kurinal の回答履歴
- 論文: 聖徳太子は ただのくそったれ
まづ 憲法とやらを読みます。 ▲ (十七条憲法) ~~~~~~~~~~~ 一に曰(い)わく、 (あ) 和(やわらぎ)を以(も)って貴(とうと)しとなし、忤(さから)うこと無きを宗(むね)とせよ。 (い) 人みな党(たむら)あり、また達(さと)れるもの少なし。ここをもって、あるいは君父(くんぷ)に順(したが)わず、また隣里(りんり)に違(たが)う。 (う) しかれども、上(かみ)和(やわら)ぎ下(しも)睦(むつ)びて、事を論(あげつら)うに諧(かな)うときは、すなわち事理おのずから通ず。何事か成らざらん。 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~ 次のように問います。 (1) 最後の一文(う)は いわば民主主義に通じる自由な言論 表現の自由 これを 基礎とすると言っています。まづこれを確認します。明治維新でも 同じく《万機公論》と言いました。 ▼ (五箇条の御誓文) 一 広ク会議ヲ興シ万機公論ニ決スベシ (2) 次に 同じ最後の一文(う)の中からですが ▲ 上(かみ)和(やわら)ぎ下(しも)睦(むつ)びて これについては 眉唾物です。お上つまりお二階さんの論理と目線で ものを言っているといううたがいを拭えません。時代は違いますが われわれは次のような歴史を経て来ています: ◆ (上田正昭:『日本文化の原点』) ~~~~~~ 【直木孝次郎】・・・たとえば七一一(和銅四)年に出された詔(みことのり)に このころ聞く 諸国の役民 造都に労(つか)れ 奔亡するものなほ多し。 禁ずと雖(いへど)も止まず。 とある。これは・・・労役のために都へ出てきている人民――これが都城建設 道路づくりに使役されるわけですが 生活 労働が苦しいために途中で逃げ出す者が多い。禁止しても止まない。・・・ 【上田正昭】 その翌年の正月にも 諸国の役民は 郷(さと)に還へるの日 食糧絶え乏しく 多く道路に飢ふ。 溝壑(こうがく=みぞ)に転びうづまるもの その類少なからず。 というのが出ていますね。 【直木】 ・・・『続日本紀』つまり 当時の正史に記録されているわけですね。 【上田】 柿本人麻呂も 有名な歌を残していますね。 草枕 旅の宿りに 誰(た)が夫(つま)か 国忘れたる 家待たまくに (万葉集 巻三・426番) ~~~~~~~~~~~~~~~~~~ (3) 先の(2)のうたがいを証拠立てるには 聖徳太子の同じような趣きの歌を見てみれば分かります。 ■ (万葉集 三・415) ~~~~~~~ 上宮聖徳太子 竹原の井に出遊(いでま)しし時 龍田山の死〔み(身)まか(罷)〕れる人を悲傷(かなし)びて作りましし御歌一首 家にあらば妹(いも=妻)が手巻かむ 草枕 旅に臥(こや)せるこの旅人あはれ ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ すなわち 人麻呂の歌(426番)では すでに死んだ人に向かって 早く起き上がりなさい ふるさとを思い出し 帰って休みなさいと声をかけています。聖徳ぼんくら太子の歌では ああ かわいそうに・気の毒にとだけ言っています。 (4) たとえば ▲ (あ) 忤(さから)うこと無きを宗(むね)とせよ。 と言われても 庶民はもともと けんかをしつつも仲間として和をもって暮らしていた。ところへ お二階さんたちが これをパクって 《和を以って》うんぬんと言いだした。 口先だけ庶民のまねをして和をとうとぶのだと言われても けっきょく 人びとよ おれたちには《さからうな》と言っているとしか聞こえません。都合のよいことだけを言っているとしか聞こえません。 (5) 聖徳うすのろ太子は 国を挙げて例の仏教を受容するか否かのとき 崇仏派と排仏派の戦いになり(そう言われています)そこで前者に味方し 後者の守屋ら物部氏を亡きものにすることにたずさわった。そのように敵を倒したあと《和を以ってとうとしと為せ》と言っちゃってもらっちゃってもねぇ。 権力は握った 文句あっか もうおれたちには逆らうなとのたまわっていらっしゃいます。 (6) 無念のうちに波に呑み込まれた人たちも――つまりあるいは お二階からのでっかく酷い津波に呑まれかけたこれまでの歴史上の数多くの人たちとともに―― われは堂々と立派にまともに真面目に地道にふつうによく生きたと いまいちど起き上がって言って欲しい。 (7) しかも・しかも 聖徳へなちょこ太子の場合には そのウタに《旅人》として歌われた・みまかれる人は のちに聖人であったと分かったと伝えられることになります。聖と聖こそ互いによくわかり合えるのだという尊き教えであります。――ちゃんちゃらおかしいわい。 (8) スサノヲ人麻呂の心意気なら 和の精神をめぐって何が大ごとだと見ますか? どこでエラーが出て来ているのでしょう?
