littlekiss の回答履歴

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  • 自然法は もう人気がないのでしょうか

     《wiki=自然法》:http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%87%AA%E7%84%B6%E6%B3%95  《wiki=自然法論》: http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%87%AA%E7%84%B6%E6%B3%95%E8%AB%96  知りたいのは 次の点です。  (1) その法源は 神・自然・理性が挙げられていますが 自然(自然本性)も理性も 自然法そのものを言うと言わなければならないでしょうし 自然(環界・宇宙)は おそらく神の摂理の問題になるでしょう。そうすると 残りは 神です。これは 無根拠と言えば いいのではないでしょうか。自然法の法源は 無根拠である。こう考えてはいけませんか?(つまり 公理ですね)。  (2) 《殺すなかれ》もしくは《生命の尊重》 この一つの事項を〔のみ〕 自然法の内容とするとしては いけませんか?   * ただし 中傷・名誉毀損のような 《社会的生命の損傷》も含めます。  こうすれば 自然法の内容にかんして 人ごとに違っていて 定まらないということは起きないでしょうし 実定法とのあいだに 特別の溝があるとも思えないのですが。  wiki(その後者)によれば このような最小限の内容をもって 自然法を規定する行き方を ハーバート・ハートという人が提唱しているようにも言っていますが そのあたりについては よく分からないままの質問になります。よろしくご教授いただければ幸いです。

    • noname#80116
    • 回答数45
  • 自然法は もう人気がないのでしょうか

     《wiki=自然法》:http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%87%AA%E7%84%B6%E6%B3%95  《wiki=自然法論》: http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%87%AA%E7%84%B6%E6%B3%95%E8%AB%96  知りたいのは 次の点です。  (1) その法源は 神・自然・理性が挙げられていますが 自然(自然本性)も理性も 自然法そのものを言うと言わなければならないでしょうし 自然(環界・宇宙)は おそらく神の摂理の問題になるでしょう。そうすると 残りは 神です。これは 無根拠と言えば いいのではないでしょうか。自然法の法源は 無根拠である。こう考えてはいけませんか?(つまり 公理ですね)。  (2) 《殺すなかれ》もしくは《生命の尊重》 この一つの事項を〔のみ〕 自然法の内容とするとしては いけませんか?   * ただし 中傷・名誉毀損のような 《社会的生命の損傷》も含めます。  こうすれば 自然法の内容にかんして 人ごとに違っていて 定まらないということは起きないでしょうし 実定法とのあいだに 特別の溝があるとも思えないのですが。  wiki(その後者)によれば このような最小限の内容をもって 自然法を規定する行き方を ハーバート・ハートという人が提唱しているようにも言っていますが そのあたりについては よく分からないままの質問になります。よろしくご教授いただければ幸いです。

    • noname#80116
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  • 自然法は もう人気がないのでしょうか

     《wiki=自然法》:http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%87%AA%E7%84%B6%E6%B3%95  《wiki=自然法論》: http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%87%AA%E7%84%B6%E6%B3%95%E8%AB%96  知りたいのは 次の点です。  (1) その法源は 神・自然・理性が挙げられていますが 自然(自然本性)も理性も 自然法そのものを言うと言わなければならないでしょうし 自然(環界・宇宙)は おそらく神の摂理の問題になるでしょう。そうすると 残りは 神です。これは 無根拠と言えば いいのではないでしょうか。自然法の法源は 無根拠である。こう考えてはいけませんか?(つまり 公理ですね)。  (2) 《殺すなかれ》もしくは《生命の尊重》 この一つの事項を〔のみ〕 自然法の内容とするとしては いけませんか?   * ただし 中傷・名誉毀損のような 《社会的生命の損傷》も含めます。  こうすれば 自然法の内容にかんして 人ごとに違っていて 定まらないということは起きないでしょうし 実定法とのあいだに 特別の溝があるとも思えないのですが。  wiki(その後者)によれば このような最小限の内容をもって 自然法を規定する行き方を ハーバート・ハートという人が提唱しているようにも言っていますが そのあたりについては よく分からないままの質問になります。よろしくご教授いただければ幸いです。

    • noname#80116
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  • 自然法は もう人気がないのでしょうか

