JidousyaGaisya の回答履歴
- 自宅サーバが外から見れない
XP Home&Apache2でお遊び用の自宅サーバを構築しています。 プロバイダ(PoweredCom)からレンタルしているルーター一体型ADSLモデム(Aterm DR202C)を使用していますが、IPマスカレードの設定が良くないのか、外から自分のサーバにアクセスできません。 ルーター設定画面の[ポートマッピング設定]でNATエントリを 変換対象ポート:www 変換対象プロトコル:TCP 宛先アドレス:192.168.0.2(サーバマシンのIP。「手動構成」にして固定済み) 宛先ポート:www と設定しました。 また、[LAN側設定]のネームサーバを、プライマリDNS、セカンダリDNS、ともにプロバイダ加入時の案内にあった値に設定しました。 Dynamic DO!.jpでドメインを登録し、テスト時はアクセスの直前にIPアドレスを更新しています。 サーバを入れたマシンからのアクセスでは、 http://127.0.0.1/ http://192.168.0.2/ http://(Dynamic DO!.jpで表示される外部IPアドレス)/ http://(Dynamic DO!.jpで取得したドメイン)/ のいずれでもindex.htmlが正常に表示されるのですが、友人に頼んで外からアクセスしてもらったところ、外部IPアドレス、.ddo.jpのドメインのいずれでも「サーバがみつかりません」というエラーが出るとのことでした。 ローカルからアクセスできる以上、Apacheは立ち上がっているはずですから、ルータの設定に問題があると思うのですが……具体的には、どこが問題なのでしょうか?
- 締切済み
- その他([技術者向] コンピューター)
- Bong
- 回答数3
- インターネットオプションが開きません マウスの右クリックに反応なし プ
インターネットオプションが開きません マウスの右クリックに反応なし プルダウンメニュウが消えています おきにいりが開きません スタートメネユーからインターネットオプションしても開きません他は開きます windouzuupdateを開いてみるとactivexが必要とでます IE7とIE8とsafariをいれています safariは問題ないですIE7とIE8を削除を試みましたができません レジストリブースターを購入してレジストリはきれいにしたつもりです 思い切ってリカバリしようかなと思いますがF2キーを押してもそのまま立ち上がってしまいます 上下キーに反応しません この状態でリカバリできるのか心配です 以上とりとめなく書いてしまいましたが 御助言宜しくお願いいたします
- 締切済み
- その他([技術者向] コンピューター)
- yokainu
- 回答数3
- 基本情報技術者の効率のよい勉強の仕方教えてください
4月17日にせまった基本情報技術者の勉強をしているのですが、アルゴリズムやプログラミング言語で結構つまづいています。よく勉強期間は3ヶ月必要とかっていわれてますが、短期間で効率のよい勉強の仕方あればぜひ教えてください。何卒よろしくお願い致します!
- 締切済み
- その他([技術者向] コンピューター)
- itodenwa1234
- 回答数2
- vistaのハードディスクのNEC-RESTORE(E)の部分を間違え
vistaのハードディスクのNEC-RESTORE(E)の部分を間違えて削除しました。元に復元できないでしょうか、どなたか教えてくださいませんか。アンインストールソフトをその後使いました。
- 締切済み
- その他([技術者向] コンピューター)
- haama2010
- 回答数3
- 日本人は 論理思考をそなえている。
この命題を次の二点で 問います。 (A) 日本語に《時制の一致》がないか? いや じつは論理思考によってこれを発達させ〔得〕た。 (B) 日本人のおとなしさ(社会秩序にしたがう心・あるいは隣人愛ないし和の心)は 社会における人びとの交通(まじわり)に論理的な秩序を求めるゆえではないか? (A) 次のうたを見てください。仮想現実と呼ばれる表現法であり その補充用言(助動詞)の《せ》および《まし》に注意してみてください。 ▲ (古事記歌謡・30) ~~~~~ 尾張に 直(ただ)に向かへる 尾津の崎なる 一つ松 吾(あ)夫(せ)を 一つ松 人にあり≫せ≪ば 大刀(たち)佩(は)け≫まし≪を 衣(きぬ) 着せ≫まし≪を 一つ松 吾夫を ● (意味合いを採るのみの訳) ~~~ (ミヤズヒメが 夫のヤマトタケルをしのんでうたう) 尾張の真向かいにある尾津の岬に立つ 一本の松 我が背子よ もし仮りに人であったなら 大刀を佩かせように 服を着せように ・・・ ~~~~~~~~~~~~~~~~ ☆ すなわち 現代語に到るまでに この用法は廃れたようですが このように(また万葉集のウタにも)時制の一致と見られる語法は持ち得た。発達し得た。《仮想現実》の論理をつらぬいている。こう考えられます。 その後 やがて互いに相手が見知った仲間どうしばかりになったときには その情況の中で廃れたのではないでしょうか? (B) 簡単にのべますが 《和》の心は あくまで一般の市民(ムラびと)のあいだに培われ育まれた交通の思想(生活態度)であった。それをやがてそのムラムラから成る社会が国家という二階建ての家に成ったとき それは ムラビトたちが国ビトらに その第二階をこしらえることをゆるしたのだと考えられ これを《くにゆづり》と称したように けっきょくこの《国びと》らに好きなようにさせてやったという歴史事実が介在している。のではないか? 言いかえると 一般に第一階に住む人びとは 国びとらが どうしてもおれたちをお山の大将にしてくれと土下座してでも頼みこみ拝みこんでくるものだから とうとう根負けして かれらに好きなようにさせた。社会というやしろに第二階というヤシロまでつくらせて そこに住まわせた。気の済むまで統治がしたければ やってみなさいと全面的に甘えさせてやった。 これが かれこれ千五百年 経つ。 けれども 一度ゆづったからには おめえたち そろそろ返せやなどと言えない。なかなか言えない。しかも 世の趨勢は かたちの上だけでも 主権在民の世の中になっている。市民主権だというのだから かつての《くにゆづり》は ゆづり返されたのだろうか? これが何ともはっきりしない。 はっきりしないけれども そもそも《和》の心を持ち合わせている市民一般は おいそれと早く返せとは言いづらい。 ひとつには そのお二階さんが《和を以って貴しと為す》と ムラビトのお株を奪う命題を立ててしまった。立てられてしまった。これも 何とも動きが取りにくい。動きを取りにくくしていている。お二階さんたちも いやあ 立派 リッパ。保身の術に長けている。 うんぬん。 というわけで もともと日本人は 市民一般は 社会の人間的交通において論理的にもその秩序を問い求め続ける人間たちであった。わづかにその和をみだすものがあるとすれば 一階の人間が 二階への出世志向になり 二階にこびへつらい ゆすりたかりの甘い汁を吸おうとする動き これである。この一階と二階との関係具合いにおいては 隙間風が吹いたりいざこざが起きたりする。こういうことではないのか?
- 過去形か未来形か?
As the film Run to Win ( ), IGA Studios made intense promotional efforts. (A) will be released (B) is releasing (C) was being released (D) to release 映画「勝利のために走れ」が公開されているので、IGAスタジオは強力な宣伝活動を行った。 答えは(C)です。 【主語の動詞madeが過去時制なので、これに対応する(C)が正解】という解説がありました。 自分は答えを(A)にしてしまいました。 この英文で【「勝利のために走れ」が公開されているので】ではなく 【「勝利のために走れ」が公開されるので】と未来を表すという訳のもと、will be released にするという考え方は間違っているのでしょうか?! そこら辺がいまいち理解できずにいるので、どなたかご教授お願いいたします!!
- アマテラス公民の世は終わらせるがは どうですろうか
インタムライズム。 Inter-mura-ism . これを 掲げます。 ムラは市町村です。 自由なムラムラのあいだの自由な連携・連合を言います。 お二階さんは お休み願います。 さむらいの世を終わらせたことがあるぢゃきに その栄誉をたたえつつ。 日本だけでは 機能しないところが出て来るかも知れません。安全保障のもんだいがあります。国際的な村際主義です。 経済的・文化的そして共同自治的に自由なスサノヲ市民らが自由に連帯するきづなであり 社会運営の方式です。 世界のムラどうしで その議会議員を互選するところまで持って行きます。 3.11をきっかけにして どうですろうか?
