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田中角栄の列島改造論って??
タイトルどおり、田中角栄元内閣の列島改造論とはどんなものだったのでしょうか?
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おおざっぱに言うと、 「列島改造」=「過疎・過密地域の解消」という意味で使われています。 1972年、急激な高度成長によってもたらされた過密・過疎、公害、環境破壊等を克服して、日本全国をつり合いのとれた、豊かな国土にすることを目ざした大構想でした。 上記構想に基づき、具体的な施策としては、主に大規模な交通網整備(高速道路、新幹線の整備、トンネル掘削、橋の架橋)が行われました。 その他、首都移転なども、ここから生まれた構想です。--a_a
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- masahumi-1
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他の方のでほぼいいと思うんですが、目的が違っています。この「日本列島改造論」でインフラ整備の骨子がほぼ 固まった後、田中角栄は開発される予定の土地を、先に買い漁って(幽霊会社で)、濡れ手に粟の大儲けを企んでいたと言われています。つまり全日空三トリオ(児玉、小佐野、田中)(笑)が、日本中の予定地を幽霊会社を、バンバン設立して買いまくるという寸法です。あなたも結果のわかってるバクチなら、やりまくるでしょう?だからいまだに20数年前計画された開発を、建設省等々は住民の反対を押し切ってでも進めようとするのです。 政治家の大儀など信じたら、この国はきっと滅ぶと思います。関西空港がある泉佐野市なんか、住民がぜんぜんしらないうちから、名前もしらない会社が、買いまくったと地元の人から聞きました。三トリオを中軸に、銀行・ゼネコン・官僚たちが、稼ぎ撒くっていまなお、それが続いてるんですから...。
- shoyosi
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手もとの「知恵蔵」に、かなり、詳しく、的確に説明されていたので引用します。 高度成長時代の末期、自民党の実力者田中角栄は、日本の主要な地方都市と首都圏を結ぶ高速交通網を建設することによって、労働力のやすい地方都市周辺の農村地帯を工業化するという「日本列島改造論」を発表した(1972年6月)。それは、欧米諸国との経済摩擦と自由化で行き詰まりを見せた日本の経済を再活性させると同時に、過疎化し空洞化した自民党の票田である地方都市や農村に人口を呼び戻し、また、国家資金による大規模な建設事業の地方への誘導によって、保守票を膨らませるという狙いを秘めていた。日本列島改造論は、アメリカの対外政策変換というニクソン・ショックによって佐藤政権が退陣し、田中が後継内閣を組織したことによって、国家政策となる。 以上 詳しくは、知恵蔵 1999年版 220ページ(政治―012)をご覧下さい。 また下記のサイトで、田中没後5年特集で総括を行っています。
- marufuku
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田中角栄氏の持論をまとめたもので、政策だけでなく、本としても昭和47年に発刊されました。その内容は、今の公共事業のオンパレードで、整備新幹線・高速道路網・本四架橋にパイプラインを抱かせる話などなど、ゼネコンベースの建設改造計画を網羅したものでした。もちろん、コンビナートの話やインダストリアルパークの話なども掲載されていたのは事実ですが、基本的にはハード系の話で終始しておりました。 もちろんITなんという時代ではありませんが、ソフト系の話はほとんど皆無だった記憶があります。情操?まったく関係ありません。 ご存知かも知れませんが、超大型タンカーが接岸できるキャパを持った湾として九州の志布志湾が紹介されるなどの影響で、全国各地で列島改造ブームが起こり、それに伴い地価が高騰していくきっかけにもなったものでした。 ちなみに、私も中学生でしたが、この本を買ってしまいました。あのころは、志高き少年だったのかなあ(笑)