     《wiki=自然法》:http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%87%AA%E7%84%B6%E6%B3%95  《wiki=自然法論》: http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%87%AA%E7%84%B6%E6%B3%95%E8%AB%96  知りたいのは 次の点です。  (1) その法源は 神・自然・理性が挙げられていますが 自然(自然本性)も理性も 自然法そのものを言うと言わなければならないでしょうし 自然(環界・宇宙)は おそらく神の摂理の問題になるでしょう。そうすると 残りは 神です。これは 無根拠と言えば いいのではないでしょうか。自然法の法源は 無根拠である。こう考えてはいけませんか?(つまり 公理ですね)。  (2) 《殺すなかれ》もしくは《生命の尊重》 この一つの事項を〔のみ〕 自然法の内容とするとしては いけませんか?   * ただし 中傷・名誉毀損のような 《社会的生命の損傷》も含めます。  こうすれば 自然法の内容にかんして 人ごとに違っていて 定まらないということは起きないでしょうし 実定法とのあいだに 特別の溝があるとも思えないのですが。  wiki(その後者)によれば このような最小限の内容をもって 自然法を規定する行き方を ハーバート・ハートという人が提唱しているようにも言っていますが そのあたりについては よく分からないままの質問になります。よろしくご教授いただければ幸いです。

    • noname#80116
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  • 自然法は もう人気がないのでしょうか

     《wiki=自然法》:http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%87%AA%E7%84%B6%E6%B3%95  《wiki=自然法論》: http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%87%AA%E7%84%B6%E6%B3%95%E8%AB%96  知りたいのは 次の点です。  (1) その法源は 神・自然・理性が挙げられていますが 自然(自然本性)も理性も 自然法そのものを言うと言わなければならないでしょうし 自然(環界・宇宙)は おそらく神の摂理の問題になるでしょう。そうすると 残りは 神です。これは 無根拠と言えば いいのではないでしょうか。自然法の法源は 無根拠である。こう考えてはいけませんか?(つまり 公理ですね)。  (2) 《殺すなかれ》もしくは《生命の尊重》 この一つの事項を〔のみ〕 自然法の内容とするとしては いけませんか?   * ただし 中傷・名誉毀損のような 《社会的生命の損傷》も含めます。  こうすれば 自然法の内容にかんして 人ごとに違っていて 定まらないということは起きないでしょうし 実定法とのあいだに 特別の溝があるとも思えないのですが。  wiki(その後者)によれば このような最小限の内容をもって 自然法を規定する行き方を ハーバート・ハートという人が提唱しているようにも言っていますが そのあたりについては よく分からないままの質問になります。よろしくご教授いただければ幸いです。

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  • 自然法は もう人気がないのでしょうか

     《wiki=自然法》:http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%87%AA%E7%84%B6%E6%B3%95  《wiki=自然法論》: http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%87%AA%E7%84%B6%E6%B3%95%E8%AB%96  知りたいのは 次の点です。  (1) その法源は 神・自然・理性が挙げられていますが 自然(自然本性)も理性も 自然法そのものを言うと言わなければならないでしょうし 自然(環界・宇宙)は おそらく神の摂理の問題になるでしょう。そうすると 残りは 神です。これは 無根拠と言えば いいのではないでしょうか。自然法の法源は 無根拠である。こう考えてはいけませんか?(つまり 公理ですね)。  (2) 《殺すなかれ》もしくは《生命の尊重》 この一つの事項を〔のみ〕 自然法の内容とするとしては いけませんか?   * ただし 中傷・名誉毀損のような 《社会的生命の損傷》も含めます。  こうすれば 自然法の内容にかんして 人ごとに違っていて 定まらないということは起きないでしょうし 実定法とのあいだに 特別の溝があるとも思えないのですが。  wiki(その後者)によれば このような最小限の内容をもって 自然法を規定する行き方を ハーバート・ハートという人が提唱しているようにも言っていますが そのあたりについては よく分からないままの質問になります。よろしくご教授いただければ幸いです。

