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平安時代の服装に関して

蒸し暑い日々が続く京都ですが、平安時代の女性は夏はどんな格好だったのでしょうか? まさか、12単衣を着ているとは思えませんが。死んでしまいますよ。

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  • eroero4649
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回答No.2

十二単ってのは本当に12枚重ねていたのではなく「重ね着」というような意味合いだったようです。十二という言葉が使われたのは語呂がいいからみたいです。 そしてさらに、平安時代当時の着こなしは、かなりラフでした。 https://tomekko.blog.jp/archives/7230055.html こんな感じで、上から「重ねて羽織っていた」だけみたいですね。もちろん暑ければ羽織る枚数は減ったでしょう。 また平安時代の1000年前後は、世界的には温暖期にありました。ヨーロッパではあのバイキングが大暴れしていた頃なのですが、バイキングが大暴れできたのは当時のヨーロッパが温暖で現在は航海の難所である北海もその頃は穏やかだったからです。グリーンランドでバイキングの遺跡が発見されており、その様子から当時のグリーンランドは木が生えていたことが分かりました。また、カナダでバイキングの遺跡が発見され、彼らはコロンブスよりはるか早くにアメリカ大陸に到達していたことも分かりました。 じゃあ日本もさぞや暑かったのだろうと思うところですが、研究によると日本は全然温暖ではなく、むしろ寒冷であったことが分かりました。 https://www.aori.u-tokyo.ac.jp/research/topics/2017/20170104.html この気温差は東京と仙台の気温差に匹敵するそうですから、当時の京都は今の長野くらいの気温だったんじゃないかなという気がします。 https://costume.iz2.or.jp/column/595.html また平安時代も前期と中期と後期ではかなり服装が変わります。我々がイメージする「平安時代ファッション」は後期のもので、この当時は平清盛などの武家の立場が強くなってきている時代です。 なぜ平安後期に武家の力が強くなったのかというと、世の中が乱れてきたからです。そしてなぜ世の中が乱れるかというと、これは紀元前の古代から近世に至るまでほぼ共通して「寒冷化したから」なのですう。寒冷化して農作物が不作になり飢餓が発生し、治安が乱れて略奪や反乱が発生して世の中が乱れるのです。 天候の記録も平安後期には寒冷期に突入していることが分かっているようなので、十二単の時代は見た目は華麗ですが各地で不作による飢饉などが発生し、暴力がはびこるヒャッハーな時代になりつつあったということですね。 最後に、平安時代は40歳になると「四十賀」という長寿を祝う式を行ったそうです。つまり平安時代は40歳で「ようここまで生きてきましたなあ」と喜ぶくらいでした。源氏物語では光源氏はこの四十賀を終えた後に10代の三宮を妻にするように勧められますが、「ジジイの俺に嫁いだらすぐ未亡人になっちゃうじゃん」という理由で一度断っています。

  • 4500rpm
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回答No.1

十二単は儀式などに着るもので、普段はもっと簡略化したもののようです。 夏には、薄く織った生地のものを着用していたようです。 https://costume.iz2.or.jp/costume/518.html また、薄く織った生地は紗というスケスケのもので、絵巻物では、女性のバストが出ているような着方もたくさん描かれているとのことです。 https://togetter.com/li/2294404#h6_0

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