。私も考えた事があり、その理由を書いてみます。 (1)私は程よい人間関係は好きですが、ベタベタされるのが、大の苦手なんです。 人との付き合いって、自分がされたら嫌なことを潜在的に意識した上で、それぞれが作っていくようにに思います。だから、一線引いてしまいます。 でも、↑これはご質問者さんに当てはまらないように思います (2)ご質問者さんにとって、「その人」は「すごく良い人」なんですよね?また「その人」にとっても、ご質問者さんは「すごく良い人」何だと思います。 ここが難しいところで、人間て良いところばかりではないのです。「良い人」のままでありたいと思う反面、窮屈さが生まれます。また「良い人」でありつつける為に、「間」がおきたくなります。ココが問題なように思うんです。 ご質問者さんの事をを、いつも「良い子だ、良い子だ。」と誉めてくれる人がいるとします。これは嬉しいけど、窮屈です。誉めてくれることは嬉しいけど、その人の前で「良い子」であり続ける事は、苦痛です。 要は「素」のご質問者さんで接してないのではないのかな?と言う事です。 漠然とした答えですが、私は「すばらしい人」の前では、私のなかで「相手に恥ずる事の無いように」と言う姿勢や、「良い人で有りつづけたい、良い関係でいたい」自分を作ってしまうのです。これは、私の欠点です。これが、自分の中で、重荷になってしまうのです。「良い自分」でありつづけられるわけもなく、結果、理由もなく、避けてしまいます。 恋人でも身内でもない、折角の良い関係。壊したくないけど、素の自分ではない・・。ありのままで付き合えたらいいけど、それも不安。 当然、相手が悪いわけでは有りません。自分の至らなさです。 こんな感じで、私はよそよそしくしてしまうんです。 ↑この気持ちが、今のご問者さんの気持ちに似通っているように感じたのですが・・。 たぶん、ご質問者さんと「その人」は、人として、心のどこかで通じ合えるところがあるのでしょうね。でも、良い自分ばかりを見せすぎたのではないでしょうか このあたりが、私なりの「ご質問者さんへの答え」の様に感じました。 蛇足ですが、避ける事無く、人としての良い関係は続けられるんですよ。ご質問者さんが、失敗談をたくさん話してみたり、少し頼ったり、我侭を言ってみたり、、。また、「その人はいい人」という見かたを、「良い意味で崩す」つまり、。。・・つまり。。うまくいえない!!!うまくいえない!!うまくいえない!!!!・・・なんて言えばご質問者さんにうまく伝えられるのだろう。。!!!!(爆笑♪(⌒▽⌒)アハハ! (要するに、素で有れるよう、軌道修正すればいいんぢゃよ。心配せんでも、お互い認め合える根っこがあるんぢゃし、巣の自分を出したところで、今よりもっといい関係が出来るとおもうんよ。相手は大人だし。チョットずつ、悪い子の自分も笑える範囲で出していってみなはれ。←と言いたい!んだと思う♪(笑) うまく伝えられなくてごめんなさい。ピントはずれなら、さらにごめんなさい。

ggkli
質問者

お礼

ははは(笑) お返事ありがとうございます! なんとなく分かります、その人に対して自分がどうだったかをmiboujinさんの書いてくれた事に当てはめて 振り返ってみたらこんな事かな?っというのが少し 分かった気がします。ただ素の自分で接していなかった・・・どこか無理をしていた?となると素の私は いったい何処にいるのだろう?と新たな疑問が出てきました。私自身は素で接してたつもりなのですが 実はそうでなかったっということなのでしょうか? うーん今度は私自身が分からなくなってきました・・ こんがらがってます! でもおかげさまで私自身もうまく言えないのですがこの文を読んで何かつかめた気はします。 どうもありがとうございました!

