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大昔、犠飛を打数に入れていたのは何故?
昭和20年代までは犠牲フライを1打数として数えていたと、とある文献で目にしました。これは何故なのでしょうか?理由を御存知の方は具体的に教えて下さい。
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#1です。 補足にお答えいたします。そんな大層なことではないので恥ずかしいのですが。 まず当然のことながら、一般論ではなく私個人の意見であるということを前提にお話します。 そもそも野球(ベースボール)は好きに投げ、好きに打つプリミティヴなスポーツだったと思うのです(今でもそうあって欲しいと思っているのですが)。 その後、勝つための様々な戦術が生み出されます。 「犠牲バント」はその代表的なものでしょう。 「犠牲バント」はその特異なバッティングフォームからして、犠牲になることを宣言するものです。 プリミティヴさとは相容れないプレイですが、その潔さは認めざるを得ません。 したがって打数から除くというのも納得できます。 しかし「犠牲フライ」の場合、最初の回答にも書きましたとおり、犠牲フライを狙って打ったものか、たまたま結果的にそうなってしまったものか、判然としません。 狙って大きな外野フライが打てるのなら、ヒット狙えよなんても思ったりもします。 勿論、狙って打ったケースも数知れずあるのでしょうが、打点が付くだけで十分だと思うのです。 また逆に、打数にならないが故に犠牲フライを狙うケースが増えてしまえば、それは、野球の奔放な魅力をひとつ失うことになるような気がします。 緊迫の延長戦などでのサヨナラ犠飛なんて、拍子抜けしませんか(ましてやインタビューなどで「あの場面犠牲フライでいいと思ってました」なんて言われたら興ざめですよね)? 要するに、バッターたるものいつ何時でもヒットを狙って欲しいのです。 結果犠牲フライであれば、それもまた良しだと思うのです。 。、
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- yamikuro3
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犠牲フライという概念がなかったからではないですか? 犠牲バントは確かに自分を殺してランナーを進塁させるという犠牲的精神が感じられますが、犠牲フライに関しては、ヒットやホームランを狙ったが結果的に外野フライになったというケースも随分あると思います。 当時は選手も「ここで俺が犠牲になって外野フライを打って・・・」などとは思ってなかったのではないでしょうか。 野球は比較的ルールの変更の少ないスポーツですが、それでも結構変化してますよね。 今で云うサヨナラホームランを打っても、塁上のランナーが逆転のホームを踏んだ時点でゲームセットになるルールがあった故の幻のホームランも結構あったようですね。 ちなみに私は、犠牲フライは打数に入れるべきだと思っています。
補足
返信ありがとうございます。 >私は、犠牲フライは打数に入れるべきだと思っています。 何故ですか?少しびっくりしてしまいました…。