    • noname#80116
    • 回答数45
  • 自然法は もう人気がないのでしょうか

     《wiki=自然法》:http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%87%AA%E7%84%B6%E6%B3%95  《wiki=自然法論》: http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%87%AA%E7%84%B6%E6%B3%95%E8%AB%96  知りたいのは 次の点です。  (1) その法源は 神・自然・理性が挙げられていますが 自然(自然本性)も理性も 自然法そのものを言うと言わなければならないでしょうし 自然(環界・宇宙)は おそらく神の摂理の問題になるでしょう。そうすると 残りは 神です。これは 無根拠と言えば いいのではないでしょうか。自然法の法源は 無根拠である。こう考えてはいけませんか?(つまり 公理ですね)。  (2) 《殺すなかれ》もしくは《生命の尊重》 この一つの事項を〔のみ〕 自然法の内容とするとしては いけませんか?   * ただし 中傷・名誉毀損のような 《社会的生命の損傷》も含めます。  こうすれば 自然法の内容にかんして 人ごとに違っていて 定まらないということは起きないでしょうし 実定法とのあいだに 特別の溝があるとも思えないのですが。  wiki(その後者)によれば このような最小限の内容をもって 自然法を規定する行き方を ハーバート・ハートという人が提唱しているようにも言っていますが そのあたりについては よく分からないままの質問になります。よろしくご教授いただければ幸いです。

    • noname#80116
    • 回答数45
  • 言霊の思想についてうかがいます。

     以前の質問において 次のような仮説を捉えました。それの吟味をしたいので お尋ねします。  第一次に《こと=事》に感応して《ことだま=事霊》を見止めるがごとく思い描き 同時に《ことだま=言霊》としても捉えた。そのあと 第二次に 事の端⇒言の葉⇒言葉そのものに言霊があると見なすようになった。とするなら 《言葉を発すると そのまま それの表わす中身の事が起こる》という《言霊》の思想は 人為的に後で出来たこの第二次のほうではないだろうかと。→《Q:3994017 われわれ日本人は 互いに相手を神と思っているのでしょうか http://oshiete1.goo.ne.jp/qa3994017.html 》No.11補足欄など。  ところが この仮説をくつがえす次のような説を見かけました。両者を吟味しつつ ご見解をおしえてください。 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~  我々は祝福というと おそらくすぐ神に祝福されるというふうに考える。《創世記》一二章の一節から三節でもそう書いてある。けれどももっと遡って旧約の中で祝福とか呪いという問題を探ってみると 神との関係が初めにはない。・・・  というのは 神との結びつきは旧約の伝承を探ると二次的なのである(ショットロフ)。要するに〔第一次のは〕言葉のもつそれ自身の祝福の力および呪いの力である。これは宗教的にいえばいわゆる呪術の段階である。ところが旧約ではきわめてすみやかに神とのかかわりをもたせさられて《あなたは祝福されている》《あなたは呪われている》という言葉が神との関係で用いられはじめており・・・(以下省略)。  (関根正雄:『古代イスラエルの思想』2004p.63〔初出=1982〕) ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

    • noname#80116
    • 回答数33
  • 言霊の思想についてうかがいます。

     以前の質問において 次のような仮説を捉えました。それの吟味をしたいので お尋ねします。  第一次に《こと=事》に感応して《ことだま=事霊》を見止めるがごとく思い描き 同時に《ことだま=言霊》としても捉えた。そのあと 第二次に 事の端⇒言の葉⇒言葉そのものに言霊があると見なすようになった。とするなら 《言葉を発すると そのまま それの表わす中身の事が起こる》という《言霊》の思想は 人為的に後で出来たこの第二次のほうではないだろうかと。→《Q:3994017 われわれ日本人は 互いに相手を神と思っているのでしょうか http://oshiete1.goo.ne.jp/qa3994017.html 》No.11補足欄など。  ところが この仮説をくつがえす次のような説を見かけました。両者を吟味しつつ ご見解をおしえてください。 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~  我々は祝福というと おそらくすぐ神に祝福されるというふうに考える。《創世記》一二章の一節から三節でもそう書いてある。けれどももっと遡って旧約の中で祝福とか呪いという問題を探ってみると 神との関係が初めにはない。・・・  というのは 神との結びつきは旧約の伝承を探ると二次的なのである(ショットロフ)。要するに〔第一次のは〕言葉のもつそれ自身の祝福の力および呪いの力である。これは宗教的にいえばいわゆる呪術の段階である。ところが旧約ではきわめてすみやかに神とのかかわりをもたせさられて《あなたは祝福されている》《あなたは呪われている》という言葉が神との関係で用いられはじめており・・・(以下省略)。  (関根正雄:『古代イスラエルの思想』2004p.63〔初出=1982〕) ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

