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※ ChatGPTを利用し、要約された質問です(原文:この様な作為はされていますか?)

日本国民と自衛隊員の食量備蓄は十分でしょうか?

このQ&Aのポイント
  • 平時でも戦時でも、日本国民と自衛隊員の食量備蓄は必要です。
  • 戦時の食料は輸入に頼っても制空権や制海権で侵略軍に封鎖される可能性があります。
  • 日本国内での生産が重要であり、自給自足を目指すべきです。特に農家の減少と減産が問題となっています。

質問者が選んだベストアンサー

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  • yaasan
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回答No.7

戦争と言えば、と書かれていますが、戦争の話(議論)なんて一切したことはないと思いますよ。頭のよくない人が軍備の話とか憲法改正の話の時にわざわざその言葉を持ち出しているだけかと思います。 軍備は戦争のためにするのではなく、専守防衛のために整えようという話です。ですから、戦争になったら、なんて事を考えての発言なんて、議員さんとかから出た事はないと思います。戦争という言葉を出す人は話し合いで戦争なんて起こらない、と言い張っていますからね。 食料自給率の話は昔からの課題で、だけど、日本の人口をもっと減らして、平地のほとんどを田畑に替えて、初めて達成できるような無理難題なので、当面の目標は日本を戦争状態に陥らせない、だと思いますけどね。

g0721475
質問者

お礼

有難う御座いました。

g0721475
質問者

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日本の防衛や1億人の食糧の事は国会議員に任せて 正解ですね。ならば、自分たちは年金が下がらない 様に消費税が上がらない様に祈るだけです。ちなみ に、今、困っているのは、パソコン用のプリンター が壊れました。電化製品の老朽化で買い替えが月並 み押し寄せています。車も10年以上乗っています。 金がいくら有っても足りないくらい、後、20年間 4,800万円はいると思います。そしたら90歳 で成仏できます。

その他の回答 (6)

noname#253661
noname#253661
回答No.6

食糧だけ見ても、明治以降から現在に至るまで、食糧自給率は下がりっぱなしです。 昭和初期、米の輸入は毎年百万トン単位です。 日本の船舶製造技術は、裏でこのような働きがあったから、飛躍的に技術が向上したわけです。 明治維新以降から現在に至る間、この国の食糧自給率を気にしたことあったのですかね? 満州建国以外に本気に取り込んだ事は無いのでは? 戦後、全然駄目、この問題に誰も不向きか後向きでした。 戦争に負けて実行出来ませんでしたが、自給自足を目指し新たな農地開拓の期待を込めて満州を建国しました。要するに資源確保です。 自衛隊の全隊員の食糧は常に3日分(9食分)を確保しております。 東日本大震災の際、被災地において、被災者らに隠れながら携行食「赤飯」を食べておりました。 これは仕方ないです。 製造業が勝手に決めるもので自衛隊は仕方無くそれを受理し隊員に配分するわけです。 自衛隊が決めても良いが、その分、割高になって結局は税金に響きます。

g0721475
質問者

お礼

有難う御座いました。

g0721475
質問者

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戦後、自由民主党は農民を大事にしてきました。 飢えで苦しむ国民が闇市で物を買い、農家に行 き着物と野菜を交換していました。令和の時代 農民は置き去り気味ではないでしょうか。基本 は食糧農業で次に工業・商業そして公務員では ないだろうか。今は、公務員そして工業・商業 ・農業の順になってはいないだろうか。

  • NOMED
  • ベストアンサー率30% (522/1725)
回答No.5

まぁともかく、ご質問内容は、日米同盟が無いことが前提ですから、いつの時代を想定されているのか、図りかねます

g0721475
質問者

お礼

有難う御座いました。

g0721475
質問者

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現実、ロシアとウクライナ戦争で、日本にも 少なかれ飛び火すると思います。隣国で無い のが救いだと思います。隣国であれば夜も眠 れない恐怖が訪れると思います。

