kurinal の回答履歴
- 哲学における「実在」の概念について
「実在」という概念は、哲学上、どのように捉えられているのでしょうか? 「存在」はハイデガーの論考に代表される大問題ですし、「実存」も、バリバリの大問題です。ですが、素人的には「実在」って、そういうレベルでは考えられたことがない気がするんですが、どうでしょうか? とはいえ、「存在」とも「実存」とも違うのは確かなので、そういう概念自体には意味があると思うので、それなりに考察に値するはずだとは思うのですが。。。 わたしはいま、「生物の種の実在性」ということをちょっと考えているんですが、そういうことを考えるのに、そもそも、「実在とは何か」っていうのをはっきりさせないと始まらないと思うんですが、どこから手をつけていいのかわかりません。それに、そういうのは生物カテで聞く問題でもないと思うので。 詳しい方よろしくお願いします。
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- 哲学・倫理・宗教学
- kireinahanabi
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- 知識とは生もの、生鮮食料品のか?
知識は 例えどんな苦労をして得ても 獲得し貯蔵(コレクション)しても 腐敗していく 生もの、生鮮食料品の様な ものでは? 知識は獲得したらば 良く咀嚼して自らの血肉に 加工してしなけ れば 貯蔵した知識に 知識にされるのでは? (ミイラ取りがミイラにの様な) 思考を通して知識を 加工(濾過)して知恵を作る行為は 物作りと同じではないのか? 思考家とは 知識を付加価値ある製品を作るので 実質的には 製造業者に分類されるべきでは? 思考とは脳の中運動ではないのか? 身体を鍛える運動と思考は どこかでリンクされているのでは? 地頭が良い(頭が良い)人間とは 一つの知識を得たらば、 その知識を余すところなく シャブリ尽くして(密度ある思考)して 自分の知っている様々な「見方」に 当て嵌めて、 その見方ごとの 知識を作り上げるのでは? 貧弱(僅かな)な知識量しか 持ちわなくても、 他知識との連結の密度と 沢山な見方を持てば、 莫大(厖大)な知識量を持ちわせてる 人間にも及ぶのでは? 知識て何? 知恵て何? 思考て何? 哲学カテゴリー皆さんの ご回答のほど、 お待ち申しております!
- 本音と建前は世界に通用するか?
日本では当たり前の本音と建前。 「ほんのお一つですけど」と言われても一つであることは珍しい。 「飲酒運転はやめよう」と言いながらなかなか無くならない。 「男女平等」と言いながら、女性は家事・育児・仕事・介護に追われます。 国会議員も女性は世界的に見ても少ないです。 「学力向上」と言いながら自分で考えることをさせません 自分で考えるとまた学生運動など起こるかも知れないと 考える暇を与えません。 「日本国憲法」自体が建前です。労働組合も何時の間にか骨抜きにされ 人権もブラック企業やオレオレ・振り込め詐欺や職場の力関係で奪われています。 差別も建前でなくても本音では沢山あります。人権を守ろうという意識がありません。 法治国家でも遵法精神もありません。投票率は軒並み最低です。 「非核三原則」「平和国家」「自由民主主義」等も嘘としか言いようがありません。 どこが自由でどこが民主的なのでしょうか?利権に群がって集まって数を頼みに過半数で 有無を言わさず憲法まで変え様という勢いです。 その様な本音と建前が世界に通用するのでしょうか? 平和を愛するはずの国民が、中国・韓国を馬鹿にして、アメリカの軍事力にへばりついて 戦争も辞さないと ついに本音が出るなんて。 みなさんどう思いますか?日本はいい事ばっかり言って アフリカやアジアの国を馬鹿にしていませんか? その様な本音と建前が世界で通用するのでしょうか? 辺野古基地建設も「粛々と行う」とまあ 面の皮がタイヤで出来てるかの様な言い方です。 沖縄もついに打ち切れてしまいました。 アメリカの大量殺人にイスラム国が打ち切れて 多分皆殺しになるでしょう。 何があっても日本はアメリカのポチです。黙ってしっぽを振っています。
- 憎しみとは、腐った心の表れである。