- 民主制の中にも帝国主義(覇権思想)があり得る。
§ 1 まづ社会形態の類型をとらえます 市民社会(《わたくし》の S 圏=一階)と公民圏(《おほやけ》なるお二階 A 圏)との二階建てから成る国家という社会形態について 次のみっつの種類に分けてみた。 (α) A圏とS圏との自由対話型:日本社会 (κ) 《民衆( S圏 )は自由暴君》型:アフリカ型社会 (ω) S圏内もA圏内も両圏相互としても 自由競争型:西欧社会 おおざっぱな分類です。《果たして民主主義でよいのか》のたぐいの質問とそのやり取りがつづいていますので それにちなんで何とか問題をほぐしたい。 これまでの大統領が任期を終えたあとには ことごとくと言ってよいほど石持て追われるかの様相を呈しているところを捉えて その大韓民国という社会は (κ)のアフリカ型ではないか? 中華人民共和国は 人民の国とうたっている割りには おほやけなるA圏のもっぱらの公民が暴君としてのさばっている。やはりアフリカ型か? とは言うものの 現代にあっては おほやけなるA圏の人たちも 《わたくし》なる一人の市民としてそして人間として みんな自由でありその自由が互いにひとしく平等であるとうたった考え方は それとして普及しています。タテマエは 民主制です。 民主制のもとにあっても 日本型も西欧型も 対外的な帝国主義の動きは過去となりつつあるとしても 対内的な覇権主義が――じつはそれは過去の動きであったものであると同時に 現在にも残っているし―― はたらいている。という問題を取り上げたい。 § 2 民主制にひそむ覇権思想としてのアマアガリ・シンドロームについて まづ (α)日本型と(ω)西欧型とにかんたんに捉えた説明をあたえて行きます。 (α) 対話型の社会形態は 国ゆづり型である。 (α-1) 日本における国家は 《国ゆづり》型であるゆえ 市民 S らは おとなしい。もともとおとなしく けんかをするほどに仲良しであった。 どのようにクニユヅリが成ったか? S(スサノヲ)市民の中から出た公民 A (アマテラス)らは 特に優秀であったゆえ 人びとは社会というヤシロにも特別な神棚をこしらえてやりもっぱらその空中庭園に住まわせた。この第二階となる神棚にまつりあげた。 優秀であるうえに品行方正で申し分のないほど人間的な人間たちであったが ただひとつ玉にきずなのは つねに人びとから注目を浴びていなければ落ち着かない。お山の大将型であったことだ。 市民らは かれらに根負けして それならと言うので神棚をわざわざこしらえて そこを棲み処とさせた。人権を限定し制約するような檻に住まわせたとも言える。これが のちのち或る意味でわざわいともなった。 (α-2) 市民 S らの中には この第二階への出世志向が流行り病いのごとく起こり(=アマアガリ・シンドローム) ひとつには とうとう A 者公民たちにこびへつらうようになり ひとつには ゆすり・たかりをはたらき甘い汁を吸おうとするようになる者が出た。 このお二階さん志向――そして別様に言えば お上意識; つまりは アマテラス予備軍症候群なる心理――が絡んでくると スサノヲ市民どうしのあいだでも いざこざが絶えなくなる。 簡単に言ってこういうわけで 市民 S 者のあいだには まっすぐな心持ちにもとづく行動と どこか歪んだところのある振る舞いとそれら両面が見られることになる。 すなわちこれらよき基礎とあしき部分とをふくんだところの《 S - A 》の対話型である。 そして 端的に言って アマアガリ・シンドロームは 覇権思想である。もっぱら《上から目線》によって成り立っている。 (ω) A と S とが《競争型》なるその《 A - S 》連関制 (ω-1) つまり西欧の市民 S は そして公民 A も 誰もがおのれの中にお二階さん志向(または アマアガリ欲望)を持つ。すなわちひとりの個人がその内面においてあたかも《 A(おほやけ) = S(わたくし) 》としての市民 S であり この市民 S が同じく《 A = S 》としての公民 A と成るという傾向を有する。こう推し測られる。 国ゆづりというよりは 国盗り・天下取り型になる。 (ω-2) すなわちこの競争型とは (ω) 欧米型(または遊牧民型): A ( A=S ) ∽ S ( A=S ) 連関制 である。相似形の記号( ∽ )の意味は つねに転覆(回転=レヲ゛リューション)が起こり得るということを表わす。 言いかえるとその社会では 第一階においてすでに 《人は人に対して狼なり。( Homo homini lupus. )/ 万人の万人に対するたたかい( bellum omni contra omnes. )》という市民(《 A = S 》なる市民 S )どうしの社会的な意識の流れが関係し合っている。 そのような個人としての・ワタシとしての意識が互いに日常においてすらも対立しがちである。そしてそのいわゆる弁証法的展開が ふつうに見通されているようでもある。 § 3 (α)および(ω) 両者を比較対照します 日本市民が このアマアガリ志向に対して《くにゆづり》をしたと言う時 それは非戦論であり そうだとすれば それに対して欧米市民は 主戦論に立つものと考えられる。 土地に縄を張って ここはおれのものだと宣言したとき 言葉たくみににしろ力づくでにしろ その土地を獲ってしまえば 自分のものになると考える傾向ではないだろうか。《法律》は その既成事実を保守するためにつくられる傾向があるのだろうか? 日本市民は――その昔 オホクニヌシとその息子のひとりは―― これこれはおれのものだと主張するときに どういうかたちにしろ争うことは 人間の弱さから来ると考え それならと言って 非戦論を採った。いちどゆづったら 相手を神棚に挙げてしまったのだから おいそれとは国の共同自治の権限を返せとは言えない。言わない。おとなしい。そして ただそれだけのことだと考えられる。 ただしそのアマアガリ・シンドローム(末は博士か大臣かの出世症候群が覇権思想となったヰルス)の感染具合いに応じて 波風の立つこともある。《主戦論》が優位に立つ場合もある。欧米主導のグローバル化に感染したゆえなのかどうか。 § 4 さらに別の A - S 連関制 とはどういう現実か これは 《アフリカ的段階》と呼ばれるもので ひとことで説明するなら 市民 S らに絶対主権があるようなかたちである。 (κ) アフリカ型:《 S (=じつは 絶対的 A ) ∽ A 》連関制 ◆ (『アフリカ的段階について』 ヘーゲルを解剖学した世界観?) ~~~ http://y-bat.txt-nifty.com/doyo/2009/01/post-8de9.html マルクスはインド・ヨーロッパ語圏の外にアジア的共同体を見出したが、吉本〔隆明〕はそのアジア的段階より前の段階としてアフリカを見出している。 ( a ) そこには殺生与奪権を独占し自由に行使できる王(* A )がいる。 ( b ) しかし、民衆(* ――《〈じつは A 〉なる S 》――)は豊穣と生活の保障と引き換えに王(* 権力)を認知しているのであって、不作や疫病があれば王は民に殺されてしまう。 ( c ) 生命の等価交換(という原始的なシステム)の上に成り立っていた頃の世界がそこにはある。 ( d ) 民衆(個人 S とその共同性)と王(権力と象徴= amaterasity アマテラシテ)は等価なのだ。 ~~~~~~~~~~~~~~~ ☆ このアフリカ型(κ)は 特に( b )の特徴にかんがみて 民衆暴君型である。 対話型(α)と見た日本社会の《伝統》は そして 自由競争型(ω)と捉えた西欧社会とともに この民衆暴君型(κ)と見られるような社会と国家の動きに対して どのように対処して行くのがよいであろうか。 いったい何が問題なのか? 何が悲しくて何を問題としているのか? お考えをお寄せください。
