littlekiss の回答履歴

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  • 自然法は もう人気がないのでしょうか

     《wiki=自然法》:http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%87%AA%E7%84%B6%E6%B3%95  《wiki=自然法論》: http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%87%AA%E7%84%B6%E6%B3%95%E8%AB%96  知りたいのは 次の点です。  (1) その法源は 神・自然・理性が挙げられていますが 自然(自然本性)も理性も 自然法そのものを言うと言わなければならないでしょうし 自然(環界・宇宙)は おそらく神の摂理の問題になるでしょう。そうすると 残りは 神です。これは 無根拠と言えば いいのではないでしょうか。自然法の法源は 無根拠である。こう考えてはいけませんか?(つまり 公理ですね)。  (2) 《殺すなかれ》もしくは《生命の尊重》 この一つの事項を〔のみ〕 自然法の内容とするとしては いけませんか?   * ただし 中傷・名誉毀損のような 《社会的生命の損傷》も含めます。  こうすれば 自然法の内容にかんして 人ごとに違っていて 定まらないということは起きないでしょうし 実定法とのあいだに 特別の溝があるとも思えないのですが。  wiki(その後者)によれば このような最小限の内容をもって 自然法を規定する行き方を ハーバート・ハートという人が提唱しているようにも言っていますが そのあたりについては よく分からないままの質問になります。よろしくご教授いただければ幸いです。

    • noname#80116
    • 回答数45
  • 自然法は もう人気がないのでしょうか

     《wiki=自然法》:http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%87%AA%E7%84%B6%E6%B3%95  《wiki=自然法論》: http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%87%AA%E7%84%B6%E6%B3%95%E8%AB%96  知りたいのは 次の点です。  (1) その法源は 神・自然・理性が挙げられていますが 自然(自然本性)も理性も 自然法そのものを言うと言わなければならないでしょうし 自然(環界・宇宙)は おそらく神の摂理の問題になるでしょう。そうすると 残りは 神です。これは 無根拠と言えば いいのではないでしょうか。自然法の法源は 無根拠である。こう考えてはいけませんか?(つまり 公理ですね)。  (2) 《殺すなかれ》もしくは《生命の尊重》 この一つの事項を〔のみ〕 自然法の内容とするとしては いけませんか?   * ただし 中傷・名誉毀損のような 《社会的生命の損傷》も含めます。  こうすれば 自然法の内容にかんして 人ごとに違っていて 定まらないということは起きないでしょうし 実定法とのあいだに 特別の溝があるとも思えないのですが。  wiki(その後者)によれば このような最小限の内容をもって 自然法を規定する行き方を ハーバート・ハートという人が提唱しているようにも言っていますが そのあたりについては よく分からないままの質問になります。よろしくご教授いただければ幸いです。

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  • 自然法は もう人気がないのでしょうか

     《wiki=自然法》:http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%87%AA%E7%84%B6%E6%B3%95  《wiki=自然法論》: http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%87%AA%E7%84%B6%E6%B3%95%E8%AB%96  知りたいのは 次の点です。  (1) その法源は 神・自然・理性が挙げられていますが 自然(自然本性)も理性も 自然法そのものを言うと言わなければならないでしょうし 自然(環界・宇宙)は おそらく神の摂理の問題になるでしょう。そうすると 残りは 神です。これは 無根拠と言えば いいのではないでしょうか。自然法の法源は 無根拠である。こう考えてはいけませんか?(つまり 公理ですね)。  (2) 《殺すなかれ》もしくは《生命の尊重》 この一つの事項を〔のみ〕 自然法の内容とするとしては いけませんか?   * ただし 中傷・名誉毀損のような 《社会的生命の損傷》も含めます。  こうすれば 自然法の内容にかんして 人ごとに違っていて 定まらないということは起きないでしょうし 実定法とのあいだに 特別の溝があるとも思えないのですが。  wiki(その後者)によれば このような最小限の内容をもって 自然法を規定する行き方を ハーバート・ハートという人が提唱しているようにも言っていますが そのあたりについては よく分からないままの質問になります。よろしくご教授いただければ幸いです。

