同じ友達歴を共有していても、常にその関係性に温度を持たせていたい(冷めたら切れちゃうかも、そうなるのが不安だ)と思う人もいれば、歴史は消えないからこそ、必要な時に必要な部分だけ温度を注げばまた自動的に温まるはず(だから常にお互いを意識し合っている必要は無いんだ)。そう考えて日々過ごしている人もいる。忘れるというよりは、思い出すエネルギーを注ぐ対象として少し奥の方にしまわれている。そういう場合もある。思い出せばその相手との友達歴も自然と自分の中に蘇ってくるんだけれど、日々を過ごしているとどうしても繋がる優先順位は存在してしまう。同じ友達歴を共有していても、片方が意識している優先順位と、もう片方が感じている優先順位が異なる場合もある。歴史の中身自体はお互いに共通だけれど、それを今の自分としてどのように意識しているか?その違いはあるんだと思う。連絡がピタリと来なくなった時は、少しそのお友達にとっての優先順位が下がった状態なのかもしれない。多くの人に繋がりながらバランス良く友達関係を続けられる人もいれば、その時その時の自分の余裕次第で繋がる相手や人数が変わってしまう人もいる。別にそうなっても良いと思っている人もいる。その時その時の自分が出来る範囲で行うコミュニケーションこそ、自分自身にも無理が無く相手にも無理をさせない。連絡がピタリと止んだ受け手の側は凄く不安だけれど、それは今まで分かち合った友達歴の否定では無い。自分が原因で距離が生まれたり、その後の関係性がなかなか元に戻らずに悩んでいる側からすれば、相手の動きが少なくなったりしてしまう事はどうしてもマイナスに捉えてしまう。一応の仲直りは出来ても、どうしても以前の良かった時代の温かさとの比較級になってしまい、相手の変化を苦しく感じてしまう事もある。それでも、相手が少しお休みモードに入っているとしても、あなた自身が友達歴を大切に自分の中に残しておく事で、相手のコンディションが変わった時にも柔軟に対応出来る。その前にイライラしたり勝手に終わった的に決めつけてしまうと、相手側にコンディションが戻った時にはあなた自身のコンディションが悪くなってしまっている。そんな残念な状態も起こりかねない。そうならないように、お友達との関係も長い目で見ながら、自分自身の心を健やかに整えておく事はとても大切なんだと思うからね☆
お礼
回答ありがとうございます。確かにそうですよね。