- 論文: 聖徳太子は ただのくそったれ
まづ 憲法とやらを読みます。 ▲ (十七条憲法) ~~~~~~~~~~~ 一に曰(い)わく、 (あ) 和(やわらぎ)を以(も)って貴(とうと)しとなし、忤(さから)うこと無きを宗(むね)とせよ。 (い) 人みな党(たむら)あり、また達(さと)れるもの少なし。ここをもって、あるいは君父(くんぷ)に順(したが)わず、また隣里(りんり)に違(たが)う。 (う) しかれども、上(かみ)和(やわら)ぎ下(しも)睦(むつ)びて、事を論(あげつら)うに諧(かな)うときは、すなわち事理おのずから通ず。何事か成らざらん。 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~ 次のように問います。 (1) 最後の一文(う)は いわば民主主義に通じる自由な言論 表現の自由 これを 基礎とすると言っています。まづこれを確認します。明治維新でも 同じく《万機公論》と言いました。 ▼ (五箇条の御誓文) 一 広ク会議ヲ興シ万機公論ニ決スベシ (2) 次に 同じ最後の一文(う)の中からですが ▲ 上(かみ)和(やわら)ぎ下(しも)睦(むつ)びて これについては 眉唾物です。お上つまりお二階さんの論理と目線で ものを言っているといううたがいを拭えません。時代は違いますが われわれは次のような歴史を経て来ています: ◆ (上田正昭:『日本文化の原点』) ~~~~~~ 【直木孝次郎】・・・たとえば七一一(和銅四)年に出された詔(みことのり)に このころ聞く 諸国の役民 造都に労(つか)れ 奔亡するものなほ多し。 禁ずと雖(いへど)も止まず。 とある。これは・・・労役のために都へ出てきている人民――これが都城建設 道路づくりに使役されるわけですが 生活 労働が苦しいために途中で逃げ出す者が多い。禁止しても止まない。・・・ 【上田正昭】 その翌年の正月にも 諸国の役民は 郷(さと)に還へるの日 食糧絶え乏しく 多く道路に飢ふ。 溝壑(こうがく=みぞ)に転びうづまるもの その類少なからず。 というのが出ていますね。 【直木】 ・・・『続日本紀』つまり 当時の正史に記録されているわけですね。 【上田】 柿本人麻呂も 有名な歌を残していますね。 草枕 旅の宿りに 誰(た)が夫(つま)か 国忘れたる 家待たまくに (万葉集 巻三・426番) ~~~~~~~~~~~~~~~~~~ (3) 先の(2)のうたがいを証拠立てるには 聖徳太子の同じような趣きの歌を見てみれば分かります。 ■ (万葉集 三・415) ~~~~~~~ 上宮聖徳太子 竹原の井に出遊(いでま)しし時 龍田山の死〔み(身)まか(罷)〕れる人を悲傷(かなし)びて作りましし御歌一首 家にあらば妹(いも=妻)が手巻かむ 草枕 旅に臥(こや)せるこの旅人あはれ ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ すなわち 人麻呂の歌(426番)では すでに死んだ人に向かって 早く起き上がりなさい ふるさとを思い出し 帰って休みなさいと声をかけています。聖徳ぼんくら太子の歌では ああ かわいそうに・気の毒にとだけ言っています。 (4) たとえば ▲ (あ) 忤(さから)うこと無きを宗(むね)とせよ。 と言われても 庶民はもともと けんかをしつつも仲間として和をもって暮らしていた。ところへ お二階さんたちが これをパクって 《和を以って》うんぬんと言いだした。 口先だけ庶民のまねをして和をとうとぶのだと言われても けっきょく 人びとよ おれたちには《さからうな》と言っているとしか聞こえません。都合のよいことだけを言っているとしか聞こえません。 (5) 聖徳うすのろ太子は 国を挙げて例の仏教を受容するか否かのとき 崇仏派と排仏派の戦いになり(そう言われています)そこで前者に味方し 後者の守屋ら物部氏を亡きものにすることにたずさわった。そのように敵を倒したあと《和を以ってとうとしと為せ》と言っちゃってもらっちゃってもねぇ。 権力は握った 文句あっか もうおれたちには逆らうなとのたまわっていらっしゃいます。 (6) 無念のうちに波に呑み込まれた人たちも――つまりあるいは お二階からのでっかく酷い津波に呑まれかけたこれまでの歴史上の数多くの人たちとともに―― われは堂々と立派にまともに真面目に地道にふつうによく生きたと いまいちど起き上がって言って欲しい。 (7) しかも・しかも 聖徳へなちょこ太子の場合には そのウタに《旅人》として歌われた・みまかれる人は のちに聖人であったと分かったと伝えられることになります。聖と聖こそ互いによくわかり合えるのだという尊き教えであります。――ちゃんちゃらおかしいわい。 (8) スサノヲ人麻呂の心意気なら 和の精神をめぐって何が大ごとだと見ますか? どこでエラーが出て来ているのでしょう?
- 生活を微分したら 信仰のイメージがついて来る!?
ひとの生活を微分したらどうなるか? それが 非思考の庭――信仰なる動態――のイメージとなるのではないか? 《わたし》の生活を・思想を・存在を・人格を・人生をあたかも微分したら 信仰についてのイメージが得られるのではないか? 次の図式における《自然本性プラスα》が その信仰としての傾きであると。 ○ 《わたし》なる存在 [自然本性+α]:霊: 信じる:非思考の庭 ------------------- [自 然 本性]:心: 考える:思考の緑野 [同 上]:身: 感じる:感性の原野 すなわち 無神論なる信仰のばあいは 身と心から成る自然本性のほかには何も無いと信じる(無条件にそう受け容れる)のだと捉えるならその限りで――その無神論者の生活をあたかも微分すると――非思考の庭は フラットな横の一線になる。あるいはつまり おのれから等間隔に引いた線として 円になる。いや 球となる。球面になる。 その円周 いや球面というのは 理念としての思想である。自分のえらんだ言わば《義》としての信念である。その義を 存在意義としての義としている。 それに対して 有神論の信仰のばあいは――きよらかなおそれを抱くこととしてもイメージされると思うが―― けっきょくその生活や人格を微分しても結果は出て来ない。微分することは出来ない。カタムキが無い。頻繁にエポケーしている。その意味で不連続である。 先ほどの言い方に倣うならば 《義無きをもって義としている》。だから 円も球もない。 もしそれでもイメージを呼び起こそうと思えば この微分の結果というのは――変な恰好であるが―― 自然本性+αとしての霊つまりエーテルのようなものである。無神論者にとっての球面の代わりに エーテルのようなものとなる。 神を受け容れているひとには 《信念》が無い。《義》が無い。囲いが無い(心の明け)。能天気である。大道は無門である。 なお いわゆる宗教のオシエを《信じている》場合というのは――けっきょく《非思考》にはならず―― 思想としての信念たる義を抱いている。無神論者のタイプになる。無神論者はまだ柔軟である。宗教者およびその信者は その《わたし》が一個のボールのような固まりである。 神をいだく人は 囲いが無いから それらの《ボール》を目の前にしたら――野球のボールかバスケットボールかは知らないが――そのままを受け留め 往々にして受け容れてしまう。そのボールの軌跡の積分たる心に寄り添ってやりその中の交通渋滞をも受け容れあたかも引き受けてやってしまう。こうして 現代の病いが起きる場合がある。 たぶん現代ではない過去の時代と社会にあっては 互いにみんなでその内なる交通渋滞の受け容れや引き受けをおこなっていたのかも知れない。 これをなお問います。批判を歓迎しますが 賛成票をも気軽にどうぞ。
- 貴方が全知全能の神だったら どういう世界を創るか?
