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※ ChatGPTを利用し、要約された質問です(原文:「鬼滅の刃」の価値観)

「鬼滅の刃」の世界の価値観について

このQ&Aのポイント
  • 「鬼滅の刃」の世界では、血なまぐさい殺戮シーンとギャグシーンが混在しており、これが気に入らないと感じる人もいる。
  • 壮絶な最後を迎えた炎柱がカワイイマスコットになったり、劇中で変なギャグシーンの後に無垢の市民が惨殺されたりする点には批判もある。
  • しかし、それでもなお「鬼滅の刃」は多くの人に支持されており、フィクションのアニメとして受け入れられる理由があるようだ。

質問者が選んだベストアンサー

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noname#259322
noname#259322
回答No.6

「鬼滅の刃」のファンです。 ちょうど10年前の作者の初読み切りの時から作家として好きでしたから、期待値が高いまま連載が始まった「鬼滅の刃」も読んでいました。 最初は「すごく好きな話だけど、ジャンプという感じがしないなあ。このままだと打ち切りコースかなあ。はがき出さなきゃ。私は好きだけど。」と思いながらせっせとジャンプを買っていました。(後に、当初からのファンの多くが同じ気持ちだったことを知ることになります) >「鬼滅の刃」の世界の価値観について、どうしても気に入らないなあ、と思うのが、「血なまぐさい殺戮シーンとギャグシーンが混在する点」です。 私は気になりません。 むしろ、あのギャグシーンでの緩和がなければあの作品はああまで受け入れられなかったと思っています。 私以外にも、「なくてはならない要素」と受け止める人は数多くいます。全員がファンとも限りません。ファンではない人であっても、特に鬼滅にのめりこまなかった人でも、あのギャグ要素を肯定的に受け入れている人はいます。 理由は2つあります。 1つは単純です。 陰惨で暗く、鬼の脅威に対するは脆弱な人間という緊張感だけで話を引っ張ると読者のストレスが高すぎます。 あのギャグシーンでガス抜きをするから読者はなんとかついてこられるのです。 次の理由、あれこそが「人間側の良さ」としても描かれているからです。 お気づきですか? そういう「くだらないギャグシーン」は常に人間しか行っていません。 同時に、あのギャグシーンは和気あいあいとした掛け合い、多少つきはなしたいいかたをするときがあっても気を許した仲間同士だからこそできるじゃれ合いとして描かれています。 彼らはお互いの性格の違いを許容しあう。そのせいでボケとつっこみになっていたりもすれば、お互い労わりあったり、他愛ない話に笑い合ったりもする。 そういうシーンとして描かれています。 先日、作業中に刀鍛冶の里編第1話をずーっと繰り返し繰り返し再生していたのですが、前半の上弦がいがみ合っているシーンだけ嫌気がさして飛ばすようになりました。 中間の炭治郎が目覚めた後でベッドのそばで炭治郎の覚醒を喜び合っている蝶屋敷の面々たちと、あまりにも違う。ぎすぎすしてお互い嫌味を言い合い、隙あらば蹴落として自分だけが上に行こうとする。暴力を振るったり、出し抜こうとする。 鬼はそれしかありません。 だからこそ、人間との違いが際立ちます。 ギャグシーンは人間にだけ許される、心の絆があるからできる場面でもあります。 (厳密にはギャグ要員を務める愈史郎は鬼ですが、彼は「人を殺していない」という点で人間側です) 私は漫画派なので特にアニメ派とは受け止め方が違うかもしれません。 漫画は漫画ならではの文法で描かれているため、テンポなどがアニメと違います。アニメはそれをそのままアニメ化しているため、多少テンポが悪かったり、ギャグというには崩れている場面があるとも感じます。 また、「ギャグが合わない」「ギャグシーンが寒く、笑えない」という感想も他の視聴者から聞くことがありますね。 これはわかります。ギャグ、笑いの感性は人それぞれですから、合わなければ余計に共感しにくいでしょう。 ですが、「ギャグシーンは戦いの合間の息抜き、かつ、作中で尊いものとして描かれている人間ならではの絆があるからこそ成立するシーン」は間違いありません。 「鬼滅の刃」で繰り返し描かれるのは、人の心の繋がり、絆が尊く、いかに意味があるかです。そしてそれを壊して歩くのが鬼です。自己中心的な我欲だけで他人を理不尽に傷つけ、痛めつけ、殺して喜ぶもの、それが鬼です。 そしてあの鬼滅の刃の世界の鬼は明確に現実世界の悪人です。 人間の中にある悪を鬼という異形に描き、娯楽作品に昇華したのが「鬼滅の刃」です。 ギャグシーンは鬼と人間とを対照的に分ける要素であるという点で、たとえ好みでなくとも、むしろ混在していなくてはならない。 その構造は理解できる人は理解できるように描かれています。 別に血なまぐさい殺戮シーンを揶揄するために使われているわけではないですよね。 バトルの合間にもギャグ要素を入れ込んでくることはありますが、殺戮をちゃかすようには描かれていません。 だからこそ、混在に何が問題あるのかと思います。 それに >壮絶な最後を迎えた炎柱がSDガンダムみたいなカワイイマスコットになって売られたり、女子高生のバッグにぶら下がってたり、 これは作品の外の話で「鬼滅の刃」の世界観にギャグと残酷さが同居している話とは関係がないですよね…。

