ghostbuster の回答履歴
- 嵐が丘17章より質問
嵐が丘17章で、 We'll see if one tree can grow as crooked as another with the same wind to twist it. というのに似た文がでます。これは Heathcliff のせりふで、たぶん Hareton に向かっていったんだろうと思いますが、何の象徴なのでしょうか?「おまえは私の同じようにひねくれた人物になるか、見てみるとしようか」?
- 構造の似た文学作品について
文学理論の授業の課題で、好きな作品をひとつ選び、その作品の構造を説明し、またその作品に類似した作品を取り上げて類似点を説明しなければいけません。授業で扱った作品以外ということでとても困っています。なにかいい作品例があったら教えてください。
- カントは時間を何的に扱ったのでしょうか?
ニュートンは時間を絶対的に、アインシュタインは相対的に扱いました。質問は、カントは時間を何的に扱ったのでしょうか?
- 認識(現象界)を超えて、他者を感じ、了承する方法は無いでしょうか。
『道徳形而上学の基礎付け』、『プロレゴ-メナ』を読み、 現在、『純粋理性批判』を読んでいます。 論理構成が非常に綺麗で、理路整然として非常に読みやすく面白いのですが、 読めば読むほど、 「認識を超えて、他者を感じたい」 という欲求に駆られます。 しかし、いく考えてみても、その方法を思いつきません。 哲学の入門書を二年前に読み、 その問題はずっと考えているのですが、 未だに答えが見つかりません。 もちろん、答えはないのでしょうが、 方法論や、こう思う、という様な考えでも、 もちろん非常に嬉しいので皆さんの意見をお聞かせ下さい。
- カントは時間を何的に扱ったのでしょうか?
ニュートンは時間を絶対的に、アインシュタインは相対的に扱いました。質問は、カントは時間を何的に扱ったのでしょうか?
- 夏目漱石の「こころ」の「K」はなぜ「K」なのでしょうか?
夏目漱石の「こころ」という作品に登場する「K」という人物なのですが、 夏目漱石はなぜ普通の名前にせず、わざわざアルファベット一文字の名前にしたのでしょうか? また、それもなぜ「K」だったのでしょうか? なにかお考えがある方ぜひ教えてください
- ネルヴァル 火の娘たち 超個人用語で語られる文学とは。。
ジェラール・ド・ネルヴァルの「火の娘たち」を読みました。気が触れそうなくらい疲れました。 ネルヴァルの超個人的な追憶と 物語がこんがらがってるみたいだし、訳注を見ていくと、女神の名前とか 花の名前とか 他の言葉にも個人的な暗示みたいなものが綿密に含まれていて、オカルト風な所もあるあるし(勝手な判断かもしれませんが)漠然と読むのが精一杯で、ぐったりです。 狂気と幻想の詩人とよばれるネルヴァルのようですが、フェチな情熱がないと読み込めるものでないとう気がしました、私の頭が弱いんでしょうか?揺さぶられるものはありましたが、そこまで入り込む情熱は今のところありません。 これってほとんど変人の戯言とギリギリのところではある。。(本音 作家と向き合うこと自体 体力消耗するものですが 相手がここまで私的な世界に入り込んでて手が届くんでしょうか?こういう火薬の投げ込みみたいな文学っていかがなものでしょうか。 若干大げさになりましたがクライシスです。自由なご意見お願いします。
- ベストアンサー
- 文学・古典
- noname#38692
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- ネルヴァル 火の娘たち 超個人用語で語られる文学とは。。
ジェラール・ド・ネルヴァルの「火の娘たち」を読みました。気が触れそうなくらい疲れました。 ネルヴァルの超個人的な追憶と 物語がこんがらがってるみたいだし、訳注を見ていくと、女神の名前とか 花の名前とか 他の言葉にも個人的な暗示みたいなものが綿密に含まれていて、オカルト風な所もあるあるし(勝手な判断かもしれませんが)漠然と読むのが精一杯で、ぐったりです。 狂気と幻想の詩人とよばれるネルヴァルのようですが、フェチな情熱がないと読み込めるものでないとう気がしました、私の頭が弱いんでしょうか?揺さぶられるものはありましたが、そこまで入り込む情熱は今のところありません。 これってほとんど変人の戯言とギリギリのところではある。。(本音 作家と向き合うこと自体 体力消耗するものですが 相手がここまで私的な世界に入り込んでて手が届くんでしょうか?こういう火薬の投げ込みみたいな文学っていかがなものでしょうか。 若干大げさになりましたがクライシスです。自由なご意見お願いします。
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- 文学・古典
- noname#38692
- 回答数9
- 中島敦の名人伝について
中島敦の名人伝についてよく分からないことがあります。 まず、名人伝の舞台は趙の邯鄲の都ですが、この舞台が選ばれたのは何か理由があったのでしょうか。「邯鄲の夢」という故事成語(故事成句)がありますが、それと結びついていることはありますか。栄華を極めた邯鄲がはかなく崩れ去ったように、「真の名人は世の中に存在し得ない」とほのめかしているのでしょうか。 紀昌は、死ぬ一二年前に友人宅で、弓がなんであるか三回も尋ねますが、これに何か深い意味があるのでしょうか。いくら天下の名人とはいえ、死ぬ一二年前ともなれば、単にぼけてしまっただけなのではないでしょうか。 『木偶のごとき顔は更に表情を失い、語ることも稀となり、ついには呼吸の有無さえ疑われるに至った。「既に、我と彼との別、是と非との分を知らぬ。眼は耳のごとく、耳は鼻のごとく、鼻は口のごとく思われる。」というのが、老名人晩年の述懐である。』 とあります。相当老い果てていたのではないでしょうか。それとも、普通に、弓の名も忘れるほど名人の域に達していたと解釈するべきなのでしょうか。 紀昌が天下の名人となったことを裏付けるものは、飛衛の言葉しかありませんが、紀昌は本当に不射の射を習得し、天下の名人となっていたのでしょうか。また、不射の射とはどんな意味が隠されているのでしょうか。 この「名人伝」という作品は、中島敦にとってどのようなもので、どんな意味を込めたものだったのでしょうか。 勉強不足で申し訳ありません。横暴な質問もあるかもしれませんが、どうぞ宜しくお願いします。
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- 文学・古典
- hideki1549
- 回答数3
- バタイユが分からない!!入門書があったら教えて!!
