littlekiss の回答履歴
- ボードレールの魅力?
十九世紀フランスの詩人シャルル=ピエール・ボードレール(1821-1867)の魅力はどこにあるか?「ゆるい文学談義」をしようではないか?というのが、この設問の趣旨です。 日仏問わずボードレールに捧げられたオマージュは数知れず、影響力は図りしれません。しかし『悪の華』第二版を通読してみると、それが厳密に構成されたものであるという指摘はあるものの、テーマが多岐に及んでいて、彼に対するイメージは力点を置く詩で変わるように思います。 ・恋愛の詩人 ・メランコリックな詩人 ・サディスティックな詩人 ・宗教的な詩人 ・魔術的な詩人 ・政治的抵抗の詩人 ・貧者の側に立つ詩人 ・ダンディズムの詩人 ・芸術至上主義の詩人 などなど、あるといえるでしょう。 上記で書きつくせないほど、切り口によってボードレールの印象は大きく変わるはずだと思います。しかも、それぞれの要素は反目し合うこともあります。一例をあげれば、思いやりのある恋愛詩を書いたかと思えば、サディスティックな側面をのぞかせるなどです。読者の期待を唐突に裏切るという矛盾した言葉を彼の詩集は総体として抱えていると言えます。 ボードレールという作者に対する矛盾したイメージを統合して整合性をつけ、何が正当であるかと議論することは、この質問の趣旨ではありません。むしろ多様性を認めた上で、個人的かつ主観的な読書体験として、ボードレール作品が魅力的であるといい得る見地を、楽しみとして語ろうというのが、設問の趣旨です。これは趣味に属する類の設問なので、意見を戦わせるというより、文学談義を希望しています。 ボードレール作品で議論するテクストに制限は設けません。韻文詩のみならず、散文詩、日記、評論、書簡を含めてください。引用してくだされば議論が具体的になってありがたいですが、日本語でも仏語でもよいです。 個人的な感想、分析をお待ちします。
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- 文学・古典
- noname#130919
- 回答数89
- 善・善という人がいて困っています。
善・善という人がいて困っています。 他人をたしなめようとなさる方が、よく 意思は良いものであるというような論旨で物事をかたっているかと思います。 「意思は、善である」と断言するのは問題ではないでしょうか?というのも「アレコレイズム」が、全て善となってしまうからです。「意思は善である」と述べたとき、その根拠は何処にあるのでしょうか?わかる方お願いいたします。
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- 哲学・倫理・宗教学
- noname#131233
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- 不存在の証明はかなり困難か不可能なもの?
不存在の証明(悪魔の証明)はかなり困難か不可能なものだとされています。 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%82%AA%E9%AD%94%E3%81%AE%E8%A8%BC%E6%98%8E 限定的な事柄でしたら、比較的に簡単かもしれませんが、ちょっとしたことでも不存在や非存在は、不可能・困難になるのだと思われます。 「何々が存在しない」などと、軽軽(けいけい)に書く不注意者は、この哲学カテにはいないと思いますが、注意深く考察すると、確かに存在しないと言えそうだなと思い付くもの・ことがありましたら、教えてください。
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- 哲学・倫理・宗教学
- qsxdrfvgyh
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- 善・善という人がいて困っています。
善・善という人がいて困っています。 他人をたしなめようとなさる方が、よく 意思は良いものであるというような論旨で物事をかたっているかと思います。 「意思は、善である」と断言するのは問題ではないでしょうか?というのも「アレコレイズム」が、全て善となってしまうからです。「意思は善である」と述べたとき、その根拠は何処にあるのでしょうか?わかる方お願いいたします。
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善・善という人がいて困っています。 他人をたしなめようとなさる方が、よく 意思は良いものであるというような論旨で物事をかたっているかと思います。 「意思は、善である」と断言するのは問題ではないでしょうか?というのも「アレコレイズム」が、全て善となってしまうからです。「意思は善である」と述べたとき、その根拠は何処にあるのでしょうか?わかる方お願いいたします。