    • noname#80116
    • 回答数33
  • 言霊の思想についてうかがいます。

     以前の質問において 次のような仮説を捉えました。それの吟味をしたいので お尋ねします。  第一次に《こと=事》に感応して《ことだま=事霊》を見止めるがごとく思い描き 同時に《ことだま=言霊》としても捉えた。そのあと 第二次に 事の端⇒言の葉⇒言葉そのものに言霊があると見なすようになった。とするなら 《言葉を発すると そのまま それの表わす中身の事が起こる》という《言霊》の思想は 人為的に後で出来たこの第二次のほうではないだろうかと。→《Q:3994017 われわれ日本人は 互いに相手を神と思っているのでしょうか http://oshiete1.goo.ne.jp/qa3994017.html 》No.11補足欄など。  ところが この仮説をくつがえす次のような説を見かけました。両者を吟味しつつ ご見解をおしえてください。 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~  我々は祝福というと おそらくすぐ神に祝福されるというふうに考える。《創世記》一二章の一節から三節でもそう書いてある。けれどももっと遡って旧約の中で祝福とか呪いという問題を探ってみると 神との関係が初めにはない。・・・  というのは 神との結びつきは旧約の伝承を探ると二次的なのである(ショットロフ)。要するに〔第一次のは〕言葉のもつそれ自身の祝福の力および呪いの力である。これは宗教的にいえばいわゆる呪術の段階である。ところが旧約ではきわめてすみやかに神とのかかわりをもたせさられて《あなたは祝福されている》《あなたは呪われている》という言葉が神との関係で用いられはじめており・・・(以下省略)。  (関根正雄:『古代イスラエルの思想』2004p.63〔初出=1982〕) ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

    • noname#80116
    • 回答数33
  • 言霊の思想についてうかがいます。

     以前の質問において 次のような仮説を捉えました。それの吟味をしたいので お尋ねします。  第一次に《こと=事》に感応して《ことだま=事霊》を見止めるがごとく思い描き 同時に《ことだま=言霊》としても捉えた。そのあと 第二次に 事の端⇒言の葉⇒言葉そのものに言霊があると見なすようになった。とするなら 《言葉を発すると そのまま それの表わす中身の事が起こる》という《言霊》の思想は 人為的に後で出来たこの第二次のほうではないだろうかと。→《Q:3994017 われわれ日本人は 互いに相手を神と思っているのでしょうか http://oshiete1.goo.ne.jp/qa3994017.html 》No.11補足欄など。  ところが この仮説をくつがえす次のような説を見かけました。両者を吟味しつつ ご見解をおしえてください。 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~  我々は祝福というと おそらくすぐ神に祝福されるというふうに考える。《創世記》一二章の一節から三節でもそう書いてある。けれどももっと遡って旧約の中で祝福とか呪いという問題を探ってみると 神との関係が初めにはない。・・・  というのは 神との結びつきは旧約の伝承を探ると二次的なのである(ショットロフ)。要するに〔第一次のは〕言葉のもつそれ自身の祝福の力および呪いの力である。これは宗教的にいえばいわゆる呪術の段階である。ところが旧約ではきわめてすみやかに神とのかかわりをもたせさられて《あなたは祝福されている》《あなたは呪われている》という言葉が神との関係で用いられはじめており・・・(以下省略)。  (関根正雄:『古代イスラエルの思想』2004p.63〔初出=1982〕) ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

    • noname#80116
    • 回答数33
  • 言霊の思想についてうかがいます。

     以前の質問において 次のような仮説を捉えました。それの吟味をしたいので お尋ねします。  第一次に《こと=事》に感応して《ことだま=事霊》を見止めるがごとく思い描き 同時に《ことだま=言霊》としても捉えた。そのあと 第二次に 事の端⇒言の葉⇒言葉そのものに言霊があると見なすようになった。とするなら 《言葉を発すると そのまま それの表わす中身の事が起こる》という《言霊》の思想は 人為的に後で出来たこの第二次のほうではないだろうかと。→《Q:3994017 われわれ日本人は 互いに相手を神と思っているのでしょうか http://oshiete1.goo.ne.jp/qa3994017.html 》No.11補足欄など。  ところが この仮説をくつがえす次のような説を見かけました。両者を吟味しつつ ご見解をおしえてください。 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~  我々は祝福というと おそらくすぐ神に祝福されるというふうに考える。《創世記》一二章の一節から三節でもそう書いてある。けれどももっと遡って旧約の中で祝福とか呪いという問題を探ってみると 神との関係が初めにはない。・・・  というのは 神との結びつきは旧約の伝承を探ると二次的なのである(ショットロフ)。要するに〔第一次のは〕言葉のもつそれ自身の祝福の力および呪いの力である。これは宗教的にいえばいわゆる呪術の段階である。ところが旧約ではきわめてすみやかに神とのかかわりをもたせさられて《あなたは祝福されている》《あなたは呪われている》という言葉が神との関係で用いられはじめており・・・(以下省略)。  (関根正雄:『古代イスラエルの思想』2004p.63〔初出=1982〕) ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

