• ベストアンサー

科学は本当に必要ですか?

科学は本当に必要ですか? 一般人のど素人ですが最近疑問に思います 宇宙は科学では証明できないことの方がおおいのではないのかと 理由は宇宙は自然災害や読めない宇宙の動き、入れ替わりが激しい、読めない宇宙や地球は科学で証明できるものは本当に少ないと思います 人の人生においてもです なのに科学で証明して見せようとする方が難しいと思いますしいちいち科学とか計算式に当てはめたところでもし万が一計算してもズレてしまうことがあった場合対応できなかったら意味ないですよね? マニュアル力よりも臨機応変な対応ができる力をつけた方がいいのではないでしょうか? これに気づいている人は多いと思います なのになぜ人間は科学という計算式で証明しようとするのでしょうか? 私が知らないだけの結局ビジネスですか? それとも時間潰しでしょうか?

質問者が選んだベストアンサー

  • ベストアンサー
  • dell_OK
  • ベストアンサー率13% (766/5720)
回答No.12

そうですね。 結局、ビジネスや名誉や趣味や好奇心などの延長線上のどこかでしょうね。 必要な科学もあれば、どうでもいいような科学もあります。 時々証明できたりすることがあるせいで、みんな夢を見てしまうんですよね。 私としては正直もうそんなことやめといて欲しいです。

Matu1125
質問者

お礼

回答ありがとうございます

Powered by GRATICA

その他の回答 (13)

  • staratras
  • ベストアンサー率41% (1498/3648)
回答No.14

回答者が科学の力をあらためて実感したのは今から20年以上昔のしし座流星群大出現の夜(2001年11月18/19日)です。日食などのように精密にかなり先まで予測計算できる天文現象と異なり、流星群の予測は以前は困難でした。 流星群の元となっているのは彗星が軌道上に撒き散らした細かな物質で、これが地球の大気圏で発光するのが流星なので、その彗星が最近帰ってきたから今年は出現数が増えるのではないかといった程度の予測でした。1972年のジャコビニ流星群など期待されながら空振りに終わったものも数多くあり、「流星群の予測は当てにならない」と天文好きほど感じていました。ところが21世紀が近づいたころ、デビッド・アッシャー氏など一部の研究者はしし座流星群のもととなる彗星の過去の軌道を詳しく計算して、過去の複数回の回帰の際の軌道が地球軌道と接近する2001年11月18/19日に東アジアで大出現が見られるという予測を発表しました。従来の考え方では導き出せない大胆な予測でした。 回答者はこれを信じて、中古で買い集めた多数のカメラを用意して福島県の高原で待ち受けたところ、予測の通りの大出現になりました。この一晩で見た流星の数は、それ以外の一生で見た(それまで+それから)合計数より多いことは確実です。しかも新しい考え方による予測は出現がピークとなった時刻までほぼ完璧に的中させていました。科学は日進月歩であり、「これまで予測できなかったことが詳しく予測できるようになる」と痛感した次第です。その意味でも科学はますます必要です。 下の写真はそのときフィルムカメラで撮影したものですが、合成ではなく1枚撮りです。

  • nao_2
  • ベストアンサー率10% (39/372)
回答No.13

科学のおかげで質問とか回答までできるっさ♪

回答No.11

 SEKAI NO OWARI の曲 「Romantic」で、幸せなんてセロトニンじゃない という歌詞があって、確かに幸せは、科学的にはセロトニンの量なんですが。科学的以外、幸せなんて定義できないし。  学校の勉強も数学、物理、化学、まあ科学の勉強ですが。小林秀雄の本には、学問について「まるで味も素気もなくなるために、学問をしてりこうをなることをしている。」とあって、学校の勉強や入試だけに必死になることは、確かに味も素気もない道に見えます。(何か自分の過去に照らし合わせても)  要は人生の味わいの道とか幸せとか、非常に茫漠としているので、まどまだ科学的、心理的に捉えきれないのかもしれません。

  • mt_mh
  • ベストアンサー率24% (281/1149)
回答No.10

有史以来、この世に起こることを見て、それは何故だろう。どのような仕組みになっているのだろう、と人が考えてきたことが科学になったのです。 われわれ現代人が享受している生活はその成果です。科学の発展には終わりがありませんので今後も人々を感嘆させるような発見や発明が続いていくことでしょう。

  • 5mm2
  • ベストアンサー率9% (329/3307)
回答No.9

僕は、科学にしろ医学にしろ数学にしろ歴史にしろ、今の常識は全て仮説と思っています。 その証拠に、毎年いろんなところで新説が出て、今までの常識を否定しています。 だからと言って、過去のあるいは今の常識や仮説が問題かというと、それ程問題は無く、それなりに進化した技術や考え方で社会は発展し成り立っています。 「臨機応変」も大切なことですが、例え仮説にしろ、今の最新技術や知識を把握してなければ、正しい判断はできません。 同時に過去の失敗や変遷も知っておくほうが良いと思います。 全てのことに疑問を持ちながら、新たなことに挑戦するのが大事だと思います。 やみくもに否定する事とは違います。

