corpus の回答履歴
- YesかNoの重回帰分析のやり方
重回帰分析を勉強していて疑問が生じたので質問させていただきます。 従属変数がYesかNoのどちらかで結果が欲しい場合、Yesが1、Noが0というようにダミー変数を用いて良いのでしょうか。 wikipediaの重回帰分析のページでは、説明変数にダミー変数を用いる場合しか書いていなかったので。 よろしくお願いします。
- 幾何と代数は同じ数学でしょうか
デカルトが両者の間を結びつけたと聞きました。私はどちらも苦手ですが、どちらかというと幾何のほうに親しみを感じます。もちろん中学校で習う程度のはなしですが、代数のほうは微分積分、複素数など高度になっていくようですが、中学の幾何にはそういう発展がみられないので、数学にはあこがれしかありません。幾何と代数は同じ数学なのでしょうか。
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- noname#194289
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- デカルトと哲学と自然科学の関係
デカルトは近代科学の父と呼ばれていますが、この人は哲学者なのになぜ近代科学の父とよばれるのですが?哲学の中には自然科学のベースになったものがあると聞いたことがあるのですがなぜそうなるのかがよくわかりません。この人については神の存在証明くらいしか聞いたことがなかったのですが興味がわいたので教えてください。よろしくお願いします。
- 実生活に役立つ哲学の本はありますか。
自己啓発本のように実生活や生きる上で役立つ哲学の本はありますか? 私は哲学者の本は三浦つとむさんのものしか読んだことがなく、 三浦さんの本は生きる上で大変役立ったのですが。
- ビッグバン宇宙論とは何だったのか
我々の宇宙は150億年前に無から生まれたとするビッグバン宇宙論とは一体何だったのだろーか。 既にビッグバン宇宙論は破綻し、今ではビッグバン宇宙論は過去の遺物になってしまった。 ビッグバン宇宙論は何だったのか今一度振り返って見た。 ビッグバン宇宙論は無から宇宙が始まったことを何一つ証明できなかった。 結局ビッグバン宇宙論は科学ではなかった。 無は現実の世界には存在せず、物理で扱えるものではなかった。 にも関わらず実証不可能なものである無を科学に組み込んだのは、科学を否定することを意味したからである。 150億年とゆー宇宙年齢もいい加減なものであった。 人間が望遠鏡で観測できる、宇宙のごく一部を観測した結果をもって宇宙が膨張しているなどと戯言を言ったりもした。 実際ビッグバン宇宙論が科学的に正しいと考える人は殆どいなかったのである。 そもそも常識的、経験的に考えて宇宙が無限であることは誰の眼にも明らかであった。 ビッグバン宇宙論は20世紀が生み出した最大のギャクに過ぎなかった。 ではビッグバン宇宙論は何故生まれたのか。 ビッグバン宇宙論とは、一つの世界宗教であり、 ローマ法王が認定した終末思想であった。 しかしこの終末思想には明るい未来は無かった。 ビッグバン宇宙論は次第次第に人々の心に暗い影を落とし始めた。 もともとビッグバン宇宙論は日本には馴染まないはずであった。 しかし閉鎖的な日本の科学界はビッグバン宇宙論を盲目的に取り込み布教し始めた。 つい半世紀前にビッグバン宇宙論が誕生する前までは世界の宇宙観は常識なものだったのである。 しかしビッグバン宇宙論と終末思想のおかげで世界は狂い始め、科学は退歩し始めた。 以上が既に破綻したビッグバン宇宙論についての自分なりの総括であるが、皆はどのよーに捉えるのかご意見下さい。
- ビッグバン宇宙論とは何だったのか
我々の宇宙は150億年前に無から生まれたとするビッグバン宇宙論とは一体何だったのだろーか。 既にビッグバン宇宙論は破綻し、今ではビッグバン宇宙論は過去の遺物になってしまった。 ビッグバン宇宙論は何だったのか今一度振り返って見た。 ビッグバン宇宙論は無から宇宙が始まったことを何一つ証明できなかった。 結局ビッグバン宇宙論は科学ではなかった。 無は現実の世界には存在せず、物理で扱えるものではなかった。 にも関わらず実証不可能なものである無を科学に組み込んだのは、科学を否定することを意味したからである。 150億年とゆー宇宙年齢もいい加減なものであった。 人間が望遠鏡で観測できる、宇宙のごく一部を観測した結果をもって宇宙が膨張しているなどと戯言を言ったりもした。 実際ビッグバン宇宙論が科学的に正しいと考える人は殆どいなかったのである。 そもそも常識的、経験的に考えて宇宙が無限であることは誰の眼にも明らかであった。 