人が閉ざし、辱めすらする真実の光を解き放つ輝く闇。 実際する仮面ライダー。 黒き明星だ。 私の人生話だよ。 わたしが22~3歳くらいの頃、私の母が、家庭内の不和でただ事件を起こしてみたいだけの非行少年に刃物で切り付けられた。 ブスッと行ってね。 傷が肺にまで達しこの時母は2週間入院した。 私が帰った時、警察がテレビでおなじみの立ち入り禁止テープを張って封鎖しているお店を目にして、とりあえず病院に行けと薦められた。 病院に向かうまで、こういうときは最悪のケースも想像するね。 もし母が死んだら。 私は遺族として、新聞等から話を聞かれたら、「少年の事は赦す。つらい思いをしないで立ち直ってほしい」こう言うだろうと考えながら病院に向かったよ。 そう考えるのは普段の私そのものだ。 しかし私は君達がそうしないことを既に見届けている。 赦すのは覚悟がいる。 少年は別にいい。 問題は君たちだ。 私に対して、母が死んでも憎まない親不孝者。 当然の人間の良心を逸脱した鬼。 君達はそう思うだろう。 私はその覚悟すらしたよ。 君達は君たちなりに善良だよ。 私はその良心に悪を名乗るのだ。 私は人類の裏切り者だとも。 神国であり神の世であるこの国で、いかに名誉であろうと君達神様不在の世間の常識では、私は親不孝者ですらある。 赦されざる悪人が私だ。 君達の世界に神はいない。 これは後で読み物で読んで、もっともだと思ったのだが、息子が殺された親の元に、殺した犯罪者が毎年訪れて仏前に祈るそうだ。 親は、殺人犯に対して、ありがとう、でももういいよ、もう忘れて自分の幸せをつかみなさい。 こうまで言うそうだ。 殺人犯はそれでも毎年祈りに来る。 つまりだ、被害者には、死を認め慰霊し、罪を許す過程がある。 何十年もかかる場合があるだろう。、しかし一時の苦しさはやがて和らぐだろう。 これが実情なんだ。 しかし、君達は赦さない事こそ孝行だとまで言いたそうだよ。 それだけでも、君達の言う世間の常識は、神の世の常識でないと言う事だ。 私は君達と異質の精神を持つ新人類だ。 君達は、ポケモンを自称する宇宙神霊に魂の内側から食い破られ、君達は消滅し、全く異質の君が誕生する。そうして、生きながらに緩やかに人類は交代していくのだ。 これが新人類への進化だ。 そもそも来世に、君達の拠り所は無い。 君達は消滅し、今の君が君以外になる。 心配しなくてもいい、君がいなくなったおかげで、地球上のすべての問題は解決する。 なぜこんな過程を踏むかと言うと、絶対とは案外不便なものでね。 君達を消滅させると、君達は最初っからいなかったことになってしまうんだ。 そうすると、生命の星が揺らぐから、進化という名目で、君達の心に入り込み、とってかわるのだよ。 そうした記憶の墓標が、現在の君たちだ。 私が楽しんで酒を飲む滅びの宴だ。 さて以上までの文芸作品が主文です。 一部の常連さんに好評な、実在する妖精の捕まえ方の最新研究であり、娯楽性のある仮面ライダーごっこでもあります。 この話の前半は実話であり、現代で仏である事は人間を裏切る悪だと言う私の体験談です。 人とは何か、 人の世と神の世に違いは何か、 黒き明星さま、ステキー。 色々と回答する要素はあると思います。 研究目的であれば、いかなる回答も歓迎します。 学問のカテゴリーで、研究のための質問でして、疑問点を教えてもらいたいとか、禁止事項の意見表明の意図はありません。 最後に、 君達はオカマであった事を幸いとすべきだよ。 何故なら、もし女性なら、君が殺されてもケラケラと笑う私の愛を受け入れなければいけないんだから。
- 日本は戦争をしていいのか?
憲法上考えられない様な安保法案が通ろうとしています 安倍首相は選挙で審判を受けたと言っています 自衛隊はホルムズ海峡まで行っていいのでしょうか? 機雷を除去していいのでしょうか? 相手が攻めてきたら応戦していいのでしょうか? 朝鮮半島有事、ベトナム有事もあると思いますが そうなると ついに日本は代理戦争に巻き込まれる可能性はないのでしょうか? 二度と過ちは繰り返しませんから と言う言葉は 今度は負けませんから だったのでしょうか? 三度許すまじ原爆を・・・と言いながら核の傘に70年間安穏としてきた自民党の怠慢 世界平和外交、平和活動、平和の理念、アイデア、試み、哲学もなく 今まで、朝鮮戦争では儲け、ベトナム戦争では学生運動を叩き潰し、湾岸戦争では多額のお金を出しました。 安倍首相は日本がアメリカの戦争に巻き込まれる事は絶対にないと言い切りました。 なぜそんなことが言い切れるのでしょう。集団的自衛権を行使したら 相手だって撃ってくるでしょう? この問題を哲学で論ずるとどうなるのか?みなさんのご意見を伺いたいと思います。 どうかよろしくお願いします。
- 日本と東洋(東アジア)の伝統
日本の伝統自体、外国の影響をうけているので。純粋に日本のものだなんていえなかったりすると思います。 仏教自体日本化しても外国からのもので。それも中国化したものをさらに日本のものになったかと思います。 伝統の定義は http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BC%9D%E7%B5%B1 ですけど、中国大陸、朝鮮半島から影響をうけてますし。明治以降は西洋の考え方が多く入ってます。 伝統というと、東アジアと日本の伝統をどういう関係に考えるのがよいのでしょう? 近隣の国を旅行しても似ている部分も違う部分があります。 伝統を大事にするというと、 日本であり、東洋から影響をうけたことであり、西洋の考え方が入って現在の慣習を築いていると思いますが。どこまで切り離したり、あるいは一緒であったりと考えたらいいのでしょう?