- 日本人は 論理思考をそなえている。
この命題を次の二点で 問います。 (A) 日本語に《時制の一致》がないか? いや じつは論理思考によってこれを発達させ〔得〕た。 (B) 日本人のおとなしさ(社会秩序にしたがう心・あるいは隣人愛ないし和の心)は 社会における人びとの交通(まじわり)に論理的な秩序を求めるゆえではないか? (A) 次のうたを見てください。仮想現実と呼ばれる表現法であり その補充用言(助動詞)の《せ》および《まし》に注意してみてください。 ▲ (古事記歌謡・30) ~~~~~ 尾張に 直(ただ)に向かへる 尾津の崎なる 一つ松 吾(あ)夫(せ)を 一つ松 人にあり≫せ≪ば 大刀(たち)佩(は)け≫まし≪を 衣(きぬ) 着せ≫まし≪を 一つ松 吾夫を ● (意味合いを採るのみの訳) ~~~ (ミヤズヒメが 夫のヤマトタケルをしのんでうたう) 尾張の真向かいにある尾津の岬に立つ 一本の松 我が背子よ もし仮りに人であったなら 大刀を佩かせように 服を着せように ・・・ ~~~~~~~~~~~~~~~~ ☆ すなわち 現代語に到るまでに この用法は廃れたようですが このように(また万葉集のウタにも)時制の一致と見られる語法は持ち得た。発達し得た。《仮想現実》の論理をつらぬいている。こう考えられます。 その後 やがて互いに相手が見知った仲間どうしばかりになったときには その情況の中で廃れたのではないでしょうか? (B) 簡単にのべますが 《和》の心は あくまで一般の市民(ムラびと)のあいだに培われ育まれた交通の思想(生活態度)であった。それをやがてそのムラムラから成る社会が国家という二階建ての家に成ったとき それは ムラビトたちが国ビトらに その第二階をこしらえることをゆるしたのだと考えられ これを《くにゆづり》と称したように けっきょくこの《国びと》らに好きなようにさせてやったという歴史事実が介在している。のではないか? 言いかえると 一般に第一階に住む人びとは 国びとらが どうしてもおれたちをお山の大将にしてくれと土下座してでも頼みこみ拝みこんでくるものだから とうとう根負けして かれらに好きなようにさせた。社会というやしろに第二階というヤシロまでつくらせて そこに住まわせた。気の済むまで統治がしたければ やってみなさいと全面的に甘えさせてやった。 これが かれこれ千五百年 経つ。 けれども 一度ゆづったからには おめえたち そろそろ返せやなどと言えない。なかなか言えない。しかも 世の趨勢は かたちの上だけでも 主権在民の世の中になっている。市民主権だというのだから かつての《くにゆづり》は ゆづり返されたのだろうか? これが何ともはっきりしない。 はっきりしないけれども そもそも《和》の心を持ち合わせている市民一般は おいそれと早く返せとは言いづらい。 ひとつには そのお二階さんが《和を以って貴しと為す》と ムラビトのお株を奪う命題を立ててしまった。立てられてしまった。これも 何とも動きが取りにくい。動きを取りにくくしていている。お二階さんたちも いやあ 立派 リッパ。保身の術に長けている。 うんぬん。 というわけで もともと日本人は 市民一般は 社会の人間的交通において論理的にもその秩序を問い求め続ける人間たちであった。わづかにその和をみだすものがあるとすれば 一階の人間が 二階への出世志向になり 二階にこびへつらい ゆすりたかりの甘い汁を吸おうとする動き これである。この一階と二階との関係具合いにおいては 隙間風が吹いたりいざこざが起きたりする。こういうことではないのか?
- 天使とは?――《はじめにことばがあった》。
( a ) 天使とは 純粋思想であり 純粋なる内なることばのことを言うか? ( b ) そのことばが 人間にかかわるようなものであるなら 堕落しうる。天使も堕落しうる。と。 ( c ) つぎの文句のあいだに天使が位置するか? 1:4から1:5にかけてである。 ◆ (ヨハネによる福音 1:1-5) ~~~ 1:1 はじめに ことばがあった。 ことばは神とともにあった。 ことばは神であった。 1:2 このことばは はじめに神とともにあった。 1:3 すべてのものは ことばによって成った。 成ったもののうち ひとつとして ことばによらないものはなかった。 1:4 このことばに命があった。 この命は人を照らす光りであった。 1:5 光りは闇のなかに輝いている。 闇は光りをとらえなかった。 ~~~~~~~~~~~ ☆ すなわち 《1:4 このことばに命があった。この命は人を照らす光りであった。》というときの《命》もしくは《光り》としては すでにこの経験世界ないし人間の世界のことにも触れて言っていると思われる。《闇》(1:5)と言うなら すでに経験事象である。 言いかえると 次のように位置づけるかたちである。 ( d ) 神をなぜ《ことば》にたとえたかの問題でもあるように考えられることには 次のような位置づけである。 ○ (ことばの階層) ~~~ (α) 神としてのことば (α’) 天使としてのことば (β・γ) 経験事象としての光なることば(ひらめき?) (δ) 人間のことば ~~~~~~~~~~ ( e ) 次の図式によっても説明しうるか? 《ことば》を《ロゴス》と言いかえている。 ○ (ロゴスの階層) ~~~~ スピリトゥス=ロゴス(α):クレド(非経験のなぞなる非思考の庭):神 ____【天使(α’):ロゴス(α)の使い】_________ インスピレーション=ロゴス(β):異言 :中身がまだ混沌たるヒラメキ(直感):イメージ インスピレーション=ロゴス(γ):預言 :本質を見抜くようなヒラメキ=直観⇒人間の言葉化 :概念? 象徴(シンボル)? 世界観じたい? ラチオ=ロゴス(δ):コギト=思考:経験合理性にもとづこうとする論理 ~~~~~~~~~~~~ ( f ) 問題は 天使が 永遠の霊的な存在であるなら どうして神に背き堕落しえたか? である。 被造物ではないが 自由意志を持ち選択という行為をなす存在であるということだろうか? もし堕落したのであれば それが――そのうち特に神のごとくいかなるものの下にも立つまいと決めた者が―― 悪魔であるという規定になる。 おしえてください。
- 日本人は 論理思考をそなえている。
この命題を次の二点で 問います。 (A) 日本語に《時制の一致》がないか? いや じつは論理思考によってこれを発達させ〔得〕た。 (B) 日本人のおとなしさ(社会秩序にしたがう心・あるいは隣人愛ないし和の心)は 社会における人びとの交通(まじわり)に論理的な秩序を求めるゆえではないか? (A) 次のうたを見てください。仮想現実と呼ばれる表現法であり その補充用言(助動詞)の《せ》および《まし》に注意してみてください。 ▲ (古事記歌謡・30) ~~~~~ 尾張に 直(ただ)に向かへる 尾津の崎なる 一つ松 吾(あ)夫(せ)を 一つ松 人にあり≫せ≪ば 大刀(たち)佩(は)け≫まし≪を 衣(きぬ) 着せ≫まし≪を 一つ松 吾夫を ● (意味合いを採るのみの訳) ~~~ (ミヤズヒメが 夫のヤマトタケルをしのんでうたう) 尾張の真向かいにある尾津の岬に立つ 一本の松 我が背子よ もし仮りに人であったなら 大刀を佩かせように 服を着せように ・・・ ~~~~~~~~~~~~~~~~ ☆ すなわち 現代語に到るまでに この用法は廃れたようですが このように(また万葉集のウタにも)時制の一致と見られる語法は持ち得た。発達し得た。《仮想現実》の論理をつらぬいている。こう考えられます。 その後 やがて互いに相手が見知った仲間どうしばかりになったときには その情況の中で廃れたのではないでしょうか? (B) 簡単にのべますが 《和》の心は あくまで一般の市民(ムラびと)のあいだに培われ育まれた交通の思想(生活態度)であった。それをやがてそのムラムラから成る社会が国家という二階建ての家に成ったとき それは ムラビトたちが国ビトらに その第二階をこしらえることをゆるしたのだと考えられ これを《くにゆづり》と称したように けっきょくこの《国びと》らに好きなようにさせてやったという歴史事実が介在している。のではないか? 言いかえると 一般に第一階に住む人びとは 国びとらが どうしてもおれたちをお山の大将にしてくれと土下座してでも頼みこみ拝みこんでくるものだから とうとう根負けして かれらに好きなようにさせた。社会というやしろに第二階というヤシロまでつくらせて そこに住まわせた。気の済むまで統治がしたければ やってみなさいと全面的に甘えさせてやった。 これが かれこれ千五百年 経つ。 けれども 一度ゆづったからには おめえたち そろそろ返せやなどと言えない。なかなか言えない。しかも 世の趨勢は かたちの上だけでも 主権在民の世の中になっている。市民主権だというのだから かつての《くにゆづり》は ゆづり返されたのだろうか? これが何ともはっきりしない。 はっきりしないけれども そもそも《和》の心を持ち合わせている市民一般は おいそれと早く返せとは言いづらい。 ひとつには そのお二階さんが《和を以って貴しと為す》と ムラビトのお株を奪う命題を立ててしまった。立てられてしまった。これも 何とも動きが取りにくい。動きを取りにくくしていている。お二階さんたちも いやあ 立派 リッパ。保身の術に長けている。 うんぬん。 というわけで もともと日本人は 市民一般は 社会の人間的交通において論理的にもその秩序を問い求め続ける人間たちであった。わづかにその和をみだすものがあるとすれば 一階の人間が 二階への出世志向になり 二階にこびへつらい ゆすりたかりの甘い汁を吸おうとする動き これである。この一階と二階との関係具合いにおいては 隙間風が吹いたりいざこざが起きたりする。こういうことではないのか?
- アマテラス公民の世は終わらせるがは どうですろうか
インタムライズム。 Inter-mura-ism . これを 掲げます。 ムラは市町村です。 自由なムラムラのあいだの自由な連携・連合を言います。 お二階さんは お休み願います。 さむらいの世を終わらせたことがあるぢゃきに その栄誉をたたえつつ。 日本だけでは 機能しないところが出て来るかも知れません。安全保障のもんだいがあります。国際的な村際主義です。 経済的・文化的そして共同自治的に自由なスサノヲ市民らが自由に連帯するきづなであり 社会運営の方式です。 世界のムラどうしで その議会議員を互選するところまで持って行きます。 3.11をきっかけにして どうですろうか?