ビッグバン宇宙論は20世紀が生み出した最大のギャクに過ぎなかった。 ではビッグバン宇宙論は何故生まれたのか。 ビッグバン宇宙論とは、一つの世界宗教であり、 ローマ法王が認定した終末思想であった。 しかしこの終末思想には明るい未来は無かった。 ビッグバン宇宙論は次第次第に人々の心に暗い影を落とし始めた。 もともとビッグバン宇宙論は日本には馴染まないはずであった。 しかし閉鎖的な日本の科学界はビッグバン宇宙論を盲目的に取り込み布教し始めた。 つい半世紀前にビッグバン宇宙論が誕生する前までは世界の宇宙観は常識なものだったのである。 しかしビッグバン宇宙論と終末思想のおかげで世界は狂い始め、科学は退歩し始めた。 以上が既に破綻したビッグバン宇宙論についての自分なりの総括であるが、皆はどのよーに捉えるのかご意見下さい。
- 1価、2価のイオンについて
中学生です。 1価より2価のイオンのほうが、引き付ける力が強い、ということを読みましたが、具体的な理由がわかりません。 わかりやすく説明して頂けるとありがたいです。
- 数学「三角関数」の問題が分りません。教えてください
cosθ≧-1/2 (0≦θ<2π)を満たす角θの値の範囲を求めてください。(途中式もお願いします。) ちなみに答えは、 0≦θ≦2π/3、4π/3≦θ<2π です。
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- 数学・算数
- gyurigyuri
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- 翻訳お願いします。 First , because
翻訳お願いします。 First , because someone thought of you , and sent you this message. Second , because you are able to read. Third , and most important , because you are alive.
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- 英語
- poitepoite
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- この問題の答え教えて下さい
14%の食塩水500gに6%の食塩水を何gか混ぜると、11%の食塩水になりました。 6%の食塩水を何g混ぜたのでしょうか? また、11gの食塩水は何gできたでしょうか? 連立方程式を利用するらしいのですが・・・。
- 言語ゲームの応用について
最近ウィトゲンシュタインを勉強している学生です。 言語ゲームという彼の発想は非常に面白いし人間の様々な活動のあり方をうまく表しているなと思ったのですが、言語ゲームが他の学問(言語学、社会学などでしょうか)の中で応用される例はあるのでしょうか? あるとすれば、どのような研究に言語ゲームが生かされているのかを知りたいです。よろしくお願いします。
- ウィトゲンシュタインの逆説について
L・ウィトゲンシュタインの著名な「論理哲学論考」に以下のような不可解な逆説がありました。 「私は世界の出来事を私の意志で左右することはできない。私は完全に無力である。 ただこのような仕方で、すなわち世界の出来事への私の影響を断念することによってのみ、 私は世界から私を独立させることもできる。そして、ある意味で世界を支配することもできる。」 この一説の「・・・私を独立させることもできる。」までは何とか理解できる気がしますが、 最後の「ある意味で世界を支配・・・」の部分は完全に僕の理解を超えています。 この逆説に類似した(?)F・ベーコンの 「自然はこれに服従することによってのみ、征服される」 という言葉がその理解の助けとなるかとも思えますが(要するに、自然現象に従ってその観察・観測を 行えば、その法則化が可能となり、その法則によって自然現象は予測・予言が可能なものとなり、そしてついに人間による自然現象の制御・征服が可能となる、ということ?)、ベーコンの言う「自然」とウィトゲンシュタインの言う「世界」とは似て非なるものだとも思われ(ベーコンの「自然」とは端的に自然科学のことで、ウィトゲンシュタインの「世界」とはその科学をも含む論理的に可能な世界の全体のこと?)、不可解さは増すばかりです。 なぜ「私の影響の断念」が「世界の支配」につながるのか・・・。論理が飛躍しているとしか思えません。 皆様はこれをどのようにお考えになるでしょうか。
- 感覚質(クオリア)って?