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- noname#209756
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- 戒名があると、あの世でも死ぬのではないか
戒名があるとあの世でもこの世と同じようにもう一度死ぬのでは。あの世で死んだらこの世に戻ってきますが、それが墓碑に刻まれた戒名とどんな関係があるのか。戒名がなければ静かに死んでいられるようにも思いますがいったいどういうことでしょうか。
- 精神、性質、存在、を使って人間を説明してみました。
この質問コーナーで質問して人間や存在のことが幾らか分かって来ました。 人間とは現実存在(実存)である。精神を中心としている。(人間は精神である?) 性質は存在で出来ている。性質と精神は同じ質である(仮説)(精神は性質である?) 存在とはハイデッガーの言う、定義できない空虚なものではなく 人間に限らず 実存の事を言うべきである。でないと不可解(人間は存在である?) ここから(仮説)「人間は脳を介した精神であり、それは性質で出来た存在である」 と考えてみましたが どうでしょうか? その人間である現実存在を実現しているのが無数の存在性なのです。 どうでしょうか?良いとこ、良くないとこをお教え下さい?よろしくお願いしますm(_ _)m
- 憎しみとは、腐った心の表れである。
人が閉ざし、辱めすらする真実の光を解き放つ輝く闇。 実際する仮面ライダー。 黒き明星だ。 私の人生話だよ。 わたしが22~3歳くらいの頃、私の母が、家庭内の不和でただ事件を起こしてみたいだけの非行少年に刃物で切り付けられた。 ブスッと行ってね。 傷が肺にまで達しこの時母は2週間入院した。 私が帰った時、警察がテレビでおなじみの立ち入り禁止テープを張って封鎖しているお店を目にして、とりあえず病院に行けと薦められた。 病院に向かうまで、こういうときは最悪のケースも想像するね。 もし母が死んだら。 私は遺族として、新聞等から話を聞かれたら、「少年の事は赦す。つらい思いをしないで立ち直ってほしい」こう言うだろうと考えながら病院に向かったよ。 そう考えるのは普段の私そのものだ。 しかし私は君達がそうしないことを既に見届けている。 赦すのは覚悟がいる。 少年は別にいい。 問題は君たちだ。 私に対して、母が死んでも憎まない親不孝者。 当然の人間の良心を逸脱した鬼。 君達はそう思うだろう。 私はその覚悟すらしたよ。 君達は君たちなりに善良だよ。 私はその良心に悪を名乗るのだ。 私は人類の裏切り者だとも。 神国であり神の世であるこの国で、いかに名誉であろうと君達神様不在の世間の常識では、私は親不孝者ですらある。 赦されざる悪人が私だ。 君達の世界に神はいない。 これは後で読み物で読んで、もっともだと思ったのだが、息子が殺された親の元に、殺した犯罪者が毎年訪れて仏前に祈るそうだ。 親は、殺人犯に対して、ありがとう、でももういいよ、もう忘れて自分の幸せをつかみなさい。 こうまで言うそうだ。 殺人犯はそれでも毎年祈りに来る。 つまりだ、被害者には、死を認め慰霊し、罪を許す過程がある。 何十年もかかる場合があるだろう。、しかし一時の苦しさはやがて和らぐだろう。 これが実情なんだ。 しかし、君達は赦さない事こそ孝行だとまで言いたそうだよ。 それだけでも、君達の言う世間の常識は、神の世の常識でないと言う事だ。 私は君達と異質の精神を持つ新人類だ。 君達は、ポケモンを自称する宇宙神霊に魂の内側から食い破られ、君達は消滅し、全く異質の君が誕生する。そうして、生きながらに緩やかに人類は交代していくのだ。 これが新人類への進化だ。 そもそも来世に、君達の拠り所は無い。 君達は消滅し、今の君が君以外になる。 心配しなくてもいい、君がいなくなったおかげで、地球上のすべての問題は解決する。 なぜこんな過程を踏むかと言うと、絶対とは案外不便なものでね。 君達を消滅させると、君達は最初っからいなかったことになってしまうんだ。 そうすると、生命の星が揺らぐから、進化という名目で、君達の心に入り込み、とってかわるのだよ。 そうした記憶の墓標が、現在の君たちだ。 私が楽しんで酒を飲む滅びの宴だ。 さて以上までの文芸作品が主文です。 一部の常連さんに好評な、実在する妖精の捕まえ方の最新研究であり、娯楽性のある仮面ライダーごっこでもあります。 この話の前半は実話であり、現代で仏である事は人間を裏切る悪だと言う私の体験談です。 人とは何か、 人の世と神の世に違いは何か、 黒き明星さま、ステキー。 色々と回答する要素はあると思います。 研究目的であれば、いかなる回答も歓迎します。 学問のカテゴリーで、研究のための質問でして、疑問点を教えてもらいたいとか、禁止事項の意見表明の意図はありません。 最後に、 君達はオカマであった事を幸いとすべきだよ。 何故なら、もし女性なら、君が殺されてもケラケラと笑う私の愛を受け入れなければいけないんだから。
