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石炭ストーブを知ってますか?

質問者の時代 (昭和30年代)の大阪市の小学校は暖房に石炭ストーブを使っていました。石炭当番のような役回りも有って、当番の児童は寒い中を石炭置き場に用意された石炭と薪が入ったバケツを教室まで運ばされました。着火も児童がやった記憶。皆さんはご存知?

みんなの回答

回答No.13

実際に使われているのは見た事ないですが、昔は薬罐を上に置いて加湿器代わりにしていましたよ、小学校も祖父母の家も。

SergeyBubka614
質問者

お礼

❌でしから ⭕でしたから すみません。

SergeyBubka614
質問者

補足

石炭ストーブは火力が強いでしから空焚き注意でした。

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回答No.12

知ってます。 私が小学生(低学年)の時なので約60年位前ですが、所謂だるまストーブでした。 また、ストーブではありませんが、家の風呂も石炭を使って沸かしてました。最初に新聞紙などの紙に火を付け、次に小さい木材を入れ火力が強くなってきたところで石炭を入れてましたね。

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  • zabusakura
  • ベストアンサー率15% (2438/16241)
回答No.11

存在は知ってますが実際に見たことは無いです。

SergeyBubka614
質問者

補足

見た事がない。でしたら当然、あたった事もない。ですね。石炭ストーブは本体は鋳鉄 (多分) むき出しなので石炭を大量に放り込むと下の方が真っ赤になって輻射熱が半端なかったです。暖かいですよ。

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  • sakura-333
  • ベストアンサー率10% (959/8938)
回答No.10

機関車に使ってたみたなやつ…?

SergeyBubka614
質問者

補足

大きさは違うが似たようなもん

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  • 31192525
  • ベストアンサー率19% (711/3571)
回答No.9

ブブカさん、こんにちは。 『知ってます!』  小学校低学年の時は石炭ストーブで、給食のコッペパンを温める場所取りで教室は戦場と化してました(笑) だいたい、女子が勝つのね。  石炭(豆炭だったかな)や灰の始末は用務員さんがやっていて、三年生からは当番制だって聞いていましたが、三年からはダルマ型の石油ストーブに変わりました。パンを温める場所が狭くなって、断念した・・・いや、待てよ。パンも食パンに変わったんだった。脱脂粉乳も牛乳に。私にとって小三は大変革の年だったようです。

SergeyBubka614
質問者

補足

31192525さん、こんにちは 質問者の小学校では石炭ストーブの天板部分には薬罐ではなく金盥を乗せてました。お湯に瓶牛乳を浸けて温めましたね。

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  • JP002086
  • ベストアンサー率34% (1569/4483)
回答No.8

50代後半の♂です。 幼稚園から高校卒業までは北海道でした。 その時代に建て替えが有った(災害で校舎が壊滅した)時の新校舎の記憶も含めて思い出しながら書きますと・・・・ 昭和40年~45年くらいまで、既設の校舎(多分、昭和10年代から30年代に建てられたと思われる)では、石炭を保管する所(大きさは3教室分くらい)があり、日直のその日の最後の役割として明日分の石炭を保管場所から運び入れる感じでした。 石炭を運ぶ入れ物は、判りやすく言うと18L入れのオイル缶と同じ大きさだったので、女子が日直の時は自然と誰かが手伝う感じでした。 小学校1年~3年までは、石炭を運ぶには腕力・体力が達していなかったため、上級生が運んでいた記憶が有ります。 小学4年からは二人一組で運んでいたかな? 私は、仲間外れ状態だったので一人で運んでいましたが。 石炭への着火については、用務員の方が行っていました。 小学3年の時から「用務員の方が大変だな」とか「火の扱いは慣れてるし」とかで、用務員の方と時間が合えば、その学年の学級分の着火を手伝っていました。 着火剤は、今でもキャンプ用品売り場に置かれている荒い櫛状の物を灯油に浸された物を使ってました。 その様な事も有り、気化している灯油の状態を感じながら着火していたかな。 学年の教室全部の着火が終わると、自分の教室に戻りストーブが机の前にある席の児童を少し懲らしめるために、ストーブを真っ赤にして授業に集中出来ない様に仕返しをしていたのは、懐かしい話。 昭和40年半ばに建てられた校舎では、スチーム暖房でした。 自宅では、昭和45・6?年くらいには、石油ファンストーブになりました。

SergeyBubka614
質問者

補足

石炭ストーブが一番似合うのは北海道ですね。列車内のだるまストーブとかドラマ「北の国から」のとか 石炭を運ぶ「バケツ」は普通の形じゃなくて、カレールーなんかを入れるソースボートみたいな横長のやつだったような、、 中学校はガスストーブでしたからスイッチひとつで点火。準備も後始末も無くなり楽でした。

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回答No.7

石炭スト-ブ もちろん知っていますよ 小学生が石炭のはいったバケツを持って スト-ブのふたを開け石炭を投げ入れていたのですね。 今だったら親の猛反対にあいそうです スト-ブの上に大きな薬缶を載せて湯が沸いていました 駅などの待合室、色々なところにありました 懐かしいです!

SergeyBubka614
質問者

補足

勿論ですか。色々なところで見掛けましたか。質問者の時代、地域、では小学生の時に見た、使った。だけですね。時代と共に世の中は石炭ストーブ→石油ストーブ→ガスストーブと移り変わって行ったのでしょうね。

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  • jrn700
  • ベストアンサー率18% (261/1412)
回答No.6

お邪魔します。 石炭ストーブ懐かしいですね。 小学校の低学年頃だったと思います。 石炭の搬送や調整は先生がしていました。 その後すぐに、灯油ストーブに変わりました。 ストーブの周りにお弁当を置いていましたね。

SergeyBubka614
質問者

補足

小学生の途中で石炭ストーブからガスストーブへの変遷を経験されましたか。貴重な体験?をされましたね。 質問者は小学校の6年間は卒業まで石炭ストーブでした。扱いは完全にマスターしました(笑) 中学校は自宅と同じくガスストーブで嬉しかった。

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  • mm_sakyos
  • ベストアンサー率16% (45/266)
回答No.5

私の小学生の頃は床にガスのコックがあって、そこから ガスを取って燃焼させるガスストーブがありました。 石炭のストーブは、神戸では六甲山小学校だか、特定の 学校でしか聞いたことが無かったですね。

SergeyBubka614
質問者

補足

そうそう、関西では毎年冬になると六甲山上の六甲山小学校の石炭ストーブの火入れ式がニュースになりますね。何で未だにガスとかにしないんだろう(笑)

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回答No.4

石油ストーブ@徳島県民

SergeyBubka614
質問者

補足

石油ストーブはFFのファンヒーターじゃないやつだと点火直後は灯油臭いですね。石炭ストーブの点火直後は煙り出て煙たい(笑)

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