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  • 自然法は もう人気がないのでしょうか

     《wiki=自然法》:http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%87%AA%E7%84%B6%E6%B3%95  《wiki=自然法論》: http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%87%AA%E7%84%B6%E6%B3%95%E8%AB%96  知りたいのは 次の点です。  (1) その法源は 神・自然・理性が挙げられていますが 自然(自然本性)も理性も 自然法そのものを言うと言わなければならないでしょうし 自然(環界・宇宙)は おそらく神の摂理の問題になるでしょう。そうすると 残りは 神です。これは 無根拠と言えば いいのではないでしょうか。自然法の法源は 無根拠である。こう考えてはいけませんか?(つまり 公理ですね)。  (2) 《殺すなかれ》もしくは《生命の尊重》 この一つの事項を〔のみ〕 自然法の内容とするとしては いけませんか?   * ただし 中傷・名誉毀損のような 《社会的生命の損傷》も含めます。  こうすれば 自然法の内容にかんして 人ごとに違っていて 定まらないということは起きないでしょうし 実定法とのあいだに 特別の溝があるとも思えないのですが。  wiki(その後者)によれば このような最小限の内容をもって 自然法を規定する行き方を ハーバート・ハートという人が提唱しているようにも言っていますが そのあたりについては よく分からないままの質問になります。よろしくご教授いただければ幸いです。

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     《wiki=自然法》:http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%87%AA%E7%84%B6%E6%B3%95  《wiki=自然法論》: http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%87%AA%E7%84%B6%E6%B3%95%E8%AB%96  知りたいのは 次の点です。  (1) その法源は 神・自然・理性が挙げられていますが 自然(自然本性)も理性も 自然法そのものを言うと言わなければならないでしょうし 自然(環界・宇宙)は おそらく神の摂理の問題になるでしょう。そうすると 残りは 神です。これは 無根拠と言えば いいのではないでしょうか。自然法の法源は 無根拠である。こう考えてはいけませんか?(つまり 公理ですね)。  (2) 《殺すなかれ》もしくは《生命の尊重》 この一つの事項を〔のみ〕 自然法の内容とするとしては いけませんか?   * ただし 中傷・名誉毀損のような 《社会的生命の損傷》も含めます。  こうすれば 自然法の内容にかんして 人ごとに違っていて 定まらないということは起きないでしょうし 実定法とのあいだに 特別の溝があるとも思えないのですが。  wiki(その後者)によれば このような最小限の内容をもって 自然法を規定する行き方を ハーバート・ハートという人が提唱しているようにも言っていますが そのあたりについては よく分からないままの質問になります。よろしくご教授いただければ幸いです。

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     《wiki=自然法》:http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%87%AA%E7%84%B6%E6%B3%95  《wiki=自然法論》: http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%87%AA%E7%84%B6%E6%B3%95%E8%AB%96  知りたいのは 次の点です。  (1) その法源は 神・自然・理性が挙げられていますが 自然(自然本性)も理性も 自然法そのものを言うと言わなければならないでしょうし 自然(環界・宇宙)は おそらく神の摂理の問題になるでしょう。そうすると 残りは 神です。これは 無根拠と言えば いいのではないでしょうか。自然法の法源は 無根拠である。こう考えてはいけませんか?(つまり 公理ですね)。  (2) 《殺すなかれ》もしくは《生命の尊重》 この一つの事項を〔のみ〕 自然法の内容とするとしては いけませんか?   * ただし 中傷・名誉毀損のような 《社会的生命の損傷》も含めます。  こうすれば 自然法の内容にかんして 人ごとに違っていて 定まらないということは起きないでしょうし 実定法とのあいだに 特別の溝があるとも思えないのですが。  wiki(その後者)によれば このような最小限の内容をもって 自然法を規定する行き方を ハーバート・ハートという人が提唱しているようにも言っていますが そのあたりについては よく分からないままの質問になります。よろしくご教授いただければ幸いです。