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善・善という人がいて困っています。 他人をたしなめようとなさる方が、よく 意思は良いものであるというような論旨で物事をかたっているかと思います。 「意思は、善である」と断言するのは問題ではないでしょうか?というのも「アレコレイズム」が、全て善となってしまうからです。「意思は善である」と述べたとき、その根拠は何処にあるのでしょうか?わかる方お願いいたします。
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- 善・善という人がいて困っています。
善・善という人がいて困っています。 他人をたしなめようとなさる方が、よく 意思は良いものであるというような論旨で物事をかたっているかと思います。 「意思は、善である」と断言するのは問題ではないでしょうか?というのも「アレコレイズム」が、全て善となってしまうからです。「意思は善である」と述べたとき、その根拠は何処にあるのでしょうか?わかる方お願いいたします。
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- noname#131233
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- 夕鶴つうは なぜ夫の与ひょうを去ったか
夕鶴つうは なぜ夫の与ひょうを去ったか ▲(ヰキぺ:夕鶴) ~~~~~~~~~~~~~ http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%95%E9%B6%B4 与ひょうは、ある日罠にかかって苦しんでいた一羽の鶴を助けた。 後日、与ひょうの家を「女房にしてくれ」と一人の女性つうが訪ねてくる。夫婦として暮らし始めたある日、つうは「織っている間は部屋を覗かないでほしい」と約束をして、素敵な織物を与ひょうに作って見せる。 つうが織った布は、「鶴の千羽織」と呼ばれ、知り合いの運ずを介し高値で売られ、与ひょうにもお金が入ってくる。その噂を聞きつけた惣どが運ずと共に与ひょうをけしかけ、つうに何枚も布を織らせる。 約束を破り惣どと運ず、更には与ひょうは、織っている姿を見てしまう。そこにあったのは、自らの羽を抜いては生地に織り込んでいく、文字通り"我が身を削って"織物をしている与ひょうが助けた鶴の姿だった。正体を見られたつうは、与ひょうの元を去り、傷ついた姿で空に帰っていくのだった。 ▼ (木下順二:夕鶴の大団円) ~~~~~~~~~~~ しんとした間―― 子供の一人:(突然空を指す)あ 鶴だ 鶴だ 鶴が飛んでいる。 惣ど: や 鶴・・・ 運ず: おお・・・ 子供たち: 鶴だ 鶴だ 鶴が飛んでる。 (繰り返しつつ 鶴を追って駆けて去る) 運ず: おい与ひょう 見や 鶴だ・・・ 惣ど: よたよたと飛んで行きよる・・・ 間―― 惣ど: (誰に言うとなく) ところで のう 二枚織れたちゅうは ありがたいこってねえけ。 (与ひょうの手にある布を取ろうとするが 与ひょうは無意識の うちに離さない) 運ず: (与ひょうを抱えたまま一心に眼で鶴を追っているが)ああ ・・・だんだんと小さくなって行くわ・・・ 与ひょう: つう・・・つう・・・(鶴を追うように 一・二歩ふら ふらと。――布をしっかりと掴んだまま立ちつくす) 惣どもそれに引きこまれるように 三人の眼が遠い空の一点に集まる。 微かに流れてくるわらべ唄―― ――幕―― ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ 答えとして: 1. 見るなという約束を破ったので 信頼し得なくなった。 2. おカネに目がくらんでしまったから もとの与ひょうでなくなった。 3. いや 去っていない。去ったというのは 身を犠牲にして死んだという意味だ。つまり最後まで夫に尽くした。 4. いやいややはり去った。ともかくきらいになったのだ。 5. いやいや じつはこうだ。・・・ 5-1. 初めの《恩返し》という動機を――それはそれでとうといのだが―― 結婚ということに結びつけるのには無理がある。 5-2. いやいや与ひょうへの愛は それとは別に芽生えたのだ。だから結婚は成立している。つまりそういう問題ではなく・・・(あなたのお考え)・・・ * ちなみに鳥には換羽期(とやごもり)があって羽根は年に数回生え換わるのだそうですね。だとしたらその抜け落ちた羽根を使えばよいとも考えられるので 必ずしも《身を削って》というほどでもないかも知れません。という見方もあるようです。 もっとも基本的には 人間のこととして捉えて考えて欲しいとは思います。 もしつうが去って行ったのなら それは一般的な見方から行けば おとなげないとわたしには思われますが さてどうでしょう。
- お薦めの『韓非子』を教えてください!