- 日本人は 論理思考をそなえている。
この命題を次の二点で 問います。 (A) 日本語に《時制の一致》がないか? いや じつは論理思考によってこれを発達させ〔得〕た。 (B) 日本人のおとなしさ(社会秩序にしたがう心・あるいは隣人愛ないし和の心)は 社会における人びとの交通(まじわり)に論理的な秩序を求めるゆえではないか? (A) 次のうたを見てください。仮想現実と呼ばれる表現法であり その補充用言(助動詞)の《せ》および《まし》に注意してみてください。 ▲ (古事記歌謡・30) ~~~~~ 尾張に 直(ただ)に向かへる 尾津の崎なる 一つ松 吾(あ)夫(せ)を 一つ松 人にあり≫せ≪ば 大刀(たち)佩(は)け≫まし≪を 衣(きぬ) 着せ≫まし≪を 一つ松 吾夫を ● (意味合いを採るのみの訳) ~~~ (ミヤズヒメが 夫のヤマトタケルをしのんでうたう) 尾張の真向かいにある尾津の岬に立つ 一本の松 我が背子よ もし仮りに人であったなら 大刀を佩かせように 服を着せように ・・・ ~~~~~~~~~~~~~~~~ ☆ すなわち 現代語に到るまでに この用法は廃れたようですが このように(また万葉集のウタにも)時制の一致と見られる語法は持ち得た。発達し得た。《仮想現実》の論理をつらぬいている。こう考えられます。 その後 やがて互いに相手が見知った仲間どうしばかりになったときには その情況の中で廃れたのではないでしょうか? (B) 簡単にのべますが 《和》の心は あくまで一般の市民(ムラびと)のあいだに培われ育まれた交通の思想(生活態度)であった。それをやがてそのムラムラから成る社会が国家という二階建ての家に成ったとき それは ムラビトたちが国ビトらに その第二階をこしらえることをゆるしたのだと考えられ これを《くにゆづり》と称したように けっきょくこの《国びと》らに好きなようにさせてやったという歴史事実が介在している。のではないか? 言いかえると 一般に第一階に住む人びとは 国びとらが どうしてもおれたちをお山の大将にしてくれと土下座してでも頼みこみ拝みこんでくるものだから とうとう根負けして かれらに好きなようにさせた。社会というやしろに第二階というヤシロまでつくらせて そこに住まわせた。気の済むまで統治がしたければ やってみなさいと全面的に甘えさせてやった。 これが かれこれ千五百年 経つ。 けれども 一度ゆづったからには おめえたち そろそろ返せやなどと言えない。なかなか言えない。しかも 世の趨勢は かたちの上だけでも 主権在民の世の中になっている。市民主権だというのだから かつての《くにゆづり》は ゆづり返されたのだろうか? これが何ともはっきりしない。 はっきりしないけれども そもそも《和》の心を持ち合わせている市民一般は おいそれと早く返せとは言いづらい。 ひとつには そのお二階さんが《和を以って貴しと為す》と ムラビトのお株を奪う命題を立ててしまった。立てられてしまった。これも 何とも動きが取りにくい。動きを取りにくくしていている。お二階さんたちも いやあ 立派 リッパ。保身の術に長けている。 うんぬん。 というわけで もともと日本人は 市民一般は 社会の人間的交通において論理的にもその秩序を問い求め続ける人間たちであった。わづかにその和をみだすものがあるとすれば 一階の人間が 二階への出世志向になり 二階にこびへつらい ゆすりたかりの甘い汁を吸おうとする動き これである。この一階と二階との関係具合いにおいては 隙間風が吹いたりいざこざが起きたりする。こういうことではないのか?