精神の事を調べていたら時々「クオリア」というという言葉に出くわします 感覚質と訳されていますが 僕にはクオリアも性質の一つに思えます 脳内で物質や脳波、ホルモン等が反応した性質が精神を現象させていると思うのです クオリアって性質の一種でしょうか?
- 神が天地をつくったのか (表現という問題)
神が天地をつくったのか ◆(α) そう表現したに過ぎないとなぜ言わないのか? すべては表現のもんだいであるとなぜ見ないのか? ▲ (創世記1:1-5) ~~~~~ 1.初めに、神は天地を創造した。 2.地は混沌であって、闇が深淵の面にあり、神の霊が水の面を動いていた。 3.神は言った。 ――光あれ。 こうして、光があった。 4.神は光を見て、良しとした。神は光と闇を分け、 5.光を昼と呼び、闇を夜と呼んだ。夕べがあり、朝があった。第一の日である。 ~~~~~~~~~ ◆(β) 《光あれ》と神が その文字どおりに 《言った》のか? んなわけはない。時空間を超えている〔敢えて擬人法で言えば〕存在にとって 《初めに》とか《つくる》といった時間的行為がどうして必要なものか。なじまない。 ◆(γ) 光が《ある・ない》 つまり 《なかった状態からある状態に移る》ことは 時間的・経験的・相対的な現象である。 経験世界を超えている神にとって 質料(物質)の運動はその自己運動にまかせるはずである。モノの動きは 或る意味で 神としても手に負えない。(やたら奇蹟を起こすわけには行かない)。 人としても モノはその自己運動にしたがってうごいていただくように加工し誘導するよりほかない。 そもそも手に負えないことを知ることをとおしても その存在や性質を知るようになる。 あるいは 相手をうやまってこそ 人はおのれの自由を手にすることが出来る。 という当たり前のことを 神の物語――人間にとって非思考の場をわざわざ人間の言葉で表わしたもの――はかたっているのではないか。 《神が創造主である。〔よって 経験世界そして特にヒトは 被造物である〕》という表現は そういうふうに人間にとって手に負えない不自由なこととそして〔悲願としての〕自由とについての哲学をかたっている。に過ぎないのではないか? ◆(δ) もしこの非思考の場にわづかにでも 《のぞみ》があるとするならば それは ▲ 5.・・・夕べがあり、朝があった。第一の日である。 と書かれたところである。その後も《第二の日》から《第六の日》まで同じ表現で書かれている。 ▲ ゆうべがあり あさがあった。 と。《光を昼と呼び、闇を夜と呼んだ》ところの《夜》は世界において現象しているにもかかわらず 人は《ゆうべがあ》ってから その夜へはじつは渡されることなく そうではなく すこやかな眠りを経て《あさがあった》と知る。 その自然本性〔の動態〕において人は 夜へは渡されないというのである。 ▲ 2.地は混沌であって、闇が深淵の面にあり、神の霊が水の面を動いていた。 のである。《聖なる〈あまえ〉》〔としての すこやかなねむり〕。 以上の主題をめぐって 忌憚のないご見解をおしめしください。
- いつかは死ぬのに生きている理由は何ですか?
私は人間が寿命まで生きようとするのは動物的な本能で死ぬことを恐がるためだと思います。 幸せになるために生きていると考えた場合、人間だけにそのような理由が与えられることは不自然だと思います。 なぜならこのように考えると他の生物が生きている理由が分からなくなってしまいます。 いつかは死ぬのに生きている理由は全ての生物が共通である方が自然であると思います。 幸せになるために生きているなどの理由は全て生まれてから付け加えられた理由だと思います。 まとめると人間が生きる意味は本能で死ぬことを恐がるからという理由だけであり、他の理由は本当の生きる理由ではないと私は思います。 この意見についてみなさんはどう思いますか?