お薦めの『韓非子』を教えてください! できれば、読みやすい意訳と訳者の解説があるものが良いです。 よろしくお願いします。
- 善・善という人がいて困っています。
善・善という人がいて困っています。 他人をたしなめようとなさる方が、よく 意思は良いものであるというような論旨で物事をかたっているかと思います。 「意思は、善である」と断言するのは問題ではないでしょうか?というのも「アレコレイズム」が、全て善となってしまうからです。「意思は善である」と述べたとき、その根拠は何処にあるのでしょうか?わかる方お願いいたします。
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- noname#131233
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- 善・善という人がいて困っています。
善・善という人がいて困っています。 他人をたしなめようとなさる方が、よく 意思は良いものであるというような論旨で物事をかたっているかと思います。 「意思は、善である」と断言するのは問題ではないでしょうか?というのも「アレコレイズム」が、全て善となってしまうからです。「意思は善である」と述べたとき、その根拠は何処にあるのでしょうか?わかる方お願いいたします。
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善・善という人がいて困っています。 他人をたしなめようとなさる方が、よく 意思は良いものであるというような論旨で物事をかたっているかと思います。 「意思は、善である」と断言するのは問題ではないでしょうか?というのも「アレコレイズム」が、全て善となってしまうからです。「意思は善である」と述べたとき、その根拠は何処にあるのでしょうか?わかる方お願いいたします。
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- noname#131233
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- 夕鶴つうは なぜ夫の与ひょうを去ったか
夕鶴つうは なぜ夫の与ひょうを去ったか ▲(ヰキぺ:夕鶴) ~~~~~~~~~~~~~ http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%95%E9%B6%B4 与ひょうは、ある日罠にかかって苦しんでいた一羽の鶴を助けた。 後日、与ひょうの家を「女房にしてくれ」と一人の女性つうが訪ねてくる。夫婦として暮らし始めたある日、つうは「織っている間は部屋を覗かないでほしい」と約束をして、素敵な織物を与ひょうに作って見せる。 つうが織った布は、「鶴の千羽織」と呼ばれ、知り合いの運ずを介し高値で売られ、与ひょうにもお金が入ってくる。その噂を聞きつけた惣どが運ずと共に与ひょうをけしかけ、つうに何枚も布を織らせる。 約束を破り惣どと運ず、更には与ひょうは、織っている姿を見てしまう。そこにあったのは、自らの羽を抜いては生地に織り込んでいく、文字通り"我が身を削って"織物をしている与ひょうが助けた鶴の姿だった。正体を見られたつうは、与ひょうの元を去り、傷ついた姿で空に帰っていくのだった。 ▼ (木下順二:夕鶴の大団円) ~~~~~~~~~~~ しんとした間―― 子供の一人:(突然空を指す)あ 鶴だ 鶴だ 鶴が飛んでいる。 惣ど: や 鶴・・・ 運ず: おお・・・ 子供たち: 鶴だ 鶴だ 鶴が飛んでる。 (繰り返しつつ 鶴を追って駆けて去る) 運ず: おい与ひょう 見や 鶴だ・・・ 惣ど: よたよたと飛んで行きよる・・・ 間―― 惣ど: (誰に言うとなく) ところで のう 二枚織れたちゅうは ありがたいこってねえけ。 (与ひょうの手にある布を取ろうとするが 与ひょうは無意識の うちに離さない) 運ず: (与ひょうを抱えたまま一心に眼で鶴を追っているが)ああ ・・・だんだんと小さくなって行くわ・・・ 与ひょう: つう・・・つう・・・(鶴を追うように 一・二歩ふら ふらと。――布をしっかりと掴んだまま立ちつくす) 惣どもそれに引きこまれるように 三人の眼が遠い空の一点に集まる。 微かに流れてくるわらべ唄―― ――幕―― ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ 答えとして: 1. 見るなという約束を破ったので 信頼し得なくなった。 2. おカネに目がくらんでしまったから もとの与ひょうでなくなった。 3. いや 去っていない。去ったというのは 身を犠牲にして死んだという意味だ。つまり最後まで夫に尽くした。 4. いやいややはり去った。ともかくきらいになったのだ。 5. いやいや じつはこうだ。