    • noname#80116
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  • 言霊の思想についてうかがいます。

     以前の質問において 次のような仮説を捉えました。それの吟味をしたいので お尋ねします。  第一次に《こと=事》に感応して《ことだま=事霊》を見止めるがごとく思い描き 同時に《ことだま=言霊》としても捉えた。そのあと 第二次に 事の端⇒言の葉⇒言葉そのものに言霊があると見なすようになった。とするなら 《言葉を発すると そのまま それの表わす中身の事が起こる》という《言霊》の思想は 人為的に後で出来たこの第二次のほうではないだろうかと。→《Q:3994017 われわれ日本人は 互いに相手を神と思っているのでしょうか http://oshiete1.goo.ne.jp/qa3994017.html 》No.11補足欄など。  ところが この仮説をくつがえす次のような説を見かけました。両者を吟味しつつ ご見解をおしえてください。 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~  我々は祝福というと おそらくすぐ神に祝福されるというふうに考える。《創世記》一二章の一節から三節でもそう書いてある。けれどももっと遡って旧約の中で祝福とか呪いという問題を探ってみると 神との関係が初めにはない。・・・  というのは 神との結びつきは旧約の伝承を探ると二次的なのである(ショットロフ)。要するに〔第一次のは〕言葉のもつそれ自身の祝福の力および呪いの力である。これは宗教的にいえばいわゆる呪術の段階である。ところが旧約ではきわめてすみやかに神とのかかわりをもたせさられて《あなたは祝福されている》《あなたは呪われている》という言葉が神との関係で用いられはじめており・・・(以下省略)。  (関根正雄:『古代イスラエルの思想』2004p.63〔初出=1982〕) ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

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     以前の質問において 次のような仮説を捉えました。それの吟味をしたいので お尋ねします。  第一次に《こと=事》に感応して《ことだま=事霊》を見止めるがごとく思い描き 同時に《ことだま=言霊》としても捉えた。そのあと 第二次に 事の端⇒言の葉⇒言葉そのものに言霊があると見なすようになった。とするなら 《言葉を発すると そのまま それの表わす中身の事が起こる》という《言霊》の思想は 人為的に後で出来たこの第二次のほうではないだろうかと。→《Q:3994017 われわれ日本人は 互いに相手を神と思っているのでしょうか http://oshiete1.goo.ne.jp/qa3994017.html 》No.11補足欄など。  ところが この仮説をくつがえす次のような説を見かけました。両者を吟味しつつ ご見解をおしえてください。 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~  我々は祝福というと おそらくすぐ神に祝福されるというふうに考える。《創世記》一二章の一節から三節でもそう書いてある。けれどももっと遡って旧約の中で祝福とか呪いという問題を探ってみると 神との関係が初めにはない。・・・  というのは 神との結びつきは旧約の伝承を探ると二次的なのである(ショットロフ)。要するに〔第一次のは〕言葉のもつそれ自身の祝福の力および呪いの力である。これは宗教的にいえばいわゆる呪術の段階である。ところが旧約ではきわめてすみやかに神とのかかわりをもたせさられて《あなたは祝福されている》《あなたは呪われている》という言葉が神との関係で用いられはじめており・・・(以下省略)。  (関根正雄:『古代イスラエルの思想』2004p.63〔初出=1982〕) ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