  • seiso
  • ベストアンサー率20% (73/352)
回答No.3

こんばんは。 まったく自信はないのですが、感じたことを書かせて頂きますね。 ggkliさんは、その方に無意識にでも、ご自分の理想像を重ねていらっしゃったのではありませんか? 私達の心の中に存在する二つの部分があると思います。 ○魂(真我)の部分  陰徳  利他   循環  つながり  永遠 ○自我の部分  主張  自利  直線  断絶   刹那 人にも成長段階があり、ひとつひとつステップを踏みながら、レベルを上げていくと思うのですが、そのプロセスにおいて、この魂と自我の間を揺れ動きます。 人によってはほとんど無意識に近い状態で、魂の部分に融合しようとするために、そのために”軋轢(あつれき)”が生じます。 それが”苦悩””葛藤”であったりします。 そしてお相手があるということは、相手は自分を映し出す鏡ですから、相手を通して自分をみることができます(投影、反映など) 相手が素晴らしい部分を持っていたりする場合、先ほど上記しました自我の部分で、当てはまることはありませんか? 自分の持ってる負の部分があると、それが浮き彫りに(クローズアップ)されて引いてしまうのがこのしくみです。(この負の部分は、文面からですとわかりませんが) 例えば、 魂(真我)の部分で言うと「つながり」を求めているのに、自我の部分では、「断絶」で、言い換えますと、避けようとなさっている貴方がいるわけですね。 自然の法則に則って、自我を通り越して、魂の部分に融合できるようになるのが、本来の進む人の道ですから、このプロセスを踏んでいく段階で、おそらく上手く融合できない部分があるのではないかと思います。 (もちろん、私もそうなのですが。) 心の奥深いところでは、求めているのに、実相の世界では、その意識とは裏腹に”反動”という形を取ったりします。 ですので、 >ただ言葉で表すのは難しいのですが僕がその人に抱いていた気持ちが前と今とでは変わっているということで、それは決して悪く変わったわけではないということです ひょっとしたら、貴方の生育歴において、関係していることかもしれません。 この変化は何かと問われれば、お答えとして一番近いのは、おそらく親子間で言えば、子どもが自然に親から巣立って(自立)いくように、お相手が親ではなく「その友人の方」の違いだけであって、「未完成の自我から大人の確立されようとする自我への変化」ではないかと思うのですが、いかがでしょう。 見当ちがいでしたら、御容赦くださいね。

ggkli
質問者

お礼

ありがとうございます! 専門的に解説しれいただき、あぁそうなのかな? っと少し自分自身を客観的に見ることができました。 自我への変化・・・まだまだ僕は子供だと言うこを 改めた認識させられました! ありがとうございました!!!

noname#56526
noname#56526
回答No.2

こんにちは。 私は社会に出て早くも5年以上経ちました。あまり人付き合いの上手いほうではなく、学生の時から、もともと友人も少なかったのですが、卒業して社会に出てしまうと、結婚や転勤であっという間に仲の良い人が激減してしまいました。ですから基本的には、社会に出てからできる友人知人は大切にしたいとは思っています。が、なかなか学生のときのようにこの人達となら!と思えるウマのあう人と出会うことは難しいと感じてます。まして様々な年齢の寄せ集めである会社内なら、なおさらです。 ggkliさんは、どこか無理してたのではないですか?せっかくだし・・・という気持ちが悪い意味でストッパーになってませんでしたか? 仕事もあるし疲れてきていて、自分で一杯いっぱいになって、余裕がなくなってるんだと思います。 でも会社で出来る知人は貴重な存在です。 せっかくですから、ちょっとしたグチでもその方にこぼしてみたらどうでしょう?(だらだら毎回では駄目ですよ。嫌われます。)そこから、深い最良の友人になれるかもしれないですよ。

ggkli
質問者

補足

すいません僕の説明不足だったんですが 職場と言っても僕はフリーターなので皆さんの言う 職場とは少し考えが違うかも知れません・・・ しかし知り合った友人は大切に・・・ という言葉には共感できました。 ただそれは分かっているのですが素直になれない 自分がいるということにも気づきました。 なぜここ最近、急にその人に対して素直になれなく なったのか、それが今でも僕の中の謎です。

  • ns0817
  • ベストアンサー率27% (73/263)
回答No.1

恋人や夫婦関係ではないですけど、接する期間が長くなると、必然的にその人の良いところ悪いところが見えてきます。良いと思う時には、羨ましいと思ったり、悪いところは、良いところに比べ強調されますし、場合によっては、裏切られたような気になることもあると思います。その他でいうと、煩わしくなったり、その人が、異性か同姓か分かりませんが、異性だとしたら、恋愛感情が芽生え始めたりすると、近づこうとするか・・・自制して距離を開けたり、避けたりといったこともあるかもしれません。また、お子さんと接する機会もあるとのことで、親子で仲が良かったりすると、羨ましく思ったりすることもあると思います。羨ましい気持ちは、強くなるとねたみに変わることもあります。 ある意味、その人(若しくは親子関係?)に抱いていた気持ちの変化が大きく関係しているのではないでしょうか?参考にはならないかもしれませんが、1つの意見です。

ggkli
質問者

補足

説明不足ですみません! その人は異性です、でも年齢は僕より全然年上です。 羨ましいというとその人とその娘さんとの親子関係 ですか?確かに良い親子関係だと思いますが それを羨ましいと思いそういう風になったとは 思いません、なぜか?それはその娘さんと接しているあいだ、その人と接してるあいだ、僕は楽しい時間を すごさせてもらってるからです。 これは間違いなく自分の本心から言えることなので そのことが原因とは考えにくいんです・・・ すいません何かはっきりしなくて。 でも貴重な回答ありがとうございました!

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