・・・ 5-1. 初めの《恩返し》という動機を――それはそれでとうといのだが―― 結婚ということに結びつけるのには無理がある。 5-2. いやいや与ひょうへの愛は それとは別に芽生えたのだ。だから結婚は成立している。つまりそういう問題ではなく・・・(あなたのお考え)・・・ * ちなみに鳥には換羽期(とやごもり)があって羽根は年に数回生え換わるのだそうですね。だとしたらその抜け落ちた羽根を使えばよいとも考えられるので 必ずしも《身を削って》というほどでもないかも知れません。という見方もあるようです。 もっとも基本的には 人間のこととして捉えて考えて欲しいとは思います。 もしつうが去って行ったのなら それは一般的な見方から行けば おとなげないとわたしには思われますが さてどうでしょう。
- 夕鶴つうは なぜ夫の与ひょうを去ったか
夕鶴つうは なぜ夫の与ひょうを去ったか ▲(ヰキぺ:夕鶴) ~~~~~~~~~~~~~ http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%95%E9%B6%B4 与ひょうは、ある日罠にかかって苦しんでいた一羽の鶴を助けた。 後日、与ひょうの家を「女房にしてくれ」と一人の女性つうが訪ねてくる。夫婦として暮らし始めたある日、つうは「織っている間は部屋を覗かないでほしい」と約束をして、素敵な織物を与ひょうに作って見せる。 つうが織った布は、「鶴の千羽織」と呼ばれ、知り合いの運ずを介し高値で売られ、与ひょうにもお金が入ってくる。その噂を聞きつけた惣どが運ずと共に与ひょうをけしかけ、つうに何枚も布を織らせる。 約束を破り惣どと運ず、更には与ひょうは、織っている姿を見てしまう。そこにあったのは、自らの羽を抜いては生地に織り込んでいく、文字通り"我が身を削って"織物をしている与ひょうが助けた鶴の姿だった。正体を見られたつうは、与ひょうの元を去り、傷ついた姿で空に帰っていくのだった。 ▼ (木下順二:夕鶴の大団円) ~~~~~~~~~~~ しんとした間―― 子供の一人:(突然空を指す)あ 鶴だ 鶴だ 鶴が飛んでいる。 惣ど: や 鶴・・・ 運ず: おお・・・ 子供たち: 鶴だ 鶴だ 鶴が飛んでる。 (繰り返しつつ 鶴を追って駆けて去る) 運ず: おい与ひょう 見や 鶴だ・・・ 惣ど: よたよたと飛んで行きよる・・・ 間―― 惣ど: (誰に言うとなく) ところで のう 二枚織れたちゅうは ありがたいこってねえけ。 (与ひょうの手にある布を取ろうとするが 与ひょうは無意識の うちに離さない) 運ず: (与ひょうを抱えたまま一心に眼で鶴を追っているが)ああ ・・・だんだんと小さくなって行くわ・・・ 与ひょう: つう・・・つう・・・(鶴を追うように 一・二歩ふら ふらと。――布をしっかりと掴んだまま立ちつくす) 惣どもそれに引きこまれるように 三人の眼が遠い空の一点に集まる。 微かに流れてくるわらべ唄―― ――幕―― ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ 答えとして: 1. 見るなという約束を破ったので 信頼し得なくなった。 2. おカネに目がくらんでしまったから もとの与ひょうでなくなった。 3. いや 去っていない。去ったというのは 身を犠牲にして死んだという意味だ。つまり最後まで夫に尽くした。 4. いやいややはり去った。ともかくきらいになったのだ。 5. いやいや じつはこうだ。・・・ 5-1. 初めの《恩返し》という動機を――それはそれでとうといのだが―― 結婚ということに結びつけるのには無理がある。 5-2. いやいや与ひょうへの愛は それとは別に芽生えたのだ。だから結婚は成立している。つまりそういう問題ではなく・・・(あなたのお考え)・・・ * ちなみに鳥には換羽期(とやごもり)があって羽根は年に数回生え換わるのだそうですね。だとしたらその抜け落ちた羽根を使えばよいとも考えられるので 必ずしも《身を削って》というほどでもないかも知れません。という見方もあるようです。 もっとも基本的には 人間のこととして捉えて考えて欲しいとは思います。 もしつうが去って行ったのなら それは一般的な見方から行けば おとなげないとわたしには思われますが さてどうでしょう。
- 夕鶴つうは なぜ夫の与ひょうを去ったか