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     以前の質問において 次のような仮説を捉えました。それの吟味をしたいので お尋ねします。  第一次に《こと=事》に感応して《ことだま=事霊》を見止めるがごとく思い描き 同時に《ことだま=言霊》としても捉えた。そのあと 第二次に 事の端⇒言の葉⇒言葉そのものに言霊があると見なすようになった。とするなら 《言葉を発すると そのまま それの表わす中身の事が起こる》という《言霊》の思想は 人為的に後で出来たこの第二次のほうではないだろうかと。→《Q:3994017 われわれ日本人は 互いに相手を神と思っているのでしょうか http://oshiete1.goo.ne.jp/qa3994017.html 》No.11補足欄など。  ところが この仮説をくつがえす次のような説を見かけました。両者を吟味しつつ ご見解をおしえてください。 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~  我々は祝福というと おそらくすぐ神に祝福されるというふうに考える。《創世記》一二章の一節から三節でもそう書いてある。けれどももっと遡って旧約の中で祝福とか呪いという問題を探ってみると 神との関係が初めにはない。・・・  というのは 神との結びつきは旧約の伝承を探ると二次的なのである(ショットロフ)。要するに〔第一次のは〕言葉のもつそれ自身の祝福の力および呪いの力である。これは宗教的にいえばいわゆる呪術の段階である。ところが旧約ではきわめてすみやかに神とのかかわりをもたせさられて《あなたは祝福されている》《あなたは呪われている》という言葉が神との関係で用いられはじめており・・・(以下省略)。  (関根正雄:『古代イスラエルの思想』2004p.63〔初出=1982〕) ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

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     以前の質問において 次のような仮説を捉えました。それの吟味をしたいので お尋ねします。  第一次に《こと=事》に感応して《ことだま=事霊》を見止めるがごとく思い描き 同時に《ことだま=言霊》としても捉えた。そのあと 第二次に 事の端⇒言の葉⇒言葉そのものに言霊があると見なすようになった。とするなら 《言葉を発すると そのまま それの表わす中身の事が起こる》という《言霊》の思想は 人為的に後で出来たこの第二次のほうではないだろうかと。→《Q:3994017 われわれ日本人は 互いに相手を神と思っているのでしょうか http://oshiete1.goo.ne.jp/qa3994017.html 》No.11補足欄など。  ところが この仮説をくつがえす次のような説を見かけました。両者を吟味しつつ ご見解をおしえてください。 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~  我々は祝福というと おそらくすぐ神に祝福されるというふうに考える。《創世記》一二章の一節から三節でもそう書いてある。けれどももっと遡って旧約の中で祝福とか呪いという問題を探ってみると 神との関係が初めにはない。・・・  というのは 神との結びつきは旧約の伝承を探ると二次的なのである(ショットロフ)。要するに〔第一次のは〕言葉のもつそれ自身の祝福の力および呪いの力である。これは宗教的にいえばいわゆる呪術の段階である。ところが旧約ではきわめてすみやかに神とのかかわりをもたせさられて《あなたは祝福されている》《あなたは呪われている》という言葉が神との関係で用いられはじめており・・・(以下省略)。  (関根正雄:『古代イスラエルの思想』2004p.63〔初出=1982〕) ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

    • noname#80116
    • 回答数33
  • 言霊の思想についてうかがいます。

     以前の質問において 次のような仮説を捉えました。それの吟味をしたいので お尋ねします。  第一次に《こと=事》に感応して《ことだま=事霊》を見止めるがごとく思い描き 同時に《ことだま=言霊》としても捉えた。そのあと 第二次に 事の端⇒言の葉⇒言葉そのものに言霊があると見なすようになった。とするなら 《言葉を発すると そのまま それの表わす中身の事が起こる》という《言霊》の思想は 人為的に後で出来たこの第二次のほうではないだろうかと。→《Q:3994017 われわれ日本人は 互いに相手を神と思っているのでしょうか http://oshiete1.goo.ne.jp/qa3994017.html 》No.11補足欄など。  ところが この仮説をくつがえす次のような説を見かけました。両者を吟味しつつ ご見解をおしえてください。 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~  我々は祝福というと おそらくすぐ神に祝福されるというふうに考える。《創世記》一二章の一節から三節でもそう書いてある。けれどももっと遡って旧約の中で祝福とか呪いという問題を探ってみると 神との関係が初めにはない。・・・  というのは 神との結びつきは旧約の伝承を探ると二次的なのである(ショットロフ)。要するに〔第一次のは〕言葉のもつそれ自身の祝福の力および呪いの力である。これは宗教的にいえばいわゆる呪術の段階である。ところが旧約ではきわめてすみやかに神とのかかわりをもたせさられて《あなたは祝福されている》《あなたは呪われている》という言葉が神との関係で用いられはじめており・・・(以下省略)。  (関根正雄:『古代イスラエルの思想』2004p.63〔初出=1982〕) ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

