littlekiss の回答履歴
- 図書館で本を借りるのに抵抗があるんですが
本も高いので図書館で借りたいのですが、 実際窓口に行くとホームレスに近いようなおじさんも多く、 この人たちがトイレでクソしながら・・・とか 鼻クソほじくりながら・・・ とか考えると、借りることにどうしても ためらいがあります。 どげんすりゃいいんでしょうか?
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- omoshirojinsei
- 回答数12
- F.ニーチェの良いところをおしえてください。
ありますか? 世は 理性信仰 つまり 理性なる神 理性という神が はびこっているところへ その観念なる神は観念なる神であるに過ぎないと指摘しつつ 観念の神は死んだと言ったのではないでしょうか。 つまり そんな神は もともと 死んでいるというふうに指摘しなければいけなかったのではないか。 そこを そうではなく わざわざ その観念の神を克服しなければならないと思いこみ そのためには 《自然 大河 あるいは 超人であれ》と わざわざ 説くにいたった。・・・ これでは すべてが コップの中の茶番劇であるのではないでしょうか? ほかに ニーチェにいいところは ありますか。
- F.ニーチェの良いところをおしえてください。
ありますか? 世は 理性信仰 つまり 理性なる神 理性という神が はびこっているところへ その観念なる神は観念なる神であるに過ぎないと指摘しつつ 観念の神は死んだと言ったのではないでしょうか。 つまり そんな神は もともと 死んでいるというふうに指摘しなければいけなかったのではないか。 そこを そうではなく わざわざ その観念の神を克服しなければならないと思いこみ そのためには 《自然 大河 あるいは 超人であれ》と わざわざ 説くにいたった。・・・ これでは すべてが コップの中の茶番劇であるのではないでしょうか? ほかに ニーチェにいいところは ありますか。
- カントールの対角線論法についておしえてください。
《無限集合にはその大きさの大小があるということ》 というカントールの定理をめぐる次の証明の仕方はマチガイではないでしょうか? なるべく数式を使わずにおしえてくださるとありがたいです。 ▲ (哲学するサラリーマン:平行線が交わる点) ~~~~ http://blogs.dion.ne.jp/le_fou/archives/10216164.html 2.神の証明 (その後半部分) ( a ) 次に、2つめの定理〔*--《無限集合にはその大きさの大小があるということ》--〕を見てみましょう。 ( b ) これもわかりやすい例を挙げて説明します。無理数全部の集合と自然数全部の集合とはどちらが大きいでしょうか。 ( c ) ここに(0と1の間の)すべての無理数がただ1つの列にリストアップされていると仮定します。例えば、 0.17643567…… 0.23482435…… 0.62346286…… ( d ) 次に、この無限列の各行に対応する各々の無理数と、1から始まる自然数とが次のような1対1対応を作ると仮定します。 1⇔0.17643567…… 2⇔0.23482435…… 3⇔0.62346286…… ( e ) ここで自然数1に対応する無理数から小数点以下1番目の位を取ります。次に自然数2に対応する無理数から2番目の位を取ります。これを続けていけば0.133……という無理数が得られます。 ( f ) この無理数の小数点以下の数字を各々勝手に変えます。このような操作によって例えば0.245……という無理数ができます。 ( g ) この数は、自然数1に対応する無理数とは小数以下1番目の位で違い、自然数2に対応する無理数とは2番目の位で違い……となり、自然数と1対1対応させたどの無理数とも異なっていることが明らかです。 ( h ) すなわち、無理数全部の集合は自然数全部の集合よりも濃度において大であることが示される訳です。 ~~~~~~~~ 【Q‐1】 ( c )の《(0と1の間の)すべての無理数》というとき そのすべてがリストアップされうるのでしょうか? それは 無限――つまりこの場合 可能無限――であると見てよいか? 【Q‐2】 もし前項の無理数の集合が 無限であるならば ( d )の 1,2,3,・・・とやはり対応させられる自然数の数も無限になる。と捉えてよいか? 【Q‐3】 もしよければ ( f )に言うあらたに勝手に作った無理数(例えば0.245……)は もともとその無理数の集合の中にふくまれているものではないか? 【Q‐4】 言いかえると その無理数((例えば0.245……)も とうぜん自然数の無限の列挙と初めに対応していたはずではないか? なぜ( g )のような結論にみちびかれるのか?
