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筑波山有名になったきっかけは?
きっかけ関係なく昔から人気の山なのか、百名山になったから有名になって人気、混雑するようになった山なのかどちらでしょうか? 常磐道ができる前、キャンディーズ(3人組)全盛の頃から休日は筑波山は人気で6号から125号~筑波山口朝から渋滞していた記憶してます。
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- sonomamadeii
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「ガマの油」がウケてから有名になりました。
- staratras
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筑波山は大昔から有名です。 奈良時代の常陸国風土記に、こんな話が載っています。昔々神様が富士山に泊めてほしいと頼んだところ「にいなえの物忌みの日だからあいにくですが…」と言って断られてしまいました。次に筑波山に泊めてほしいと頼むと筑波山は「にいなえの物忌みの日だけれど神さまの頼みなら…」と言って厚くもてなしてくれました。そこで神様は富士山は冬も夏も雪が降って人が登らず飲食物をお供えもしない山にし、筑波山は人が征き集って歌ったり舞ったりして飲食を楽しむ山にしました。 神様を冷遇した富士山と親切にもてなした筑波山を対比させた興味ある話ですが、筑波山が男女が集まって交流する「嬥歌(かがひ)」(歌垣)の舞台だったことを反映した説話なのでしょう。万葉集にも筑波山の歌がいくつもありますが、次の長歌から古代の筑波山が日常を超越した楽園として賑わっていたことがわかります。 筑波嶺に登りて嬥歌(かがひ)をする日に作る歌一首 鷲の住む 筑波の山の 裳羽服津(もはきつ)の その津の上に 率(あども)ひて 未通女(おとめ)壮士(おとこ)の 行き集ひ かがふ嬥歌(かがひ)に 人妻に 吾(あ)も交はらむ あが妻に 他(ひと)も言問へ この山を 領(うしは)く神の 昔より 禁(いさ)めぬ行事(わざ)ぞ 今日のみは めぐしもな見そ 言も咎むな (巻九 1759) 純愛路線がお好みなら次の防人の歌が印象的です。 筑波嶺の さ百合の花の 夜床にも 愛しけ妹そ 昼も愛しけ (巻二十 4369)「筑波山の百合の花のように、夜床でもいとしい妹は、昼もいとしい。」という意味です。
- FattyBear
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筑波山は大昔(万葉集の頃)から色々な面で魅力的な山であり人気でした。 下記、参照下さい。 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%AD%91%E6%B3%A2%E5%B1%B1
- usaginounagiya
- ベストアンサー率44% (153/347)
有名になったのではなく、中高年の登山ブームが数年前 から来ています。 北海道で戊辰戦争の埋蔵金伝説が残る、トムラウシで遭 難したように、中高年の登山ツアーもあります。 筑波山は、都心から気軽に行ける立地にあるため、筑波山 のみならず近郊の山でも同様のことが起こっています。 百名山でも地方に行けば、逆に登山する人などほぼ見かけ ません。 涼しくなってこれから紅葉シーズンに掛けてドンドン人が 増えます。 流石に厳冬期になればピタっと止みますよ。 人口過密エリアにあると、人が押し寄せます。