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石炭ストーブを知ってますか?

質問者の時代 (昭和30年代)の大阪市の小学校は暖房に石炭ストーブを使っていました。石炭当番のような役回りも有って、当番の児童は寒い中を石炭置き場に用意された石炭と薪が入ったバケツを教室まで運ばされました。着火も児童がやった記憶。皆さんはご存知?

みんなの回答

  • 5mm2
  • ベストアンサー率9% (332/3336)
回答No.3

ブブカさん、おはようございます。 大分の公立小中高校では、冷暖房は全くありませんでした。 寒くてたまらなかったという記憶も無いのですが、大阪とはだいぶ気温が違うのでしょうね。 それと、登校時の制服の上に羽織るコートなども禁止でした。 家では、縦型の石油ストーブは使ってました。 同時に炬燵と、練炭火鉢も使ってました。 夏は扇風機とウチワだけ。 冬は軒先にツララがよく垂れさがってましたが、最近は全然見ないですね。 やはり全体に温かくなったんでしょうね。 でも冬は嫌いです。 若い時は、夜明け前からスキー場に出かけてたのですけどね。 今日は、ちょっと暖かいです。

SergeyBubka614
質問者

補足

5mm2さん、今日は 大分の公立の小中高は全て暖房無しでしたか! 冬はつららが出来る程寒いのに?、びっくりです。記憶違いではないですか? ブブカが通っていた大阪の小学校では気温(室温だったかな?)が10度以下で暖房を入れてた記憶です。12月でも10度以下にならない日はストーブ焚かなかったと思います。昔は、子供は風の子とか言われてましたが、身体が小さくて皮下脂肪も少ない小学生は寒さに弱いです。休憩時間は皆、ストーブの回りに集まってました(笑)

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  • Sasakik
  • ベストアンサー率34% (1710/4912)
回答No.2

質問者サマより一世代若いんだけど・・・知ってるか?って聞かれると 「昭和40年代の北海道では珍しくも無かった」と。 一軒家だったら小さな物置くらいの大きさの石炭庫があって、横付けしたトラックから渡し板伝いに石炭を流し込むトコロをよく見たし、アパートでも玄関横に半間間口くらいの石炭庫が普通にあった(今でも古い一軒家、アパートには名残がある建物もある)。 また、冬になる前の「煙突の煤落とし」も季節の風物詩だった(石油ストーブのメリットの1つが「煤落としがいらなくなった」だったりする)。 因みに、北海道の小学校では割安で熱量も高いコークス(骸炭:石炭を蒸し焼きにして炭素だけを残した燃料)が主流だったんで、(厳密な意味での)石炭ストーブじゃなかったりしたんだな と。

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  • okok456
  • ベストアンサー率43% (2806/6475)
回答No.1

昭和31年生まれです。 東京都下の小中学校でも石炭ストーブ(だるまストーブ)でした。 灰のかたずけもしました。 弁当を暖めたのを思い出しました。

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