- 容共と赤狩り(極端と思想の自由)
戦後、容共から赤狩りになったのは、ドミノ倒しを危惧してかと思います。 アイゼンクのいうとおり、心が硬く急進的で暴走するので、ナチスも同じくヨーロッパ大陸を占領していきました。 ドイツで急進の極右の関連で強盗などがあって、連邦裁で争われることになりました。 極端なのは過激になりやすいようで、アイゼンクも暴力的になるという実験をしていると読みました。 思想の自由、あるいはよくないのなかで、極論に対してはどういう態度であるべきでしょう? ポピュリズム的で広がらないようにするのは大事かと思いますけど。 (現在の共産党はかなり当時の思想とは違うそうですけど)
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- noname#209756
- 回答数4
- 憎しみとは、腐った心の表れである。
人が閉ざし、辱めすらする真実の光を解き放つ輝く闇。 実際する仮面ライダー。 黒き明星だ。 私の人生話だよ。 わたしが22~3歳くらいの頃、私の母が、家庭内の不和でただ事件を起こしてみたいだけの非行少年に刃物で切り付けられた。 ブスッと行ってね。 傷が肺にまで達しこの時母は2週間入院した。 私が帰った時、警察がテレビでおなじみの立ち入り禁止テープを張って封鎖しているお店を目にして、とりあえず病院に行けと薦められた。 病院に向かうまで、こういうときは最悪のケースも想像するね。 もし母が死んだら。 私は遺族として、新聞等から話を聞かれたら、「少年の事は赦す。つらい思いをしないで立ち直ってほしい」こう言うだろうと考えながら病院に向かったよ。 そう考えるのは普段の私そのものだ。 しかし私は君達がそうしないことを既に見届けている。 赦すのは覚悟がいる。 少年は別にいい。 問題は君たちだ。 私に対して、母が死んでも憎まない親不孝者。 当然の人間の良心を逸脱した鬼。 君達はそう思うだろう。 私はその覚悟すらしたよ。 君達は君たちなりに善良だよ。 私はその良心に悪を名乗るのだ。 私は人類の裏切り者だとも。 神国であり神の世であるこの国で、いかに名誉であろうと君達神様不在の世間の常識では、私は親不孝者ですらある。 赦されざる悪人が私だ。 君達の世界に神はいない。 これは後で読み物で読んで、もっともだと思ったのだが、息子が殺された親の元に、殺した犯罪者が毎年訪れて仏前に祈るそうだ。 親は、殺人犯に対して、ありがとう、でももういいよ、もう忘れて自分の幸せをつかみなさい。 こうまで言うそうだ。 殺人犯はそれでも毎年祈りに来る。 つまりだ、被害者には、死を認め慰霊し、罪を許す過程がある。 何十年もかかる場合があるだろう。、しかし一時の苦しさはやがて和らぐだろう。 これが実情なんだ。 しかし、君達は赦さない事こそ孝行だとまで言いたそうだよ。 それだけでも、君達の言う世間の常識は、神の世の常識でないと言う事だ。 私は君達と異質の精神を持つ新人類だ。 君達は、ポケモンを自称する宇宙神霊に魂の内側から食い破られ、君達は消滅し、全く異質の君が誕生する。そうして、生きながらに緩やかに人類は交代していくのだ。 これが新人類への進化だ。 そもそも来世に、君達の拠り所は無い。 君達は消滅し、今の君が君以外になる。 心配しなくてもいい、君がいなくなったおかげで、地球上のすべての問題は解決する。 なぜこんな過程を踏むかと言うと、絶対とは案外不便なものでね。 君達を消滅させると、君達は最初っからいなかったことになってしまうんだ。 そうすると、生命の星が揺らぐから、進化という名目で、君達の心に入り込み、とってかわるのだよ。 そうした記憶の墓標が、現在の君たちだ。 私が楽しんで酒を飲む滅びの宴だ。 さて以上までの文芸作品が主文です。 一部の常連さんに好評な、実在する妖精の捕まえ方の最新研究であり、娯楽性のある仮面ライダーごっこでもあります。 この話の前半は実話であり、現代で仏である事は人間を裏切る悪だと言う私の体験談です。 人とは何か、 人の世と神の世に違いは何か、 黒き明星さま、ステキー。 色々と回答する要素はあると思います。 研究目的であれば、いかなる回答も歓迎します。 学問のカテゴリーで、研究のための質問でして、疑問点を教えてもらいたいとか、禁止事項の意見表明の意図はありません。 最後に、 君達はオカマであった事を幸いとすべきだよ。 何故なら、もし女性なら、君が殺されてもケラケラと笑う私の愛を受け入れなければいけないんだから。
- 大人に都合の良い子供は、本人にとっても都合良い?