- カントールの対角線論法についておしえてください。
《無限集合にはその大きさの大小があるということ》 というカントールの定理をめぐる次の証明の仕方はマチガイではないでしょうか? なるべく数式を使わずにおしえてくださるとありがたいです。 ▲ (哲学するサラリーマン:平行線が交わる点) ~~~~ http://blogs.dion.ne.jp/le_fou/archives/10216164.html 2.神の証明 (その後半部分) ( a ) 次に、2つめの定理〔*--《無限集合にはその大きさの大小があるということ》--〕を見てみましょう。 ( b ) これもわかりやすい例を挙げて説明します。無理数全部の集合と自然数全部の集合とはどちらが大きいでしょうか。 ( c ) ここに(0と1の間の)すべての無理数がただ1つの列にリストアップされていると仮定します。例えば、 0.17643567…… 0.23482435…… 0.62346286…… ( d ) 次に、この無限列の各行に対応する各々の無理数と、1から始まる自然数とが次のような1対1対応を作ると仮定します。 1⇔0.17643567…… 2⇔0.23482435…… 3⇔0.62346286…… ( e ) ここで自然数1に対応する無理数から小数点以下1番目の位を取ります。次に自然数2に対応する無理数から2番目の位を取ります。これを続けていけば0.133……という無理数が得られます。 ( f ) この無理数の小数点以下の数字を各々勝手に変えます。このような操作によって例えば0.245……という無理数ができます。 ( g ) この数は、自然数1に対応する無理数とは小数以下1番目の位で違い、自然数2に対応する無理数とは2番目の位で違い……となり、自然数と1対1対応させたどの無理数とも異なっていることが明らかです。 ( h ) すなわち、無理数全部の集合は自然数全部の集合よりも濃度において大であることが示される訳です。 ~~~~~~~~ 【Q‐1】 ( c )の《(0と1の間の)すべての無理数》というとき そのすべてがリストアップされうるのでしょうか? それは 無限――つまりこの場合 可能無限――であると見てよいか? 【Q‐2】 もし前項の無理数の集合が 無限であるならば ( d )の 1,2,3,・・・とやはり対応させられる自然数の数も無限になる。と捉えてよいか? 【Q‐3】 もしよければ ( f )に言うあらたに勝手に作った無理数(例えば0.245……)は もともとその無理数の集合の中にふくまれているものではないか? 【Q‐4】 言いかえると その無理数((例えば0.245……)も とうぜん自然数の無限の列挙と初めに対応していたはずではないか? なぜ( g )のような結論にみちびかれるのか?
- カントールの対角線論法についておしえてください。
《無限集合にはその大きさの大小があるということ》 というカントールの定理をめぐる次の証明の仕方はマチガイではないでしょうか? なるべく数式を使わずにおしえてくださるとありがたいです。 ▲ (哲学するサラリーマン:平行線が交わる点) ~~~~ http://blogs.dion.ne.jp/le_fou/archives/10216164.html 2.神の証明 (その後半部分) ( a ) 次に、2つめの定理〔*--《無限集合にはその大きさの大小があるということ》--〕を見てみましょう。 ( b ) これもわかりやすい例を挙げて説明します。無理数全部の集合と自然数全部の集合とはどちらが大きいでしょうか。 ( c ) ここに(0と1の間の)すべての無理数がただ1つの列にリストアップされていると仮定します。例えば、 0.17643567…… 0.23482435…… 0.62346286…… ( d ) 次に、この無限列の各行に対応する各々の無理数と、1から始まる自然数とが次のような1対1対応を作ると仮定します。 1⇔0.17643567…… 2⇔0.23482435…… 3⇔0.62346286…… ( e ) ここで自然数1に対応する無理数から小数点以下1番目の位を取ります。次に自然数2に対応する無理数から2番目の位を取ります。これを続けていけば0.133……という無理数が得られます。 ( f ) この無理数の小数点以下の数字を各々勝手に変えます。このような操作によって例えば0.245……という無理数ができます。 ( g ) この数は、自然数1に対応する無理数とは小数以下1番目の位で違い、自然数2に対応する無理数とは2番目の位で違い……となり、自然数と1対1対応させたどの無理数とも異なっていることが明らかです。 ( h ) すなわち、無理数全部の集合は自然数全部の集合よりも濃度において大であることが示される訳です。 ~~~~~~~~ 【Q‐1】 ( c )の《(0と1の間の)すべての無理数》というとき そのすべてがリストアップされうるのでしょうか? それは 無限――つまりこの場合 可能無限――であると見てよいか? 【Q‐2】 もし前項の無理数の集合が 無限であるならば ( d )の 1,2,3,・・・とやはり対応させられる自然数の数も無限になる。と捉えてよいか? 【Q‐3】 もしよければ ( f )に言うあらたに勝手に作った無理数(例えば0.245……)は もともとその無理数の集合の中にふくまれているものではないか? 【Q‐4】 言いかえると その無理数((例えば0.245……)も とうぜん自然数の無限の列挙と初めに対応していたはずではないか? なぜ( g )のような結論にみちびかれるのか?
