カルトのみならず、例えばキリスト教ですが、清貧を唱えていること。
現世ではなくて天国へ富を積む(善行を積む)
金銭に囚われて精神性よりも物欲重視の金持ちは天国へ行きにくいとの教え。
キリストは物や衣服にこだわったりすることにも反対で
自己顕示欲や偽善、つまり自分自身を着飾ったり見せびらかしやステータス・財産の自慢などに嫌悪感を示しました。
そして何よりも、聖職者はもちろんですが敬虔な信者にとっても
「神の道に生きる」=「信仰に身を捧げる」=
キリスト教の場合は「恵まれないものや貧しいものなど他者を助ける」のが人生の目的となるので、優先・重要項目が「自分」や「いかに自分が現世を面白おかしく楽しく生きるか」ではなくて他者の救済となります。
つまりは己を一方的な消費者・捕食者として世界の中心において自分自身を飾ること(美容やファッション)などで頭をいっぱいにしたり浮世の様々な欲望や煩悩にかられてギラギラしているのとはまったく正反対の姿勢が外面にもわかりやすく表れるのだと思います。
世界の歴史を見ればキリストの教えをまったく守ってこずに豪華絢爛・物欲・権力欲にかられた人間が大勢いたのもたしかですが、そのあたりは仏教もイスラム教も変わらず人間の性なのでしょう。
日本ではカソリックを「キリスト教のなかで一番のステータス」としたり西洋コンプレックスゆえに選ぶ人が少なからぬ印象もあるため、ブランド好きで物欲の塊のような肩書信者も見かけられます。