何かの小説にて、良い子とは大人にとって都合の良い子供であるというような文章が出てきました。 しかし、1つ抜けている視点があるような気がしまして、それは、その子どももいつかはその大人になるのだというところです。 良い子とは大人にとって都合の良い子どもが正しいのなら、 良い子とは自分自身(その子ども)にとって都合の良い子どもとも言えるのでしょうか。 ということは、その子ども自身が自分にとって都合の良いありかたを望むなら、大人にとって都合の良くないと駄目なのでしょうか。 私は既に成人して久しいので、これを論ずる意味は無いかもしれませんが、 さて、この論法に問題はあるのでしょうか? お礼が遅くなるかもしれませんがよろしくお願いします。
- 誰か「存在」を定義して頂けませんか?
哲学ではよく使われる「存在」という言葉 しかしその定義 意味解釈は人それぞれ違うようです 存在とは何の事を言うのですが 私は 存在とは(個性ある)性質を持ったエネルギー・性質 と定義しました。 存在を定義するには何を単位?基準に存在とするかが問題だと思うのですが 実存主義でも唯物論でも何を持って存在とするかが違ってきます 例えば酸素分子は存在するのか?鎌やスコップは存在するか?動物は、人間は存在するか? 精神は存在するのか?宇宙は存在するのか? 存在はどう定義すればいいでしょうか?私の定義は間違っているでしょうか? エネルギー・物質の個性を単位にしたのですが。よろしくお願いします。
- 特別に力を付与されたものを想う
もし、貴方が 特別な力 未来を見通す力 此を付与できる立場 と、して 付与しますか? 近世 ではない 過去の話 です。 将来に怯えるもの が、居て 傍らに 未来を見る力 其を 付与されたもの が、居る と、します 恐らく 後者は 自らに 襲いかかる炎 其に怯える で、しょう 話はこうです 勇気を振り絞り 未来に怯えるものに 但し書き付き で 正しい選択 其を教えた と、します 此処で 他言無用 とも、 会員制 とも、 但し書き できる で、しょう が、 噂は広がる もの やがては 多くに 知れ渡る で、しょう そして 幾ばくか後 人々の中の恐怖が スケープゴードの観念 此を使い 弱きものを 惑わします あいつは 自ら 厄災を、呪いを、 かけている だから 災い が、解るんだ 俺達は いいように 操られているんだ と、 虚実に 怯えるもの、 惑わされるもの そんなもの達 其の口に 戸は 建て難い 不幸にも やがて人々に 不実が蔓延し 見通せしもの 其は 悪魔、魔女、 と、罵られ 火焙りに… 必ずこうなる とは、いいません 例えば ダ・ビンチ氏や パスカル氏 彼等が 此の末路を免れたもの 其の実例として 当たらない とも、言い切れ ません が、逆に こうは成り得ない と、完全否定する 其も できない と、思います。 此処で 貴方に 問います。 限定したもの 其にしか与えられない 特別な力 此を 貴方は 付与 しますか? また、 力を与えられない 神の助けが得られない と、腐るもの 此を、前にした時 どう思いますか?
- 第九の《歓喜》は ディオニュソス的ですか?
