それでもあなたと仲良くしてくれている今の友達は、あなたのその素直じゃない卑屈な部分も「含めて」受け入れている。そういう意味では感謝した方が良い。あなたが今感じている不安はとても誠実なもの。素直じゃないというよりも、相手の気持ちの高ぶりに水を注したり、コミュニケーションの流れを途絶えさせてしまう、そういう下品なスタイルをあなたは今選んでいるから。コミュニケーションはキャッチボール。相手から届くボールをしっかりとグローブでキャッチする。良い音で捕る事で相手を気持ち良くしてあげる。捕球した後にはしっかり相手の胸元に取りやすい球を投げる。その目線があればあなたのような態度は成立しない。今のような態度を選ぶあなたにボールを投げたって、相手は気持ち良くならないから。なんだか取り難そうにボールを捕るあなた。相手がしっかり胸元に投げているのに、あなたわざと落としたり、山なりに投げたり、ゴロを投げたり。お友達から見て「イレギュラー」がとても多い。そんなあなたのリアクションからは、リズムの良さも感じない。お友達目線で言えば、あなたは一生懸命話しかける価値(甲斐)が無い。別にリアクションなんて期待せずに他意無く話しかける時には問題ないけれど、良いレスポンスやリズムが欲しい時にはあなたは選ばれない。今の態度を選んでいると本当にそうなってしまう。そうなる前に気づけた事には凄く意味があるのかもしれない。素直じゃないという言葉もあまり使わない方が良い。素直じゃないという言葉を使うと、素直になる事があたかも必要条件のように、自分で自分の気持ちハードルを上げてしまうから。素直さの問題よりも気持ち良さの問題。別に相手が望んでいるリアクションが出来なくても構わない。あなたはあなたの感じたリアクションをして構わない。あなたのリアクションは、しっかりコミュニケーションの「担い手」として発出されているか?わざわざボールを投げてきたお友達の気持ちを汲み取っているか?あなたの卑屈な態度は器の小ささと弱さの表れ。周りは別にそれ自体には不満は抱いていない。あなたは基本そういう人だと思っている。ただ、自己完結した態度を取り続けるとあなたは本当に孤立する。卑屈な態度でも良いから、あなたなりに楽しんでいる事が伝わるように。しっかり相手に向き合う姿勢を持っている事が伝わるように。気づいたらただ裁くだけの雑な態度になっている可能性がある。あなたも担う必要がある。担おうと思えば、必然的にあなたと向き合う相手目線も尊重した言葉選びやリアクションが出来るようになる。あなたから向き合う姿勢を感じる限り、お友達は幼いあなたを見捨てない。あなたは今とても大事な事に向き合っている。受け止める相手あってこそ生きたコミュニケーション。素直じゃないなら、素直じゃないあなた「なりの」コミュニケーションの担い方を。それもあなたなりに楽しんでいる姿なんだと友達に伝わってこそ、あなたはこれからも友達の一員として受け入れられていくんだと思うからね☆
お礼
細かく説明して頂きありがとうございます! 明日からは僕なりのコミュニケーションを取って友達と関わっていこうと思います。