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石原慎太郎氏の子育て論とは?

先日亡くなられた作家 元国会議員 元東京都知事だった 石原慎太郎氏が50年以上前に書いた著書『スパルタ教育』の中で 「34.いじめっ子に育てよ 人生はしょせん戦いである。そして、その戦いはどんなに幼くても、子どもの時代から始まっている。 ならば、子どもといえども、その戦いに勝たなくてはならぬ。 子どもの世界に、いじめっ子といじめられっ子があるならば、わが子を遠い将来、人生に勝ちをおさめる一人前以上の人間に仕立てるためには、まずいじめっ子になれと教えるべきである。 わたしは自分の好みとしても、自分の子どもがだれかにいじめられるよりは、だれかをいじめるほうを好む。 そしてまた同時に、いじめっ子である自分の座が、ある場合、自分より強い相手によって、容易にくつがえされうることを教え、自戒させている。 男は世に出た戦場で、絶対に勝たなくてはならぬ。そのための有形無形の準備を、子どものときから築いていくことが、どうしてまちがいであろうか。 60.子どもに、戦争は悪いことだと教えるな わたくしは戦争を罪悪だとは思わない。戦争を罪悪とし、平和を美徳とする価値観は、戦後急速にできあがったものでしかなく、わずか数十年前には、ドイツの歴史学者トライチュケとか、カントのような哲学者は、民族戦争を最高の美徳であると説いていたし、またそうした哲学、歴史学が、いまなお崇高な人間の心の財産に数えられている。 坂本竜馬の手紙のなかに 「世界の人民いかにせばみな殺しにならんと工夫すべし。胸中にその勢いあれば、天下に振うものなり。」という恐ろしい一節があるが、これは、単純明快に争いごとというものが、人間にいかに勢いを与え、知恵を与えるかということを証している。 戦争の本質がなんであり、平和の本質がなんであるかもわからぬうちに、子どもにむかって、やたらに戦争を罪悪と教え、平和を美徳と教えることに、わたくしは疑問を感じる。」 と云うものがありました。 幼稚園から学生でもその様な事はありましたが、 その中でも特に支配欲のない人も居りました。(私もその一人) が、学力や運動神経の有無とは別にやたら支配欲の強い人が 居りましたが、この様な人間が社会的に成功するのでしょうか? その様な処世術を説いているのがこの著書に成るのでしょうか? 芥川龍之介氏の小説『蜘蛛の糸』で主人公犍陀多が「お前はこの蜘蛛の糸に掴まる資格はない、俺一人のもの」と云うと蜘蛛の糸は切れたと云う話ですが、実際はこの犍陀多の様な人を目指しそれが人生の頂点と云うものなのでしょうか? ドラえもんの登場人物ジャイアン横暴で嫌な奴であるが、 もしジャイアンが出木杉並に学力優秀ならば、もっと社会的に成功を納めていた、石原氏の子育ては財力があり、学力も付ける、 それでジャイアンの様に振舞って欲しいと云う事がこの著書の云いたかった事なのでしょうか?(四人の御子息がその様な生い立ちかどうかは解りませんが)(同じ藤子不二雄氏の漫画『少年時代』で 剛と云う同級生は学力優秀で男前、しかし周りを恐怖で支配していた ので反感を持たれていた、やがて反発を持つ同級生から報復されると 云う話ですが) 石原氏のいう「いじめっ子に育てよ」はジャイアンや剛 の様な生き方が健全で、ジャイアンも叶わないジャイアンの母 剛もクラスの報復と云う事で自分の立場を知る、そこで更に強くなるなどという術を身に付けよ。 学力や運動能力の有無を別として、出木杉やのび太は支配欲のない 奴で、「食われてしまう事を知らない奴」と云う風に成るのでしょうか? ご回答お願い致します。

みんなの回答

  • sakura-333
  • ベストアンサー率10% (952/8905)
回答No.4

昔とはいじめの質も違いますし半世紀も前の話みたいなので… 一個人の意見でいいんじゃないでしょうか。

  • yaasan
  • ベストアンサー率22% (2725/12280)
回答No.3

闘争心がある程度は必要、ということを表した文章だと思います。社会には競争しなければならない部分があるので、そこで勝とうとする気持ちや意思はある程度必要だと思いますので。一つの極論です。 ただ、全ての人がその通りに生きなければならない訳ではありません。いろんな人がいるので、そういう人たちを迷惑をかけない存在なら、なるべく許容して、生きていくのが一番いい状態でしょう。

  • FJUNS-58K
  • ベストアンサー率36% (34/93)
回答No.2

石原氏がとんがってた頃に勢いで書いたんでしょうね。 それから月日が経って晩年には間違ってたと気づいてたと思います。

  • tzd78886
  • ベストアンサー率15% (2590/17104)
回答No.1

それは石原氏個人の考えですからね。石原氏が思った通りには必ずしもならなかったことは現実が証明しています。