全知全能の神は居ない様ですねえ もしあなたが全知全能の神だったら「この現実」ではなく どの様な世界を作りますか? 人間を作るか否か 作るならどういう風に作るか。 もしあなたの自由になるとしたら・・・どの様な世界を?創りますか
- 貴方が明日死ぬと分かったら 何をして死ぬか?
人間すぐには死なないだろうと 老後にでも楽しむかと ライフワークや道楽を取っている人もいるかもしれませんが でも何時死ぬかは誰にもわかりません。 脳溢血で植物人間になったり、死んでしまう人もいるかもしれません。 交通事故で死ぬかも。天災で死ぬかもしれません。 そうなるかもしれないと思って 死ぬまでにこれだけはやりたい事って何ですか? 人間としての本音を聞かせて欲しいのです。 何をやり残していますか。それは貴方にとって、社会にとってどういう意味があるのでしょうか? もしよかったら教えてください。
- 革新の事象の良い点、悪い点
革新の良い点は技術が伸びることかと思います。 デジタル技術は通信から医療などで幅広く便利になりました。 企業家もあらわれますね。 しかし、過激な破壊を伴うもので、平等志向で低い所得でならされるとか質の低下も伴ったりします。短期的な利益の追求や最大公約数でケアされない部分もでてきます。 違う選択肢もあらわれますね。思考中心で倫理にかけていたり、法律や道徳がおいつかなかったりします。 技術革新だけするなど良い点だけだったらいいのですけど、実際は同時に所得など低く平等とかにもなったりするかと思います。逆説も登場しますね。 最近はフラット化でそういう時代だったかと思いますけど、良い点悪い点ってやはりこのような形なのでしょうか? それで、その事象の後、何が必要なのでしょう?
- ベストアンサー
- 哲学・倫理・宗教学
- noname#209756
- 回答数3
- 韓国はインターネットから日本削除を図るナチスか
ホロコーストがそのコンタンである。と見ると すべてが理解できます。 もし ナチスの愚行でないとすると きちがいという理解になります。 この見方をめぐっていろいろと正しつつおしえてください。 総じて言って 日本に対する韓国人の態度に人間性の破片はありますか。
- 民主制の中にも帝国主義(覇権思想)があり得る。
§ 1 まづ社会形態の類型をとらえます 市民社会(《わたくし》の S 圏=一階)と公民圏(《おほやけ》なるお二階 A 圏)との二階建てから成る国家という社会形態について 次のみっつの種類に分けてみた。 (α) A圏とS圏との自由対話型:日本社会 (κ) 《民衆( S圏 )は自由暴君》型:アフリカ型社会 (ω) S圏内もA圏内も両圏相互としても 自由競争型:西欧社会 おおざっぱな分類です。《果たして民主主義でよいのか》のたぐいの質問とそのやり取りがつづいていますので それにちなんで何とか問題をほぐしたい。 これまでの大統領が任期を終えたあとには ことごとくと言ってよいほど石持て追われるかの様相を呈しているところを捉えて その大韓民国という社会は (κ)のアフリカ型ではないか? 中華人民共和国は 人民の国とうたっている割りには おほやけなるA圏のもっぱらの公民が暴君としてのさばっている。やはりアフリカ型か? とは言うものの 現代にあっては おほやけなるA圏の人たちも 《わたくし》なる一人の市民としてそして人間として みんな自由でありその自由が互いにひとしく平等であるとうたった考え方は それとして普及しています。タテマエは 民主制です。 民主制のもとにあっても 日本型も西欧型も 対外的な帝国主義の動きは過去となりつつあるとしても 対内的な覇権主義が――じつはそれは過去の動きであったものであると同時に 現在にも残っているし―― はたらいている。という問題を取り上げたい。 § 2 民主制にひそむ覇権思想としてのアマアガリ・シンドロームについて まづ (α)日本型と(ω)西欧型とにかんたんに捉えた説明をあたえて行きます。 (α) 対話型の社会形態は 国ゆづり型である。 (α-1) 日本における国家は 《国ゆづり》型であるゆえ 市民 S らは おとなしい。もともとおとなしく けんかをするほどに仲良しであった。 どのようにクニユヅリが成ったか? S(スサノヲ)市民の中から出た公民 A (アマテラス)らは 特に優秀であったゆえ 人びとは社会というヤシロにも特別な神棚をこしらえてやりもっぱらその空中庭園に住まわせた。この第二階となる神棚にまつりあげた。 優秀であるうえに品行方正で申し分のないほど人間的な人間たちであったが ただひとつ玉にきずなのは つねに人びとから注目を浴びていなければ落ち着かない。お山の大将型であったことだ。 市民らは かれらに根負けして それならと言うので神棚をわざわざこしらえて そこを棲み処とさせた。人権を限定し制約するような檻に住まわせたとも言える。これが のちのち或る意味でわざわいともなった。 (α-2) 市民 S らの中には この第二階への出世志向が流行り病いのごとく起こり(=アマアガリ・シンドローム) ひとつには とうとう A 者公民たちにこびへつらうようになり ひとつには ゆすり・たかりをはたらき甘い汁を吸おうとするようになる者が出た。 このお二階さん志向――そして別様に言えば お上意識; つまりは アマテラス予備軍症候群なる心理――が絡んでくると スサノヲ市民どうしのあいだでも いざこざが絶えなくなる。 簡単に言ってこういうわけで 市民 S 者のあいだには まっすぐな心持ちにもとづく行動と どこか歪んだところのある振る舞いとそれら両面が見られることになる。 すなわちこれらよき基礎とあしき部分とをふくんだところの《 S - A 》の対話型である。 そして 端的に言って アマアガリ・シンドロームは 覇権思想である。もっぱら《上から目線》によって成り立っている。 (ω) A と S とが《競争型》なるその《 A - S 》連関制 (ω-1) つまり西欧の市民 S は そして公民 A も 誰もがおのれの中にお二階さん志向(または アマアガリ欲望)を持つ。