▼ (ニーチェ:アポロ的とディオニュソス的) ~~~~~~~~ (あ) アポロについて言えば[・・・] シューペンハウアーの《個体化の原理 principium individuationis 》(* 或る種の《実存する姿》)の壮麗な神像とよぶこともできよう。アポロの風姿やまなざしから《仮象》のすべての愉悦と英知が その美とともにわれわれに語りかけてくるであろう。 (い) [・・・(引用者による要約:その《実存》の姿には 言うまでもなく時には《恐怖》が襲いかかりうる)・・・]。突然人間が現象の認識形式(* それに絡んで 実存のあり方)に迷いだし その心に襲いかかる恐怖なのである。 (う) [・・・(引用者註:《迷い》だけではなく《実存が打ち壊されてしまうと》)・・・]人間の いや 自然のもっとも奥ぶかい根底から歓喜あふれる恍惚感が湧き上がってくる。 (え) われわれは先の恐怖に この恍惚感を加えて考えるなら ディオニュソス的なものの本質を一瞥することになるだろう。 (お) [・・・《さらに〈陶酔〉というものの譬えを借りてくれば もっとわかりやすくなる》とつづく。・・・] (『悲劇の誕生』 西尾幹二訳 〈1〉) ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ (か) さて この《恐怖と恍惚感ならびに陶酔》の混ぜ物たる《ディオニュソス的》なる心的現象は 果たしてベートーベンの《歓喜》に譬えられるのでしょうか? 曰く: ▼ (同上) ~~~~~~~~~~~~~~ (き) ベートーヴェンの『歓喜』の頌歌を一幅の画に変えてみるがよい。幾百万の人びとがわななきにみちて塵に伏すとき ひるむことなくおのれの想像力を翔けさせてみよ。そうすれば ディオニュソス的なものの正体に接近することができるだろう。 (同上箇所) ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ ☆ (く) その曲を聞いてわたしなりに感じるものがありますが この音楽についてはくわしいことは分かりません。引用箇所はまだまだ断片的でしょうが これを読んで思うところありという方は そのご見解をおしえてください。 (け) 質問者としては 感覚としてイメージとして どうもニーチェの捉え方は おかしい。違うのではないか。とは思っています。(う)の《歓喜あふれる恍惚感》というのは マガイモノのように映ります。単純な反応としてですが 破れかぶれから恍惚になるのでしょうか? 残念ながら シラーの『歓喜に寄す』についても詳しくありませんので そこのところをも交えて よろしくどうぞ。
- 精神も性質も目に見えず、情報を持ったものです?
精神も性質もセイシ まで一緒です。ひょっとして語源も? 僕が考えられる範囲で精神の存在を説明するとすれば 脳の脳内伝達物質やニューロンの電気伝達や、ホルモンゃ脳波や・・・ そう言った物質的、エネルギー的現象の「性質面」 その様な現象によって目に見えない性質の反応が複雑かつ組織的に起こり 我々の知る自我、我、意識、心、精神を実現していると考えます(後は言葉の問題) 異論のある方は持論を御提示下さい よろしくお願いします。 精神は何ものであるか?です。
- 特別に力を付与されたものを想う
もし、貴方が 特別な力 未来を見通す力 此を付与できる立場 と、して 付与しますか? 近世 ではない 過去の話 です。 将来に怯えるもの が、居て 傍らに 未来を見る力 其を 付与されたもの が、居る と、します 恐らく 後者は 自らに 襲いかかる炎 其に怯える で、しょう 話はこうです 勇気を振り絞り 未来に怯えるものに 但し書き付き で 正しい選択 其を教えた と、します 此処で 他言無用 とも、 会員制 とも、 但し書き できる で、しょう が、 噂は広がる もの やがては 多くに 知れ渡る で、しょう そして 幾ばくか後 人々の中の恐怖が スケープゴードの観念 此を使い 弱きものを 惑わします あいつは 自ら 厄災を、呪いを、 かけている だから 災い が、解るんだ 俺達は いいように 操られているんだ と、 虚実に 怯えるもの、 惑わされるもの そんなもの達 其の口に 戸は 建て難い 不幸にも やがて人々に 不実が蔓延し 見通せしもの 其は 悪魔、魔女、 と、罵られ 火焙りに… 必ずこうなる とは、いいません 例えば ダ・ビンチ氏や パスカル氏 彼等が 此の末路を免れたもの 其の実例として 当たらない とも、言い切れ ません が、逆に こうは成り得ない と、完全否定する 其も できない と、思います。 此処で 貴方に 問います。 限定したもの 其にしか与えられない 特別な力 此を 貴方は 付与 しますか? また、 力を与えられない 神の助けが得られない と、腐るもの 此を、前にした時 どう思いますか?