- ツイッターがエラーで使えません
昨日からツイッターが使えません。 HPを開くと「実行しましたが、ページでエラーが出ました」と出るだけです。 携帯や他のPCでは使用できるので私のPCの問題だと思います。 インターネットで色々調べてIEのリセットだけやり方がわかったので 試してみましたが変化なしです。 他の方法はパソコン用語や使用法に疎くてできません。 どなたか簡単なエラー解除方を教えて下さい。 (ツイッターのヘルプページでさえ意味不明な機械音痴です) 使用OSはWindows Vistaです。 よろしくお願いします。
- 日本人は 論理思考をそなえている。
この命題を次の二点で 問います。 (A) 日本語に《時制の一致》がないか? いや じつは論理思考によってこれを発達させ〔得〕た。 (B) 日本人のおとなしさ(社会秩序にしたがう心・あるいは隣人愛ないし和の心)は 社会における人びとの交通(まじわり)に論理的な秩序を求めるゆえではないか? (A) 次のうたを見てください。仮想現実と呼ばれる表現法であり その補充用言(助動詞)の《せ》および《まし》に注意してみてください。 ▲ (古事記歌謡・30) ~~~~~ 尾張に 直(ただ)に向かへる 尾津の崎なる 一つ松 吾(あ)夫(せ)を 一つ松 人にあり≫せ≪ば 大刀(たち)佩(は)け≫まし≪を 衣(きぬ) 着せ≫まし≪を 一つ松 吾夫を ● (意味合いを採るのみの訳) ~~~ (ミヤズヒメが 夫のヤマトタケルをしのんでうたう) 尾張の真向かいにある尾津の岬に立つ 一本の松 我が背子よ もし仮りに人であったなら 大刀を佩かせように 服を着せように ・・・ ~~~~~~~~~~~~~~~~ ☆ すなわち 現代語に到るまでに この用法は廃れたようですが このように(また万葉集のウタにも)時制の一致と見られる語法は持ち得た。発達し得た。《仮想現実》の論理をつらぬいている。こう考えられます。 その後 やがて互いに相手が見知った仲間どうしばかりになったときには その情況の中で廃れたのではないでしょうか? (B) 簡単にのべますが 《和》の心は あくまで一般の市民(ムラびと)のあいだに培われ育まれた交通の思想(生活態度)であった。それをやがてそのムラムラから成る社会が国家という二階建ての家に成ったとき それは ムラビトたちが国ビトらに その第二階をこしらえることをゆるしたのだと考えられ これを《くにゆづり》と称したように けっきょくこの《国びと》らに好きなようにさせてやったという歴史事実が介在している。のではないか? 言いかえると 一般に第一階に住む人びとは 国びとらが どうしてもおれたちをお山の大将にしてくれと土下座してでも頼みこみ拝みこんでくるものだから とうとう根負けして かれらに好きなようにさせた。社会というやしろに第二階というヤシロまでつくらせて そこに住まわせた。気の済むまで統治がしたければ やってみなさいと全面的に甘えさせてやった。 これが かれこれ千五百年 経つ。 けれども 一度ゆづったからには おめえたち そろそろ返せやなどと言えない。なかなか言えない。しかも 世の趨勢は かたちの上だけでも 主権在民の世の中になっている。市民主権だというのだから かつての《くにゆづり》は ゆづり返されたのだろうか? これが何ともはっきりしない。 はっきりしないけれども そもそも《和》の心を持ち合わせている市民一般は おいそれと早く返せとは言いづらい。 ひとつには そのお二階さんが《和を以って貴しと為す》と ムラビトのお株を奪う命題を立ててしまった。立てられてしまった。これも 何とも動きが取りにくい。動きを取りにくくしていている。お二階さんたちも いやあ 立派 リッパ。保身の術に長けている。 うんぬん。 というわけで もともと日本人は 市民一般は 社会の人間的交通において論理的にもその秩序を問い求め続ける人間たちであった。わづかにその和をみだすものがあるとすれば 一階の人間が 二階への出世志向になり 二階にこびへつらい ゆすりたかりの甘い汁を吸おうとする動き これである。この一階と二階との関係具合いにおいては 隙間風が吹いたりいざこざが起きたりする。こういうことではないのか?
- accessについて<BOFとEOFのいずれかがTUREになっているか・・・現在のレコードが必要です>
Private Sub kensaku_Click() On Error GoTo Err_kensaku_Click Screen.PreviousControl.SetFocus Dim ss As String Dim rs As String Dim strSQL As String Dim rstType As ADODB.Recordset Set rstType = New ADODB.Recordset ss = text.text strSQL = "Select 見積日 From 見積 where 提出見積No ='" & ss & "'" rstType.Open strSQL, CurrentProject.Connection, adOpenKeyset, adLockOptimistic, adCmdText If ss = "" Then MsgBox ("提出見積Noを入力してください") ElseIf rstType.EOF = False Then While rstType.EOF = False rs = rstType.GetString MsgBox (rs) rstType.MoveNext Wend kikaiNo.Value = "222" Else MsgBox ("提出見積Noが存在しません") End If Exit_kensaku_Click: Exit Sub Err_kensaku_Click: MsgBox Err.Description Resume Exit_kensaku_Click End Sub 以上は書いた検索のコードですが、<BOFとEOFのいずれかがTUREになっているか、または現在のレコードが削除されています。要求された操作には、現在のレコードが必要です>というエラーが出てきます。問題がどうかよくわかりませんので、教えていただけませんか。
- 締切済み
- その他(データベース)
- vikiy
- 回答数3
- LDAPについて
LDAPに携わることになった超初心者です。 今までLDAPとうものがあったのすら知りませんでした。 さて、LDAPをもらってきてインストールをする際にperlの設定を しますよね? perl -MCPAN -e shell そこでまずエラーがでてしまいます。 いくつかの質問に答えるときはそのまま、ENTERを押しつづけたら Jcodeがうまくできませんでした。 どうしたらよいでしょうか? 質問が下手だったらごめんなさい。 よろしくお願いいたします。
- 締切済み
- その他(データベース)
- RAMU-MA
- 回答数1
- ACCESSのレポートで、指定した数だけラベル印刷を行うには?