  • fujic-1990
  • ベストアンサー率55% (4505/8062)
回答No.4

 干ばつなどの天災に備えとしては「政府備蓄米」という制度があります。  手元の事典では150万トン(+民間50万トン)、インターネットでは100万トンとも書いてあります。  100万トンだろうが150万トンだろうが、国民全体に食わせる量ではありません。  小麦などは政府が外国から買い取って製粉会社などに卸す仕組みなので、多少は在庫があるかもしれませんが、備蓄の為に取っておくものではないのでほとんど無視していいと思います。  となると、質問者さんが期待されるようなものはナイ、ということになります。 > 飢えて死ぬのは貧しい国民です。  いえ、戦争等で食う物がないという状況(設定)であれば、飢えて死ぬのは貧しい国民に限ったことではなく、富める者も飢えて死ぬことはあると思います。  それに、日本国民の中でも特に「貧しい国民」と言われる人たちは、たぶん、たぶんですが、「備蓄のための税金」は納めていないと思われますので、備蓄がナイことを政府の怠慢だとしてなじる立場にないと思われます。  政府は頼れないし政府を罵ることもできないので、私ならTV番組の「ポツンと一軒家」に出て来るような山奥の朽ちかけた空き家に入り込んで、荒れ果てた元農地を汗水流して開墾しなおして、食料を得ると思います。  野菜が取れるまでは山菜を探して食べるとか、頭を使って工夫して、熊やイノシシを狩ってジビエ料理としゃれ込むと思います。  つまり今は貧しくても、知能と汗水流して働く気さえあれば飢えて死ぬということはないと思っています。頑張りましょー。

g0721475
質問者

お礼

有り難う御座いました。

g0721475
質問者

補足

山に隠り小屋に入り田畑で米や野菜を作る。しかし、 1億人が全国の他人の山に集まれば、賑やかすぎて 喧嘩になり、敵からの爆撃を受ける可能性も有りま す。食べられるのは早くて半年後1年後となります。

  • NOMED
  • ベストアンサー率30% (522/1725)
回答No.3

調べればわかりますが、災害用の備蓄は市区単位で、一食分程度しか備えていません 毎年この時期に、買い替えをしていますので、希望の自治会が申請すれば無料配布され、その他は破棄されます ですので、備蓄品というお考えは無くしたほうが良いでしょう また、確かに災害時は、他の都道府県や国から備蓄品が回されますが、補足?で書かれている数年は無理です しかし、質問の着地点が「飢えて死ぬのは貧しい国民です」から、この「貧しい国民」の意味が図りかねます 戦時?は、第一次産業も止まるでしょうから「他県にないものを交換しながら助け合い」ご質問の意味が正直なりたちません また、現在のウクライナのように、まず戦争で狙われるのは発電所です 電気もないのですから、何を交換するのか?だいぶ図りかねます

g0721475
質問者

お礼

有り難う御座いました。

g0721475
質問者

補足

何の作為も無理なら、国民が平等に飢えないように 出来なければ、その時点で無条件降伏するしか有り ません。自衛隊だけが頑張っても、食糧が無い弾薬 がない武器も無いでは、ウクライナと同じになると 思います。