kairibaka
質問者

お礼

ありがとうございます。 初めてファンの方から「嫌なら見るな」以外の回答をいただけました。 へえ、と思いました。 その上で、 ギャグシーンが殺戮シーンの緊張を解く役割、との事ですが、正直、 「あんなギャグシーンであの凄惨な殺戮シーンを相殺出来るのか?それは鬼滅ファンにとってあの殺戮シーンはその程度のものということなのか?」 という疑問は残りました。 ストレスが大きければギャグ入れるの? それって「刺激が強過ぎる」という保護者のクレームを交わすために「はだしのゲン」を平和教育教材から外す教育委員会と同じ発想ですよね。 「ギャグシーンは人間性の描写」 本当かなあ?とは思います。ていうか、ギャグシーンも凄惨な殺戮シーンも変わらず同じ心持ち、同じ共感度合いで見ていられる、それが鬼滅ファンの方々なのかなあ、と私には自然に思えます。ファンだけど登場人物に共感していない、それがほとんどで、色々な理由は全部後付け、 劇中壮絶な最後を迎えたキャラクターが三頭身フィギュアで売られたり買われたりするのも、「共感の希薄さ」が根底にあるんじゃないでしょうか?全く無関係、というのは、ちょっと考えが浅い気がします。 すみません。ありがたいご意見ですが、ちょっと「府に落ちる意見」ではなかったです。でも、私には府に落ちない理由で鬼滅は支えられている、それが改めてわかりました。「嫌なら見るな」より100倍まともに思えました。 ありがとうございました。

kairibaka
質問者

補足

内容的には全く府に落ちない、全く賛同出来ないご意見ではありましたが、それでも初めて鬼滅ファンの方から「嫌なら見るな」以外のご意見をいただけました。正直嬉しく思えました。 ただ、やっぱり納得出来ませんでした。鬼滅ファンの方々って結局殺戮シーンもギャグシーンも同程度の共感度合いで見ていられる人達だから、そういうの平気なんだろうな、若者の共感力がすごく弱くなっている、その象徴が今の鬼滅ブームなんだろな、 というのは今も強く思えます。

その他の回答 (7)

  • eroero4649
  • ベストアンサー率32% (11074/34516)
回答No.8

>少なくともファーストガンダムで、コアファイターで体当たりして死んだリュウさんや戦死したスレッガーさんの三頭身フィギュアなんてなかった、さすがにそれは出しちゃダメだろう、というブレーキがあったのだと思うのですが ガンダム世代ですけど、当時はそういうデフォルメ三頭身キャラがなかっただけだと思いますよ。私の記憶の中では、私が小学生だったときにそういうもの(三頭身デフォルメキャラ)があった記憶がない。「ガラット」というのはありましたけど。 昔の作品を美化して持ち上げ、今の作品を貶めてケチをつけるのは、(指摘するのが若者だとしても)典型的な老害じゃないかなと思います。昔の作品はいうほど高尚でもなかったし、今の作品がいうほど下品でもないと思います。 そういう論理展開は、最近よく見かける「昔のドリフは人を傷つけない笑いだったが、今のお笑いは人を傷つけるサムい笑いだ」に通じるものを感じます。いや、ドリフだって十分下品だったし、いじめを助長していただろうって。 あと30年もすると「昔の鬼滅の刃はこれだけ立派なものだったが、今の作品にはそういう魂がない」と批判されるのではないでしょうか。 ガンダムを引き合いに出されると、戦闘シーンとギャグが混在する「戦闘メカザブングルなんてどうなるの?」って思います。 激シブアニメである「装甲騎兵ボトムズ」なんて、ファン自身の手によってネタ、パロディ化されています。 自分の感性に合わないものを「そういうのはどうかと思う」と否定するのは、日本のオタクの悪いところだと思います。

kairibaka
質問者

お礼

ありがとうございました。

回答No.7

mr.サンデーの後番組でチラ見したレベルなんですが、「どこが面白いの?」です 感動するファン心理が分からない…

kairibaka
質問者

お礼

ぶっちゃけ鬼滅ファンって、 「みんなが見てるから見てる」 がほとんどだと思います。 今の若者の趣味って、「仲間との共有」だけが目的で、他はどうでもいいし、別にアニメでなくってもいい、アニメ見るのは、コスパが良いから。だから、倍速で見る。 どんなご意見が来るのか、楽しみですよね。