クエリで作成した抽出結果を元にラベル印刷をしたいのですが、そのクエリに書かれている個数分だけラベルを作るにはどうすればいいのでしょうか? ACCESSのマクロやVBAの経験はありませんが、必要なら使ってみたいと考えています。また、プログラミングの経験はありますので、一般的な言語ならforを使えばよさそうだという気がします。ただ、どうやってその画面を出し、どのような手続きをすればいいのか全くわかりません。 アドバイス、よろしくお願いいたします
- 締切済み
- その他(データベース)
- pinsel
- 回答数10
- エクセルやファイルメイカーで文献データベースをつくって,文献リストや引用註を作成したい
エクセルやファイルメイカー,アクセスなどを使用した文献管理で以下の作業をするにはどうすればよいでしょうか。 なお,データをWinマシン上とPDA(携帯含む)で共有することを考えています。よって,汎用性があるエクセル,マルチプラットフォームで初心者にもわかりやすいというファイルメイカーProを考えています。 ★行いたい作業 以下の項目のある文献データがあるとします。 IDナンバー・著者名よみ(abc)・著者名(漢字)・著者姓・発行日・論文名・所収雑誌名・発行所・巻号・ページ・自由ノート 上記の項目を記入したデータ(レコード)から,必要な項目(フィールド)のデータを抽出してクリップボードにコピーし,所定のフォーマットに従って並べ直して「,」や「『」「』」などを加えて文献リストを作成したり,引用註を文中につけたりしたいのです。 ★具体的な例を示します。 下記のレコードがあるとします。 01・IwashiWaichiro・岩志和一郎・1989.12.1・AIDによって生まれてきた子の身分関係――日本と西ドイツの比較を通じて(「家族と法」研究レポート-22-)・判例タイムズ・40(30):49-60。 上記のレコードから,以下の文献リストや引用註を,たとえば[Ctr+C]→[Ctr+V]などでのショートカットでコピー&ペイストできるようにする。 ・文献リスト作成ボタンorショートカット 岩志和一郎 1989 「AIDによって生まれてきた子の身分関係――日本と西ドイツの比較を通じて(「家族と法」研究レポート-22-)」『判例タイムズ』40(30):49-60。 ・引用註作成ボタンorショートカット (岩志, 1989: 50)
- 締切済み
- その他(データベース)
- pinkink
- 回答数7
- 日本人は 論理思考をそなえている。
この命題を次の二点で 問います。 (A) 日本語に《時制の一致》がないか? いや じつは論理思考によってこれを発達させ〔得〕た。 (B) 日本人のおとなしさ(社会秩序にしたがう心・あるいは隣人愛ないし和の心)は 社会における人びとの交通(まじわり)に論理的な秩序を求めるゆえではないか? (A) 次のうたを見てください。仮想現実と呼ばれる表現法であり その補充用言(助動詞)の《せ》および《まし》に注意してみてください。 ▲ (古事記歌謡・30) ~~~~~ 尾張に 直(ただ)に向かへる 尾津の崎なる 一つ松 吾(あ)夫(せ)を 一つ松 人にあり≫せ≪ば 大刀(たち)佩(は)け≫まし≪を 衣(きぬ) 着せ≫まし≪を 一つ松 吾夫を ● (意味合いを採るのみの訳) ~~~ (ミヤズヒメが 夫のヤマトタケルをしのんでうたう) 尾張の真向かいにある尾津の岬に立つ 一本の松 我が背子よ もし仮りに人であったなら 大刀を佩かせように 服を着せように ・・・ ~~~~~~~~~~~~~~~~ ☆ すなわち 現代語に到るまでに この用法は廃れたようですが このように(また万葉集のウタにも)時制の一致と見られる語法は持ち得た。発達し得た。《仮想現実》の論理をつらぬいている。こう考えられます。 その後 やがて互いに相手が見知った仲間どうしばかりになったときには その情況の中で廃れたのではないでしょうか? (B) 簡単にのべますが 《和》の心は あくまで一般の市民(ムラびと)のあいだに培われ育まれた交通の思想(生活態度)であった。それをやがてそのムラムラから成る社会が国家という二階建ての家に成ったとき それは ムラビトたちが国ビトらに その第二階をこしらえることをゆるしたのだと考えられ これを《くにゆづり》と称したように けっきょくこの《国びと》らに好きなようにさせてやったという歴史事実が介在している。のではないか? 言いかえると 一般に第一階に住む人びとは 国びとらが どうしてもおれたちをお山の大将にしてくれと土下座してでも頼みこみ拝みこんでくるものだから とうとう根負けして かれらに好きなようにさせた。社会というやしろに第二階というヤシロまでつくらせて そこに住まわせた。気の済むまで統治がしたければ やってみなさいと全面的に甘えさせてやった。 これが かれこれ千五百年 経つ。 けれども 一度ゆづったからには おめえたち そろそろ返せやなどと言えない。なかなか言えない。しかも 世の趨勢は かたちの上だけでも 主権在民の世の中になっている。市民主権だというのだから かつての《くにゆづり》は ゆづり返されたのだろうか? これが何ともはっきりしない。 はっきりしないけれども そもそも《和》の心を持ち合わせている市民一般は おいそれと早く返せとは言いづらい。 ひとつには そのお二階さんが《和を以って貴しと為す》と ムラビトのお株を奪う命題を立ててしまった。立てられてしまった。これも 何とも動きが取りにくい。動きを取りにくくしていている。お二階さんたちも いやあ 立派 リッパ。保身の術に長けている。 うんぬん。 というわけで もともと日本人は 市民一般は 社会の人間的交通において論理的にもその秩序を問い求め続ける人間たちであった。わづかにその和をみだすものがあるとすれば 一階の人間が 二階への出世志向になり 二階にこびへつらい ゆすりたかりの甘い汁を吸おうとする動き これである。この一階と二階との関係具合いにおいては 隙間風が吹いたりいざこざが起きたりする。こういうことではないのか?