  • eroero4649
  • ベストアンサー率32% (11074/34516)
回答No.2

よくある鎖国論ですが、意味ないですよ。以前にもどこかで指摘したような気がするのですが、農薬も肥料も輸入なので、農薬も肥料も使わないで農業をやろうとしたって現代農業の常識からすると生産性ガタ落ちで飢餓に苦しむだけですよ。 「農業革命」が起きたのは、20世紀になってからです。人類の文明(農業)の歴史はおおよそ5000年くらいと思われますが、その5000年の歴史は常に飢餓(凶作)との戦いでした。凶作が続くとどこの文明でも戦乱が起きるのです。 農業生産性が飛躍的に伸びるようになったのは本当にここ100年のことで、なぜそうなったのかというと、肥料が発明されたからです。これはユダヤ系ドイツ人のフリッツ・ハーバー博士の功績ですが、ハーバー博士の別名は「毒ガスの父」でもあります。 農薬も肥料も使わないで農業生産性を上げようとしたら土壌が豊かであることが必須なのですけれども、火山だらけの日本は火山灰が多くて土壌の世界でいうなら「痩せた土地」なんですよ。 だから日本が自前の土地による農業だけで食べていくのは元々無理があるのです。ただ、日本は水は大量に手に入るので田んぼは作れます。なので元は赤道に近い南の植物である稲をどうにかこうにか日本で育てることができました。 小麦は連作障害を起こすので土地を休めないといけませんが、米はそうはなりません。おまけに玄米は完全栄養食で、極論玄米だけ食っていれば人間は生きていけます。 そんなわけでして、第二次世界大戦が終わるまでの日本人は「コメしか食わなかった」といっても過言ではないほどにお米しか食べない民族でした。どのくらいコメしか食べなかったのかというと、白米が主流になった明治以降、玄米に含まれるビタミンが不足してなる脚気が国民病として広まるほどに日本人は米しか食べなかったのです。海軍が週に1回カレーライスを水兵に食べさせるだけで脚気をかなり防げたのですから、どれだけコメしか食べなかったのか。 ただこの「コメしか食わない」は大きな問題点が二つありました。タンパク質とカルシウムは不足するのです。 なので日本人の肉体は貧相でした。江戸時代の日本人は男性でも平均身長は150センチ程度でした。特にパワー不足は当時の軍隊にとっては深刻な問題で、「日本軍には大口径の大砲が不足していたのでノモンハン事件でソ連軍に敗北した」と軍事マニアの間でよくいわれるんですけれど、当時の日本兵に大口径の大砲を持たせようとしても大砲も重ければ砲弾もそれだけ重くなって当時の日本人では扱いきれなかったのです。なので軽くて持ち運びやすい(その代わり射程距離が短い)山砲が兵士の間では人気でした。 砲兵以外でも日本人のパワー不足は深刻で、特に東京や大阪などの都市部出身の若者に兵役に適さない体力の若者が多くて、それが日本軍にとっては頭の痛い問題でした。 また稲は基本的に南の植物なので寒冷に弱く、そのため戦前や江戸時代は東北地方でしばしば飢饉が発生して、東北や北陸の人々は貧しい生活を強いられました。また稲作に向かない長野県や山梨県も貧しかった。火山噴火で土壌が痩せている鹿児島県に至っては(以下同文)。 まあそんなこんなで、日本人の体が貧弱になってみんな等しく貧しくなるなら鎖国でもやってけますが、1億人の人口を維持するのは不可能でしょうね。 江戸時代の人口がおおよそ3000万人だったと推測されています。大日本帝国の人口が7000万人くらい。でもこのときにはもう食糧輸入国になっていました。 だから農薬も肥料も使わない(人糞を使った)オーガニック農業で維持できる人口は3000万人くらいじゃないかなーと推測します。現代の品種は昔のものより味も数もいいですけれど、その代わりに農薬や肥料をそれだけ必要とします。農薬が使えないから、病虫害がひどいと思います。

g0721475
質問者

お礼

有り難う御座いました。

g0721475
質問者

補足

無農薬で自然の雑草の中で、野菜を作る技術を 大昔から学び直す事が出来れば、飢えをしのげ る気がします。原始人の知恵は生かされると思 います。又、家屋とかビニールハウスとかで生 産できる技術も有るとか。現在の知識を集結す れば難を乗り切れるのではと思います。ただし、 国を挙げてのやる気が無ければ何事も成りませ ん。為せば成る為さねば成らぬ何事もです。

  • NOMED
  • ベストアンサー率30% (522/1725)
回答No.1

地震・台風・津波・火災・噴火による天災や人災は、事変と言い、平時ではありません さて、 >日本国民1億人と自衛隊員の食量備蓄は十分でしょうか いえ ・・というか、質問者様の言う戦時?の期間はどのぐらいを想定されているのでしょうか? >飢えて死ぬのは貧しい国民 長期間の戦時?、食料をお金で買えることを想定しているのでしたら、少し違うかとも思います

g0721475
質問者

お礼

有り難う御座いました。

g0721475
質問者

補足

災害は日本全国ではないので、平時としました。 戦争になれば1年から3年は抵抗出来ると思い ます。直ぐに負ければ、食糧は強奪され飢えて 死ぬしか有りません。拷問と強制労働が待って います。植民地生活です。逆らえば銃殺です。 北は、北海道へロシアが上陸、南は、沖縄へ中 国が上陸、能登半島は、北朝鮮がミサイル攻撃 後上陸、家族が見ている前で、拉致・強姦・捕 虜は射的の的にされる運命が待っている。