すなわちひとりの個人がその内面においてあたかも《 A(おほやけ) = S(わたくし) 》としての市民 S であり この市民 S が同じく《 A = S 》としての公民 A と成るという傾向を有する。こう推し測られる。 国ゆづりというよりは 国盗り・天下取り型になる。 (ω-2) すなわちこの競争型とは (ω) 欧米型(または遊牧民型): A ( A=S ) ∽ S ( A=S ) 連関制 である。相似形の記号( ∽ )の意味は つねに転覆(回転=レヲ゛リューション)が起こり得るということを表わす。 言いかえるとその社会では 第一階においてすでに 《人は人に対して狼なり。( Homo homini lupus. )/ 万人の万人に対するたたかい( bellum omni contra omnes. )》という市民(《 A = S 》なる市民 S )どうしの社会的な意識の流れが関係し合っている。 そのような個人としての・ワタシとしての意識が互いに日常においてすらも対立しがちである。そしてそのいわゆる弁証法的展開が ふつうに見通されているようでもある。 § 3 (α)および(ω) 両者を比較対照します 日本市民が このアマアガリ志向に対して《くにゆづり》をしたと言う時 それは非戦論であり そうだとすれば それに対して欧米市民は 主戦論に立つものと考えられる。 土地に縄を張って ここはおれのものだと宣言したとき 言葉たくみににしろ力づくでにしろ その土地を獲ってしまえば 自分のものになると考える傾向ではないだろうか。《法律》は その既成事実を保守するためにつくられる傾向があるのだろうか? 日本市民は――その昔 オホクニヌシとその息子のひとりは―― これこれはおれのものだと主張するときに どういうかたちにしろ争うことは 人間の弱さから来ると考え それならと言って 非戦論を採った。いちどゆづったら 相手を神棚に挙げてしまったのだから おいそれとは国の共同自治の権限を返せとは言えない。言わない。おとなしい。そして ただそれだけのことだと考えられる。 ただしそのアマアガリ・シンドローム(末は博士か大臣かの出世症候群が覇権思想となったヰルス)の感染具合いに応じて 波風の立つこともある。《主戦論》が優位に立つ場合もある。欧米主導のグローバル化に感染したゆえなのかどうか。 § 4 さらに別の A - S 連関制 とはどういう現実か これは 《アフリカ的段階》と呼ばれるもので ひとことで説明するなら 市民 S らに絶対主権があるようなかたちである。 (κ) アフリカ型:《 S (=じつは 絶対的 A ) ∽ A 》連関制 ◆ (『アフリカ的段階について』 ヘーゲルを解剖学した世界観?) ~~~ http://y-bat.txt-nifty.com/doyo/2009/01/post-8de9.html マルクスはインド・ヨーロッパ語圏の外にアジア的共同体を見出したが、吉本〔隆明〕はそのアジア的段階より前の段階としてアフリカを見出している。 ( a ) そこには殺生与奪権を独占し自由に行使できる王(* A )がいる。 ( b ) しかし、民衆(* ――《〈じつは A 〉なる S 》――)は豊穣と生活の保障と引き換えに王(* 権力)を認知しているのであって、不作や疫病があれば王は民に殺されてしまう。 ( c ) 生命の等価交換(という原始的なシステム)の上に成り立っていた頃の世界がそこにはある。 ( d ) 民衆(個人 S とその共同性)と王(権力と象徴= amaterasity アマテラシテ)は等価なのだ。 ~~~~~~~~~~~~~~~ ☆ このアフリカ型(κ)は 特に( b )の特徴にかんがみて 民衆暴君型である。 対話型(α)と見た日本社会の《伝統》は そして 自由競争型(ω)と捉えた西欧社会とともに この民衆暴君型(κ)と見られるような社会と国家の動きに対して どのように対処して行くのがよいであろうか。 いったい何が問題なのか? 何が悲しくて何を問題としているのか? お考えをお寄せください。
- 私たちの世界に永遠は存在するか?
天文学によると私たちの住んでいる宇宙は約138億年前に誕生したそうです。 その前には私たちの住んでいるこの宇宙は存在しなかった。 そうすると、どんなに長く存在しているものであっても138億年しか経過していないことになります。138億年は長い時間ですけど永遠ではないですよね。 そうすると、現時点では永遠なものは存在しないことになります。 では、将来に永遠なものが誕生するかというと、それもないでしょう。 どんなに将来になっても、今から何年後というどこまでも有限な時間しか存在しないと思います。 私たちとは別次元の宇宙が存在して、そこには永遠があるということはあるかもしれませんが、私たちが住んでいるこの宇宙には、現在まで永遠は存在しないし、将来にも存在することは無いと言えるのではないでしょうか? 皆様はどのようにお考えになりますか?
- 人間とロボピューター どういう関係?
人間とロボット+コンピューター どちらもそれぞれ能力の違いはありますが 将棋の電脳戦ではやっとプロ棋士が勝ち越したそうです。 今でさえロボットやコンピューターに仕事を取られて 引っ張りだこである筈の少子化の新人さんたちは職探しが大変 外国の安い労働力とも競争してるわけですが 今はまだロボピューターが高いので 人間を使ってる会社が多いですが 安いとなれば人間を大幅に減らしてロボットとコンピューターで作ろうと 言う事になるかもしれません。 本当ならロボットとコンピューターで楽を出来るはずの人間が 何故かロボピューターと競争するために 長時間低賃金労働を強いられる そうなりそうなこの社会は 何処かおかしいのではないだろうか? 介護なども人間は盆正月もGWもなくこき使われています。 失業者も多いのにどうなってるのでしょうか? 資本主義を根本的に考え直すべきなのか? 政治・経済の分野の人も その様な事が実現するとは考えてないのではないでしょうか? 人間とロボット+コンピューターの関係はどうなのでしょうか? 人間など無能だから要らないのでしょうか??