- イエスは 犠牲にされたあと聖なるものとされたか
《第三項排除――犠牲を作り出す――の理論》があります。 自分たちの集まりの中から 《異質〔と見なした者〕を排除する》といううごめきについてです。 今村仁司が理論づけました。『排除の構造――力の一般経済序説』(1992)です。 この理論とそして その中でイエス・キリストがその排除された第三項であるという見方 これらについて問います。合わせて 話し合いの断たれる場合とはどういうことか それについてどうすればよいのかをも問います。 § 1 まづ人には《承認欲望》があると言います。 人は 個々の存在としてすでに 社会的である。しかも主観は 最後に意思決定するのは独立した歴史知性であるゆえ 自由な関係を希求する。しかもその自由の実現を 特に社会集団としては時に まちがって追い求める傾向があると。 簡単に言うならば 集団の中の一人だけを例外つまり除け者にして あとは互いにひとしく自由や平等をたのしむといった傾向であり むろん間違った道筋であるというものです。 一人ひとりは独立した主観であっても基本的に人間は 社会関係的な存在であるからには(独立した存在であるというコトはすでに他者の存在を前提している) 互いによる承認を喜ばしいものとして受け取る。人からみとめてもらえれば うれしい。そのときややもすると この承認を 自分から 追い求めて行く傾向を持つと言う。たとえ誰か嫌いな者あるいは誰でもよい者一人の人を除け者にしてでも。・・・ § 2 承認欲望が 模倣欲望をうながす。 この承認欲望が衝動のごとくにさえおのれの身にはたらくと 《みんなと同じでありたい願望》=《模倣欲望》を持つ。みんなと同じであれば 安心するという習性。つまり 承認されていると思うことがたやすくなる。 そしておそらく この模倣が世の中全般に行き届いた段階でも その一様性つまりは《全員による同じ歌の大合唱》という情況だけではまだ 相互の承認が完成したとは見なさない。こういう気難しい一面もあると言う。隠し味がないと納得しない。 § 3 模倣欲望は 承認欲望が満たされていちど安心したのもつかのま なおまだ不安が潜んでいるようなのだ。 そこで これなら安心しうるという一定の判定基準を持とうとする。 この誰れにとっても見やすい共通の基準となるものが 《第三項》である。具体的には 《のけ者》と言えば早い。被差別者でもある。 除け者を除け者とする同じひとつの態度を共有するなら・そしてその基準がはっきりしているなら もう何が来ても安心だということであるらしい。 〔ちなみに先走って言うなら 《貨幣》は 或る意味でこの《第三項》でもあるらしい。そっくりそのままかどうかは別として その《共通の基準によってのけ者とされたお金》の所有は それなりの安心をもたらすものであるらしい〕。 § 4 第三項とは みんなから隅へ追いやられるものである。 追いやられ仲間ではなくなるという意味で 第三項と称される。 このときその〔小単位としての〕社会は 《一》対《他の皆》という構図をつくる。《一》となった第三項は たしかに《除け者》として扱われる。《一定の基準》が出来た。 つまりははっきりとシルシづけられた第三項を皆で共有しつつ排除する構造が出来て初めて 人としての互いの承認が実現するというわけだと言います。そうしてこそ 人びとは安心して 安定した《仲良し》状態となり 《秩序》を楽しむと言うのだそうです。 このような傾向を人類は 悲しいかな 残念なことに持っているのだと。 § 5 もっとも そもそもにおいて《自由》を前提していたように その自由への変身を人びとが成しうるとも説いています。 それは 第三項やあるいは《異者》の 受容をとおして わたしたちは獲得することができるとも言います。 また 模倣欲望を実行している最終の過程で その互いに互いを模倣するという《流行や ファッション》の現象においてもその反面にはつねに起こると思われるように それつまり 《みんなと違いたい願望》が これもじつは同時に はたらいてくれるとよいし はたらくだろうと考えられてもいます。 非模倣ないし反模倣つまり みんなと違っていたいという欲望 そしてそれと並んで 《異者》を受け容れるという行為 これらによって 自由への変身を人びとは勝ち取れる道はのこされると。 § 6 排除された第三項は 歴史的にキリスト・イエスであるとも言い あるいは 資本主義社会における貨幣のことであるとも論じていました。 第三項は それがいわば見事な排除であった場合には 排除し切ったあとで ぎゃくにそれを人びとは《聖化》すると言います。 人びとからは呪われて去ったと見なされたその除け者を 今度は排除の成功のあとにはぎゃくに偉大な生け贄と見なし それに聖性を付与する。 それによって なお人びとは 安心するというその仕組みなのだと。 つまり 十字架上に去って行った者を 絶対の聖者として こんどは一転して崇めるようになるのだと。 したがってつまり今度は 除け者の第三項を《聖なる第三項》として みなであがめる。 このことを通して あらためて集団ないし社会における秩序と安寧をたしかなものにするのだと。人びとは安心するということらしい。 たとえば菅原道真は 聡明で真面目な人間だったらしくしかもワケもなく左遷されたらしく その死後には 天神様として生前における《のけ者の第三項》扱いが《聖なる神》としてまつられるというからくりであるらしい。 § 7 言いかえると イエス・キリストの事例に見られるような《聖なる除け者(第三項)》といった扱いは これも まちがいであると考えられるのに かなり有力なかたちで続けられる。 なぜならそこでは 死後に一たん評価がひるがえって《聖なる者》と見なされるようになったあとでは この《聖化》――つまりは そういう通念ないしクウキ――に対してもし否定するような動きがあったなら今度は あたかもすでに条件反射のごとくに 反動のチカラがはたらくということらしい。 前からもうしろからも オモテからもウラからも 《第三項排除》の歴史は 完璧を期してつづけられるというのである。 反動のチカラ――つまり一般にオシエを説くシュウキョウである――は 出る杭を打つとなって現われる。つまりその――今度は 聖化されたイエスを悪く言うかたちで――新たに現われた異端分子を やはり第三項と見なしてその排除にかかる。ゴータマ〔は第三者ではなかったが 王子のときにひょっとしたらのけ者になった(ちょっとしたことでも拗ねた)かも知らない〕にたいする批判には 一斉に本能によってのごとくに反批判が集まる。 異端分子が 人びとの《心の――じつはただうわべにおける心理的な――安心と安定のみなもと》としていだかれたキリストなる観念の共同に ただ否定的なだけではなく 真っ向から敵対するかたちとなり ひとつの勢力さえ形成してきたときには 当然のごとくそれを 単に除け者とする手段では間に合わなくなれば 明らかに迫害や戦争にまでも発展させる。ときに社会はこぞって容易に その戦争に飛びつくことが起こる。 § 8 《自由への変身》は 異者の受容によるか? ひとりの偉大な《聖なる者》をいただくひとまとまりの社会 これも じつは そのまま間違いである。 その《聖なる者》をいただくか否かで区分した規定じたいがすでに 除け者をみづから作ろうとしている。ただちに排除しようとして 異端分子の起きることを待ち構えている。 だから他方で《他人と違っていたい》という欲望においては 外の異者を受け容れよと言うのであるが おそらくそれは――その今村理論に逆らってでも―― まだコトの本質には迫っていないように思われる。(異者の受容そのことが わるいわけではない)。 内外の区別ということ自体が そしてそもそも《偉大なる聖なる第三項》をいただくという方式じたいが どこまでも除け者を作り出そうとする模倣および承認の欲望のなせるわざである。世に言うシュウキョウなるものの何たる自己欺瞞 ! § 9 どこまでも《話し合い》によるしかない。 模倣は 反模倣の動きがあるように 安心感のよりどころではない。承認されたいという欲望は おそらく強いのであって 人間にとっては 或る種の仕方で根源的なものであるかも分からない。 ならば とことん互いに話し合うことではないだろうか? 話し合いによるしか道はないのではないか? 仲間意識の感覚 あるいは それの判定の基準は あくまで一人ひとりのこころにある。ここでは 《主観》が主役である。あてにならないおのおのの主観が それでも 主役である。 ならば互いに だめでも話し合う。それでも話し合う。いやでも話し合う。(ただし 待ったなしの障害があるときには 別である。相手の状態が 話し合いに耐えない様子であるなら しばらくは無理である)。気長に話し合う。もっと話し合う。まだまだ話し合う。もういやというほど話し合う。 ところがこの話し合いが途切れるだけではなく断たれる場合があると思います。それは どうしてなのか また どう対処すればよいか。これをお尋ねします。 自由なご批判をあおぎつつ。
- 特別に力を付与されたものを想う
もし、貴方が 特別な力 未来を見通す力 此を付与できる立場 と、して 付与しますか? 近世 ではない 過去の話 です。 将来に怯えるもの が、居て 傍らに 未来を見る力 其を 付与されたもの が、居る と、します 恐らく 後者は 自らに 襲いかかる炎 其に怯える で、しょう 話はこうです 勇気を振り絞り 未来に怯えるものに 但し書き付き で 正しい選択 其を教えた と、します 此処で 他言無用 とも、 会員制 とも、 但し書き できる で、しょう が、 噂は広がる もの やがては 多くに 知れ渡る で、しょう そして 幾ばくか後 人々の中の恐怖が スケープゴードの観念 此を使い 弱きものを 惑わします あいつは 自ら 厄災を、呪いを、 かけている だから 災い が、解るんだ 俺達は いいように 操られているんだ と、 虚実に 怯えるもの、 惑わされるもの そんなもの達 其の口に 戸は 建て難い 不幸にも やがて人々に 不実が蔓延し 見通せしもの 其は 悪魔、魔女、 と、罵られ 火焙りに… 必ずこうなる とは、いいません 例えば ダ・ビンチ氏や パスカル氏 彼等が 此の末路を免れたもの 其の実例として 当たらない とも、言い切れ ません が、逆に こうは成り得ない と、完全否定する 其も できない と、思います。 此処で 貴方に 問います。 限定したもの 其にしか与えられない 特別な力 此を 貴方は 付与 しますか? また、 力を与えられない 神の助けが得られない と、腐るもの 此を、前にした時 どう思いますか?