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音程についてはずしてるとかいう時意見が違うのは?
私は結構子供の頃からムードのある歌い手を聞かされて育ちました。それで1つ疑問に思うことがあります。プロの先生に聞いても音をこの人はずしてるとかいうときそれぞれ意見が違うのです。私は数年前結構味のある歌い方をしている人の歌に感動してたらこの人音はずしてるねファンの人にいわれました。私にははずしてるようには聞こえなくむしろ情緒をだしてうまいと思いました。彼は世間的にはまだ認められてなくて事務所とかの売りが違うもので。反対に多数がうまいという人の歌を聞いてバラードであっても盛り上がりがかけるし、ただ自分の歌いやすいキーをそのままメロデイ旋律とってるだけに思えるのです。時々音楽番組を聞いててゴスペラーズをはずしてるというけど。それもまた意見が違いました。音をはずすという事に関して意見がプロでも意見が違うのは音楽というのは変に瞬間聞こえたりが多いからですか?私は子供の頃から音楽やってますがこの人はずしてると思っても2回目同じのをビデオで見直すとあーこういう曲だったのだ。とか思うときもあるし。特にバンド系の曲だったりしたらそういうこと多いです。(もちろん誰もが一致する音痴は当然ありますよ)
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- naturalhigh
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質問を拝見させて頂きました。 私はヴォーカルや音楽業界全般を学んでいる1人の人間です。 参考になるかは分かりませんが、お話します…。 音程が外れていると感じる要素として、主に (1)絶対音程から外れている (2)バックバンドとの音程から外れている、の2つがあげられます。 (1)ですが、絶対音程とは、音階というものは数値的に定められたものがあります。例えばラの音は440Hzなどです。その音から外れているということです。特に人の声は、必ずしも1つの音を出しているわけではありませんので、聴く位置や音の調整の仕方で音程が微妙に変化します(音響の仕様具合も含めて)。また、元々聴く人自身が持っている音程というものもあり、それは今までの生活してきた環境などによって違うため、同じ状態で聴いても、聴こえ方が違ってしまうこともあります。 (2)では、バンド形態やゴスペルの時にあることですが、バックの人たちのチューニングが下がってきてるのにもかかわらず、メロディを歌う人は、元の絶対音程のままで歌ってしまい、聴いてるほうとしては違和感を覚えてしまう、ということです。質問にあったゴスペラーズの場合も同じで、あるメンバーが歌ってる間にも音程が下がってきてるのに、それを意識せず、絶対音程を歌うメンバーがいる。だから、「外れている」と感じてしまうのです。絶対音感を持っている人が聞けば、誰が外れて、この人が正しいとはっきり分かりますが、通常では分かる人が少ないので、それぞれの意見に分かれて、結論が出なくなっちゃうんですよね。 心地よい外し方は、人によって多少の差がありますが、やはり、きちんと絶対音程で歌えて、感情をしっかりこめることが出来た上で、意識的にここで外そう!と思って歌っている人の方が、より多くの人に受け入れられているのも事実です。最近ではきちんと基礎的なことをせず、ニュアンスだけで外しにかかる人も多く見られますが、こうゆう人は聴く側にとってやっぱり好き嫌いがはっきり出ちゃったり、普通以上に「外してる」と思ってしまう人が出てしまいますよね。 ちなみに、2回目になぜ「こうゆう曲だった」と思えるかというと、それは単に耳が慣れてしまうからだと思いますよ。 生意気なことを言ってしまいましたが参考になりましたでしょうか?
- Mystleaf
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好きな曲、嫌いな曲があるように、 心地よいはずし方というのが人によって違うので意見が食い違うのではないでしょうか? 同じ曲でもコードを変えれば違った雰囲気の曲になりますが、 原曲とは違うコードでどれが好きかと人に聞いていくとまた意見が分かれると思います。 その原曲と違うコードの原曲で行ったり来たりしている状態が 「意識して外している」状態だと思っています。 まぁあまり音楽に造詣が深くないのでうまく言えませんが、 個人の心地いい音を求めていくと絶対好みの分かれる部分が出ると思いますので、 「ああ、こういう歌い方もあるんだな」位で人の歌い方を聞いてみるのもいいのではないでしょうか?
補足
有難うございます。一般的に聴衆がいう時あはずれてるという言葉を耳にすると失策もしくは音痴とこの歌手思われてるんだと思ってしまいます。それと私の耳で聞いてこれはうまい歌唱なのにどうしてだ。となってしまうこと何度かありました。私的には一般語のはずすという言葉に反応してしまいますが音をはずすという感じかたをある人ははずしている。ある人ははずしてない。となったとき失策、音痴か本当にうまくても失策に感じるかはその個人の感じ方にたくされているのですね?ピアノ音ではずしてるかどうかを証明するにしてもピアノの音と人の声質は違うから。プロでも失策かその人の癖やアレンジで失策に感じるか失策でなく声の癖やアレンジというプロもいるわけですね。他に意見があればよろしくお願いします。
補足
あが有り難うございます。お礼をいわせてもらうと同時に音楽をやってられるだけあり大変役にたちました。私がうまいと思ってる方がはずしてるかどうかというのは実際私がnaturalhigh様に聞いてもらわないと答えがでないかもしれません。しかし、一般的にはずしていると人がいって一致しないときは聞く人の環境もありますよね。しかし、音楽は絶対音だけを誇張する曲だけでなくたとえばキーボードの横に4分の1音さげるとかあげるとかそういう装置がついてますよね。むしろ絶対音でやるよりその方が雰囲気がでることもありますね。人の声にもいわれたように1つの音声だけでなりたってないのもあるのと仮に4分の1音上がり下がりがでてもこれは絶対音がとれる段階でやったこととかあえて作品として味をだすためと聞き惚れることができるか違和感があるかはその人自身ですね。私としたらプロから聞いてこの人はうまいのか下手なのかにこだわってました。しかし歌のうまさは絶対絶対音で歌うからうまいんだということもなければ時と場合によってはずしててもうまいという歌手も存在しているのも最近知りました。うまいかへたという定義は各歌手個人によって違うのかとも思ってます。JAZZと演歌の聴き方クラシックも違うように。仮に私がいいと思っている歌手がプロから聞いてへたという方がいても個々が感動するそれが一番大事なのかもしれませんね。