- カントールの対角線論法についておしえてください。
《無限集合にはその大きさの大小があるということ》 というカントールの定理をめぐる次の証明の仕方はマチガイではないでしょうか? なるべく数式を使わずにおしえてくださるとありがたいです。 ▲ (哲学するサラリーマン:平行線が交わる点) ~~~~ http://blogs.dion.ne.jp/le_fou/archives/10216164.html 2.神の証明 (その後半部分) ( a ) 次に、2つめの定理〔*--《無限集合にはその大きさの大小があるということ》--〕を見てみましょう。 ( b ) これもわかりやすい例を挙げて説明します。無理数全部の集合と自然数全部の集合とはどちらが大きいでしょうか。 ( c ) ここに(0と1の間の)すべての無理数がただ1つの列にリストアップされていると仮定します。例えば、 0.17643567…… 0.23482435…… 0.62346286…… ( d ) 次に、この無限列の各行に対応する各々の無理数と、1から始まる自然数とが次のような1対1対応を作ると仮定します。 1⇔0.17643567…… 2⇔0.23482435…… 3⇔0.62346286…… ( e ) ここで自然数1に対応する無理数から小数点以下1番目の位を取ります。次に自然数2に対応する無理数から2番目の位を取ります。これを続けていけば0.133……という無理数が得られます。 ( f ) この無理数の小数点以下の数字を各々勝手に変えます。このような操作によって例えば0.245……という無理数ができます。 ( g ) この数は、自然数1に対応する無理数とは小数以下1番目の位で違い、自然数2に対応する無理数とは2番目の位で違い……となり、自然数と1対1対応させたどの無理数とも異なっていることが明らかです。 ( h ) すなわち、無理数全部の集合は自然数全部の集合よりも濃度において大であることが示される訳です。 ~~~~~~~~ 【Q‐1】 ( c )の《(0と1の間の)すべての無理数》というとき そのすべてがリストアップされうるのでしょうか? それは 無限――つまりこの場合 可能無限――であると見てよいか? 【Q‐2】 もし前項の無理数の集合が 無限であるならば ( d )の 1,2,3,・・・とやはり対応させられる自然数の数も無限になる。と捉えてよいか? 【Q‐3】 もしよければ ( f )に言うあらたに勝手に作った無理数(例えば0.245……)は もともとその無理数の集合の中にふくまれているものではないか? 【Q‐4】 言いかえると その無理数((例えば0.245……)も とうぜん自然数の無限の列挙と初めに対応していたはずではないか? なぜ( g )のような結論にみちびかれるのか?
- カントールの対角線論法についておしえてください。
《無限集合にはその大きさの大小があるということ》 というカントールの定理をめぐる次の証明の仕方はマチガイではないでしょうか? なるべく数式を使わずにおしえてくださるとありがたいです。 ▲ (哲学するサラリーマン:平行線が交わる点) ~~~~ http://blogs.dion.ne.jp/le_fou/archives/10216164.html 2.神の証明 (その後半部分) ( a ) 次に、2つめの定理〔*--《無限集合にはその大きさの大小があるということ》--〕を見てみましょう。 ( b ) これもわかりやすい例を挙げて説明します。無理数全部の集合と自然数全部の集合とはどちらが大きいでしょうか。 ( c ) ここに(0と1の間の)すべての無理数がただ1つの列にリストアップされていると仮定します。例えば、 0.17643567…… 0.23482435…… 0.62346286…… ( d ) 次に、この無限列の各行に対応する各々の無理数と、1から始まる自然数とが次のような1対1対応を作ると仮定します。 1⇔0.17643567…… 2⇔0.23482435…… 3⇔0.62346286…… ( e ) ここで自然数1に対応する無理数から小数点以下1番目の位を取ります。次に自然数2に対応する無理数から2番目の位を取ります。これを続けていけば0.133……という無理数が得られます。 ( f ) この無理数の小数点以下の数字を各々勝手に変えます。このような操作によって例えば0.245……という無理数ができます。 ( g ) この数は、自然数1に対応する無理数とは小数以下1番目の位で違い、自然数2に対応する無理数とは2番目の位で違い……となり、自然数と1対1対応させたどの無理数とも異なっていることが明らかです。 ( h ) すなわち、無理数全部の集合は自然数全部の集合よりも濃度において大であることが示される訳です。 ~~~~~~~~ 【Q‐1】 ( c )の《(0と1の間の)すべての無理数》というとき そのすべてがリストアップされうるのでしょうか? それは 無限――つまりこの場合 可能無限――であると見てよいか? 【Q‐2】 もし前項の無理数の集合が 無限であるならば ( d )の 1,2,3,・・・とやはり対応させられる自然数の数も無限になる。と捉えてよいか? 【Q‐3】 もしよければ ( f )に言うあらたに勝手に作った無理数(例えば0.245……)は もともとその無理数の集合の中にふくまれているものではないか? 【Q‐4】 言いかえると その無理数((例えば0.245……)も とうぜん自然数の無限の列挙と初めに対応していたはずではないか? なぜ( g )のような結論にみちびかれるのか?