- 日本人は 論理思考をそなえている。
この命題を次の二点で 問います。 (A) 日本語に《時制の一致》がないか? いや じつは論理思考によってこれを発達させ〔得〕た。 (B) 日本人のおとなしさ(社会秩序にしたがう心・あるいは隣人愛ないし和の心)は 社会における人びとの交通(まじわり)に論理的な秩序を求めるゆえではないか? (A) 次のうたを見てください。仮想現実と呼ばれる表現法であり その補充用言(助動詞)の《せ》および《まし》に注意してみてください。 ▲ (古事記歌謡・30) ~~~~~ 尾張に 直(ただ)に向かへる 尾津の崎なる 一つ松 吾(あ)夫(せ)を 一つ松 人にあり≫せ≪ば 大刀(たち)佩(は)け≫まし≪を 衣(きぬ) 着せ≫まし≪を 一つ松 吾夫を ● (意味合いを採るのみの訳) ~~~ (ミヤズヒメが 夫のヤマトタケルをしのんでうたう) 尾張の真向かいにある尾津の岬に立つ 一本の松 我が背子よ もし仮りに人であったなら 大刀を佩かせように 服を着せように ・・・ ~~~~~~~~~~~~~~~~ ☆ すなわち 現代語に到るまでに この用法は廃れたようですが このように(また万葉集のウタにも)時制の一致と見られる語法は持ち得た。発達し得た。《仮想現実》の論理をつらぬいている。こう考えられます。 その後 やがて互いに相手が見知った仲間どうしばかりになったときには その情況の中で廃れたのではないでしょうか? (B) 簡単にのべますが 《和》の心は あくまで一般の市民(ムラびと)のあいだに培われ育まれた交通の思想(生活態度)であった。それをやがてそのムラムラから成る社会が国家という二階建ての家に成ったとき それは ムラビトたちが国ビトらに その第二階をこしらえることをゆるしたのだと考えられ これを《くにゆづり》と称したように けっきょくこの《国びと》らに好きなようにさせてやったという歴史事実が介在している。のではないか? 言いかえると 一般に第一階に住む人びとは 国びとらが どうしてもおれたちをお山の大将にしてくれと土下座してでも頼みこみ拝みこんでくるものだから とうとう根負けして かれらに好きなようにさせた。社会というやしろに第二階というヤシロまでつくらせて そこに住まわせた。気の済むまで統治がしたければ やってみなさいと全面的に甘えさせてやった。 これが かれこれ千五百年 経つ。 けれども 一度ゆづったからには おめえたち そろそろ返せやなどと言えない。なかなか言えない。しかも 世の趨勢は かたちの上だけでも 主権在民の世の中になっている。市民主権だというのだから かつての《くにゆづり》は ゆづり返されたのだろうか? これが何ともはっきりしない。 はっきりしないけれども そもそも《和》の心を持ち合わせている市民一般は おいそれと早く返せとは言いづらい。 ひとつには そのお二階さんが《和を以って貴しと為す》と ムラビトのお株を奪う命題を立ててしまった。立てられてしまった。これも 何とも動きが取りにくい。動きを取りにくくしていている。お二階さんたちも いやあ 立派 リッパ。保身の術に長けている。 うんぬん。 というわけで もともと日本人は 市民一般は 社会の人間的交通において論理的にもその秩序を問い求め続ける人間たちであった。わづかにその和をみだすものがあるとすれば 一階の人間が 二階への出世志向になり 二階にこびへつらい ゆすりたかりの甘い汁を吸おうとする動き これである。この一階と二階との関係具合いにおいては 隙間風が吹いたりいざこざが起きたりする。こういうことではないのか?