- 韓国はインターネットから日本削除を図るナチスか
ホロコーストがそのコンタンである。と見ると すべてが理解できます。 もし ナチスの愚行でないとすると きちがいという理解になります。 この見方をめぐっていろいろと正しつつおしえてください。 総じて言って 日本に対する韓国人の態度に人間性の破片はありますか。
- 民主制の中にも帝国主義(覇権思想)があり得る。
§ 1 まづ社会形態の類型をとらえます 市民社会(《わたくし》の S 圏=一階)と公民圏(《おほやけ》なるお二階 A 圏)との二階建てから成る国家という社会形態について 次のみっつの種類に分けてみた。 (α) A圏とS圏との自由対話型:日本社会 (κ) 《民衆( S圏 )は自由暴君》型:アフリカ型社会 (ω) S圏内もA圏内も両圏相互としても 自由競争型:西欧社会 おおざっぱな分類です。《果たして民主主義でよいのか》のたぐいの質問とそのやり取りがつづいていますので それにちなんで何とか問題をほぐしたい。 これまでの大統領が任期を終えたあとには ことごとくと言ってよいほど石持て追われるかの様相を呈しているところを捉えて その大韓民国という社会は (κ)のアフリカ型ではないか? 中華人民共和国は 人民の国とうたっている割りには おほやけなるA圏のもっぱらの公民が暴君としてのさばっている。やはりアフリカ型か? とは言うものの 現代にあっては おほやけなるA圏の人たちも 《わたくし》なる一人の市民としてそして人間として みんな自由でありその自由が互いにひとしく平等であるとうたった考え方は それとして普及しています。タテマエは 民主制です。 民主制のもとにあっても 日本型も西欧型も 対外的な帝国主義の動きは過去となりつつあるとしても 対内的な覇権主義が――じつはそれは過去の動きであったものであると同時に 現在にも残っているし―― はたらいている。という問題を取り上げたい。 § 2 民主制にひそむ覇権思想としてのアマアガリ・シンドロームについて まづ (α)日本型と(ω)西欧型とにかんたんに捉えた説明をあたえて行きます。 (α) 対話型の社会形態は 国ゆづり型である。 (α-1) 日本における国家は 《国ゆづり》型であるゆえ 市民 S らは おとなしい。もともとおとなしく けんかをするほどに仲良しであった。 どのようにクニユヅリが成ったか? S(スサノヲ)市民の中から出た公民 A (アマテラス)らは 特に優秀であったゆえ 人びとは社会というヤシロにも特別な神棚をこしらえてやりもっぱらその空中庭園に住まわせた。この第二階となる神棚にまつりあげた。 優秀であるうえに品行方正で申し分のないほど人間的な人間たちであったが ただひとつ玉にきずなのは つねに人びとから注目を浴びていなければ落ち着かない。お山の大将型であったことだ。 市民らは かれらに根負けして それならと言うので神棚をわざわざこしらえて そこを棲み処とさせた。人権を限定し制約するような檻に住まわせたとも言える。これが のちのち或る意味でわざわいともなった。 (α-2) 市民 S らの中には この第二階への出世志向が流行り病いのごとく起こり(=アマアガリ・シンドローム) ひとつには とうとう A 者公民たちにこびへつらうようになり ひとつには ゆすり・たかりをはたらき甘い汁を吸おうとするようになる者が出た。 このお二階さん志向――そして別様に言えば お上意識; つまりは アマテラス予備軍症候群なる心理――が絡んでくると スサノヲ市民どうしのあいだでも いざこざが絶えなくなる。 簡単に言ってこういうわけで 市民 S 者のあいだには まっすぐな心持ちにもとづく行動と どこか歪んだところのある振る舞いとそれら両面が見られることになる。 すなわちこれらよき基礎とあしき部分とをふくんだところの《 S - A 》の対話型である。 そして 端的に言って アマアガリ・シンドロームは 覇権思想である。もっぱら《上から目線》によって成り立っている。 (ω) A と S とが《競争型》なるその《 A - S 》連関制 (ω-1) つまり西欧の市民 S は そして公民 A も 誰もがおのれの中にお二階さん志向(または アマアガリ欲望)を持つ。すなわちひとりの個人がその内面においてあたかも《 A(おほやけ) = S(わたくし) 》としての市民 S であり この市民 S が同じく《 A = S 》としての公民 A と成るという傾向を有する。こう推し測られる。 国ゆづりというよりは 国盗り・天下取り型になる。 (ω-2) すなわちこの競争型とは (ω) 欧米型(または遊牧民型): A ( A=S ) ∽ S ( A=S ) 連関制 である。相似形の記号( ∽ )の意味は つねに転覆(回転=レヲ゛リューション)が起こり得るということを表わす。 言いかえるとその社会では 第一階においてすでに 《人は人に対して狼なり。( Homo homini lupus. )/ 万人の万人に対するたたかい( bellum omni contra omnes. )》という市民(《 A = S 》なる市民 S )どうしの社会的な意識の流れが関係し合っている。 そのような個人としての・ワタシとしての意識が互いに日常においてすらも対立しがちである。そしてそのいわゆる弁証法的展開が ふつうに見通されているようでもある。 § 3 (α)および(ω) 両者を比較対照します 日本市民が このアマアガリ志向に対して《くにゆづり》をしたと言う時 それは非戦論であり そうだとすれば それに対して欧米市民は 主戦論に立つものと考えられる。 土地に縄を張って ここはおれのものだと宣言したとき 言葉たくみににしろ力づくでにしろ その土地を獲ってしまえば 自分のものになると考える傾向ではないだろうか。《法律》は その既成事実を保守するためにつくられる傾向があるのだろうか? 日本市民は――その昔 オホクニヌシとその息子のひとりは―― これこれはおれのものだと主張するときに どういうかたちにしろ争うことは 人間の弱さから来ると考え それならと言って 非戦論を採った。いちどゆづったら 相手を神棚に挙げてしまったのだから おいそれとは国の共同自治の権限を返せとは言えない。言わない。おとなしい。そして ただそれだけのことだと考えられる。 ただしそのアマアガリ・シンドローム(末は博士か大臣かの出世症候群が覇権思想となったヰルス)の感染具合いに応じて 波風の立つこともある。《主戦論》が優位に立つ場合もある。欧米主導のグローバル化に感染したゆえなのかどうか。 § 4 さらに別の A - S 連関制 とはどういう現実か これは 《アフリカ的段階》と呼ばれるもので ひとことで説明するなら 市民 S らに絶対主権があるようなかたちである。 (κ) アフリカ型:《 S (=じつは 絶対的 A ) ∽ A 》連関制 ◆ (『アフリカ的段階について』 ヘーゲルを解剖学した世界観?) ~~~ http://y-bat.txt-nifty.com/doyo/2009/01/post-8de9.html マルクスはインド・ヨーロッパ語圏の外にアジア的共同体を見出したが、吉本〔隆明〕はそのアジア的段階より前の段階としてアフリカを見出している。 ( a ) そこには殺生与奪権を独占し自由に行使できる王(* A )がいる。 ( b ) しかし、民衆(* ――《〈じつは A 〉なる S 》――)は豊穣と生活の保障と引き換えに王(* 権力)を認知しているのであって、不作や疫病があれば王は民に殺されてしまう。 ( c ) 生命の等価交換(という原始的なシステム)の上に成り立っていた頃の世界がそこにはある。 ( d ) 民衆(個人 S とその共同性)と王(権力と象徴= amaterasity アマテラシテ)は等価なのだ。 ~~~~~~~~~~~~~~~ ☆ このアフリカ型(κ)は 特に( b )の特徴にかんがみて 民衆暴君型である。 対話型(α)と見た日本社会の《伝統》は そして 自由競争型(ω)と捉えた西欧社会とともに この民衆暴君型(κ)と見られるような社会と国家の動きに対して どのように対処して行くのがよいであろうか。 いったい何が問題なのか? 何が悲しくて何を問題としているのか? お考えをお寄せください。
- 哲学と宇宙論
診ていただいてありがとうございます。さっそくですが Rμv-1/2gμvR-Λgμv=(8πG/c^4)Tμv というアインシュタインの一般相対性理論の基本式がありますが そりゃねえ、望遠鏡で観測できる範囲ならそれでもいいかもしれないけども、宇宙全般について、そんなシンプルな式で表されてもね、江戸っ子としては納得いかないわけですよ。雨の日もありゃ晴れの日だってあるんだし、はっつあんの腹んなかと源さんの腹んなかは違うんですから、ひとくくりにされちゃた日にゃ、そりゃフンドシの紐が緩んじまうって話ですよ。 だから人生いろいろなんだから宇宙もいろいろあっていいと思うんです。 ウキペデアに書いてあったんですけど、四つの力のうち、電磁相互作用と重力については影響範囲が無限大だって、それ見たときに家の猫がひっくり返ってへそで茶を沸かしましたよ。もし書いてある通り無限大なら、宇宙は無限だってことになるでしょ。数学のほうへ外注しすぎて変な方向へ行っちゃってるんじゃないでしょうか。変な式をいつまでも野放しにしておくと学生たちが「どうせ世の中変わらないんだろう」って投げやりになり勉強しなくなるので、ここらでひとつ、宇宙は哲学でできているということを見せつけてやりたいのです。 ここでやっと質問です。 宇宙論の分野で、哲学の学生がかかわれる部分はあるのでしょうか。ニーチェは耳にタコができたのでいりませんので、よろしくおたのもうします。
- ベストアンサー
- 哲学・倫理・宗教学
- noname#208724
- 回答数8
- 私たちの世界に永遠は存在するか?
天文学によると私たちの住んでいる宇宙は約138億年前に誕生したそうです。 その前には私たちの住んでいるこの宇宙は存在しなかった。 そうすると、どんなに長く存在しているものであっても138億年しか経過していないことになります。138億年は長い時間ですけど永遠ではないですよね。 そうすると、現時点では永遠なものは存在しないことになります。 では、将来に永遠なものが誕生するかというと、それもないでしょう。 どんなに将来になっても、今から何年後というどこまでも有限な時間しか存在しないと思います。 私たちとは別次元の宇宙が存在して、そこには永遠があるということはあるかもしれませんが、私たちが住んでいるこの宇宙には、現在まで永遠は存在しないし、将来にも存在することは無いと言えるのではないでしょうか? 皆様はどのようにお考えになりますか?
- 論理的思考のデメリット長所とメリット短所は
論理中毒者(信者.教信仰者)が 好んで用意る ロジカルシンキング 論理的思考(ロリ思考)の メリット(長所)とデメリット(欠点)とは何だろうか? 哲学カテゴリー皆さんの ご回答のほど、 お待ち申して おります!
- 全能の神を信じる全ての人に質問です。
こんにちは。 しばらく開けておくつもりなので、なるべく知性(できれば実経験も)に富んだ回答をお願い致します。 ※真面目な回答以外は無視させて頂きます。 不届きな輩が増え、味噌でも糞でもなんでもそのままで良いんだよ~と認める”善人たち”が増え、不届きが極まる方向へ進んでいるかのごとくに見える見方があります。 神は不届きが極まるまで極めさせるつもりだとお思いですか? それとも、そんな事はさらさら思っていないが、あくまでも人間によるコントロールを求めているとお思いですか? あるいは他にご意見のある方が居らしたらご意見をお願いします。
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- 哲学・倫理・宗教学
- noname#207138
- 回答数6
- 民主制の中にも帝国主義(覇権思想)があり得る。
§ 1 まづ社会形態の類型をとらえます 市民社会(《わたくし》の S 圏=一階)と公民圏(《おほやけ》なるお二階 A 圏)との二階建てから成る国家という社会形態について 次のみっつの種類に分けてみた。 (α) A圏とS圏との自由対話型:日本社会 (κ) 《民衆( S圏 )は自由暴君》型:アフリカ型社会 (ω) S圏内もA圏内も両圏相互としても 自由競争型:西欧社会 おおざっぱな分類です。《果たして民主主義でよいのか》のたぐいの質問とそのやり取りがつづいていますので それにちなんで何とか問題をほぐしたい。 これまでの大統領が任期を終えたあとには ことごとくと言ってよいほど石持て追われるかの様相を呈しているところを捉えて その大韓民国という社会は (κ)のアフリカ型ではないか? 中華人民共和国は 人民の国とうたっている割りには おほやけなるA圏のもっぱらの公民が暴君としてのさばっている。やはりアフリカ型か? とは言うものの 現代にあっては おほやけなるA圏の人たちも 《わたくし》なる一人の市民としてそして人間として みんな自由でありその自由が互いにひとしく平等であるとうたった考え方は それとして普及しています。タテマエは 民主制です。 