- 神が天地をつくったのか (表現という問題)
神が天地をつくったのか ◆(α) そう表現したに過ぎないとなぜ言わないのか? すべては表現のもんだいであるとなぜ見ないのか? ▲ (創世記1:1-5) ~~~~~ 1.初めに、神は天地を創造した。 2.地は混沌であって、闇が深淵の面にあり、神の霊が水の面を動いていた。 3.神は言った。 ――光あれ。 こうして、光があった。 4.神は光を見て、良しとした。神は光と闇を分け、 5.光を昼と呼び、闇を夜と呼んだ。夕べがあり、朝があった。第一の日である。 ~~~~~~~~~ ◆(β) 《光あれ》と神が その文字どおりに 《言った》のか? んなわけはない。時空間を超えている〔敢えて擬人法で言えば〕存在にとって 《初めに》とか《つくる》といった時間的行為がどうして必要なものか。なじまない。 ◆(γ) 光が《ある・ない》 つまり 《なかった状態からある状態に移る》ことは 時間的・経験的・相対的な現象である。 経験世界を超えている神にとって 質料(物質)の運動はその自己運動にまかせるはずである。モノの動きは 或る意味で 神としても手に負えない。(やたら奇蹟を起こすわけには行かない)。 人としても モノはその自己運動にしたがってうごいていただくように加工し誘導するよりほかない。 そもそも手に負えないことを知ることをとおしても その存在や性質を知るようになる。 あるいは 相手をうやまってこそ 人はおのれの自由を手にすることが出来る。 という当たり前のことを 神の物語――人間にとって非思考の場をわざわざ人間の言葉で表わしたもの――はかたっているのではないか。 《神が創造主である。〔よって 経験世界そして特にヒトは 被造物である〕》という表現は そういうふうに人間にとって手に負えない不自由なこととそして〔悲願としての〕自由とについての哲学をかたっている。に過ぎないのではないか? ◆(δ) もしこの非思考の場にわづかにでも 《のぞみ》があるとするならば それは ▲ 5.・・・夕べがあり、朝があった。第一の日である。 と書かれたところである。その後も《第二の日》から《第六の日》まで同じ表現で書かれている。 ▲ ゆうべがあり あさがあった。 と。《光を昼と呼び、闇を夜と呼んだ》ところの《夜》は世界において現象しているにもかかわらず 人は《ゆうべがあ》ってから その夜へはじつは渡されることなく そうではなく すこやかな眠りを経て《あさがあった》と知る。 その自然本性〔の動態〕において人は 夜へは渡されないというのである。 ▲ 2.地は混沌であって、闇が深淵の面にあり、神の霊が水の面を動いていた。 のである。《聖なる〈あまえ〉》〔としての すこやかなねむり〕。 以上の主題をめぐって 忌憚のないご見解をおしめしください。
- 人間って進歩してるんでしょうか
2000年も昔に暴君ネロや煬帝がいました。 またキリスト、釈迦、孔子などもいました。 今の時代にもヒットラーや北朝鮮の金さん、ポルポト・・・(まだまだたくさんいますが度忘れしました)がいます。 2000年かけて勉強しても人間少しも進歩していないような気がします。 人間って進歩してるんでしょうか。
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- 哲学・倫理・宗教学
- noname#134289
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- ニーチェの思想について
哲学についてド素人なのですが、ニーチェの思想について教えてください。ニーチェのニヒリズムとキリスト教の関連がよくわかりません。 いろいろ調べてみたのですが、よく理解できないです。 できるだけ簡単にニーチェの思想について教えてください。
- 100個のパンを101人に平等に分ける方法
震災にあわれて非難されている方々は毎日大変な思いをされているのでしょう。 こんな記事を目にしました。 http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20110403-00000009-pseven-pol 平等は大切なファクターだと思います。 しかし知恵を出して困難を乗り切ろうというときに、不平等を理由に支援物資を突き返すより、受け入れてうまく平等に分配する方法はないものでしょうか。 それとも平等が優先される集団は危機的状態にはないということでしょうかね(これは感想なんで、この部分へのレスはいりません)。