図書館から、ジョルジュ=バタイユの本を借りてきたのですが、まっ………たく理解できません。ジョルジュ=バタイユが結局何を表現しようとしていたのか、概論や入門のような本があったら教えてください
- バタイユが分からない!!入門書があったら教えて!!
図書館から、ジョルジュ=バタイユの本を借りてきたのですが、まっ………たく理解できません。ジョルジュ=バタイユが結局何を表現しようとしていたのか、概論や入門のような本があったら教えてください
- 太宰治『人間失格』の擬人法
太宰治『人間失格』に「おい! とんだ、そら豆だ。来い!」という箇所があります。ここで換喩が使われているのはどうしてなんでしょうか?また、どうしてソラマメに擬人法を使っているのでしょうか?
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- 文学・古典
- noname#42839
- 回答数1
- 「人間の絆」の原題について
今、モームの「人間の絆」を読んでいるのですが、その原題について疑問に思うことがあります。 まず、Of Human Bondage となっていますが、この語順には何か意味があるのでしょうか?邦題の感じだとBondage Of Human のような気がするのですが…リズム感の為で深い意味はないのでしょうか? それから、bondage と言う単語には調べると 絆 というよりも 束縛 という意味があるようなのですが、これはただ訳す時に感じのいい言葉を採用したのか、それとも英語でbondageを絆と言う意味で使うことがあるのでしょうか? くわしいかた、教えてください、よろしくお願いします。
- ミシェル・フーコーは「バイオの権力」(生権力)への対抗策をどのように考えていたのですか。
私が読んだ解説本(中山元著、初めて読むフーコー)には「バイオの権力」という権力との関係を楽しむという選択肢しか書いてありませんでした。 しかし、「バイオの権力」からの逃避、抵抗などという選択肢もあってよいように思うのです。 ミシェル・フーコーの著作に直接あたった方いらっしゃいましたら、御回答よろしくお願いします。
- ミシェル・フーコーは「バイオの権力」(生権力)への対抗策をどのように考えていたのですか。
私が読んだ解説本(中山元著、初めて読むフーコー)には「バイオの権力」という権力との関係を楽しむという選択肢しか書いてありませんでした。 しかし、「バイオの権力」からの逃避、抵抗などという選択肢もあってよいように思うのです。 ミシェル・フーコーの著作に直接あたった方いらっしゃいましたら、御回答よろしくお願いします。
- カントとフィヒテ、ラカン
posteriori knowledge と selfについて教えていただきたいんです。まずフィヒテから; This new first principle for philosophy is the cocept of the 'I', usually translated ''ego' or 'self.' It is the source of all experience.... (Fichte, 1978). (哲学の最初の新しい基準は'I'の着想だろう。エゴまたは主体と翻訳されるその文字は全ての経験の根源である). これはカントの言っているposteriori knowledgeについて関連があるのでしょうか(フィヒテはやたらとposteriori knowledgeを使っているので関係はあると思いますが...)また経験から主体が出来上がっていくならposteriori knowledgeはラカンのいうthe Imaginaryと関係をもたせることはできますか?
- ベストアンサー
- 哲学・倫理・宗教学
- ken-deleuz
- 回答数2
- カントとフィヒテ、ラカン
posteriori knowledge と selfについて教えていただきたいんです。まずフィヒテから; This new first principle for philosophy is the cocept of the 'I', usually translated ''ego' or 'self.' It is the source of all experience.... (Fichte, 1978). (哲学の最初の新しい基準は'I'の着想だろう。エゴまたは主体と翻訳されるその文字は全ての経験の根源である). これはカントの言っているposteriori knowledgeについて関連があるのでしょうか(フィヒテはやたらとposteriori knowledgeを使っているので関係はあると思いますが...)また経験から主体が出来上がっていくならposteriori knowledgeはラカンのいうthe Imaginaryと関係をもたせることはできますか?
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- 哲学・倫理・宗教学
- ken-deleuz
- 回答数2
- カントの翻訳について
カントの翻訳で悩んでいます。 純粋理性批判とプロレゴメナですが、 岩波文庫のを読んでいるのですが、誤訳が多いということを聞きました。 オススメの翻訳はありますか? あと、和訳よりも、英訳の方が分かりやすいと言うことも聞きましたが、オススメの翻訳があれば、教えてください。
- 締切済み
- 哲学・倫理・宗教学
- nozomi2007
- 回答数2