夕鶴つうは なぜ夫の与ひょうを去ったか ▲(ヰキぺ:夕鶴) ~~~~~~~~~~~~~ http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%95%E9%B6%B4 与ひょうは、ある日罠にかかって苦しんでいた一羽の鶴を助けた。 後日、与ひょうの家を「女房にしてくれ」と一人の女性つうが訪ねてくる。夫婦として暮らし始めたある日、つうは「織っている間は部屋を覗かないでほしい」と約束をして、素敵な織物を与ひょうに作って見せる。 つうが織った布は、「鶴の千羽織」と呼ばれ、知り合いの運ずを介し高値で売られ、与ひょうにもお金が入ってくる。その噂を聞きつけた惣どが運ずと共に与ひょうをけしかけ、つうに何枚も布を織らせる。 約束を破り惣どと運ず、更には与ひょうは、織っている姿を見てしまう。そこにあったのは、自らの羽を抜いては生地に織り込んでいく、文字通り"我が身を削って"織物をしている与ひょうが助けた鶴の姿だった。正体を見られたつうは、与ひょうの元を去り、傷ついた姿で空に帰っていくのだった。 ▼ (木下順二:夕鶴の大団円) ~~~~~~~~~~~ しんとした間―― 子供の一人:(突然空を指す)あ 鶴だ 鶴だ 鶴が飛んでいる。 惣ど: や 鶴・・・ 運ず: おお・・・ 子供たち: 鶴だ 鶴だ 鶴が飛んでる。 (繰り返しつつ 鶴を追って駆けて去る) 運ず: おい与ひょう 見や 鶴だ・・・ 惣ど: よたよたと飛んで行きよる・・・ 間―― 惣ど: (誰に言うとなく) ところで のう 二枚織れたちゅうは ありがたいこってねえけ。 (与ひょうの手にある布を取ろうとするが 与ひょうは無意識の うちに離さない) 運ず: (与ひょうを抱えたまま一心に眼で鶴を追っているが)ああ ・・・だんだんと小さくなって行くわ・・・ 与ひょう: つう・・・つう・・・(鶴を追うように 一・二歩ふら ふらと。――布をしっかりと掴んだまま立ちつくす) 惣どもそれに引きこまれるように 三人の眼が遠い空の一点に集まる。 微かに流れてくるわらべ唄―― ――幕―― ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ 答えとして: 1. 見るなという約束を破ったので 信頼し得なくなった。 2. おカネに目がくらんでしまったから もとの与ひょうでなくなった。 3. いや 去っていない。去ったというのは 身を犠牲にして死んだという意味だ。つまり最後まで夫に尽くした。 4. いやいややはり去った。ともかくきらいになったのだ。 5. いやいや じつはこうだ。・・・ 5-1. 初めの《恩返し》という動機を――それはそれでとうといのだが―― 結婚ということに結びつけるのには無理がある。 5-2. いやいや与ひょうへの愛は それとは別に芽生えたのだ。だから結婚は成立している。つまりそういう問題ではなく・・・(あなたのお考え)・・・ * ちなみに鳥には換羽期(とやごもり)があって羽根は年に数回生え換わるのだそうですね。だとしたらその抜け落ちた羽根を使えばよいとも考えられるので 必ずしも《身を削って》というほどでもないかも知れません。という見方もあるようです。 もっとも基本的には 人間のこととして捉えて考えて欲しいとは思います。 もしつうが去って行ったのなら それは一般的な見方から行けば おとなげないとわたしには思われますが さてどうでしょう。
- 夕鶴つうは なぜ夫の与ひょうを去ったか
夕鶴つうは なぜ夫の与ひょうを去ったか ▲(ヰキぺ:夕鶴) ~~~~~~~~~~~~~ http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%95%E9%B6%B4 与ひょうは、ある日罠にかかって苦しんでいた一羽の鶴を助けた。 後日、与ひょうの家を「女房にしてくれ」と一人の女性つうが訪ねてくる。夫婦として暮らし始めたある日、つうは「織っている間は部屋を覗かないでほしい」と約束をして、素敵な織物を与ひょうに作って見せる。 つうが織った布は、「鶴の千羽織」と呼ばれ、知り合いの運ずを介し高値で売られ、与ひょうにもお金が入ってくる。その噂を聞きつけた惣どが運ずと共に与ひょうをけしかけ、つうに何枚も布を織らせる。 約束を破り惣どと運ず、更には与ひょうは、織っている姿を見てしまう。そこにあったのは、自らの羽を抜いては生地に織り込んでいく、文字通り"我が身を削って"織物をしている与ひょうが助けた鶴の姿だった。正体を見られたつうは、与ひょうの元を去り、傷ついた姿で空に帰っていくのだった。 ▼ (木下順二:夕鶴の大団円) ~~~~~~~~~~~ しんとした間―― 子供の一人:(突然空を指す)あ 鶴だ 鶴だ 鶴が飛んでいる。 惣ど: や 鶴・・・ 運ず: おお・・・ 子供たち: 鶴だ 鶴だ 鶴が飛んでる。 (繰り返しつつ 鶴を追って駆けて去る) 運ず: おい与ひょう 見や 鶴だ・・・ 惣ど: よたよたと飛んで行きよる・・・ 間―― 惣ど: (誰に言うとなく) ところで のう 二枚織れたちゅうは ありがたいこってねえけ。 (与ひょうの手にある布を取ろうとするが 与ひょうは無意識の うちに離さない) 運ず: (与ひょうを抱えたまま一心に眼で鶴を追っているが)ああ ・・・だんだんと小さくなって行くわ・・・ 与ひょう: つう・・・つう・・・(鶴を追うように 一・二歩ふら ふらと。