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     《wiki=自然法》:http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%87%AA%E7%84%B6%E6%B3%95  《wiki=自然法論》: http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%87%AA%E7%84%B6%E6%B3%95%E8%AB%96  知りたいのは 次の点です。  (1) その法源は 神・自然・理性が挙げられていますが 自然(自然本性)も理性も 自然法そのものを言うと言わなければならないでしょうし 自然(環界・宇宙)は おそらく神の摂理の問題になるでしょう。そうすると 残りは 神です。これは 無根拠と言えば いいのではないでしょうか。自然法の法源は 無根拠である。こう考えてはいけませんか?(つまり 公理ですね)。  (2) 《殺すなかれ》もしくは《生命の尊重》 この一つの事項を〔のみ〕 自然法の内容とするとしては いけませんか?   * ただし 中傷・名誉毀損のような 《社会的生命の損傷》も含めます。  こうすれば 自然法の内容にかんして 人ごとに違っていて 定まらないということは起きないでしょうし 実定法とのあいだに 特別の溝があるとも思えないのですが。  wiki(その後者)によれば このような最小限の内容をもって 自然法を規定する行き方を ハーバート・ハートという人が提唱しているようにも言っていますが そのあたりについては よく分からないままの質問になります。よろしくご教授いただければ幸いです。

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     《wiki=自然法》:http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%87%AA%E7%84%B6%E6%B3%95  《wiki=自然法論》: http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%87%AA%E7%84%B6%E6%B3%95%E8%AB%96  知りたいのは 次の点です。  (1) その法源は 神・自然・理性が挙げられていますが 自然(自然本性)も理性も 自然法そのものを言うと言わなければならないでしょうし 自然(環界・宇宙)は おそらく神の摂理の問題になるでしょう。そうすると 残りは 神です。これは 無根拠と言えば いいのではないでしょうか。自然法の法源は 無根拠である。こう考えてはいけませんか?(つまり 公理ですね)。  (2) 《殺すなかれ》もしくは《生命の尊重》 この一つの事項を〔のみ〕 自然法の内容とするとしては いけませんか?   * ただし 中傷・名誉毀損のような 《社会的生命の損傷》も含めます。  こうすれば 自然法の内容にかんして 人ごとに違っていて 定まらないということは起きないでしょうし 実定法とのあいだに 特別の溝があるとも思えないのですが。  wiki(その後者)によれば このような最小限の内容をもって 自然法を規定する行き方を ハーバート・ハートという人が提唱しているようにも言っていますが そのあたりについては よく分からないままの質問になります。よろしくご教授いただければ幸いです。

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     《wiki=自然法》:http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%87%AA%E7%84%B6%E6%B3%95  《wiki=自然法論》: http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%87%AA%E7%84%B6%E6%B3%95%E8%AB%96  知りたいのは 次の点です。  (1) その法源は 神・自然・理性が挙げられていますが 自然(自然本性)も理性も 自然法そのものを言うと言わなければならないでしょうし 自然(環界・宇宙)は おそらく神の摂理の問題になるでしょう。そうすると 残りは 神です。これは 無根拠と言えば いいのではないでしょうか。自然法の法源は 無根拠である。こう考えてはいけませんか?(つまり 公理ですね)。  (2) 《殺すなかれ》もしくは《生命の尊重》 この一つの事項を〔のみ〕 自然法の内容とするとしては いけませんか?   * ただし 中傷・名誉毀損のような 《社会的生命の損傷》も含めます。  こうすれば 自然法の内容にかんして 人ごとに違っていて 定まらないということは起きないでしょうし 実定法とのあいだに 特別の溝があるとも思えないのですが。  wiki(その後者)によれば このような最小限の内容をもって 自然法を規定する行き方を ハーバート・ハートという人が提唱しているようにも言っていますが そのあたりについては よく分からないままの質問になります。よろしくご教授いただければ幸いです。