- カントールの対角線論法についておしえてください。
《無限集合にはその大きさの大小があるということ》 というカントールの定理をめぐる次の証明の仕方はマチガイではないでしょうか? なるべく数式を使わずにおしえてくださるとありがたいです。 ▲ (哲学するサラリーマン:平行線が交わる点) ~~~~ http://blogs.dion.ne.jp/le_fou/archives/10216164.html 2.神の証明 (その後半部分) ( a ) 次に、2つめの定理〔*--《無限集合にはその大きさの大小があるということ》--〕を見てみましょう。 ( b ) これもわかりやすい例を挙げて説明します。無理数全部の集合と自然数全部の集合とはどちらが大きいでしょうか。 ( c ) ここに(0と1の間の)すべての無理数がただ1つの列にリストアップされていると仮定します。例えば、 0.17643567…… 0.23482435…… 0.62346286…… ( d ) 次に、この無限列の各行に対応する各々の無理数と、1から始まる自然数とが次のような1対1対応を作ると仮定します。 1⇔0.17643567…… 2⇔0.23482435…… 3⇔0.62346286…… ( e ) ここで自然数1に対応する無理数から小数点以下1番目の位を取ります。次に自然数2に対応する無理数から2番目の位を取ります。これを続けていけば0.133……という無理数が得られます。 ( f ) この無理数の小数点以下の数字を各々勝手に変えます。このような操作によって例えば0.245……という無理数ができます。 ( g ) この数は、自然数1に対応する無理数とは小数以下1番目の位で違い、自然数2に対応する無理数とは2番目の位で違い……となり、自然数と1対1対応させたどの無理数とも異なっていることが明らかです。 ( h ) すなわち、無理数全部の集合は自然数全部の集合よりも濃度において大であることが示される訳です。 ~~~~~~~~ 【Q‐1】 ( c )の《(0と1の間の)すべての無理数》というとき そのすべてがリストアップされうるのでしょうか? それは 無限――つまりこの場合 可能無限――であると見てよいか? 【Q‐2】 もし前項の無理数の集合が 無限であるならば ( d )の 1,2,3,・・・とやはり対応させられる自然数の数も無限になる。と捉えてよいか? 【Q‐3】 もしよければ ( f )に言うあらたに勝手に作った無理数(例えば0.245……)は もともとその無理数の集合の中にふくまれているものではないか? 【Q‐4】 言いかえると その無理数((例えば0.245……)も とうぜん自然数の無限の列挙と初めに対応していたはずではないか? なぜ( g )のような結論にみちびかれるのか?
