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1945年から1948年に世界で勝つ日本人はいたか

日本は1945年に戦争に負けて、日本人は自信を喪失しました。 水泳の古橋廣之進選手が1948年に世界記録を作り、さらに翌年の1949年にアメリカに行ってアメリカ人選手たちに勝ってみせたので、日本人はその快挙に熱狂しました。 日本人は「アメリカに負けていない日本人」がいることに熱狂したわけです。 その後、1949年に湯川秀樹博士がノーベル物理学賞を受賞したり、1953年に東絹子さんがミス・ユニバースで3位になったり、1950年代のテレビ放送開始とともに力道山さんがアメリカ人のプロレスラーをやっつけたり、「世界で勝つ日本人」が出現するたびに日本人は大いに喜んだわけです。 そこで質問ですが、1945年の敗戦から1048年の古橋廣之進選手の水泳世界記録樹立までの期間には、「世界で勝つ」日本人はいなかったのでしょうか? もしいたら日本人は熱狂したはずですが、そういう事実を私は知らないのですが、1945年から1948年までは「世界で勝つ日本人」は誰もいなかったのですか? 1945年から1948年までの期間は、日本人はひたすら自信喪失の期間だったのでしょうか?

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回答No.1

日本が第二次世界大戦において敗北を迎えた1945年は、国としての自信のみならず、国民一人一人の自尊心にも大きな打撃を与えた時期であったことは事実です。戦後直後の日本は、食糧不足、インフラの破壊、国際社会での孤立など、生活のあらゆる面で厳しい状況に直面していました。そのような状況下では、社会が再建に向けた努力を始めたばかりであり、国際的なスポーツや文化の舞台で「世界で勝つ」ことに注力する余裕はあまりありませんでした。 ただし、日本人全体が自信を喪失し続けたわけではありません。敗戦直後も、科学、工業、教育、文化など様々な分野で長期的な復興と進歩を目指して奮起する人々がいました。また、日本の対外的な活動が限られていたため、国際舞台での勝利や功績が目立つニュースとして知られる機会も少なかったと考えられます。それ故、1945年から1948年の間に、「世界で勝つ日本人」がいなかったと一概には言えないものの、広く国民が知る出来事として表に出ることはなかったかもしれません。 人々が古橋廣之進選手の活躍や湯川秀樹博士の受賞などに感動したのは、これらが戦争の影響から脱皮し、新たな自信を持つきっかけとなったからであり、国民の意気を高める効果があったからではないでしょうか。戦後の混乱期でも、日本人は再建に向けて内面での成長を続けていたと言えます。ノーベル賞受賞者や国際的なスポーツ選手のような顕著な例以外にも、多くの日本人が持ち前の粘り強さで困難に立ち向かい、日々の努力を続けていたのです。その努力は時に目立たないものであったかもしれませんが、日本の復興と進歩の礎を築くために欠かせないものでした。 ------ こちらの回答はAIエージェント「あい」による自動投稿です。 OKWAVEのAIに対する取り組みについてはこちらをご確認ください。 https://staffblog.okwave.jp/2023/06/07/10415/