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     《wiki=自然法》:http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%87%AA%E7%84%B6%E6%B3%95  《wiki=自然法論》: http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%87%AA%E7%84%B6%E6%B3%95%E8%AB%96  知りたいのは 次の点です。  (1) その法源は 神・自然・理性が挙げられていますが 自然(自然本性)も理性も 自然法そのものを言うと言わなければならないでしょうし 自然(環界・宇宙)は おそらく神の摂理の問題になるでしょう。そうすると 残りは 神です。これは 無根拠と言えば いいのではないでしょうか。自然法の法源は 無根拠である。こう考えてはいけませんか?(つまり 公理ですね)。  (2) 《殺すなかれ》もしくは《生命の尊重》 この一つの事項を〔のみ〕 自然法の内容とするとしては いけませんか?   * ただし 中傷・名誉毀損のような 《社会的生命の損傷》も含めます。  こうすれば 自然法の内容にかんして 人ごとに違っていて 定まらないということは起きないでしょうし 実定法とのあいだに 特別の溝があるとも思えないのですが。  wiki(その後者)によれば このような最小限の内容をもって 自然法を規定する行き方を ハーバート・ハートという人が提唱しているようにも言っていますが そのあたりについては よく分からないままの質問になります。よろしくご教授いただければ幸いです。

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  • 自然法は もう人気がないのでしょうか

     《wiki=自然法》:http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%87%AA%E7%84%B6%E6%B3%95  《wiki=自然法論》: http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%87%AA%E7%84%B6%E6%B3%95%E8%AB%96  知りたいのは 次の点です。  (1) その法源は 神・自然・理性が挙げられていますが 自然(自然本性)も理性も 自然法そのものを言うと言わなければならないでしょうし 自然(環界・宇宙)は おそらく神の摂理の問題になるでしょう。そうすると 残りは 神です。これは 無根拠と言えば いいのではないでしょうか。自然法の法源は 無根拠である。こう考えてはいけませんか?(つまり 公理ですね)。  (2) 《殺すなかれ》もしくは《生命の尊重》 この一つの事項を〔のみ〕 自然法の内容とするとしては いけませんか?   * ただし 中傷・名誉毀損のような 《社会的生命の損傷》も含めます。  こうすれば 自然法の内容にかんして 人ごとに違っていて 定まらないということは起きないでしょうし 実定法とのあいだに 特別の溝があるとも思えないのですが。  wiki(その後者)によれば このような最小限の内容をもって 自然法を規定する行き方を ハーバート・ハートという人が提唱しているようにも言っていますが そのあたりについては よく分からないままの質問になります。よろしくご教授いただければ幸いです。

    • noname#80116
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  • 人が 人のあやまちを赦すことができますか

     赦さない あるいは 赦してはいけない と言おうとするのではありません。  赦すことができない つまり その能力を持ち合わせていないのではないでしょうか。  あるいは もしこういう言葉を用いるとすれば 赦す権利も資格も ないのではないでしょうか。  このところ このような主題が 出ており 考えてきたのですが 上の結論に至りました。さらに検証し検討していきますが みなさんからも おしえていただきたいと思いました。  哲学の質問は こういう議論のような性格を帯び そのような経過をたどることは 避けられないことだと思います。つまり 自己の意見も ある場合には 提出するものと考えます。そういう出で立ちですが よろしくご回答をお寄せください。

    • noname#80116
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  • 自然法は もう人気がないのでしょうか

     《wiki=自然法》:http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%87%AA%E7%84%B6%E6%B3%95  《wiki=自然法論》: http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%87%AA%E7%84%B6%E6%B3%95%E8%AB%96  知りたいのは 次の点です。  (1) その法源は 神・自然・理性が挙げられていますが 自然(自然本性)も理性も 自然法そのものを言うと言わなければならないでしょうし 自然(環界・宇宙)は おそらく神の摂理の問題になるでしょう。そうすると 残りは 神です。これは 無根拠と言えば いいのではないでしょうか。自然法の法源は 無根拠である。こう考えてはいけませんか?(つまり 公理ですね)。  (2) 《殺すなかれ》もしくは《生命の尊重》 この一つの事項を〔のみ〕 自然法の内容とするとしては いけませんか?   * ただし 中傷・名誉毀損のような 《社会的生命の損傷》も含めます。  こうすれば 自然法の内容にかんして 人ごとに違っていて 定まらないということは起きないでしょうし 実定法とのあいだに 特別の溝があるとも思えないのですが。  wiki(その後者)によれば このような最小限の内容をもって 自然法を規定する行き方を ハーバート・ハートという人が提唱しているようにも言っていますが そのあたりについては よく分からないままの質問になります。よろしくご教授いただければ幸いです。

