※ ChatGPTを利用し、要約された質問です(原文:自己矛盾について)
自己矛盾について
このQ&Aのポイント
異性嫌いながら恋愛を望む理由とは?自己分析で明らかになった2つの要因
容姿やモテテクに興味がない理由とは?恋愛に対する疑問と矛盾を探る
恋愛を望む心と現実のギャップに悩む一方、自分の体調不良の原因も解明したい
私は異性がやんわり嫌いですが,恋愛をしたい・異性と付き合いたいと思っています.
しかし,そのために容姿を磨いたり,モテテクを身につけたりということがしたくありません.
これらの行為は何か間違っていると考えてしまいます.
私は上記の通り,異性がやんわり嫌いです.
母親も正直苦手です.
だらしない妹を見ているので女性に対して期待を持っていないつもりです.インターネットで散々女性から被害を受けた男性の体験談を読み漁りました.所謂ミソジニストと言われても差し支えない身だと思います.
それだけの行動をしているにも関わらず異性と恋愛関係を持ちたいと考えてしまいます.その原因を自己分析した結果としては以下の2点が挙げられると考えています.
①隣の芝は青い
②淘汰に抗いたい
①について,私は異性は嫌いだが性欲には逆らえないと思い完璧なマスターベーション設備を整えました.一時はラブドールも購入しました(残念ながらドールの方は私の取り扱いミスで破棄に至ってしまいましたが).それでも恋愛が気になるのは何か自分が持っていないものを持ちたいというくだらない願望を抱いているからだと思います.
②について,SNSなどを通じて男性を虐げる異性の意見をたくさん読んできました.しかしこのまま何もせず独身で過ごすのは彼女らの意見に迎合するのと同じだと考え,一般的に普通とされる生物的に正しい人類であろうと考えるようになりました.
ただ,実際に恋愛となると全くそこに注力できません.
容姿・オシャレについて調べても才能と金がかかることばかりです.
清潔感のことなどをいくら調べても結局イケメンがいい,という結論の文章ばかりに感じます.まず化粧はしたくありません.
モテテクの本を読んでも自分は実行に移せないだろうし,何よりそんなものを使いたくない,それのテクニックを使うことが似合う男性にはなりたくないと感じます.
街でナンパする気なんて全く起きません.私はナンパ師を馬鹿にしていましたが,あれはあれでストイックな行為だと感心すら覚えるようになりました.
職場恋愛する気はありません.いざという時に自分が異動したくないし,相手が異動させられるのも相手に迷惑がかかるからです.
社会人サークルでの出会いを探すこともしたくありません.恋愛目的でコミュニティに入るのは,例えばスポーツをするサークルなら,もともとスポーツがしたくて所属した人に失礼だと感じます.また恋愛沙汰で自分が所属していたコミュニティ・サークルが解体される様をリアルタイムで見届けたこともあります.
マッチングアプリなんてもっての外です.外見と一次資料のスペックで8割ジャッジされるのもするのも嫌です.
恋愛を捨て,結婚ということだけなら結婚相談所は選択肢ですが,ただ値段が高くなっただけのマッチングアプリだと感じます.
ここまで読んで「東大に入りたいけど勉強したくない」という文章に捉える方もいると思います.私に否定はできません.
でも,やはりこれらの行為は間違っていると考えています.
私の心が「今こんなことをしている場合ではない」と訴えています.
こんなことを1年以上考えているうちに不眠症になりかけました.
カウンセラーの先生のおかげで回復に向かっていますが,今一根本的な原因は取り除けていないと感じています.
恋愛や異性が全て解決してくれると勘違いしている自分がいます.
何を解決すれば自分の体調が戻るのかはっきりしていません.
私には成し遂げたい夢・仕事があります.
でもそこに集中できていない自分がいます.
性欲に支配されるのは嫌です.
異性に媚びるのは嫌です.
だからと言って淘汰されるのも嫌です.
お礼
ご返答ありがとうございます。 >ところで質問者さんのやってみたい恋愛体験は、上記の男側、女側のどちらでしょうか? 私は育成は苦手だと思っています。育てたことがある植物といえば豆苗ぐらいでしょうか。ただ課題を技術的・発想的にクリアするのは好きです。今までそういうことばかりしてきました。話を戻しますと女性側になるのでしょうか。 ①について 私は親族がほぼお見合い結婚なのでお見合い結婚には抵抗がありません。私の両親を見ている限りではお見合い結婚でも①で書いていらっしゃる幼馴染的恋愛はできると思っています。 ②について 死を感覚で感知するということについてよく分かりました。そこで自分が死に近づいたことはあるだろうかと振り返り、交通事故にあったこと・志望していた大学に行けなかったこと・バンジージャンプしたことなどを思い出しました。しかし不思議なことに私が上記のことに遭遇したときは何の疑いもせずそれを受け入れていたように感じます。そして死んだと思ったのに生きていた、ということばかりです。山に登って頂上の崖から下の景色を覗いたとき、高さの怖れよりここから飛び降りたらどうなるんだろうという好奇心が勝ってしまう人間だと思っています。 思いつくことは何一つありませんが、自分が正しいことだと思えるならすぐに行動に移そうと思いました。改めてありがとうございました。