  • sirousagi1
  • ベストアンサー率35% (730/2058)
回答No.8

地球上での科学は、地球上でのみ役に立つと考えます。 せいぜい月までの行って来いまでしか出来ていない地球人類です。 計算でズレ? センチとインチ、ヤードとか地球上でもズレっぱなしです。 まぁ、論理的か否かは、真剣に考えることは無いのかもしれません。 宇宙、ましてや遠くの天体などで、目の前で見れない起きているであろう事象を肯定しても誰も違うとは言い切れないのではないでしょうかねぇ。 とりあえず、同調しておいて、後程の新事実?は新発見とかね。 私は、発表された内容については、「あ~、そうなのね」くらいにしか思えません。なにせ、何も知らないんだもの。

Matu1125
質問者

お礼

そうですよね 参考になります 回答ありがとうございます

Powered by GRATICA
  • umeking
  • ベストアンサー率26% (25/95)
回答No.7

科学なかったら今の生活できないだろう。

  • eroero4649
  • ベストアンサー率32% (11072/34514)
回答No.6

>宇宙は科学では証明できないことの方がおおいのではないのかと おっしゃるとおり、科学の9割は仮説であるというのが現状です。これはもう絶対に正しい、間違っていないと断言できるのは証明されている数学とニュートン物理学くらいです。 でも「科学とは何ぞや」といったら、それは「正しく認識しようとする姿勢」です。古代にも理系の人はいて、誰かが夜空の星を見て、星はぐるぐる回っていること、その中心となる星があってそこは動かないこと、そしてそれが真北に存在していることに気づきました。 そうするとその星、我々が北極星と呼ぶ星を目標にすれば、正しく方角を認識することができる、ということが分かります。そうやって筋道を立てて森羅万象を正しく認識しようとする考えが、科学の根底となっています。 北極星が分かれば遠い場所、それこそ海の向こうにも行くことができて、更にそこに行って正しく帰ってくることもできますね。 また他に、月は30日かけて満ち欠けをくり返し、おおよそ12回月の満ち欠けがあると季節がぐるっと巡ることにも誰かが気づきました。そこから1ヵ月と1年という概念が生まれ、それは農業や文明の発達のために必須のものとなりました。これも「科学する(筋道立ててモノを考える)頭」が生んだものです。 古代エジプト人はピラミッドなどの偉大な建築物を作りました。これらの土木技術は高度の数学の知識があるからこそ発達するものです。 古代エジプト人は、大規模な測量をすると計算間違いをしていないのに、計算よりズレてしまうことに気づきました。そしてそのズレはどうして起きるのだろうと考えて、誰かが「もしこの大地がとてつもなく大きな球体なら、こういうズレが起きる」ということに気づいたのです。つまり古代エジプト人は自分たちの世界が平らではなくおそらく球体であることに気づいていたのです。 ただ、完全な球体だとなかなか納得できなかったので、半円の球体だと思っていました。でも「この世は平らではない」ということに気づいていたってすごいと思いませんか? こういったことは科学というか「科学の心」から生まれたものです。科学は我々が「作ったもの」ではなくて「見つけた」ものなのです。だから数学の世界では「ゼロの発見」なんていうのですね。それは宇宙に存在していて、人間がそれまで気づかなかったことに気づいたからです。ニュートンが生まれる前から、重力は存在していました。 だから大切なことは「仮説を立てる」ことであり、仮説が立てられるのであればそれは証明することができなくても「科学」なのです。 「この世には霊魂は存在する。証明も仮説も立てられないが、あるものはあるのだ」といったら、それは科学ではなく宗教です。 質問者さんは「自然災害は読めない」というけれど、北半球に偏西風というのが吹いていることは分かっています。それが蛇行するとかどうとかありますけれど、偏西風がある日から偏東風になることはありません。それはなぜかというと地球が自転しているからです。「地球が自転しているから偏西風が発生して、偏東風になることはない」というのが科学です。 ちなみに世の中、一見科学や数学では分からなさそうなことも証明されているようなこともあります。 例えばある有名な話。ABCと3つの箱があり、どれかに当たりがあります。回答者がそのうちのひとつを選びます。するとどれが当たりかを知っている出題者は残った2つのうちの箱のひとつを開けます。そして出題者は回答者に「あなたはその箱を選んだままでもいいし、もうひとつの箱に変えてもいい。どうしますか?」と聞きます。さてこのとき、その箱を選んだままにするか、それとも変えるかで当たる可能性は変わると思いますか?変えるほうがいいか、変えないほうがいいか、それともどちらにしても当たる確率は変わらないのか。 実はこの問題、高名な数学者も巻き込んで侃々諤々の大論争にもなったのですが、最終的に「箱を変えたほうが当たる確率が上がる」ということが証明されました。実際にそれをやってみると、変えたほうが当たりやすくなります。 これが科学(数学)なのです。他にも「10人応募があったとしてその中で1人だけ採用する場合に、一度不採用を出したら採用をすることができない条件で一番優秀な人を採用したいときはどうするのが数学的に一番正しいか」なんてのもあったりします。 まあ質問者さんが手にしているスマホ(あるいはパソコン)にしてもインターネットにしても数学でできているものなので、我々の生活は数学(科学)あってのものであるのです。 ID野球なんかも科学の一環ですね。

回答No.5

必要 私たちの身の回りは科学がいっぱいです 幸福の科学はいらんで

  • sakura-333
  • ベストアンサー率10% (952/8905)
回答No.4

一般人のど素人ですが好奇心だったり少しでも把握して少しでも不安を払拭するためということは…?

関連するQ&A