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  • 人が 人のあやまちを赦すことができますか

     赦さない あるいは 赦してはいけない と言おうとするのではありません。  赦すことができない つまり その能力を持ち合わせていないのではないでしょうか。  あるいは もしこういう言葉を用いるとすれば 赦す権利も資格も ないのではないでしょうか。  このところ このような主題が 出ており 考えてきたのですが 上の結論に至りました。さらに検証し検討していきますが みなさんからも おしえていただきたいと思いました。  哲学の質問は こういう議論のような性格を帯び そのような経過をたどることは 避けられないことだと思います。つまり 自己の意見も ある場合には 提出するものと考えます。そういう出で立ちですが よろしくご回答をお寄せください。

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  • 自然法は もう人気がないのでしょうか

     《wiki=自然法》:http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%87%AA%E7%84%B6%E6%B3%95  《wiki=自然法論》: http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%87%AA%E7%84%B6%E6%B3%95%E8%AB%96  知りたいのは 次の点です。  (1) その法源は 神・自然・理性が挙げられていますが 自然(自然本性)も理性も 自然法そのものを言うと言わなければならないでしょうし 自然(環界・宇宙)は おそらく神の摂理の問題になるでしょう。そうすると 残りは 神です。これは 無根拠と言えば いいのではないでしょうか。自然法の法源は 無根拠である。こう考えてはいけませんか?(つまり 公理ですね)。  (2) 《殺すなかれ》もしくは《生命の尊重》 この一つの事項を〔のみ〕 自然法の内容とするとしては いけませんか?   * ただし 中傷・名誉毀損のような 《社会的生命の損傷》も含めます。  こうすれば 自然法の内容にかんして 人ごとに違っていて 定まらないということは起きないでしょうし 実定法とのあいだに 特別の溝があるとも思えないのですが。  wiki(その後者)によれば このような最小限の内容をもって 自然法を規定する行き方を ハーバート・ハートという人が提唱しているようにも言っていますが そのあたりについては よく分からないままの質問になります。よろしくご教授いただければ幸いです。

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  • 自然法は もう人気がないのでしょうか

     《wiki=自然法》:http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%87%AA%E7%84%B6%E6%B3%95  《wiki=自然法論》: http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%87%AA%E7%84%B6%E6%B3%95%E8%AB%96  知りたいのは 次の点です。  (1) その法源は 神・自然・理性が挙げられていますが 自然(自然本性)も理性も 自然法そのものを言うと言わなければならないでしょうし 自然(環界・宇宙)は おそらく神の摂理の問題になるでしょう。そうすると 残りは 神です。これは 無根拠と言えば いいのではないでしょうか。自然法の法源は 無根拠である。こう考えてはいけませんか?(つまり 公理ですね)。  (2) 《殺すなかれ》もしくは《生命の尊重》 この一つの事項を〔のみ〕 自然法の内容とするとしては いけませんか?   * ただし 中傷・名誉毀損のような 《社会的生命の損傷》も含めます。  こうすれば 自然法の内容にかんして 人ごとに違っていて 定まらないということは起きないでしょうし 実定法とのあいだに 特別の溝があるとも思えないのですが。  wiki(その後者)によれば このような最小限の内容をもって 自然法を規定する行き方を ハーバート・ハートという人が提唱しているようにも言っていますが そのあたりについては よく分からないままの質問になります。よろしくご教授いただければ幸いです。