- カントールの対角線論法についておしえてください。
《無限集合にはその大きさの大小があるということ》 というカントールの定理をめぐる次の証明の仕方はマチガイではないでしょうか? なるべく数式を使わずにおしえてくださるとありがたいです。 ▲ (哲学するサラリーマン:平行線が交わる点) ~~~~ http://blogs.dion.ne.jp/le_fou/archives/10216164.html 2.神の証明 (その後半部分) ( a ) 次に、2つめの定理〔*--《無限集合にはその大きさの大小があるということ》--〕を見てみましょう。 ( b ) これもわかりやすい例を挙げて説明します。無理数全部の集合と自然数全部の集合とはどちらが大きいでしょうか。 ( c ) ここに(0と1の間の)すべての無理数がただ1つの列にリストアップされていると仮定します。例えば、 0.17643567…… 0.23482435…… 0.62346286…… ( d ) 次に、この無限列の各行に対応する各々の無理数と、1から始まる自然数とが次のような1対1対応を作ると仮定します。 1⇔0.17643567…… 2⇔0.23482435…… 3⇔0.62346286…… ( e ) ここで自然数1に対応する無理数から小数点以下1番目の位を取ります。次に自然数2に対応する無理数から2番目の位を取ります。これを続けていけば0.133……という無理数が得られます。 ( f ) この無理数の小数点以下の数字を各々勝手に変えます。このような操作によって例えば0.245……という無理数ができます。 ( g ) この数は、自然数1に対応する無理数とは小数以下1番目の位で違い、自然数2に対応する無理数とは2番目の位で違い……となり、自然数と1対1対応させたどの無理数とも異なっていることが明らかです。 ( h ) すなわち、無理数全部の集合は自然数全部の集合よりも濃度において大であることが示される訳です。 ~~~~~~~~ 【Q‐1】 ( c )の《(0と1の間の)すべての無理数》というとき そのすべてがリストアップされうるのでしょうか? それは 無限――つまりこの場合 可能無限――であると見てよいか? 【Q‐2】 もし前項の無理数の集合が 無限であるならば ( d )の 1,2,3,・・・とやはり対応させられる自然数の数も無限になる。と捉えてよいか? 【Q‐3】 もしよければ ( f )に言うあらたに勝手に作った無理数(例えば0.245……)は もともとその無理数の集合の中にふくまれているものではないか? 【Q‐4】 言いかえると その無理数((例えば0.245……)も とうぜん自然数の無限の列挙と初めに対応していたはずではないか? なぜ( g )のような結論にみちびかれるのか?
- カントールの対角線論法についておしえてください。
《無限集合にはその大きさの大小があるということ》 というカントールの定理をめぐる次の証明の仕方はマチガイではないでしょうか? なるべく数式を使わずにおしえてくださるとありがたいです。 ▲ (哲学するサラリーマン:平行線が交わる点) ~~~~ http://blogs.dion.ne.jp/le_fou/archives/10216164.html 2.神の証明 (その後半部分) ( a ) 次に、2つめの定理〔*--《無限集合にはその大きさの大小があるということ》--〕を見てみましょう。 ( b ) これもわかりやすい例を挙げて説明します。無理数全部の集合と自然数全部の集合とはどちらが大きいでしょうか。 ( c ) ここに(0と1の間の)すべての無理数がただ1つの列にリストアップされていると仮定します。例えば、 0.17643567…… 0.23482435…… 0.62346286…… ( d ) 次に、この無限列の各行に対応する各々の無理数と、1から始まる自然数とが次のような1対1対応を作ると仮定します。 1⇔0.17643567…… 2⇔0.23482435…… 3⇔0.62346286…… ( e ) ここで自然数1に対応する無理数から小数点以下1番目の位を取ります。次に自然数2に対応する無理数から2番目の位を取ります。これを続けていけば0.133……という無理数が得られます。 ( f ) この無理数の小数点以下の数字を各々勝手に変えます。このような操作によって例えば0.245……という無理数ができます。 ( g ) この数は、自然数1に対応する無理数とは小数以下1番目の位で違い、自然数2に対応する無理数とは2番目の位で違い……となり、自然数と1対1対応させたどの無理数とも異なっていることが明らかです。 ( h ) すなわち、無理数全部の集合は自然数全部の集合よりも濃度において大であることが示される訳です。 ~~~~~~~~ 【Q‐1】 ( c )の《(0と1の間の)すべての無理数》というとき そのすべてがリストアップされうるのでしょうか? それは 無限――つまりこの場合 可能無限――であると見てよいか? 【Q‐2】 もし前項の無理数の集合が 無限であるならば ( d )の 1,2,3,・・・とやはり対応させられる自然数の数も無限になる。と捉えてよいか? 【Q‐3】 もしよければ ( f )に言うあらたに勝手に作った無理数(例えば0.245……)は もともとその無理数の集合の中にふくまれているものではないか? 【Q‐4】 言いかえると その無理数((例えば0.245……)も とうぜん自然数の無限の列挙と初めに対応していたはずではないか? なぜ( g )のような結論にみちびかれるのか?
