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「頭が良い」という違和感
学生の感覚で言えば、暗記がものすごく得意か、学校の勉強がだいたいどれも要領よく8割ぐらいできたら(平均的な人間より)頭が良いと思われますが でもそれって、「暗記は苦手だけどこの人は頭が良い」という言い方は聞いたこと無いですよね? 知識ばかり詰め込んでも使えなかったら意味はないと思いますが、そもそも「頭が良い」人はたくさん知識を持っているはずです
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- staratras
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「頭が良い」とは何かということは難問です。 一般に「頭がよい」と考えられているものはかなり幅が広く、世間では「独創的な研究でノーベル賞を受賞した学者」も「全く新しいビジネスを始めて大成功した実業家」も、あるいは「多数の桁の暗算を瞬時にできる子ども」も同じ「頭がよい」という言葉で表現しているからです。知能検査で調べることができる能力だけでなく、学問的な知識も、世間的な知恵も、瞬時の判断力もすべて含んでいるように感じます。 ただし「知識の量」とは単純には比例しません。ご指摘のようにいくら知識があっても使いこなすことができなければ「宝の持ち腐れ」だからです。寺田寅彦に「科学者とあたま」という随筆があり、1960年代の中学校の国語の教科書に載っていて、その中の一節が今も印象に残っています。真の頭の良さとは何かを考えさせられたからです。(以下引用) 頭の悪い人は、頭のいい人が考えて、はじめからだめにきまっているような試みを、一生懸命につづけている。やっと、それがだめとわかるころには、しかしたいてい何かしらだめでない他のものの糸口を取り上げている。そうしてそれは、そのはじめからだめな試みをあえてしなかった人には決して手に触れる機会のないような糸口である場合も少なくない。自然は書卓の前で手をつかねて空中に絵を描いている人からは逃げ出して、自然のまん中へ赤裸で飛び込んで来る人にのみその神秘の扉を開いて見せるからである。(引用終わり) この文章が世に出たのは90年も昔ですが、「コスパ」や「タイパ」がもてはやされる現代こそ心すべきことかもしれません。
- GENESIS
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昔は東大や慶應を出ている人は頭が良いというイメージがありましたが、結局犯罪者もいるので…。日本は昔から詰め込み方式の教育でしたので、知識はいっぱい持っていますが、残念な事にそれを応用出来る力が余りありません。頭でっかちにはなっていますがうまく使いこなせないのが現実でしょう。知識をいっぱい詰め込んだ人が頭が良いというイメージがありますが、私は違うと思います。 私は貯めた知識をちゃんと知恵として使いこなせる人が頭が良いと思っています。ただし人のためになることで…。世の中にたくさんの発明や発見があり、多くの人に役立っているものが沢山ありますが、地道に勉強をして知識を増し、それを知恵として使い結果を出している人たちです。「偶然発見したんです」ということをおっしゃる方もいますが、でもそれは偶然であったとしても、それまでは知識を知恵として努力してきた結果です。道端にたまたま偶然が落ちていた訳でもありません。 街の発明家も「あれを見て思いつきました」と言いますが、さまざまな経験で得た知識がないと、何かを見てもそれを知恵として発明にはなかなか至らないでしょう。 頭のいい人とは、良い学校に行って知識をいっぱい詰め込んだ人では無く、限られた知識であってもそれを上手く知恵にする人だと考えます。ただし、そう言った知識を悪い事に知恵として使う奴らだけは腹が立ちます。人に迷惑をかけたり怪我を負わせたり、命を奪うのはもっての外です。本人は頭が良いと思っているのかも知れませんが、ただの犯罪者です。