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【日本史】木彫りのおじいさんとおばあさんでホウキを
【日本史】木彫りのおじいさんとおばあさんでホウキを持っていて、これは何ですか?と聞くと昔は結納のときに女性が持参していたと言われました。 なぜ昔の女性は木彫りのほうきを持ったおじいさんとおばあさんの人形を結納品として持参していたのですか?
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長寿と夫婦円満の縁起物として持参していたということです。 https://okwave.jp/qa/q10174867.html ということで、それにまつわる不思議な話もあるようです。 https://ameblo.jp/dragonboy4/entry-12567823957.html
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他の方のご回答通り、仰るのは高砂人形でしょう。 これを結納の品とするのは関西、特に兵庫県中心の結納品です。 正確にはおじいさん(尉[ジョウ])が持っていたのは熊手です。 また、女性が持参したのではなく新郎側から贈った品の一つのはずです。 (結納はそもそも一般的には新郎側が娶る妻の実家に、祝いの席の食事と縁起の品を贈るものでは?) この高砂人形は、全国で「相生の松」と呼ばれ実際に存在する特殊な生育条件の松と、それを扱った能の題目「高砂」が由来です。 この室町時代に世阿弥が作った「高砂」には二本の松が神性を帯びた老夫婦として出てきます。 松は古来より日本では長寿を意味するめでたい木でもあり、「相生の松」にも夫婦の神が宿ったという伝説が伝えられるものもあります。 これらからいつしか関西の一地域では高砂人形と呼ばれる人形が作られるようになり、結納の際に、夫婦和合と夫婦の長生きを願って持参するようになったものです。 箒で掃く、と熊手のごろ合わせとして、「妻は百歳(掃く)まで、夫は九十九歳(熊手)まで生きよう」、といった意味の言葉もあります。 ただし、これらが「結納の品」となったのは近代に入ってからでしょう。 そもそも庶民が婚礼をあげること自体、江戸時代も後期になってからですし(それまでは公家か武家のみ)、結納を交わすようになったのは明治時代以降です。 現代日本人が「古来からの伝統だ」と思っていることの大半は、歴史上の起源はともかく、庶民が行う行事となったのは明治時代以降のことがほとんどだったりしますしね。 ですから、高砂人形を結納の品と持っていく習慣が出来たのも、明治時代以降です。 また先に書いたように、高砂人形を結納品にするのは関西以西から九州までに集中しています。 ご覧になった人形は、おそらくその地域出身の方からの贈り物ではないでしょうか。 参考:高砂人形の由来(白木屋結納店) https://e-shirokiya.com/ot_mame_i_taka.html 参考:ほほ笑む「高砂人形」役回りは?(謎解きクルーズ)(日本経済新聞) https://www.nikkei.com/article/DGXLASIH01H0K_R00C15A5AA1P01/ >相生の松は平安時代後期から信仰の対象となり、鎌倉時代になると神像が作られた。それが高砂人形の源流とみられる。結納の品になったのは江戸時代。当初は領主や豪商などに限られていたが明治以降、一般にも広まった。
- chiychiy
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こんにちは あれは、高砂人形です。 両方ともほうきではなく熊手とほうきで、 意味があるようです。(実家の骨とう品の中にありました) >おじいさんの持つ熊手は「福をかき集める」、おばあさんの持つ箒(ほうき)には「邪気を払う」という意味があり、夫婦が力を合わせて寿福を集め厄払いをして家庭を守るというものとなっています。 >『能』の高砂に因み、能の衣装を着たおじいさんとおばあさんが縁起物となり高砂人形が作られました。 https://www.kagetsudoh.jp/luck.php https://www.yuinoo.net/shopping/yui-op-takasago-index.html
お礼