  • JP002086
  • ベストアンサー率34% (1535/4403)
回答No.5

1シーズンから観ていましたが、どうしても「好き」にはなれないアニメですね。 アニメで言うと「ブリーチ(BLEACH)」や「ソード・アート・オンラインアリシゼーション War of Underworld」の方が、好きです。 で、色々な商品とのコラボを観て・・・・ 「なんで鬼滅の刃が??」と疑問符ばかりです。 進行にもよるのですが、「何を伝えたいのか、目指す先は?」が観えなくまとまってない様に見えてしまうので、好きでもなく嫌いでもないので暇つぶし程度に観ているだけですね。

kairibaka
質問者

お礼

ありがとうございますやっぱりファーストガンダムと比べてしまうのですが、特攻で散ったリュウさんや戦死したスレッガーさんの三頭身フィギュアなんてなかった、さすがにそれは出しちゃダメだろう、というブレーキがあったのだと思うんです。鬼滅にはそれがない。 レンゴクさんの壮絶な最後やコチョウシノブの最後は、カワイイ三頭身フィギュアとは別物、凄惨な殺戮シーンもギャグシーンも同じくらいの共感度合いで平然と見ていられるのが、大多数の鬼滅ファンなんでしょうね。コチョウシノブが自らを毒にしてわざと怪物に食べられるシーンを見た翌日に、その三頭身フィギュアを買える、そんなメンタリティ、それが嫌なら見るな、で終了、 そう考えると、今の日本ってある意味スゴいですよね。

回答No.4

鬼滅の刃を私は見たこと無いのだけど、混在はまずいな。常にどっちかに寄ってて欲しいと私は思った。 例えば、戦争映画中で欧米人がたまにジョークを言うことがある。これはぶれてない。雰囲気はシリアスに寄ったままだ。やるならこんなふうにならなきゃ。

kairibaka
質問者

お礼

ありがとうございます。 昔の戦争映画のジョークのシーンは、むしろ戦争の悲惨なリアリティを際立たせる、一本筋の通ったものだったと思います。鬼滅のギャグシーンは、そういいったものとは思えない、 凄惨シーンが印象的なのは、それだけ視聴者が「共感」を感じて見ているからですよね。そこに平然とギャグシーンがあるという事は、鬼滅ファンは実は大した共感も思い入れもなく見ていて、どっちのシーンも変わらない気持ちで見ている、 あの凄惨な殺戮シーンを何の共感もなく見ていられる、そんな子どもが当たり前で、嫌なら見るな、 そう考えると、今の日本ってある意味スゴいですよね。

  • habataki6
  • ベストアンサー率12% (1182/9781)
回答No.3

昔の刑事番組は凶悪犯相手に、爆発や乱射というのは普通でした、 スタントというのは常に体張っていますから、不具合は死傷事故 につながります。 マンガやアニメは映像の世界なので、SF映画と同じで架空の 世界です、創作活動しても誰も異議は唱えないです。 嫌なら見なければ解決です。

kairibaka
質問者

お礼

「嫌なら見るな」 そこに帰結してしまったら、はい、もうそこで終了ですね。 今のご時世、結局そうなんですね。 ご回答ありがとうございました。もう結構です。

回答No.2

私もあんまり好きではないです。 シリアスシーンとギャグシーンがあまりにも混在しすぎると冷めますね。 キン肉マンあたりもそういう感じがありました。 昔で言えば、例を1つ出すとしたらデビルマンみたいなアニメが一番ベストかなっておもいますね。

kairibaka
質問者

お礼

ありがとうございます。 昔も血なまぐさい印象的なアニメはありましたね。ただ、印象に残るということは、それだけ視聴者の「共感」があったからで、ある意味「心を入れて見ていた」訳で、 鬼滅レベルの凄まじい惨劇シーンがあって同時にギャグシーンがあるという事は、鬼滅ファンの多くは実は大した共感も思い入れもなく、血なまぐさいシーンもギャグシーンも変わらず何の共感もなく見ているのかなあ、と思います。 あの凄惨な殺戮シーンを見て何の共感も覚えない、そんな子どもらが当たり前の今の日本って、ある意味すごいですよね。

回答No.1

たまたまそういうのを見てきていなかっただけで、昔からそんな雰囲気のアニメや漫画ありましたよ。 もっと昔はシリアスならばシリアス1本という感じでしたけどね。 ですが、そのシリアスっぽい某世紀末アニメもイチゴ味(ギャグ)にパロディリメイクされましたけどね。 慣れだと思いますよ。 今アニメを楽しんでいる世代のほとんどが生まれた時にはそういうアニメがゴールデンタイムで、シリアス1本なのが深夜に…という感じでした。 今はアニメのほとんどが深夜枠ですけどね。

kairibaka
質問者

お礼

ありがとうございます。 全部最初から最後までシリアスの方が、絶対いいと思いますね。少なくともファーストガンダムで、コアファイターで体当たりして死んだリュウさんや戦死したスレッガーさんの三頭身フィギュアなんてなかった、さすがにそれは出しちゃダメだろう、というブレーキがあったのだと思うのですが、今はそれがない、 それもまた多様性? つか、多様性って、それがですか? 単に想像力の欠落じゃなくて、何でもアリの多様性?嫌なら見るな、 そういう事? なんて思ってしまいますね。