民主制のもとにあっても 日本型も西欧型も 対外的な帝国主義の動きは過去となりつつあるとしても 対内的な覇権主義が――じつはそれは過去の動きであったものであると同時に 現在にも残っているし―― はたらいている。という問題を取り上げたい。 § 2 民主制にひそむ覇権思想としてのアマアガリ・シンドロームについて まづ (α)日本型と(ω)西欧型とにかんたんに捉えた説明をあたえて行きます。 (α) 対話型の社会形態は 国ゆづり型である。 (α-1) 日本における国家は 《国ゆづり》型であるゆえ 市民 S らは おとなしい。もともとおとなしく けんかをするほどに仲良しであった。 どのようにクニユヅリが成ったか? S(スサノヲ)市民の中から出た公民 A (アマテラス)らは 特に優秀であったゆえ 人びとは社会というヤシロにも特別な神棚をこしらえてやりもっぱらその空中庭園に住まわせた。この第二階となる神棚にまつりあげた。 優秀であるうえに品行方正で申し分のないほど人間的な人間たちであったが ただひとつ玉にきずなのは つねに人びとから注目を浴びていなければ落ち着かない。お山の大将型であったことだ。 市民らは かれらに根負けして それならと言うので神棚をわざわざこしらえて そこを棲み処とさせた。人権を限定し制約するような檻に住まわせたとも言える。これが のちのち或る意味でわざわいともなった。 (α-2) 市民 S らの中には この第二階への出世志向が流行り病いのごとく起こり(=アマアガリ・シンドローム) ひとつには とうとう A 者公民たちにこびへつらうようになり ひとつには ゆすり・たかりをはたらき甘い汁を吸おうとするようになる者が出た。 このお二階さん志向――そして別様に言えば お上意識; つまりは アマテラス予備軍症候群なる心理――が絡んでくると スサノヲ市民どうしのあいだでも いざこざが絶えなくなる。 簡単に言ってこういうわけで 市民 S 者のあいだには まっすぐな心持ちにもとづく行動と どこか歪んだところのある振る舞いとそれら両面が見られることになる。 すなわちこれらよき基礎とあしき部分とをふくんだところの《 S - A 》の対話型である。 そして 端的に言って アマアガリ・シンドロームは 覇権思想である。もっぱら《上から目線》によって成り立っている。 (ω) A と S とが《競争型》なるその《 A - S 》連関制 (ω-1) つまり西欧の市民 S は そして公民 A も 誰もがおのれの中にお二階さん志向(または アマアガリ欲望)を持つ。すなわちひとりの個人がその内面においてあたかも《 A(おほやけ) = S(わたくし) 》としての市民 S であり この市民 S が同じく《 A = S 》としての公民 A と成るという傾向を有する。こう推し測られる。 国ゆづりというよりは 国盗り・天下取り型になる。 (ω-2) すなわちこの競争型とは (ω) 欧米型(または遊牧民型): A ( A=S ) ∽ S ( A=S ) 連関制 である。相似形の記号( ∽ )の意味は つねに転覆(回転=レヲ゛リューション)が起こり得るということを表わす。 言いかえるとその社会では 第一階においてすでに 《人は人に対して狼なり。( Homo homini lupus. )/ 万人の万人に対するたたかい( bellum omni contra omnes. )》という市民(《 A = S 》なる市民 S )どうしの社会的な意識の流れが関係し合っている。 そのような個人としての・ワタシとしての意識が互いに日常においてすらも対立しがちである。そしてそのいわゆる弁証法的展開が ふつうに見通されているようでもある。 § 3 (α)および(ω) 両者を比較対照します 日本市民が このアマアガリ志向に対して《くにゆづり》をしたと言う時 それは非戦論であり そうだとすれば それに対して欧米市民は 主戦論に立つものと考えられる。 土地に縄を張って ここはおれのものだと宣言したとき 言葉たくみににしろ力づくでにしろ その土地を獲ってしまえば 自分のものになると考える傾向ではないだろうか。《法律》は その既成事実を保守するためにつくられる傾向があるのだろうか? 日本市民は――その昔 オホクニヌシとその息子のひとりは―― これこれはおれのものだと主張するときに どういうかたちにしろ争うことは 人間の弱さから来ると考え それならと言って 非戦論を採った。いちどゆづったら 相手を神棚に挙げてしまったのだから おいそれとは国の共同自治の権限を返せとは言えない。言わない。おとなしい。そして ただそれだけのことだと考えられる。 ただしそのアマアガリ・シンドローム(末は博士か大臣かの出世症候群が覇権思想となったヰルス)の感染具合いに応じて 波風の立つこともある。《主戦論》が優位に立つ場合もある。欧米主導のグローバル化に感染したゆえなのかどうか。 § 4 さらに別の A - S 連関制 とはどういう現実か これは 《アフリカ的段階》と呼ばれるもので ひとことで説明するなら 市民 S らに絶対主権があるようなかたちである。 (κ) アフリカ型:《 S (=じつは 絶対的 A ) ∽ A 》連関制 ◆ (『アフリカ的段階について』 ヘーゲルを解剖学した世界観?) ~~~ http://y-bat.txt-nifty.com/doyo/2009/01/post-8de9.html マルクスはインド・ヨーロッパ語圏の外にアジア的共同体を見出したが、吉本〔隆明〕はそのアジア的段階より前の段階としてアフリカを見出している。 ( a ) そこには殺生与奪権を独占し自由に行使できる王(* A )がいる。 ( b ) しかし、民衆(* ――《〈じつは A 〉なる S 》――)は豊穣と生活の保障と引き換えに王(* 権力)を認知しているのであって、不作や疫病があれば王は民に殺されてしまう。 ( c ) 生命の等価交換(という原始的なシステム)の上に成り立っていた頃の世界がそこにはある。 ( d ) 民衆(個人 S とその共同性)と王(権力と象徴= amaterasity アマテラシテ)は等価なのだ。 ~~~~~~~~~~~~~~~ ☆ このアフリカ型(κ)は 特に( b )の特徴にかんがみて 民衆暴君型である。 対話型(α)と見た日本社会の《伝統》は そして 自由競争型(ω)と捉えた西欧社会とともに この民衆暴君型(κ)と見られるような社会と国家の動きに対して どのように対処して行くのがよいであろうか。 いったい何が問題なのか? 何が悲しくて何を問題としているのか? お考えをお寄せください。