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「反対派」と「キルドーザー事件」。

今回もかなりの長文となります。誠に恐縮ですがご一読いただければ幸いです。 先日、成田空港の建設反対派が空港の敷地内に建てたやぐらを強制的に撤去する代執行が行われ、反対派の方々と警察の機動隊がもみ合いになった、というニュースがありましたが、私がこのニュースを見て思うことは次の2点です。 ・いわゆる「反対派」の方々が抱く「恨みのエネルギー」のようなものにはすさまじいものがある(成田空港の例で見れば、50年以上という長きに渡り建設に反対し続け、抵抗を続けてきた) ・地域全体、ひいては国全体で何か物事を決めるときは、可能な限り反対意見を取り入れ改善し、「すべての人々」が納得しない限り進めてはいけない(つまり、「たった1人でも」反対する方がいる限り、事業や計画などを進めてはいけない、ということ) 私がなぜそう考えるのかというと、「ありえへん∞世界」などのテレビ番組で放送された「キルドーザー事件」という事件があるからです。これは2004年にアメリカで起こった事件で、大まかな事件の流れは以下の通りです。 ①後に事件の容疑者となる男性がコロラド州のとある田舎町に移住する ↓ ②ある日、男性の自宅近くにコンクリート工場を建設するという計画が持ち上がる ↓ ③地元住民が抗議活動を始める ↓ ④工場の建設の中止を求めて裁判を起こすも敗訴 ↓ ⑤敗訴した後も地元住民が抗議活動を行うが、地元新聞社が工場建設反対派を非難する記事を掲載する ↓ ⑥いつしか工場建設に反対する人はその男性1人だけになり、実際にコンクリート工場が建設される ↓ ⑦自分の考えが受け入れられなかった、という恨みを募らせ、ブルドーザーを改造して「キルドーザー」を作る ↓ ⑧キルドーザーに乗り込み、自宅近くに建てられたコンクリート工場や新聞社のビルなどを破壊する 参考記事URL↓ https://ja.m.wikipedia.org/wiki/キルドーザー事件 https://toyokeizai.net/articles/-/298740 いろいろな事業や政策を進めていくにあたって議論していく中で「賛成」「反対」と意見が二分されることがあるのは当然のことだと思います。特に、国や地域に関する問題を議論するときには賛否のバランスを考えて、互いに言い争いにならないように討論することが最も大切なことだと思います。しかし、最近では「自分の意見や主張を押し通そうものなら他人に危害を加えたり誹謗中傷したりすることも厭わない」という人が増えているように私は思います。 コロナや物価高など、いろいろな問題を抱えている日本ですが、これらの問題点を解決するには国民全員から賛同を得られるような対策を考えなければならないと思います。皆さんは賛成派、反対派全員が納得がいくような議論をするにはどのような方法があると思いますか?また、自分の意見とは異なる意見を持つ人に対して、トラブルを起こさないようにするにはどのような付き合い方をすれば良いのでしょうか?ぜひご教授いただければ幸いです。

みんなの回答

回答No.2

>「キルドーザー事件」というたった1人の反対派の意見を持つ人が起こした事件がある以上、私は反対派の方々を何とかしてなだめていかなければならないと思います。 それって、全員が拒否権を持つということですよね。社会が維持できなくなると思います。

spr_ngtv
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 どんな物事にも賛否両論が出てくるのは仕方のないことだと思います。しかし、賛成派、反対派のどちらにおいても過激な行動をとる人が増えているように感じます。個人的にはもっと理性的に議論や討論をするべきだと思います。

回答No.1

>地域全体、ひいては国全体で何か物事を決めるときは、可能な限り反対意見を取り入れ改善し、「すべての人々」が納得しない限り進めてはいけない(つまり、「たった1人でも」反対する方がいる限り、事業や計画などを進めてはいけない、ということ) 何もできなくなりませんか?

spr_ngtv
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 「キルドーザー事件」というたった1人の反対派の意見を持つ人が起こした事件がある以上、私は反対派の方々を何とかしてなだめていかなければならないと思います。