- 世界観において 二元論と言ったら・・・
他の何ものにも依存せず独立して存在するものを《元》と呼ぶのだと思っていたのですが ヰキぺを見ると それだけではなく 《単にふたつに区分されたもの》をも 二元論と言うとあります。 そんな用法は ありえるのですか? これが 問いです。 ▼ (ヰキぺ:二元論) ~~~~ http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%8C%E5%85%83%E8%AB%96 (にげんろん、dualism)とは、 世界や事物の根本的な原理として、それらは背反する二つの原理や基本的要素から構成される、または二つからなる区分に分けられるとする概念のこと。 例えば、原理としては善と悪、要素としては精神と物体など。 ~~~~~~~~~~~~~ ☆ すなわちここで 単純に ▼ または二つからなる区分に分けられるとする という場合も二元論と呼ぶのだと言っているようです。けれどもこの場合というのは 二項対立とか二項区分あるいは双対と言ったりする場合なのではないでしょうか? すなわちもし 二つの事項があって互いに区別されているだけの状態であってもその二項について――つまり精神と身体 あるいは モノと心といったように互いに区別されている二項であるなら―― 二元論という用語で呼んでさしつかえないとするなら けっきょくおよそ《ふたつのもの》は二元論になってしまう。 というだけではなく じつはそれだけではなく どんなものでも《ひとつのもの》を捉えて それは一元論だと言ってもさしつかえないことになってしまう。のではないでしょうか? そんな一元論など 意味がない。はずです。すべてのものごとの根元をひとつだと見ることから 一元論と言うのであって 根元を問わない《ひとつのもの》が 一元だと――世界観において――言うなら へんなことになりませんか? そんな用法は無用にすべきではないでしょうか?
- さみしい私を慰めてください
やあ。 私は世界が浄化されるまで徐霊千人切りを目指して悩める人々を地獄に落とす悪の魔道師だ。 今年の仮面ライダーはいつものように私の弟子だ。 君達を新たな地獄へと案内しよう。 ムム、君には死人の霊が群がるように憑いておる。 君にはおじいちゃんがいたな、そのおじいちゃんは苦しんで死んだか? 人は皆死ねば成仏する、生前に苦しんだ事は脱ぎ去り浄化されるのだ。 その清らかな霊に対して、君は苦しんだ姿が忘れられない。 生前苦しんだように死後も苦しんでいるであろうと言う抜きがたい思いを抱いている。 それは供養が足りないからだ。 そのために成仏した清らかな霊の名を偽り君のおじいちゃんの振りをして君に地獄の業火を知らしめる悪霊が君に憑いている。 さらに悪霊仲間を誘い、君が死人は苦しんでいると思えば喜んでその死人の名をかたり君を苦しめるだろう。 そして君の父が死ねば君の父の名をかたり、父は苦しんでいると君に訴える。 そして君の順番がくるとだな、すなわち君が死ねば、君の名を悪霊は語り君の子を苦しめる。 子が死ねば孫を苦しめる。 そのように子々孫々古来より人を苦しめた悪霊が君についている。 君は地獄の業火に焼けただれ、このままで燃え落ちるように死んでいくであろう。 何とかしなければいけないが、私は救わない。 そのように苦しんで屍をさらすのが君の生涯だ。 誰でも似たり寄ったりだ。 その悪量の名は「生きる意思」であり「生きる欲望」ではない。 君が自らの生きる意志を実感し、生きる喜びを実感すれば、その悪霊は天に昇り、君は生きながらに成仏できるだろう。 その成仏を誘う優しく柔らかい光が、悪霊にとっては燃え盛る地獄の業火なのだ。 君は神の優しいまなざし、すなわち光を地獄の業火と見なし悟るまでは焼けただれるような苦しみを抱く。 では、どうすればいいか。 燃え尽きるまで焼かれるるがいい。 すまわち心を地獄においてこそ清められるのだ。 いかがだろうか。 私は唯一の私であり、今回案内した地獄とは無縁であるが、君達が苦しんでいる限り私は孤独とでも言うか、なんだか一抹のさみしさを感じます。 そんなさみしい私に君達地獄の使者から慰めの言葉を聞きたいのでよろしくお願いします。 以上の思考実験は、君達の信仰を論理として正すとこうした恐ろしい事になるのだと言う話です。 お釈迦さまもこれをしたから、君達のそんなのありゃしねーを説明すると君達の心に映る世界は全てが苦のはずだ。私はそんなのありゃしねーを悟ったから君達と共通の世界に私は居ないすなわち自らが無我であるとそのように言ったのだ。 この辺りはいつもと共通した私の見解です。 なんであれ、思考実験の見解をお寄せください。
