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小泉純一郎内閣について

なぜ人々は、2000年代の始め、小泉純一郎総理の誕生に熱狂したのですか?今思えば、小泉総理の新自由主義的な改革は、明らかに間違っていたと思うのですが。

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  • sebsereb
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回答No.3

前の数人の総理は頼りなかったので、強気に発言する小泉さんは人気がでたのでは。外見的な部分もあったし、英語力もあったからという部分もあったでしょう。 ブッシュ大統領と馬が合った部分も大きかった。 当時のイット革命(IT革命ジャパンとか言うやつ)で光回線が急速に普及したことも好印象だったと思います。 外部から竹中平蔵さん(ニュースキャスターでハキハキしたトークで人気あった)を大臣に起用したのが開かれた内閣に見えました。 堅い感じの福田官房長官やらと砕けた小泉さんとで、対照的なのも良かったと思います。 相撲大会のトロフィー授与とかも人気の出た部分だったと思います。 今思えば、大したこと無いのですが。 当時は、世界金融恐慌の時代で韓国やロシアやブラジル、タイといった割と有名な国がバシバシ破綻していたので、明るい感じに思えました。 みずほ銀行も大銀行として日本経済に君臨していた感じでしたが、やっつけた感じになったのも好印象だったと思います。 強かった郵政をもやっつけたかんじですね。 任期満了で辞めたのも、安倍さんと違って好印象だったのだと思います。

kiyurohi88
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。大変勉強になりました。目からウロコが落ちました。

その他の回答 (2)

  • eroero4649
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回答No.2

彼が「自民党をぶっ壊す!」とか「郵政解散」とかしていたときは、国民にとってぶっ壊される自民党もゆうちょも「対岸の出来事」だったのでのんびりと見ていられたのだと思います。 確かに竹中平蔵氏の制作が多くの日本人をより貧乏にさせて格差を大きくさせたと思います。ただ、じゃあ違う政策をしたら変わっていたかというとそうだったとも思えません。 その路線変更は、民主党政権のときも第二次安倍政権のときもやろうと思えばできました。けれどどっちもしなかった。しなかったのかできなかったのかは分かりませんが。 また国内の立場が違う人たちとの間で分断が進んだのは、日本だけの現象ではありません。アメリカでもヨーロッパでも、世界中で起きていたことで日本はこれでも諸外国に比べればまだ穏便といえば穏便です。ネットでギャーギャーいうレベルで、暴動などにはなっていませんからね。 もし格差もそれによる分断も広まらない社会を2000年代の20年間をかけて実現できたとしたら、日本はむしろ繫栄していたことでしょうね。まあリーマンショックや東日本大震災があったから、繁栄と栄光の20年間というのは不可能ではなかったかなと思います。

  • cap555
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回答No.1

日本は長い間自民党政権で、誰も変えず変わろうとせず生きてきて若い人達の不満がいっぱいでした。 同じ自民党ですが変えようとする人が現れて、賛同する世論に合わせて選ばれました。 結果的に失敗であっても、変えられる、失敗したらやり直せば良いという事が分かった事が成功だと思います。 最近は昔に戻りつつあって、アベノミクスは失敗だったのに、揃いも揃って認めずに未だに安倍先生、安倍先生と持ち上げています。 失敗であっても、小泉や民主党が勝った時のように、国民が政治に関心を持ち続けられれば良いと思います。 万人に良い制度なんて有りませんから。