    • noname#80116
    • 回答数33
  • いわゆる共同体は もう望みが薄いですか

     鍵をかけずに外出しても 大丈夫だという時代(あるいは地域)があったと思いますが それは もう回復ができないことなのでしょうか。そういう意味での共同体の問題です。その意味でコミュニケーションの問題にも関係していると思います。  《住宅の防犯性》に対する不満が 53.8%だという調査があるそうです。(国土交通省。2003年ですが)。今朝の日経(経済教室=沓沢隆司)によるのですが かつて1993年には 《治安の良さ》について誇りに思う割合が 52.1%だったのが 2005年には 18.0%にまで下がったと言います(内閣府調査)。  《06年の調査でも 84.3%が 〈ここ十年治安が悪くなった〉と見ている》とも言っていて ただしこの論文は 犯罪発生率が高く治安が悪いと その土地の価格は比例して下落するといったことを指摘し 交番の設置が効を奏すなどの提言をしています。  この質問では 治安の良い社会をつくる人間関係といった見方に焦点をあて 共同体復活について どう考えればよいか これを問うています。その改善策についても 経済政策というよりは 社会哲学としてです。まづは 考え方としてです。  わたし自身は きわめて広く思想の問題だと考えています。(あるいは 究極の思想としてみづから抱くものがあります)。それでは 前へ進まないので どんなことでも いいですから おしえてください。

    • noname#80116
    • 回答数24
  • いわゆる共同体は もう望みが薄いですか

     鍵をかけずに外出しても 大丈夫だという時代(あるいは地域)があったと思いますが それは もう回復ができないことなのでしょうか。そういう意味での共同体の問題です。その意味でコミュニケーションの問題にも関係していると思います。  《住宅の防犯性》に対する不満が 53.8%だという調査があるそうです。(国土交通省。2003年ですが)。今朝の日経(経済教室=沓沢隆司)によるのですが かつて1993年には 《治安の良さ》について誇りに思う割合が 52.1%だったのが 2005年には 18.0%にまで下がったと言います(内閣府調査)。  《06年の調査でも 84.3%が 〈ここ十年治安が悪くなった〉と見ている》とも言っていて ただしこの論文は 犯罪発生率が高く治安が悪いと その土地の価格は比例して下落するといったことを指摘し 交番の設置が効を奏すなどの提言をしています。  この質問では 治安の良い社会をつくる人間関係といった見方に焦点をあて 共同体復活について どう考えればよいか これを問うています。その改善策についても 経済政策というよりは 社会哲学としてです。まづは 考え方としてです。  わたし自身は きわめて広く思想の問題だと考えています。(あるいは 究極の思想としてみづから抱くものがあります)。それでは 前へ進まないので どんなことでも いいですから おしえてください。

    • noname#80116
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  • いわゆる共同体は もう望みが薄いですか

     鍵をかけずに外出しても 大丈夫だという時代(あるいは地域)があったと思いますが それは もう回復ができないことなのでしょうか。そういう意味での共同体の問題です。その意味でコミュニケーションの問題にも関係していると思います。  《住宅の防犯性》に対する不満が 53.8%だという調査があるそうです。(国土交通省。2003年ですが)。今朝の日経(経済教室=沓沢隆司)によるのですが かつて1993年には 《治安の良さ》について誇りに思う割合が 52.1%だったのが 2005年には 18.0%にまで下がったと言います(内閣府調査)。  《06年の調査でも 84.3%が 〈ここ十年治安が悪くなった〉と見ている》とも言っていて ただしこの論文は 犯罪発生率が高く治安が悪いと その土地の価格は比例して下落するといったことを指摘し 交番の設置が効を奏すなどの提言をしています。  この質問では 治安の良い社会をつくる人間関係といった見方に焦点をあて 共同体復活について どう考えればよいか これを問うています。その改善策についても 経済政策というよりは 社会哲学としてです。まづは 考え方としてです。  わたし自身は きわめて広く思想の問題だと考えています。(あるいは 究極の思想としてみづから抱くものがあります)。それでは 前へ進まないので どんなことでも いいですから おしえてください。

    • noname#80116
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