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  • 自然法は もう人気がないのでしょうか

     《wiki=自然法》:http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%87%AA%E7%84%B6%E6%B3%95  《wiki=自然法論》: http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%87%AA%E7%84%B6%E6%B3%95%E8%AB%96  知りたいのは 次の点です。  (1) その法源は 神・自然・理性が挙げられていますが 自然(自然本性)も理性も 自然法そのものを言うと言わなければならないでしょうし 自然(環界・宇宙)は おそらく神の摂理の問題になるでしょう。そうすると 残りは 神です。これは 無根拠と言えば いいのではないでしょうか。自然法の法源は 無根拠である。こう考えてはいけませんか?(つまり 公理ですね)。  (2) 《殺すなかれ》もしくは《生命の尊重》 この一つの事項を〔のみ〕 自然法の内容とするとしては いけませんか?   * ただし 中傷・名誉毀損のような 《社会的生命の損傷》も含めます。  こうすれば 自然法の内容にかんして 人ごとに違っていて 定まらないということは起きないでしょうし 実定法とのあいだに 特別の溝があるとも思えないのですが。  wiki(その後者)によれば このような最小限の内容をもって 自然法を規定する行き方を ハーバート・ハートという人が提唱しているようにも言っていますが そのあたりについては よく分からないままの質問になります。よろしくご教授いただければ幸いです。

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  • 人が 人のあやまちを赦すことができますか

     赦さない あるいは 赦してはいけない と言おうとするのではありません。  赦すことができない つまり その能力を持ち合わせていないのではないでしょうか。  あるいは もしこういう言葉を用いるとすれば 赦す権利も資格も ないのではないでしょうか。  このところ このような主題が 出ており 考えてきたのですが 上の結論に至りました。さらに検証し検討していきますが みなさんからも おしえていただきたいと思いました。  哲学の質問は こういう議論のような性格を帯び そのような経過をたどることは 避けられないことだと思います。つまり 自己の意見も ある場合には 提出するものと考えます。そういう出で立ちですが よろしくご回答をお寄せください。

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  • 自然法は もう人気がないのでしょうか

     《wiki=自然法》:http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%87%AA%E7%84%B6%E6%B3%95  《wiki=自然法論》: http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%87%AA%E7%84%B6%E6%B3%95%E8%AB%96  知りたいのは 次の点です。  (1) その法源は 神・自然・理性が挙げられていますが 自然(自然本性)も理性も 自然法そのものを言うと言わなければならないでしょうし 自然(環界・宇宙)は おそらく神の摂理の問題になるでしょう。そうすると 残りは 神です。これは 無根拠と言えば いいのではないでしょうか。自然法の法源は 無根拠である。こう考えてはいけませんか?(つまり 公理ですね)。  (2) 《殺すなかれ》もしくは《生命の尊重》 この一つの事項を〔のみ〕 自然法の内容とするとしては いけませんか?   * ただし 中傷・名誉毀損のような 《社会的生命の損傷》も含めます。  こうすれば 自然法の内容にかんして 人ごとに違っていて 定まらないということは起きないでしょうし 実定法とのあいだに 特別の溝があるとも思えないのですが。  wiki(その後者)によれば このような最小限の内容をもって 自然法を規定する行き方を ハーバート・ハートという人が提唱しているようにも言っていますが そのあたりについては よく分からないままの質問になります。よろしくご教授いただければ幸いです。

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     《wiki=自然法》:http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%87%AA%E7%84%B6%E6%B3%95  《wiki=自然法論》: http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%87%AA%E7%84%B6%E6%B3%95%E8%AB%96  知りたいのは 次の点です。  (1) その法源は 神・自然・理性が挙げられていますが 自然(自然本性)も理性も 自然法そのものを言うと言わなければならないでしょうし 自然(環界・宇宙)は おそらく神の摂理の問題になるでしょう。そうすると 残りは 神です。これは 無根拠と言えば いいのではないでしょうか。自然法の法源は 無根拠である。こう考えてはいけませんか?(つまり 公理ですね)。  (2) 《殺すなかれ》もしくは《生命の尊重》 この一つの事項を〔のみ〕 自然法の内容とするとしては いけませんか?   * ただし 中傷・名誉毀損のような 《社会的生命の損傷》も含めます。  こうすれば 自然法の内容にかんして 人ごとに違っていて 定まらないということは起きないでしょうし 実定法とのあいだに 特別の溝があるとも思えないのですが。  wiki(その後者)によれば このような最小限の内容をもって 自然法を規定する行き方を ハーバート・ハートという人が提唱しているようにも言っていますが そのあたりについては よく分からないままの質問になります。よろしくご教授いただければ幸いです。

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