- さみしい私を慰めてください
やあ。 私は世界が浄化されるまで徐霊千人切りを目指して悩める人々を地獄に落とす悪の魔道師だ。 今年の仮面ライダーはいつものように私の弟子だ。 君達を新たな地獄へと案内しよう。 ムム、君には死人の霊が群がるように憑いておる。 君にはおじいちゃんがいたな、そのおじいちゃんは苦しんで死んだか? 人は皆死ねば成仏する、生前に苦しんだ事は脱ぎ去り浄化されるのだ。 その清らかな霊に対して、君は苦しんだ姿が忘れられない。 生前苦しんだように死後も苦しんでいるであろうと言う抜きがたい思いを抱いている。 それは供養が足りないからだ。 そのために成仏した清らかな霊の名を偽り君のおじいちゃんの振りをして君に地獄の業火を知らしめる悪霊が君に憑いている。 さらに悪霊仲間を誘い、君が死人は苦しんでいると思えば喜んでその死人の名をかたり君を苦しめるだろう。 そして君の父が死ねば君の父の名をかたり、父は苦しんでいると君に訴える。 そして君の順番がくるとだな、すなわち君が死ねば、君の名を悪霊は語り君の子を苦しめる。 子が死ねば孫を苦しめる。 そのように子々孫々古来より人を苦しめた悪霊が君についている。 君は地獄の業火に焼けただれ、このままで燃え落ちるように死んでいくであろう。 何とかしなければいけないが、私は救わない。 そのように苦しんで屍をさらすのが君の生涯だ。 誰でも似たり寄ったりだ。 その悪量の名は「生きる意思」であり「生きる欲望」ではない。 君が自らの生きる意志を実感し、生きる喜びを実感すれば、その悪霊は天に昇り、君は生きながらに成仏できるだろう。 その成仏を誘う優しく柔らかい光が、悪霊にとっては燃え盛る地獄の業火なのだ。 君は神の優しいまなざし、すなわち光を地獄の業火と見なし悟るまでは焼けただれるような苦しみを抱く。 では、どうすればいいか。 燃え尽きるまで焼かれるるがいい。 すまわち心を地獄においてこそ清められるのだ。 いかがだろうか。 私は唯一の私であり、今回案内した地獄とは無縁であるが、君達が苦しんでいる限り私は孤独とでも言うか、なんだか一抹のさみしさを感じます。 そんなさみしい私に君達地獄の使者から慰めの言葉を聞きたいのでよろしくお願いします。 以上の思考実験は、君達の信仰を論理として正すとこうした恐ろしい事になるのだと言う話です。 お釈迦さまもこれをしたから、君達のそんなのありゃしねーを説明すると君達の心に映る世界は全てが苦のはずだ。私はそんなのありゃしねーを悟ったから君達と共通の世界に私は居ないすなわち自らが無我であるとそのように言ったのだ。 この辺りはいつもと共通した私の見解です。 なんであれ、思考実験の見解をお寄せください。
- さみしい私を慰めてください
やあ。 私は世界が浄化されるまで徐霊千人切りを目指して悩める人々を地獄に落とす悪の魔道師だ。 今年の仮面ライダーはいつものように私の弟子だ。 君達を新たな地獄へと案内しよう。 ムム、君には死人の霊が群がるように憑いておる。 君にはおじいちゃんがいたな、そのおじいちゃんは苦しんで死んだか? 人は皆死ねば成仏する、生前に苦しんだ事は脱ぎ去り浄化されるのだ。 その清らかな霊に対して、君は苦しんだ姿が忘れられない。 生前苦しんだように死後も苦しんでいるであろうと言う抜きがたい思いを抱いている。 それは供養が足りないからだ。 そのために成仏した清らかな霊の名を偽り君のおじいちゃんの振りをして君に地獄の業火を知らしめる悪霊が君に憑いている。 さらに悪霊仲間を誘い、君が死人は苦しんでいると思えば喜んでその死人の名をかたり君を苦しめるだろう。 そして君の父が死ねば君の父の名をかたり、父は苦しんでいると君に訴える。 そして君の順番がくるとだな、すなわち君が死ねば、君の名を悪霊は語り君の子を苦しめる。 子が死ねば孫を苦しめる。 