――布をしっかりと掴んだまま立ちつくす) 惣どもそれに引きこまれるように 三人の眼が遠い空の一点に集まる。 微かに流れてくるわらべ唄―― ――幕―― ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ 答えとして: 1. 見るなという約束を破ったので 信頼し得なくなった。 2. おカネに目がくらんでしまったから もとの与ひょうでなくなった。 3. いや 去っていない。去ったというのは 身を犠牲にして死んだという意味だ。つまり最後まで夫に尽くした。 4. いやいややはり去った。ともかくきらいになったのだ。 5. いやいや じつはこうだ。・・・ 5-1. 初めの《恩返し》という動機を――それはそれでとうといのだが―― 結婚ということに結びつけるのには無理がある。 5-2. いやいや与ひょうへの愛は それとは別に芽生えたのだ。だから結婚は成立している。つまりそういう問題ではなく・・・(あなたのお考え)・・・ * ちなみに鳥には換羽期(とやごもり)があって羽根は年に数回生え換わるのだそうですね。だとしたらその抜け落ちた羽根を使えばよいとも考えられるので 必ずしも《身を削って》というほどでもないかも知れません。という見方もあるようです。 もっとも基本的には 人間のこととして捉えて考えて欲しいとは思います。 もしつうが去って行ったのなら それは一般的な見方から行けば おとなげないとわたしには思われますが さてどうでしょう。
- 夕鶴つうは なぜ夫の与ひょうを去ったか
夕鶴つうは なぜ夫の与ひょうを去ったか ▲(ヰキぺ:夕鶴) ~~~~~~~~~~~~~ http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%95%E9%B6%B4 与ひょうは、ある日罠にかかって苦しんでいた一羽の鶴を助けた。 後日、与ひょうの家を「女房にしてくれ」と一人の女性つうが訪ねてくる。夫婦として暮らし始めたある日、つうは「織っている間は部屋を覗かないでほしい」と約束をして、素敵な織物を与ひょうに作って見せる。 つうが織った布は、「鶴の千羽織」と呼ばれ、知り合いの運ずを介し高値で売られ、与ひょうにもお金が入ってくる。その噂を聞きつけた惣どが運ずと共に与ひょうをけしかけ、つうに何枚も布を織らせる。 約束を破り惣どと運ず、更には与ひょうは、織っている姿を見てしまう。そこにあったのは、自らの羽を抜いては生地に織り込んでいく、文字通り"我が身を削って"織物をしている与ひょうが助けた鶴の姿だった。正体を見られたつうは、与ひょうの元を去り、傷ついた姿で空に帰っていくのだった。 ▼ (木下順二:夕鶴の大団円) ~~~~~~~~~~~ しんとした間―― 子供の一人:(突然空を指す)あ 鶴だ 鶴だ 鶴が飛んでいる。 惣ど: や 鶴・・・ 運ず: おお・・・ 子供たち: 鶴だ 鶴だ 鶴が飛んでる。 (繰り返しつつ 鶴を追って駆けて去る) 運ず: おい与ひょう 見や 鶴だ・・・ 惣ど: よたよたと飛んで行きよる・・・ 間―― 惣ど: (誰に言うとなく) ところで のう 二枚織れたちゅうは ありがたいこってねえけ。 (与ひょうの手にある布を取ろうとするが 与ひょうは無意識の うちに離さない) 運ず: (与ひょうを抱えたまま一心に眼で鶴を追っているが)ああ ・・・だんだんと小さくなって行くわ・・・ 与ひょう: つう・・・つう・・・(鶴を追うように 一・二歩ふら ふらと。――布をしっかりと掴んだまま立ちつくす) 惣どもそれに引きこまれるように 三人の眼が遠い空の一点に集まる。 微かに流れてくるわらべ唄―― ――幕―― ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ 答えとして: 1. 見るなという約束を破ったので 信頼し得なくなった。 2. おカネに目がくらんでしまったから もとの与ひょうでなくなった。 3. いや 去っていない。去ったというのは 身を犠牲にして死んだという意味だ。つまり最後まで夫に尽くした。 4. いやいややはり去った。ともかくきらいになったのだ。 5. いやいや じつはこうだ。・・・ 5-1. 初めの《恩返し》という動機を――それはそれでとうといのだが―― 結婚ということに結びつけるのには無理がある。 5-2. いやいや与ひょうへの愛は それとは別に芽生えたのだ。だから結婚は成立している。つまりそういう問題ではなく・・・(あなたのお考え)・・・ * ちなみに鳥には換羽期(とやごもり)があって羽根は年に数回生え換わるのだそうですね。だとしたらその抜け落ちた羽根を使えばよいとも考えられるので 必ずしも《身を削って》というほどでもないかも知れません。という見方もあるようです。 もっとも基本的には 人間のこととして捉えて考えて欲しいとは思います。 もしつうが去って行ったのなら それは一般的な見方から行けば おとなげないとわたしには思われますが さてどうでしょう。