そのように子々孫々古来より人を苦しめた悪霊が君についている。 君は地獄の業火に焼けただれ、このままで燃え落ちるように死んでいくであろう。 何とかしなければいけないが、私は救わない。 そのように苦しんで屍をさらすのが君の生涯だ。 誰でも似たり寄ったりだ。 その悪量の名は「生きる意思」であり「生きる欲望」ではない。 君が自らの生きる意志を実感し、生きる喜びを実感すれば、その悪霊は天に昇り、君は生きながらに成仏できるだろう。 その成仏を誘う優しく柔らかい光が、悪霊にとっては燃え盛る地獄の業火なのだ。 君は神の優しいまなざし、すなわち光を地獄の業火と見なし悟るまでは焼けただれるような苦しみを抱く。 では、どうすればいいか。 燃え尽きるまで焼かれるるがいい。 すまわち心を地獄においてこそ清められるのだ。 いかがだろうか。 私は唯一の私であり、今回案内した地獄とは無縁であるが、君達が苦しんでいる限り私は孤独とでも言うか、なんだか一抹のさみしさを感じます。 そんなさみしい私に君達地獄の使者から慰めの言葉を聞きたいのでよろしくお願いします。 以上の思考実験は、君達の信仰を論理として正すとこうした恐ろしい事になるのだと言う話です。 お釈迦さまもこれをしたから、君達のそんなのありゃしねーを説明すると君達の心に映る世界は全てが苦のはずだ。私はそんなのありゃしねーを悟ったから君達と共通の世界に私は居ないすなわち自らが無我であるとそのように言ったのだ。 この辺りはいつもと共通した私の見解です。 なんであれ、思考実験の見解をお寄せください。
- さみしい私を慰めてください
やあ。 私は世界が浄化されるまで徐霊千人切りを目指して悩める人々を地獄に落とす悪の魔道師だ。 今年の仮面ライダーはいつものように私の弟子だ。 君達を新たな地獄へと案内しよう。 ムム、君には死人の霊が群がるように憑いておる。 君にはおじいちゃんがいたな、そのおじいちゃんは苦しんで死んだか? 人は皆死ねば成仏する、生前に苦しんだ事は脱ぎ去り浄化されるのだ。 その清らかな霊に対して、君は苦しんだ姿が忘れられない。 生前苦しんだように死後も苦しんでいるであろうと言う抜きがたい思いを抱いている。 それは供養が足りないからだ。 そのために成仏した清らかな霊の名を偽り君のおじいちゃんの振りをして君に地獄の業火を知らしめる悪霊が君に憑いている。 さらに悪霊仲間を誘い、君が死人は苦しんでいると思えば喜んでその死人の名をかたり君を苦しめるだろう。 そして君の父が死ねば君の父の名をかたり、父は苦しんでいると君に訴える。 そして君の順番がくるとだな、すなわち君が死ねば、君の名を悪霊は語り君の子を苦しめる。 子が死ねば孫を苦しめる。 そのように子々孫々古来より人を苦しめた悪霊が君についている。 君は地獄の業火に焼けただれ、このままで燃え落ちるように死んでいくであろう。 何とかしなければいけないが、私は救わない。 そのように苦しんで屍をさらすのが君の生涯だ。 誰でも似たり寄ったりだ。 その悪量の名は「生きる意思」であり「生きる欲望」ではない。 君が自らの生きる意志を実感し、生きる喜びを実感すれば、その悪霊は天に昇り、君は生きながらに成仏できるだろう。 その成仏を誘う優しく柔らかい光が、悪霊にとっては燃え盛る地獄の業火なのだ。 君は神の優しいまなざし、すなわち光を地獄の業火と見なし悟るまでは焼けただれるような苦しみを抱く。 では、どうすればいいか。 燃え尽きるまで焼かれるるがいい。 すまわち心を地獄においてこそ清められるのだ。 いかがだろうか。 私は唯一の私であり、今回案内した地獄とは無縁であるが、君達が苦しんでいる限り私は孤独とでも言うか、なんだか一抹のさみしさを感じます。 そんなさみしい私に君達地獄の使者から慰めの言葉を聞きたいのでよろしくお願いします。 以上の思考実験は、君達の信仰を論理として正すとこうした恐ろしい事になるのだと言う話です。 お釈迦さまもこれをしたから、君達のそんなのありゃしねーを説明すると君達の心に映る世界は全てが苦のはずだ。私はそんなのありゃしねーを悟ったから君達と共通の世界に私は居ないすなわち自らが無我であるとそのように言ったのだ。 この辺りはいつもと共通した私の見解です。 なんであれ、思考実験の見解をお寄せください。