- 夕鶴つうは なぜ夫の与ひょうを去ったか
夕鶴つうは なぜ夫の与ひょうを去ったか ▲(ヰキぺ:夕鶴) ~~~~~~~~~~~~~ http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%95%E9%B6%B4 与ひょうは、ある日罠にかかって苦しんでいた一羽の鶴を助けた。 後日、与ひょうの家を「女房にしてくれ」と一人の女性つうが訪ねてくる。夫婦として暮らし始めたある日、つうは「織っている間は部屋を覗かないでほしい」と約束をして、素敵な織物を与ひょうに作って見せる。 つうが織った布は、「鶴の千羽織」と呼ばれ、知り合いの運ずを介し高値で売られ、与ひょうにもお金が入ってくる。その噂を聞きつけた惣どが運ずと共に与ひょうをけしかけ、つうに何枚も布を織らせる。 約束を破り惣どと運ず、更には与ひょうは、織っている姿を見てしまう。そこにあったのは、自らの羽を抜いては生地に織り込んでいく、文字通り"我が身を削って"織物をしている与ひょうが助けた鶴の姿だった。正体を見られたつうは、与ひょうの元を去り、傷ついた姿で空に帰っていくのだった。 ▼ (木下順二:夕鶴の大団円) ~~~~~~~~~~~ しんとした間―― 子供の一人:(突然空を指す)あ 鶴だ 鶴だ 鶴が飛んでいる。 惣ど: や 鶴・・・ 運ず: おお・・・ 子供たち: 鶴だ 鶴だ 鶴が飛んでる。 (繰り返しつつ 鶴を追って駆けて去る) 運ず: おい与ひょう 見や 鶴だ・・・ 惣ど: よたよたと飛んで行きよる・・・ 間―― 惣ど: (誰に言うとなく) ところで のう 二枚織れたちゅうは ありがたいこってねえけ。 (与ひょうの手にある布を取ろうとするが 与ひょうは無意識の うちに離さない) 運ず: (与ひょうを抱えたまま一心に眼で鶴を追っているが)ああ ・・・だんだんと小さくなって行くわ・・・ 与ひょう: つう・・・つう・・・(鶴を追うように 一・二歩ふら ふらと。――布をしっかりと掴んだまま立ちつくす) 惣どもそれに引きこまれるように 三人の眼が遠い空の一点に集まる。 微かに流れてくるわらべ唄―― ――幕―― ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ 答えとして: 1. 見るなという約束を破ったので 信頼し得なくなった。 2. おカネに目がくらんでしまったから もとの与ひょうでなくなった。 3. いや 去っていない。去ったというのは 身を犠牲にして死んだという意味だ。つまり最後まで夫に尽くした。 4. いやいややはり去った。ともかくきらいになったのだ。 5. いやいや じつはこうだ。・・・ 5-1. 初めの《恩返し》という動機を――それはそれでとうといのだが―― 結婚ということに結びつけるのには無理がある。 5-2. いやいや与ひょうへの愛は それとは別に芽生えたのだ。だから結婚は成立している。つまりそういう問題ではなく・・・(あなたのお考え)・・・ * ちなみに鳥には換羽期(とやごもり)があって羽根は年に数回生え換わるのだそうですね。だとしたらその抜け落ちた羽根を使えばよいとも考えられるので 必ずしも《身を削って》というほどでもないかも知れません。という見方もあるようです。 もっとも基本的には 人間のこととして捉えて考えて欲しいとは思います。 もしつうが去って行ったのなら それは一般的な見方から行けば おとなげないとわたしには思われますが さてどうでしょう。
- 夕鶴つうは なぜ夫の与ひょうを去ったか
夕鶴つうは なぜ夫の与ひょうを去ったか ▲(ヰキぺ:夕鶴) ~~~~~~~~~~~~~ http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%95%E9%B6%B4 与ひょうは、ある日罠にかかって苦しんでいた一羽の鶴を助けた。 後日、与ひょうの家を「女房にしてくれ」と一人の女性つうが訪ねてくる。夫婦として暮らし始めたある日、つうは「織っている間は部屋を覗かないでほしい」と約束をして、素敵な織物を与ひょうに作って見せる。 つうが織った布は、「鶴の千羽織」と呼ばれ、知り合いの運ずを介し高値で売られ、与ひょうにもお金が入ってくる。その噂を聞きつけた惣どが運ずと共に与ひょうをけしかけ、つうに何枚も布を織らせる。 約束を破り惣どと運ず、更には与ひょうは、織っている姿を見てしまう。そこにあったのは、自らの羽を抜いては生地に織り込んでいく、文字通り"我が身を削って"織物をしている与ひょうが助けた鶴の姿だった。正体を見られたつうは、与ひょうの元を去り、傷ついた姿で空に帰っていくのだった。 ▼ (木下順二:夕鶴の大団円) ~~~~~~~~~~~ しんとした間―― 子供の一人:(突然空を指す)あ 鶴だ 鶴だ 鶴が飛んでいる。 惣ど: や 鶴・・・ 運ず: おお・・・ 子供たち: 鶴だ 鶴だ 鶴が飛んでる。 (繰り返しつつ 鶴を追って駆けて去る) 運ず: おい与ひょう 見や 鶴だ・・・ 惣ど: よたよたと飛んで行きよる・・・ 間―― 惣ど: (誰に言うとなく) ところで のう 二枚織れたちゅうは ありがたいこってねえけ。 (与ひょうの手にある布を取ろうとするが 与ひょうは無意識の うちに離さない) 運ず: (与ひょうを抱えたまま一心に眼で鶴を追っているが)ああ ・・・だんだんと小さくなって行くわ・・・ 与ひょう: つう・・・つう・・・(鶴を追うように 一・二歩ふら ふらと。――布をしっかりと掴んだまま立ちつくす) 惣どもそれに引きこまれるように 三人の眼が遠い空の一点に集まる。 微かに流れてくるわらべ唄―― ――幕―― ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ 答えとして: 1. 見るなという約束を破ったので 信頼し得なくなった。 2. おカネに目がくらんでしまったから もとの与ひょうでなくなった。 3. いや 去っていない。去ったというのは 身を犠牲にして死んだという意味だ。つまり最後まで夫に尽くした。 4. いやいややはり去った。ともかくきらいになったのだ。 5. いやいや じつはこうだ。・・・ 5-1. 初めの《恩返し》という動機を――それはそれでとうといのだが―― 結婚ということに結びつけるのには無理がある。 5-2. いやいや与ひょうへの愛は それとは別に芽生えたのだ。だから結婚は成立している。つまりそういう問題ではなく・・・(あなたのお考え)・・・ * ちなみに鳥には換羽期(とやごもり)があって羽根は年に数回生え換わるのだそうですね。だとしたらその抜け落ちた羽根を使えばよいとも考えられるので 必ずしも《身を削って》というほどでもないかも知れません。という見方もあるようです。 もっとも基本的には 人間のこととして捉えて考えて欲しいとは思います。 もしつうが去って行ったのなら それは一般的な見方から行けば おとなげないとわたしには思われますが さてどうでしょう。
- ひとは神隠しを好むものなのか――《間(ま)の理論》――
ひとは神隠しを好むものなのか――《間(ま)の理論》―― 《夕日信仰》の説を批判的に捉えつつそこから展開する問い求めです。 《たそかれとき》は 光と闇のあはひ(合ひ‐合ひ)であって 時に逢魔時(おうま〔が〕どき)とも呼ばれたそうです。これは 大禍(おほまが)時から来たそうです。 ひとはモノとモノのアハヒにどこか惹かれるところがあるのでしょうか? 爪を切り耳掃除をし髪を切ったりいじくったりすることに多少のあやしさを感じるでしょうか? もしそうだとしたら それも或る種の仕方で ウチとソトのアヒダについての気持ちがかかわっていましょうか。 例の『遠野物語』〔の紹介記事ですが〕によれば 《マヨヒガ》という話があって それは山の中でふと大きな屋敷を見つけ そこには誰もいずただ料理が出来上がっている。これを食べて家に帰ったあとはと言うと 何ごともうまく行きやがて長者になったと言う。マヨヒガ=マヨイガ=迷い家。 禍事(まがごと)だけではなく善事(よごと)も アハヒの魅力にはふくまれているようです。話を広く取っていわゆる神隠しに遭ったが 山の中で家に帰ろうかそれともよそうかという思いのそのアハヒから事が展開したというような。マ(間)→ま(真)あるいはマ(魔)。魔はよその国の言葉ですが早くに採り入れたもののようです。逢魔時。 けれどもこの逢魔時は 例の丑三つ刻につながっていて それこそ例の藁人形ののろいにまで行き着きます。つまりこの事例は アハヒから新たなコトが出て来るというよりは 自分の気持ちから自分の都合のよいコトよ出て来いという人為的なしわざにまで発展する。 ここで――例によって――《ガミガミ役とアース役とのアヒダの意識の排泄》という社会現象の話です。 要するにひとは 神隠しが好きなのでしょうか? つまり《意識の排泄なるガミガミ電波の放射》についてなら それはいけないことだと言うに決まっています。けれどもその《マ》に臨んでは どうしても耐えきれない何か惹かれるものがそこにはあるのでしょうか? でもそれは《間違い》ではないのでしょうか? 《間抜け》ではなくそのマを埋めているのですが もっともっと間合いをうまく取ろうと思えば取れるのではないか。 どうすればよいでしょう? * どうもわたしは 一般的に言って占い好きというところに アース役がいぢめに遭うという社会現象のひょんなきっかけがあるようにも思えるのですが どうでしょう? 言い過ぎでしょうか。こわいもの見たさでもないでしょうに マ(アハヒ)の魔のほうに自分が持って行かれてしまうというようなクウキとして。